RE:膝の裏の骨。

木田りも

RE:膝の裏の骨。

RE:膝の裏の骨。

 

(夢を見た。その人は私は死ぬのが怖いです、と仕切りに言っている。僕はそれを見て何を言って良いのかわからなかった。死という受け入れられない現実のために毎日を必死に生きる矛盾が、ずっとぶつかってくる。周りにどう思われようとどうでも良いのなら、1人で苦しまない方法を探し勝手に死ねば良い、って言おうと思ったが、良心が痛んだので、僕は、

「死ぬことは形がなくなることじゃない」

と言った。)


 明け方。明るくなるのが早くなってきた。

寒い、憂鬱、喉が痛い。ネガティヴなことを考えるたびに生きてるなぁと実感する。生きることは、ネガティヴと同居することなのかもしれない。軽く伸びをして、発声と体を伸ばす。いつものルーティンを繰り返し、毎日が送られている証明、日常から地続きにある今日。


 毎日見ているはずの夢も、その日に見た中の、恐らく1個くらいしか思い出せない。言うべきことを忘れ、何をすべきかも忘れた夢を見て冷や汗をかいた朝。有名人に会って恐れ多くてずっとお辞儀をし続けたことだけ覚えてる。言いたいこと、やりたいことも言えない自分を象徴しているみたいだった夢。

 仕事に行く夢を仕事に行く前に見た日なんかには、体感の疲れが倍になる。思えば幸せな夢って久しく見ていない。前はどんな夢を見ていたか。思い出せなくなってきた。


 つけっぱなしにしていたテレビからは、大したことない商品を大袈裟なリアクションで紹介している朝の番組がやっていた。これもいわば通例行事のようなものだ。僕にとって一般常識にもなりつつある。そうして生活が決まっていき、生き方なんかも決められる。レッテルを貼られ、ラベルを貼られ、消費され、土に還っていくのか。僕にとって朝というものは呆気なく過ぎてゆく何もない時間。


 僕は怖くなってきた。不意に膝の裏の骨を触ると、骨を感じる。祖父にも祖母にも父にも骨があった。物凄い炎を使って焼いても骨は残る。骨は生命だ。骨は強さだ。力だ。生きている。生きていた。そう実感させてくれる。

骨に触れ、朝早い時間から、私は生を感じている。ネガティヴになっても、落ち込んでも、意外と終わらない毎日はなんだかんだ愛おしいものなんだと思う。そんな毎日をもっと好きになりたい。もうあの頃に戻れなくても、いなくなった人が帰ってこなくても、それでも生きて、歩いてどこかへ行きたい。地下鉄の始発もまだない時間。通勤手段は歩くしかない。

 ごちゃごちゃな夢と刹那な毎日とテレビショッピングの音。夢のように過ぎてしまう毎日にしがみつきながら、自分だけの日々を紡ぐんだ。


(夢を見た。よく覚えてる。母と僕は2人で箸で骨を掴んだ。僕は箸が苦手で落としてしまった。そしたらその骨は崩れてしまった。僕は悲しかったけど何故か泣けなかった。とても悲しかったけど泣けもしないなんてって嘆いた。そしたら母は、

「涙を流すことだけが悲しみを証明するわけじゃない。伝わってるよ。大丈夫。」


って言ってくれた。

 僕は、その一言が今でも生きている。この言葉を継承したい。僕は落とした骨を再度掴み、絶対忘れることはないから、と念じ、骨壷に入れ、蓋の閉まる音を聞いた。)

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RE:膝の裏の骨。 木田りも @kidarimo777

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