第16話「ビル上層への挑戦と危機一髪」
明けてチュートリアル4日目の朝。
ビル地下の仮拠点には、少しだけ張り詰めた空気が漂っていた。朝の見張りを終えた仲間たちの報告によると、昨夜は特にモンスターの大規模襲撃はなかった。しかし、外の犬型モンスターが減っているようにも思えない。いつ何が起こるか分からない状況は変わらない。
俺、霧島ハジメは、早朝に軽く眠りから目覚めて背伸びする。いまビル地下にはざっと15人ほどの仲間がいて、それぞれ簡易的な寝床を確保しながら夜を明かしている。中には新たに合流した北村や小野田もおり、力仕事や警備を手伝ってくれるようになった。
「……さて、今日が4日目。ついにビルの3階、4階に挑む日だな」
そう独り言を呟きながら、隣で丸まっていた佐伯ヒロキを見やる。彼は回復士ジョブを持ち、既に何度も仲間を救ってくれた。つい先ほどまで見張りをしていたらしく、まだ寝ぼけ眼で軽くあくびをしている。
「おはよう……ハジメ、今日は忙しくなりそうだな。2階までの制圧より手強い敵が出るかもしれない」
俺はうなずき、周囲に声をかけて仲間を集める。橘や柿沼、それにリナも呼び、朝のミーティングを始めた。参加者は主に戦闘能力があるメンバーで、浅海さんや数名は拠点に残って支援や見張りを続ける。
「今日の目標は、3階と4階の安全確保だ。昨日の2階攻略より時間がかかると思う。場合によっては夕方までかかるかもしれない」
「途中で怪我人が出れば回復士のヒロキが対応するし、無理はしない方針ね。夜までに地下へ戻ってくることを最優先にしよう」
リナがメモ帳を取り出しながら確認する。支援士としてのスキルを活かし、“士気アップ”のバフを仲間に与えられるのが彼女の強みだ。大した数値上昇ではないが、多少なりとも戦闘を有利にできるかもしれない。
「もし強力なモンスターが出たら……逃げていいよな?」
北村が不安げに尋ねる。盗賊ジョブに就いて軽快な動きを身に着けつつあるが、まだ経験値もLvも十分とは言えない。
「もちろん無理はしなくていい。ただ、ある程度の戦闘は避けられないと思う。あんまり逃げ回っていると、背後を取られて逆に危険だしな」
俺がそう励ますと、彼は唇を噛みながらうなずいた。
ミーティングを終えたところで、全員がパイプや棒を武器に携えて階段へ向かう。3階まで上がり、そこからフロアを少しずつ探索する作戦だ。
「行くぞ……」
廊下を抜けて非常階段を上がる途中、昨日の疲れがまだ少し残っているのを感じる。けれど、いつまでも地下に籠もってはいられない。俺たちの拠点化計画を進めるには、3階4階を制圧して居住区や食料倉庫などを確保することが必須なのだ。
3階に到着し、ドアをゆっくり押す。スキマからひんやりした空気が流れ込む。非常灯はほとんど機能しておらず、薄暗い廊下が奥へと続いている。赤や黄色の警戒テープが貼られた跡があり、壁には焦げた痕が点々としている。
「火災か爆発か……よく分からないけど、やっぱりどこも被害を受けてるな」
ヒロキが小声でつぶやく。その通りだ。天井パネルが落下し、床はガラスや書類で散乱している。
廊下の先から腐臭のようなものが漂ってきた。犬型モンスターの死体でも転がっているのか? あるいは人間の遺体か。嫌な予感が胸を掠めるが、引き返すわけにはいかない。
「行こう。用心して進め」
俺が声をかけ、仲間たちがうなずく。橘、柿沼、北村が前衛気味に動き、リナとヒロキが後方支援。俺は前衛組と後衛組の中間あたりに位置取りする。
ゆっくりと廊下を曲がると、正面のオフィスエリアで崩れ落ちた書棚が視界を遮る。横を回り込もうとすると、いきなり甲高い鳴き声が響いた。犬型とも違う濁った声。まるで人型の小鬼が甲を鳴らすような、不快な音程だ。
「ゴブリン……か?」
ヒロキが警戒する。過去に一度だけゴブリンの群れと遭遇したことがあるが、今回も同じかは分からない。とにかく不意に襲われる形はまずい。俺たちは手際よく陣形をとる。
すると、視界の先に小柄な影が見えた。やはりゴブリンに似た姿だ。ただし、前に見たゴブリンより肌の色が青白い。表情が分かりづらいが、牙をむいて警戒している様子が伺える。手には金属片を束ねたような棍棒を握りしめ、こっちを睨んでいる。
「来るぞ……気をつけろ!」
俺たちが身構えたと同時に、そいつは恐ろしい速さで突進してきた。体格は小さいが動きは素早い。前衛の柿沼が咄嗟にパイプを振るうが、ゴブリンは軽々と身をかわし、低い姿勢で懐に潜り込むように攻撃を仕掛けてきた。
「ぐっ……!」
柿沼が胴体を思い切り殴られ、吹き飛ばされそうになる。すぐ横で橘がカバーに入り、ゴブリンを横から蹴り飛ばすが、スピードが速すぎて完全には当たらない。
「こいつ、犬型よりずっと厄介かもしれない……」
俺は一瞬で判断し、「リナ、士気アップ!」と声をかける。彼女が瞬時に手をかざすと、微弱な光が俺たちの胸元を照らし、身体に少し力がみなぎる感じがする。大した上昇値ではないはずだが、こういう戦闘では細かな差が命運を分ける。
