第31話「四階再踏破――開かれた領域」

 チュートリアル六日目の朝。

 地上偵察組がビルを出て行ったあと、俺(ハジメ)たち四階制圧組も準備を終え、静かに行動を開始した。

 メンバーは事前の取り決め通り、俺・北村・橘・小野田・藤崎、そして支援士のリナ。

 合計六人の編成だ。


「……さて、前にも来たけど、未踏エリアは広いからな。気を引き締めていこう」

 廊下を抜け、階段を上がりながら、橘がひそやかに声をかける。


「うん。この前の戦闘で、大型の異形(人型モンスター)を倒したとはいえ、まだ仲間がいるかもしれないし……」

 リナが慎重にスキルの準備を始め、わずかに唇を噛む。

 北村や小野田、藤崎も黙って緊張を高めている。



 四階へと続く階段は薄暗く、停電したビルの非常灯は当然動いていない。懐中電灯やランタンの明かりが頼りだが、なるべく外へ漏れないよう、光量は最小限に抑えている。

 小野田が小声で言う。「一応、改造パイプも修繕したが、大型の異形が相手だとどこまで通用するか……」


「そんときは俺やハジメが前に出る。小野田はサポートと、リナの護衛を意識してくれ」

 北村が答え、軽く頷く。彼は盗賊ジョブで機動力に優れ、狙いすました急所狙いが持ち味だ。


「……俺も、逃げないっす。ちゃんと踏みとどまって戦う」

 藤崎が一歩後ろを歩きながら、拳をギュッと握っている。昨日までの不安げな表情から、決意が伺えるのは心強い。


 そして、俺は先頭で階段を踏みしめながら周囲の警戒を怠らないようにしていた。前回ここを訪れた時は、大型異形との激突や、“変異途中”らしき存在との接触があった。

 (あれがまだ潜んでいるか、あるいは仲間がいるかもしれない。どちらにせよ、警戒は必要だ)



 四階の扉をゆっくりと開く。

 湿ったようなカビ臭さは相変わらずで、所々に倒れた棚や机が散乱している。通路の奥は暗闇に沈んでいて、一見静かに見えるが、油断はできない。


「ここが一番広いオフィスフロアだったはずだよね。私たちが前に来たとき、大型異形に遭遇した……」

 リナが苦い顔で回想する。

 橘も応じるように「あぁ、確か半分くらいしか探索できずに撤退したんだよな」と呟く。


「今回こそ全部確かめよう。もしモンスターが陣取ってるなら排除しないと、拠点がいつまでも危ない」

 俺はそう言いながら、先頭に立つ。大きく分けて、中央のオフィス空間、その奥の会議室エリア、それから見落としていた倉庫部屋があるはずだ。


「じゃあ、まず右側の通路から回るか。奥には会議室があるって、地図で確認したっけ」

 北村が盗賊スキルで足音を消しながら進み、周囲を見渡す。



 俺たちは、前回戦闘の舞台となった中央オフィスを避けるように右の通路へ。そこには「会議室」「スタッフルーム」「備品倉庫」などのプレートが並んでいた。

 何箇所かドアが半壊しているが、扉ごとに気をつけて確認する。


「最初のドア、開けます……」

 藤崎がそっと扉を押すと、部屋は真っ暗で生臭い空気が漂う。懐中電灯を当てると、床が少し濡れたようになっていて、古い血痕か何かが散っている。


「……ヤバい臭いだな。誰かがやられたあとか」

 小野田が鼻を押さえる。奥には机と椅子がいくつか倒れているが、動物の気配や人影はない。


「一応、死体は見当たらないし、モンスターの巣って感じもしないな……だけど、気持ち悪い」

 北村が慎重に部屋の隅を探り、特に何もないことを確認。俺たちはすぐに退室する。


(これだけ血痕があるのに、死体すらないってことは……異形が持ち去ったか? それとも“変異”が進んでどこかへ消えた?)


