【短編版】豊臣の子
四谷軒
01 豊臣完子(とよとみさだこ)
ちりん、ちりん。
どこかで鈴が鳴っている。
時は、慶長九年六月。
秀頼の義姉、
完子、正確には、のちにその名で称される女性だが、彼女の母は
江は、今は徳川秀忠の正室であるが、その前は豊臣秀勝という人物に嫁いでいた。秀勝というのは、豊臣秀吉の姉・ともの子である。換言すると、かつての関白・豊臣秀次の弟が秀勝であり、その秀勝と江の間に生まれたのが完子──つまり完子は秀頼の従姉である。
ところが秀勝が陣没し、その後、江は秀忠に嫁ぐよう命じられたが、完子は大坂に残された。
「
秀吉の側室であり、当時秀頼を生んでいて、正室以上の権力を持っていた茶々が、完子を引き取った。
以後、蝶よ花よと大切に育てられ、嫁ぎ先にも気を遣われ、藤原摂関家九条家当主
*
「まことにめでたきことにございます」
その夜、完子の
大坂城の一室にて、乳母は完子のうしろに座り、泣き笑いの表情を浮かべていた。
この夜、完子は嫁入り前に、親しき者たちだけで過ごしたいとの意向を示し、この部屋には、乳母のほかに、秀頼、茶々、秀頼の正室の千姫がいる。
乳母は幼き日から完子の世話をしてきており、家族同然ということで、同席を望まれ、今ここにいる。
「この子の母であったそなたがそういうのも、むべなるかな」
茶々は微笑む。完子の養母である彼女が言うのなら、納得のいく発言である。
表の母が茶々ならば。
身の回りの世話をしてきた乳母こそ、裏の母である。
茶々はそういうことを言いたいのだ。
「長年の労苦が報われた気持ちでございます」
乳母は深々と頭を下げた。
*
――まるで、羽のようなあつかいだった。
完子はそう思う。
完子は実母である江から捨てられた。
徳川家の世嗣に嫁ぐよう命じられたため、連れ子はいない方が良いという判断である。
その時、奉公人のほとんどが辞していったが、この乳母だけは完子から離れなかった。
さらに詳しく言うと。
完子の父たる羽柴秀勝は、完子の生まれた年に、文禄の役の最中に、巨済島で病没した。
「哀れな」
これを聞いた秀勝の兄、秀次は、自身の侍女の中から特にとこの乳母を選んで、完子の世話を命じたという。
当時、乳母は赤子を失ったばかりで、その傷心を癒やすという、秀次の心遣いもあった。
その秀次も切腹させられ、江が秀忠の正室となり、完子が孤児となったところを、この乳母が尽力し、茶々が養子として迎え、乳母共々、豊臣家に迎え入れられたという次第である。
「何にせよ、めでたきこと……完子さまが嫁がれ、そして秀頼さまも、今改めて見ますと、何と見事な男ぶり。まさに豊臣の子。お父上の関白さまを見ているようでございます」
「それはそれは」
乳母のその言葉に、千姫が
豊臣秀吉と徳川家康という、互いの父と祖父が決めた婚姻ではあったが、千姫は秀頼という夫に満足していた。
その千姫が、秀頼を褒められて、嬉しくないはずがない。
この機会に、茶々との融和に努めようと、「
言ってみたが。
「…………」
茶々は無表情だった。
千姫は、やってしまったと思った。
やはり、出過ぎた真似か。
「母上」
ここで秀頼が口を開いた。
彼は、妻の千姫の努力を認めた。だから、茶々の反応が無いことに不満を覚えた。
だがここで
ならば自分が、場の雰囲気を良いものにしよう。
そう思っての声かけだったが、なおも茶々は無表情だった。
「
さすがにおかしいと思ったか、完子も声をかけた。
茶々はようやく気がついたように「え、ええ。そうですね。まさに秀頼は豊臣の子。お父君に、太閤殿下に」と言ってから、誤魔化すように宴の支度をと手を叩いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます