未来永拷

小狸

短編

 *

 

「もっと先のことを考えなさい」


「将来のことを考えなさい」


 大人たちはそう言って、毎日を苦しそうに働いている。


 行きたくもない仕事に、乗りたくもない満員電車に乗り、やりたくもない仕事に従事し、くたくたになって疲弊して家に帰ってきている。


 ずっと不思議に思っていた。


 将来に、希望なんてないじゃないか。


 働きたいから働いているのかと問えば、違うと答える。何かやりたい仕事があったのかと聞けば、違うと答える。じゃあどうして生きているのと質せば、怒って質問を辞める。


 将来のことをいくら考えたところで、これから先のことをいくら考えたところで、良いこと、楽しいことなんて思い浮かばないのである。


 良い大学に行って、良い就職先に内定をもらって、死ぬまでこき使われて、働き尽くして、そんな人生のどこに、生きる希望があるのだろうか。


 少なくとも私の周囲の大人たちは、皆辛そうに生きている。


 仕事なんてやりたくない、したくない、つらい、疲れた、苦しい、しんどい、そう言いながらも、仕事に従事している。


 私は周りの大人たちから、学んだ。


 仕事ってそんなに大変でつらいものなんだということを。


 じゃあ人生って、地獄みたいなものじゃないか。


 小中学校で勉強をし、高校大学で高度で専門的な教育を受け、社会人になって仕事に従事する。


 余裕の「よ」の字もない。


 やらなければいけないことであふれている。


 私も今、何とか馴染んでいるフリをしているけれど、この高校生活だって、いつトラウマになるか分かったものじゃない。


 私のような、所謂いじめられっ子にとって、学校生活とは、そういうものである。


 学校で駄目――ならば、仕事を始めたところで、駄目だろう。


 どうして苦しいと、辛いと、しんどいと分かっていることを、自主的主体的に向き合わなければいけないのだ。


 分からない。


 さりとて誰とも会わずに家で引きこもっていると、今度は世間体という壁が、私の頭上から落下してくる。


 世間体。


 働いて一人前。


 親孝行して、当たり前。


 だから何でそうなる。


 働くことが、そんなに正しいのか。


 勝手に産ませられた私の身にもなってくれ。


 先のことを考えたところで、見えて来るのは、その先で失敗している自分像だけ。


 何を頑張ろうとも、結局その辺の大人と同じように、使われ、使い捨てられて終わるだけなのだ。


 大人になんて、なりたくないし。


 子どものままで、いたくない。


 それが十数年間、


「社会とはそういうものだから」

 

 という大人たちからの言い訳で押し込められた、私の気持ちである。




(「未来永拷えいごう」――了)

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