 嫌な予感が胸を刺す。

 このビル全体が、徐々に“異世界”に侵食されているのかもしれない。



 次に、扉に「備品倉庫」と書かれた部屋へ。

 鍵は壊れており、扉は半開き。北村が音を立てぬように先に入る。


「……何もいないな。物資は散乱してるが……ん?」

 奥の棚の上で、何やらプラスチック製のケースが光を反射している。


「これ、工具セットか? あと、ライトの電池らしきものが散らばってる」

 小野田が近づき、ほこりを払いながら手に取る。「使えるかもしれねえ。…でも、放電してないといいけど」


「まだマシだ。ここまで物資が荒らされてないのは助かるな」

 橘がひと通り見回して、会議用の備品や古いパンフレット、書類が散在しているのを確認する。

 人間用の食糧や水はなさそうだが、工具や備品は拠点を強化するうえで貴重だ。


「これで小野田の装備改良も捗りそうだし、バリケードをもっと頑丈にできるかもしれないな」

 俺は少し安堵する。リナも「やったね!」と小声で喜んでいる。



 倉庫を出て、さらに奥の会議室ゾーンへ足を踏み込む。

 扉が頑丈そうに閉じている会議室が二つ並んでいるが、一方は前回の戦闘時には覗く余裕がなかった場所だ。


「……扉、開かないな」

 藤崎がドアノブを回しても動かない。鍵がかかっているのか、あるいは内側から何かで塞がれているのか。


「中にモンスターがいるかもしれない……。ドアを破る手もあるが、音が大きくなるしな」

 北村が首を捻る。


「どうする? いずれは制圧したいが、下手に破壊して大きな音を立てたら異形を呼び寄せるかもしれん」

 橘が低く相談を持ちかけると、小野田は工具セットを開こうとする。「時間があれば静かに開錠できるかもだが……」


 俺は少し考えた末、短く答える。「手こずりそうだし、まずはこっちのもう一つの部屋を見てから判断しよう。大きな音を出すなら最後にしたい」


「りょうかい」

 リナや藤崎もうなずく。バタバタ騒いで異形を引き寄せるのは危険すぎる。



 隣の会議室はドアが壊れており、少し押せば開いた。中は比較的広く、机と椅子が散乱しているが、目立った血痕はない。警戒しながら入るが、モンスターの姿はなかった。


「ここ、一時的に拠点として使えそうだな。窓もなく、出入口が一つだけだし、守りやすいかもしれない」

 北村が部屋の構造を見て呟く。大きなホワイトボードが倒れていて、仕切り代わりにも使えそうだ。


「こういう部屋を確保できれば、4階を本格的に拠点化するのも夢じゃないね。まあ、その前に安全確保が大前提だけど……」

 リナがほっとしたように息をつく。


「だな。少しここで休んで、次どうするか決めよう。あの鍵のかかった会議室が気になる……」

 橘が背中を壁にもたれかけ、周囲に視線を走らせる。


 俺は扉付近で見張りの姿勢をとる。異形の気配は感じないが、気を抜けばいつ背後を取られるか分からない。



「よし、状況整理だ。奥の会議室ドアが厄介。それをこじ開けるか、別のルートがあるか探すか……どうする?」

 俺は仲間たちを見渡しながら切り出す。小野田は工具をちらつかせ、「時間かければ開けられるかもしれない。でも音がゼロにはならねえ」と言う。


「……強行突破して異形が出てこなければラッキーだけど、逆に中に潜んでたら……」

 藤崎が不安そうに呟く。


「そうだな。もし複数の大型異形がいたら逃げ場が少ない。けど、この部屋を拠点にすれば退路は確保できるか。扉を閉めて籠城すれば多少は防げるし」

 北村は気配を探るように耳を澄ませ、廊下の気配に注意を向けている。今のところ、静かだ。


 リナが静かに意見を述べる。「ここまでは怪我人も出てないし、慎重に行けば大丈夫かも……。日が傾くまでに制圧できれば、それ以降は拠点強化に使えるし」


「……分かった。時間もそう残ってない。一旦この会議室を拠点にして、鍵のかかった部屋をこじ開けよう。 大きな音が出ないよう、小野田と橘がメインで作業を頼む」

 俺は最終決定を下す。もしモンスターが出てきたら前線は俺、北村、藤崎。リナが支援をかける形。


「了解だ。気を抜くなよ」

 橘が腰を上げ、小野田と一緒に工具を抱える。藤崎は後方支援、北村と俺が先陣を守る。そのプランを確認し合い、再び廊下へ。



「行こう……慎重にな」

 俺は深く息を吸い、北村と視線を交わす。リナは士気アップの支援詠唱を始め、小野田は工具を準備。藤崎は手汗を拭きながら、鉄パイプを握る。

 扉の奥に何があるか分からない——大型異形の仲間か、あるいは別の凶暴なモンスターが潜んでいるかもしれない。


(チュートリアル六日目……もうあとわずかで終わりだ。ここを乗り越えないと、拠点が守れない)


