第51話 熱病のヒューゴ

 病室に隔離されたヒューゴは、既に意識が朦朧としていた。


 セドリックと酷似した症状だ。彼にも例の熱病が伝染したらしい。


 リリーは万能薬草の粉末を持って入った。早急に薬を飲ませる必要がある。


「ヒューゴ様、聞こえますか?どうか起きて、お薬を」


 リリーが問うと、ヒューゴは返答した。


「……飲まない」


 リリーは青くなった。


「意地を張っている場合ではありません、命に関わります」


 するとヒューゴは焦点の合わない視線を天井に投げ、こんなことを言った。


「命など、どうでもいい」


 リリーはぞっとした。


「殿下。そのようなことは……」

「いっそ死なせてくれ」

「殿下……」

「……」


 ヒューゴはそれきり黙った。何も話したくないらしい。


 こういった意地の張り方は危険だ。リリーはかつてシェンブロ家の経営する修道院内の医院で、このようになった患者を何人も看たことがある。生きる希望を失っていたり病状が重すぎたりすると、死を望んでしまう患者は意外に多いのだ。


 このようになった場合、病状がもっと重くなるまで放っておくか、希望をどこかに作るしか、患者の希死念慮を取り去る方法はない。


 リリーは焦る頭で考えた。ヒューゴは王太子。前者の方法を選ぶのはリスクが高すぎた。


 ひとまず部屋を出ることにする。恐らく、ヒューゴの一番のストレス元はリリーなのだろうから。


 リリーが部屋から出て来ると、兄弟たちが彼女を取り囲んだ。


「……どうだった?」

「お薬は、飲まないそうです」

「……はあ?」

「死なせてくれ、と……そのようにおっしゃっています」


 三人の兄弟は表情を沈ませた。それからかさぶたをめくるようにひりひりと、彼らに積み上がっていたわだかまりが剥がれて行く。


 サイラスが言う。


「あいつにとって、王太子は重責ではあったが、誇りでもあったんだよな……」


 レナルドが言う。


「最近のことは、あいつにとっては晴天の霹靂だったことだろう。父上の病気に妄言、リリーの登場にマリーの裏切り……どれも、あいつのせいで起きた事ではない。あいつの存在意義すら脅かす災難が、ここのところ一気にやって来てしまったというだけなんだ」


 エディは何やらじっとうつむいて考えていたが、ふと顔を上げる。


「とにかく、薬を飲ませる方法を考えよう。あれを飲めば治る確率がぐんと上がる」


 リリーも頷いた。過去はどうあれ、ここにいる誰もがヒューゴに生きていてもらいたいと望んでいるのだ。


 リリーの肩を、エディが抱く。それでふと、リリーの脳内に稲妻のようにある考えがよぎった。


「……そうだわ。飲んでもらえそうな方法が、ひとつある……!」


 三人がリリーに同時に視線を向けた。


「マリー様よ!マリー様が来れば、きっと薬を飲んでくれるわ」




 しかし、現実は非情だった。


「行きません」


 そう牢から返されて、リリーと三人の兄弟は耳を疑った。


 王宮地下室の牢にセドリックの許可を取りつけてやって来たのだが、徒労に終わってしまった。


 マリーは鉄格子の向こうからこちらに、恨みがましい視線を投げかけている。


「そんな……どうして」

「どうもこうもないわ。ヒューゴとは政略結婚よ。私は彼に何の感情もないの」


 リリーは衝撃を受けた。ヒューゴが彼女を大事にしているのは傍で見ていても分かったし、王太子妃もそれに笑顔で応じていた。見ている分には、彼らは仲睦まじく見えたのだ。しかし、想いはヒューゴの一方通行だったようだ。


「万能薬草を飲ませることが出来れば、治る病なんです」

「なら、眠っている隙に口に押し込めばいいじゃない」

「その……人助けだと思って手伝っていただけませんか?最悪、ヒューゴ様は死ぬかもしれないんですよ」


 マリーはさらりと言った。


「別に構わないわよ」


 三人の兄弟がぞっとした瞬間だった。


「私は王妃になるべく頑張って来たわ。彼の機嫌を損ねないよう、自分を押し殺して仲睦まじさを演出して来た。でも、その努力は全て水の泡になってしまったのよ。王妃になれないのなら、何もする気はないわ」

「……でもそれって、全部あなたのせいですよね?あなたがスパイ行為などしなければ」

「何とでも言うがいいわ。行かないったら行かない。ひとりにして」


 取りつく島もなく、四人はやるせない気分を抱えながら階段を上がって行った。


 この会話は、ヒューゴには絶対聞かせられない。


 リリーの心はぎゅっと冷えて行く。


 彼は彼なりに、マリーに愛情を注いで来たのだ。なのに、最後の最後でこれとは──


 再びヒューゴのいる病室の前まで戻ると、中からはうめき声が漏れていた。


 少しだけ扉を開け病室を覗くと、看護係たちが熱を下げようと必死に立ち働いている。


「ああっ、脈が落ちる……!」

「ダメです、薬草も吐いてしまいます」

「時間がないわ!鼻から流し込める?」


 嗚咽するような音、溺れるような音、小さな悲鳴が漏れて来る。


 リリーがその惨状にじっと耳を凝らしていると、その喧噪の中、小さな声を聞いた。


「……マリー」


 リリーの胸がずきんと痛む。


「……マリー」


 その低い声が、どんなに彼がマリーを恋い慕っているのかを周囲に伝える。


 看護係たちは悲しみに暮れ、一様に黙った。


 その時。


 リリーの脳裏に、鮮やかに母ウェンディの最期が蘇った。


 愛する男に捨てられ、修道院でひっそり死んで行った母のことを。


 リリーの目から、どっと涙が溢れ──


 気づけば彼女は、再び地下牢に向かって走り出していた。

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