第44話 尾引く悪行




「おま……! エミィ……!? な、何やってんだこんなところで……! どうやって来た……!?」


 幼い客はしゃがみ込んだ雄弥の質問には答えずに、彼の眼の前でうつむいて黙り込む。が、やがて細々と口を開いた。


「お……にぃ、ちゃん、もう、痛くな……い?」


「え、え? ……あ、ああ! 大丈夫大丈夫! ほら、ピンピンしてんだろ?」


 雄弥は大げさに身体を動かしてそれをアピールする。


「つーか…….お前なんでここに? 何しに来たんだ?」


 白いパジャマ姿のエミィは、すそを握った両手を少しだけモジモジさせる。


「……まだ、おにぃちゃ、んに……お……れい、言って、なかっ、たから……」


「え」


 それを聞いた瞬間、雄弥の中で負の思念が再び渦を巻き出した。

 あまりにも大きすぎる無力感と、それに付随ふずいする悔しさ。いや、屈辱と表現するべきだろう。


 彼の顔が、一気に暗くなった。


「……や、いい。いいから、帰れ」


「……え……?」


「そんなことする必要はねぇ。……だから帰れ」


「え……なんで……? だってーー」


「うるせぇ!! いいから帰れッ!!」


 全く予想だにしていなかった雄弥の怒号に、エミィはびくりと身体を震わせる。

 一方雄弥は叫んですぐに我に帰った。意識して出た言葉じゃなかった。彼の身体が、喉が、勝手に発したものだった。


「わ、悪い……! ……だけど……俺は誰にも何もしてない。……何もできてない。お前を助けたのは、ユリンとアルバノさんだ……。礼を言うにしても……相手が違うんだよ……」


 後ろめたさに今度は彼が顔を伏せ、2人の間には気まずい空気が漂う。


「……帰りな。ユリンに送ってもらうように言ってやるから」


 そう言いながら雄弥が立ち上がった、その時ーー



「なにも、してなくない、もんッ!!」



 今度は彼にとっての驚愕きょうがくの事態だった。痩せこけて弱りきっていたはずの少女が、これまでに聞いたこともない声を張り上げたのだ。

 それだけではない。エミィは顔を上げ、彼の黒い瞳と自分の桃色の瞳をしっかりと合わせていた。その表情は必死で……どこか悲しそうだった。


「おにぃ、ちゃんが、きてくれ、なきゃ……私、も、ころされて、たもん!!」


「く……分かんねぇヤツだな!! 俺がたってお前は死にかけたんだぞ!! お前が今生きているのは、アルバノがゼメスアを倒してくれたからだ!! ユリンがバイランをぶっ飛ばしてくれたからだ!! 俺はただ……無駄な怪我をしただけだ……ッ!!」


 わずかに怯みながらも、雄弥は大人気おとなげ無く怒鳴り返す。そうすればするほど彼の気は滅入り、心底から悔しさが溢れ出る。


 すると、ユリンがふらふらと雄弥に寄り添い、彼の腰に強く抱き着いた。


「!? お、おい……!?」


「むだって、言わないで、よぅ……」


 混乱する彼に対し、彼の腹に顔をうずめたエミィは絞り出すように声を出した。


「たすけ、て、くれた、もん……。まもろうと、して……くれた、もん……ッ」


 静かに。だが健気に、一生懸命に、彼女は涙混じりの喉を動かす。

 勝てたか、負けたか? 誰の手柄か? ……そんなものは、この幼い少女にとってはどうでもよかった。考えてすらいなかった。


 理屈など関係無いのだ。エミィはただ……彼に言いたかっただけーー




「ありが……とう……ッ」




「……やめろ……」


「あ……りが……とう……! うぇ……ッぐ……ありが……と……う……! ひッ、あり……が……とうぅ……ッ!」


 雄弥の静止に耳など貸さず、エミィはひたすらに言葉を紡ぐ。嗚咽おえつを上げ、顔をぐしょぐしょにしながら。


「いい……もう、いいから……!」


 気がつくと、雄弥の両眼からも涙があふれていた。






「……じゃあ私、この子を送って来ますね」

 