「ヒロキ、柿沼を回復して!」
俺はゴブリンの横合いへ素早く回り込み、鉄パイプを振り下ろす。戦士ジョブのスキル“斬撃”を意識すると、身体が自然としなるように動いてくれる感覚がある。
ゴブリンがこちらに反応し、金属棍棒を構えるが、俺と北村の挟み撃ちで攻撃を仕掛けると、さすがに動きが鈍る。ヒロキの盾が入れば完璧か……と思った矢先、ゴブリンが突然奇妙な声を上げて跳躍した。人型のはずが、信じられないジャンプ力で頭上を越えていく。
「なっ……!」
驚きのあまり動きが一瞬止まる。ゴブリンは天井近くまで飛び上がり、廊下の突き当たりへ降り立つと、そのまま足音を立てずに奥へ消えようとする。
「逃がすか!」
仲間とアイコンタクトを交わし、俺たちは追いかける。ここで逃せば、後々不意打ちを受ける危険がある。できるだけ早く片付けるに越したことはない。
通路の先へ走り込むと、曲がり角を曲がった先にゴブリンの背中が見えた。壁に穴が開いていて、そこをすり抜けようとしているのかもしれない。
「くっそ、あの穴は……2階から見えた崩落部分か?」
ヒロキが叫ぶ。たしか昨日、2階天井の一部が崩れて穴になっていた箇所があった。そこから3階との接点ができているのかもしれない。
ゴブリンが穴に入る直前、俺は斬撃を放つ。空振りに終わりかけたが、かろうじてゴブリンの足をかすめたのか、一瞬動きが鈍った。そこに橘が追撃を入れ、柿沼も痛みを堪えて棒を振り下ろす。
ゴッ! という鈍い音。ゴブリンが悲鳴を上げ、壁に頭を打ちつけて倒れ込む。最後の一撃は北村のパイプだった。
「やった……か?」
青白い肌のゴブリンは痙攣しながら動かなくなる。システム画面には**《ゴブリン(亜種)を撃破。経験値+180》**と表示されている。どうやら亜種扱いの個体らしい。素早さが際立っていたのも納得だ。
「ふう……なんとか倒せたな。だけど、しんどかった」
俺は汗を拭う。柿沼が背中をさすりながら呻く。「肋骨、やばいかも……痛え……」
すぐにヒロキが回復術を使い、浅い傷なら一瞬で治癒できるが、重度の骨折となると完全には治せない可能性もある。彼の回復レベルが上がれば別だが、今は応急的に痛みを和らげる程度だ。
「あんまり無茶するなよ、柿沼。次の戦闘があったら危険だぞ」
リナが心配そうに声をかける。本人は「大丈夫、まだ戦える」と強がっているが、見たところ息が苦しそうだ。
「こんな厄介な個体が、まだ潜んでるかもしれないな……」
橘も苦い顔をしている。さっきのジャンプ力や攻撃力を考えると、2匹3匹いたらさらに苦戦するだろう。
「一旦作戦を再検討しよう。もし同じゴブリンが複数いたら相当ヤバい」
ヒロキが提案するが、俺は深呼吸しつつ首を横に振る。
「引き返すのは得策じゃない。俺たちがどこかで倒さなければ、このフロアはいつまでも危険なままだ。できるだけ慎重に進めばいい」
全員が疲弊した様子を見せながらも、ここで撤退すれば4階までは到底到達できないだろう。4日目の最も大きな目的が半ば潰える。もちろん無理する必要はないが、いま引き返せばモンスターをまた野放しにする形になる。
「分かった。じゃあできるだけ警戒を強めながら続行しよう。柿沼も動けるだけ動いて、限界ならすぐ言うんだぞ」
俺はそう決断し、仲間たちもうなずく。北村はまだ息を整え中だが、初めてゴブリン級を倒した達成感があるのか、目がぎらついている。
ここで再びリナが支援士スキルを発動し、パーティ全体の士気を高める。わずかに身体が軽く感じるのが不思議だ。RPGじみた世界に慣れてきたものの、こうした超常現象は相変わらず不可解であり、神の力がいかに歪んだものかを痛感する。
「よし、行こう。まだ3階の奥には部屋が何個もある。やるしかない」
そう呟いて廊下を見渡したとき、ふと目の奥にチラリと光が走った。何か“システムの画面”が一瞬だけノイズを上げるような感覚に襲われる。
(なんだ……? 調子が悪いのか……)
気のせいかもしれない。だが、胸騒ぎを覚えるほど強烈ではなかったのに、なぜか頭に焼きつく。まるでシステムがバグを起こしかけているような、あるいは隠れたメニューがちらついたような——そんな漠然とした感覚だ。
「……ハジメ? どうした?」
ヒロキが不思議そうに覗き込むが、俺はすぐに首を振って「何でもない。ちょっとフラついただけ」とごまかす。
もしかしたらこれが、俺のユニークスキルに関する“微かな予兆”なのかもしれない。だが、今はまだその正体を確かめる余裕はない。3階の探索は続くし、これ以上仲間を危険にさらしたくない。
「行こう……慎重にな」
誰にも言わず、その奇妙な違和感を胸にしまい込んだまま、俺はゴブリン亜種の死体を一瞥する。いつか、この世界の“神システム”を破壊できる力を得る日が来るのだろうか?——そんな予感だけが、かすかに胸を刺した。
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