「よし……突入準備。小野田、まずは静かに鍵を開けられそうか試してくれ。無理矢理に破壊するのは最後の手段だ」


「任せとけ。だが、あんまり期待するなよ。音立てずに開けるのは難しいが、やれるだけやる」

 小野田がドアノブを軽く調べ、微かな金属音を立てないように慎重に作業を始める。


 ——不気味な静寂の四階廊下。

 隣の会議室にリナと藤崎が待機、俺と北村、橘が周囲を警戒する。もし扉の先から異形が飛び出してきても一斉に迎撃する構えだ。


(来い、どんな敵でも……。ユニークスキルの反動は大きいが、仲間を守るためなら)


 心の底で自分に言い聞かせる。

 大型の異形を倒した時のように無我夢中になれば、あの一瞬の爆発力を再び使えるかもしれない。……とはいえ、簡単には発動しないし、仲間が死にかけるほどの危機を待つのも嫌だ。


「……どうだ、小野田?」

 橘が小声で尋ねると、彼は鍵穴に工具を差し込みながら「あとちょっと……」と息を呑む。


 北村と俺が目を凝らす。廊下の奥や天井、壁のひび割れをチェックしているが、今のところ異形やモンスターの姿はない。ただ、嫌なほどの湿気とカビ臭さが鼻を刺激する。


「……くそ、微妙に錆びてるな……少し音が鳴るかも」

 小野田が顔をしかめ、ほんの少し工具を強めに回す。——ギギッと短い金属音が響いた。


(やば……敵に気づかれたりしないか?)


 一瞬、全員が息を止める。

 周囲は静まり返ったまま。

 2秒、3秒……何も動きはない。ほっと安堵しかけたそのとき——


ガチャンッ!


 小野田の工具が扉内部の錆びたパーツをはじき飛ばし、思わず声を上げかける。「…やべ」


「大丈夫か!?」

 俺が振り向くと、扉が少しだけ隙間を開き—— **ギィ……**と重い音を立てて動き出した。


「……開いた……のか?」

 橘が困惑した声を出す。すると、小野田は「あぁ、開いたはいいが、ちょっとバネか何かが外れたっぽい。音が……」と返す。


「仕方ねえ……扉を押し開けるぞ。警戒しろ!」

 北村が鉄パイプを構え、俺も先陣に立って扉の隙間を覗き込む。

 懐中電灯を低い位置から差し込むと、暗い室内がほんの少し見える。机や椅子が倒れているらしく、窓はカーテンで覆われており光はまったくない。


(……嫌な空気だな。いるのか?)


 俺たちは互いに目配せして、ゆっくり扉を開く。

 一歩、二歩……中へ踏み込む。空気が濁っていて、舌先に苦味を感じるほど。


「リナ、士気アップ……頼む……」

 俺は短く言い、リナが後方から詠唱を始める。ほんのわずか身体が軽く感じる。

 北村、藤崎、小野田、橘がそれぞれ息を殺しながら、警戒態勢で視線を走らせる。


 室内は明らかに大きな会議室だが——


「何だ……?」

 奥の壁際、床が奇妙に湿っている。かすかに血の色を帯びた染みが広がり、何かが引きずられたような跡が幾筋もついているように見える。


「まさか、さっきの異形か……? 人型がここに潜んでるとか……」

 小野田が緊張に声をかすれさせる。


「……気をつけろ。絶対にいるぞ」

 橘が周囲を睨み、ナイフを構えた。その言葉が警鐘を鳴らすように、背筋に冷たい汗が伝う。


 果たしてこの部屋の奥に潜むのは、まだ見ぬ異形か、それとも——。

 六日目の朝、俺たちはいよいよ四階の深部へ足を踏み入れた。

 外の偵察組はどうなっているか、今は分からない。とにかく一歩ずつ前へ進み、このフロアを制圧しなければ、拠点の安全は手に入らない。


(頼むから、みんな無事に帰ろう……ユニークスキルに頼りすぎるのは御免だが、もしものときはやるしかない)


 心の中でつぶやきながら、俺は鉄パイプを握りしめ、視線を奥へ……。薄暗い室内に、一体何が潜んでいるのか——まったく予断を許さないまま、緊迫の探索が続く。


――4階制圧組の進行は止まらない。六日目の鍵は、この先の会議室が握っているかもしれない……


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