 泣き疲れて眠ってしまったエミィを抱きかかえ、ユリンは窓から夕日が差し込んでいる廊下を歩いて行った。


「やれやれ……あんな小さい子を泣かすんじゃない。大バカめ」


 両眼を真っ赤にした雄弥と並んで廊下に立つアルバノが、右隣にいる彼に説教を垂れる。


「……あんたこそどういうつもりだ」


「あ? なにが」


「エミィ……あんたが連れて来たんだろ。……なんでだよ」


「……はぁ? なんのことだい。知らないよ。あの子が勝手について来たんじゃないのか? ぜ〜んぜん気がつかなかったけどねぇ」


「……くそが……すっとぼけやがって……」


 気持ちいいほどの白々しさ。雄弥はこれ以上は聞くだけ無駄だと判断した。


「ーーふぅ。そろそろ僕も用を済ませて帰るとするかねぇ」


 そんな中、アルバノが軽く伸びをしながらそう言った。


「は……? 済ませて、って……あんたはバイランのことを伝えに来ただけだろ?」


「実はもうひとつあるのさ。どちらかといえばこっちの方が重要でね」


 彼は自身のズボンの右ポケットをゴソゴソとまさぐると、10円硬貨と同じ形・大きさの金色の何かを取り出す。


「……なんすか、それ」


兵章へいしょうだ。制服なんてものは無くてね、代わりに兵士の証として、職務にあたる際はこれを左胸に付けることになっている」


 アルバノは手に持ったそれを見せる。裏にはピンが付いており、バッジになっているようだった。


「……?」


 雄弥は彼の言いたいことが分からずに怪訝けげんな顔をする。


「さて……ひとつ質問をしようか、ユウヤくん。きみはこれからどうする?」


「は……? ……なんだって?」


「ユリンちゃんと一緒に宮都に来る前、サザデーさんに言われだはずだ。兵士として生きるということがどういうことなのかを知って来い、ってね。そしてその通り、今回の一件で身に沁みて分かっただろう? 兵士という職がどれほど過酷なものなのかが。次はもっと痛い目に遭うかもしれんし、もっと恐ろしい目に遭うかもしれん。命を落としたってなんらおかしくはない。きみがこれから就こうとしているのはそういう仕事だ」


 その言葉に、雄弥は千切り落とされた左肘がきりきりときしむのを感じた。


「……これからどうする、ってのは……その兵章を受け取るかどうか、……つまり、兵士になるかなんねぇかってことか……?」


「おや、きみにしては話が早い。正解だよ。で、どうする? 今この場で結論を出してもらおうか。僕はグダグダするのは嫌いなんでね」


 ……アルバノはそう言うが、当然、即決できるものじゃない。雄弥は沈黙せざるをえなかった。


「忠告しておくが、こればかりは意地を張らんほうが身のためだぞ。正規訓練兵の中にも、実際の現場に出ることの苦痛と恐怖を知って逃げ出す者は毎年大勢いる。きみがここで兵士になることを拒んだとしても、それは恥にはならん。人としてはむしろまともな感覚だ」


 まとも。

 その単語に、雄弥の意志は決意に向けて急加速を始める。


 


 ーーまともな感覚……。……人として……?


 ……そうだ。いや、違う。まともな感覚を持つヤツなら……そうありたいのなら……



 出すべき答えは、ひとつしかねぇ……ッ!

 



「……この1年と少しの間、ユリンは俺をつきっきりで鍛えてくれた。今回の事件でも、あいつは……そしてあんたも……俺とエミィの命を救ってくれた……」


 たとえどれだけ嫌いな相手であろうとも、事実は事実。認めるしかない。アルバノ・ルナハンドロは、彼にとっては間違い無く恩人なのである。


「ここで逃げたとしても、恥にはならないかもしれねぇ。けど……ユリンやあんたから受けたその恩を返さないのは、間違いなく恥じゃねぇか」


「アホめ。それが意地だというんだ。そんな下らん理由で生死の狭間に立ち続ける恐怖と向き合えるものか」


「分かってるよ! 俺だってもうあんな痛ぇ思いなんかしたくねぇさ! ……でもそれは、今回の事件で殺された人たちや残された子供たちの、恐怖や無念さに比べたら……全然大したモンじゃねぇだろ……!?」


