予讐復讐

小狸

短編

 *


 ある、殺害したい人物がいた。


 詳細は個人情報が特定される可能性があるため控えるけれど、その人物は私の人生をどうしようもなく不可逆的に破壊し、その人物のせいで仕事を辞職に追い込まれ、20代というある意味人生の最も重要な時期を滅茶苦茶にされ、健常者として何とか生きることができていた私の人生を決定的に粉砕し、私の信用と信頼を裏切り、私を完全なる社会不適合者に仕立て上げた張本人である。


 毎日毎日、殺したくて仕方がなかった。


 衝動的に頭を掻きむしったり、壁に頭をぶつけたりした。


 勿論もちろん、そんなことを話せる知人などいなかった。


 人を殺したい、なんて、そんなこと言えるはずがない。


 それにそんなことをまともに取り合ってくれる人など、いるはずがなかった。


 だから私は、独りで戦うしかない。


 私は、その人物の家を知っている。


 仕事も知っている。情報の理は、こちらにある。


 あとはいつ殺すか、どうやって殺すか、という問題であったのだが。


 今日、それが解決した。


「…………ふう」


 仕事が終わるのを玄関近くで待って、油断したところを、包丁で突き刺した。身長は向こうの方が高いことは分かっていたので、心臓の付近を、思いっきり突き刺した。ごぼごぼと血があふれてきた。


 その人物が、私に気付き、何かを言葉を紡ごうとする前に、少々横側、肺の辺りを、思いっきり刺した。


 包丁は研いだので、切れ味は良かった。


 肋骨と肉が切り裂かれる感覚が、心地良かった。


 そのまま、その人物は血まみれになりながら、階段から落下した。


 どしんという大きな音を立てて、その人物は後頭部を強く打って、踊り場に着地した。


 そこで私は、その人物を刺した。


 滅多刺しにした。


 取り敢えず、刺せるだけ刺した。


 刺して。


 刺して。


 刺して。


 刺して。


 刺して。


 刺して。

 

 刺して。


 刺して。


 最初は微妙な動きがあったけれど、徐々に動きも無くなっていった。


 しかしいくら刺しても、私の欲求は収まらなかった。


 まだ生きているかもしれない。

 

 もっと。


 もっと殺さねば。


 もっと刺さねば。


 もっと、苦しめ。

 

 もっと、もがけ。


 もっと、あがけ。


 もっと。


 もっとだ。


 


「…………」


 気が付いたら、武装した複数人の警察官が、私を囲んでいた。


 既に、顔面から胸部に掛けて、刺し過ぎて、最早原型をとどめていなかった。


 ぐちゃぐちゃだった。


 まだ、殺し足りない。


 どうして邪魔をするのだろう。


 理解ができない。


 私は立ち上がった。


「動くな!」


 警官の一人が、そう言った。

 

 どうして、私を止める?

 

 悪いのは、この人物じゃないか。


 悪いのは、こいつじゃないか。


 誰も裁かないから、私が殺したのに。


 そうか。


 この人も――この人たちも。


 


 


 


 防護盾を持った警察官は、私の周りを囲んでいた。


 なぜか身体が軽かった。


 私は跳躍して、警察官の盾の裏手に回り、警官の首の辺りに包丁をスライドさせた。


 鮮血がほとばしった。


 そのまま、狼狽する隣の警官に対象を移した。


 確実に殺すなら、胸部か頭部が妥当だろう。

 

 ただ、盾や服で防御されていることも前提に入れなければならない。


 なぜか私には、稼働するべき筋肉が、振りかざす角度が、手に取るように分かった。


 私は何をしているんだろう。


 警察は、市民を守ってくれるんじゃないのか。


 どうして私は、誰も守ってくれなかったのだ。


 どうして私は、誰も助けてくれなかったのだ。


 また、気が付いたら私は、警官の一人の眼球に、包丁を投げていた。

 

 すぐさま投擲した包丁を回収した。

 

 警官の眼球がくっ付いてきた。


「うわあああああああ!」

 

 次に殺そうとした若い警官は、盾を構えたまま、尻もちをついた。


 ありがたい、それで殺しやすくなる。

 

 そう思って――一歩、近付こうとして。


「ぱあん」


 と。


 癇癪玉かんしゃくだまが弾けるような音がした。


 一瞬、何が起きたか分からなかった。


 その直後、何が起こったかを理解した。


 銃で撃たれた、のである。


 若い警官の後ろにいた、恐らくベテランであろう警官が、こちらに向かって銃を向けているのが、見えた。


 一体どこを撃たれた?


 分からない。


 それが。


 見えて。


 脳髄が、頭が、ぐらついら。


 あれ。


 思考が、まと、ま――rない


 そうか、頭をうt、う、う、撃たれ。


 生暖かい血液が、私の鼻より少し上から垂れた。


 どくどくと、止まらない。


 血って、あったかいんだ。

 

 頭が、熱い。


 頭を攪拌されて、ぐちゃぐちゃになった気分だ。


 平衡感覚が、が、が、な、な、ない。


 わ、わた――私は、その警官の方を見た。


 どうして、私を撃つ。


 どうして、私が悪い。


 どうして。


 人を殺して、警官を殺して、脳を撃たれて、意識が混濁して。


 私の最期の言葉は。


 およそ殺人鬼とは思えない、平凡な台詞だった。


「助けて」


 *


 神奈川県某市で起きた殺人事件は、警察官複数人を巻き込む大騒動となった。


 加害者は一人の女性であった。


 かつて被害者から性的暴行を受け、それが契機で精神病を患い、復讐の機を伺っていた、被害者を殺害してたがが外れ、殺人鬼としての才能が覚醒した――というのが、警察の分析であった。


 駆け付けた警察官二名を殺害し、一人に重傷を負わせたことで、正当防衛として、その場で一人の警官に銃殺された。


 果たして。


 殺人鬼が発した最後の言葉の意味は。


 誰にも分からなかったという。




(「予讐復讐よしゅうふくしゅう」――了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

予讐復讐 小狸 @segen_gen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