「……!」


 雄弥のその言葉に、アルバノは少しだけ驚いたような顔をする。


「……俺自身はどうせ何をしたってへっぽこなんだ。だったら……自分の存在に少しでも、意味を持たせられる生き方をしてやる……ッ!」


 雄弥はそう言うと、アルバノの手から金色のバッジを奪うように取った。


「……いいんだな? 本当に」


「いいんだよ!! だから見てろ!! いつか必ずてめぇに、みんなに、俺を認めさせてやるからな!!」


 アルバノはそんな彼の瞳をしばらくじっと見つめ、やがて静かに口を開いた。


「ふん……いいだろう。やってみればいいさ。バカなりにね。……ただ、これだけは言っておこうか」


 まだあるのか。どうせまたうざったい嫌味だろう。そう思った雄弥はげんなりとする。



 ……が。




「ーーあの子の『ありがとう』は君のものだ。僕でも、ユリンちゃんでもない。間違いなく君のものだ。誰も文句など言わないさ。胸を張って受け取りたまえ」




「……………………え?」


 そう言い残すと、アルバノは廊下の向こうへと去って行った。


『……な……なんだ……? あいつ今……な……なんて言った……?』


 雄弥は呆然ぼうぜんと立ち尽くしたまま動けなかった。


 




「ーーウさん、ユウさんッ」


「はッ!? お、あ、ユリン……!」


 そんな彼は、いつの間にか戻ってきていたユリンの声にようやく気を戻す。廊下の窓から見える空はすっかり陽が落ちて、真っ暗になっていた。


「どうしたんですか? ボーッとしちゃって」


 彼女は行きの時には無かった茶色い大きな鞄を右手に持ち、不思議そうに雄弥の顔を覗き込む。


「……なぁユリン。俺……耳がなんかイカれてたりとかはしないよな?」


「え? はい。特に傷もありませんでしたが……。 !! まさか何か変なんですか!? 音が聞こえづらいとか……!」


「いや……なんでもねぇ。何も無ぇよ。……何も……」


「ほ、本当ですか? ならいいんですけど……」


 1人で勝手に遠い眼をしたままワケの分からないことを呟く彼に、ユリンは困惑することしかできなかった。


「……ユリン」


 やがて雄弥は彼女に向けて、そのまま遠くを眺める状態でぽつりぽつりと話し出す。


「は、はい」


「俺は多分……この先あんまり強くはなれねぇ。人の根っこは変えられねぇからな……それはもうしょうがねぇ」


「! ……」


「……だけど、お前やアルバノさんや……他の人たちの足手まといにだけはなりたくねぇ。弱いままでいいから……みんなの助けになれるようになりてぇ」


 ユリンは彼の顔をじっと見つめながら、静かに話を聞き続ける。


「そのために……自信が欲しいんだ。俺は弱い、でもやれる。そういう自信が。『ありがとう』って言われた時に、『どういたしまして』って返せる自信が……」


 そこで雄弥はようやく、ユリンと眼を合わせた。


「……頼む。俺をもっとしごいてくれ。ブっ倒れたっていい。なんだって……どんなキツいことだってやってみせる。俺は自分に、兵士として生きるだけの……価値を与えなくちゃいけねぇんだ……!」


 ……強い、瞳だった。全身を包帯でぐるぐる巻きにされている怪我人のものとは思えないほどに。

 ユリンはしばらく真顔だったが、やがて、どこか安心したように微笑ほほえんだ。


「……ええ! そうです、そうですね! なら、早速始めましょう!」


「おうッ! 早速ーー……は?」


 やはり耳がイカれてしまったのかもしれない。雄弥がそう思ったのは当然のことだった。


「え? い……いやいやいやいや、さすがに今すぐは……ねぇ? ムリだろ? ほら、俺こんなだし」


「? 何を言ってるんですかユウさん。ベッドに寝たままでもできることは山ほどありますよ?」


 するとユリンは右手に持っていた鞄をゴソゴソと弄り、中から1冊の本を取り出した。電話帳のような大きさと分厚さのものである。


「……なにそれ」


 それを見た途端、雄弥の心で不吉な予感がビンビンする。


「教科書ですよ。軍内における規律や各任務時における留意点、昇進・降格の条件、罰則、あと、現時点までで判明している魔狂獣ゲブ・ベスディアの生態などについて記されています。全部で1926ページ! ユウさんには、3ヶ月でこの内容を全部覚えてもらいます」


 彼女のとんでもない言葉に雄弥は口をあんぐりと開けて凍りつき、思考の全てをブッ飛ばした。


「これから怪我が治るまでは、ず〜っと私と一緒にお勉強です! 1週間に1回試験もやりますから、頑張りましょうね」


 ……なんでもやる。そう言ったばかりである。しかし意地悪な笑みを浮かべるユリンに対し、彼はーー



「イ〜〜〜ヤ〜〜〜ッ!!」


 

 嘘偽りの無い、絶望の悲鳴を上げることしかできなかった……。


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