第41話 本当の怪物




「千切れた左腕もちゃんと確保してますからね」


 ユリンは地面に仰向けになった血まみれの雄弥ゆうやのすぐ横にしゃがみ込み、彼の身体に『命湧めいわ』の魔力を輝かせた手を当てる。


「な……んで……ここ、に……? おま、え……総本部、に、いたんじゃ……」


「ええ、その総本部にいたら連絡があったんですよ。街中に出現したディモイドの討伐に向かった兵士たちからのものだったんですが、その時無線係が出払っててたまたまそこにいた私が応答したんです。内容は、『1人の訓練兵の少年が、連続失踪事件の犯人がバイラン・バニラガンであると述べている。彼の案内で発見した不審な地下通路を根拠に、我々はバニラガンに任意同行を求める』……というものでした」


 彼女は治療の手を動かし続けたまま話す。


「その『訓練兵の少年』があなただってことはすぐに分かりました。でも、しばらくして戻ってきた彼らの様子や言動がどうにも異常だったんです。自分たちはそんな連絡はしていない、ユウさんのことなど全く記憶に無い、と……。何かおかしいと思ってここにきてみれば、大きな音はするし煙は出てるし、嵐みたいな爆発は起こるし……ーーっと?」


 そこまで話して彼女は口を止めた。自身の左肩を、誰かの手が弱々しく掴むのを感じたからである。


「お、に…………ぃちゃん…………おにぃ、ちゃん…………は…………」


 振り返ると、手の主はエミィであった。大きな瞳に涙を滲ませ、カタカタと震えながら必死に声を上げている。

 ユリンはそんな彼女の頭を片手でそっと撫で、優しく語りかけた。


「大丈夫。大丈夫だよ。私が絶対に治すからね」


「ほ…………ん、と…………?」


「ええ、任せて! お姉ちゃんは天才なんだから」


 それを聞いたエミィは地面に力無くへたり込むと、眼に溜め込んだ涙をぼろぼろとこぼし始めた。

 ……それは、いつ精神が崩壊してもおかしくないほどの果てしない恐怖と不安からわずかにでも解放されたことによる、安堵の涙だった。彼女の中で限界まで張り詰めた緊張の糸が、ようやく、ようやく緩んだのだ。


 そのあまりにも不憫ふびんな様子をまざまざと見せつけられたユリンは赤色の瞳を怒りに染め上げ、数十メートル先にいる全身眼玉だらけの巨人、そしてその奥に立つ眼の濁った老人の順に視線を移した。


「ふん、なんだ……!! 誰かと思えばユランフルグか……!!」


 彼女に視線を合わせられたのと同時にバイランが口を開いた。


「こんばんは、バイランさん。早速ではありますが、あなたにはもう逃げることは叶いません。投降してください」


 彼女はそれに対し、静かに、冷たく、淡々たんたんと返す。


「ああ!? のぼせたことをッ!! そんなことをする必要がどこにある!? ゼメスアを解放した以上、逃亡も記憶改竄もいらんのだぞ!! 兵士など何人いようと相手にならんからなァッ!!」


「……やはり私も受けていたんですね。知らぬ間に……あなたの術を……。……情けないですね」


「そうだ!! で、そんな貴様が今さら来たところで何になるというのだ!? しかも貴様の能力もまた、昨日のエドメラルとの戦いで全て把握しているというのに!!」


 そう、もともとユリンの能力は『守護』が主体である。おまけに雄弥を治療しながらとあっては、どう足掻いても勝ち目は無い。

 そんなことはユリン自身も当然理解しているはずだが、なぜか彼女は極めて冷静であった。


「ええ……その通りです。悔しいですが、私の力じゃどうにもなりませんね」


「はァ……!? ……ッはーっはっは!! あきれた小娘だ!! では何か!? 貴様はここにわざわざ死にに来たとでも言うのか!?」


「いいえ?」


「けェッ!! いちいちカンに触るガキだ!! ならば教えたまえよ!! いったい誰がこのゼメスアの相手をするというのだッ!?」




「僕でいいかな?」




 それに答えたのはユリンではなかった。……いや、その場にいる誰でもなかった。

 場の大気が一気に張り詰め、雄弥は横隔膜を殴りつけられたような感覚に陥る。

 ひどい吐き気をもよおすほどの、あまりにも濃すぎる存在感を秘めた声だった。


「ーーなんだ……!? 今度は誰だ……!!」


 当然、それはバイランもひしひしと感じていた。先程までの余裕は嘘であったかのように完全に消え去り、顔面は冷や汗でぐっしょりと濡れている。



 ーー声は雄弥たちがいる場所の後方から聞こえてきた。



 雄弥はやっとの思いで首を動かし声の飛んできた方向に眼を向ける。


 男は、彼に向かってゆっくりと近づいてきていた。


 190弱はあろう身長。線の細い輪郭。そして夜桜と見紛うほどの、華やかな薄紅色の長髪……。



「…………あ…………アルバ…………ノ…………ッ!?」



 多量の出血で眼が霞んでいようが見間違えるはずがない。雄弥にとってその男とはそれほどの存在だった。

 

「やぁユウヤくん。相変わらずのボロ雑巾っぷりだねぇ」


 袖を肘までまくった白のワイシャツとデニムそっくりなボトムスを着用しているアルバノは彼のそばに寄ると、毒をたっぷりと含んだ爽やかな笑みを見せる。


「……な……な、な、なんで……ッ!?」


「ユリンちゃんに頼まれたのさ。きみの存在はまだできる限り軍内部に広めたくないから、他の兵士たちに協力を要請するのは避けたい。でもさすがにユリンちゃん1人でどうにかなる事態じゃあない。そこで君の事情を把握しているこの僕に白羽の矢が立ったというわけだ。そういう意味では、ディモイド討伐に向かった兵士たちがきみのことをすっかり忘れてしまっていたのは好都合だったな」


 アルバノはそう言うと倒れている雄弥の前に立ち、50メートル先に立つ怪物と対峙する。


『さ……最悪……だ……!! こんなところを……よ……よりによってコイツに……!! し……死んだほうが……マシだった……!!』


 助けが来てくれたという安心感を恥の上塗りによって完全にかき消された雄弥の心境は、いよいよ真っ暗などん底の状態となった。


 そんな彼らの会話を聞いていたバイランは、ようやくもう1人の乱入者の身元を把握する。


「アルバノ……!? ……ほほほぉ……!! まさか……三大最高戦力の一角が出てくるとはな……!!」


 その声を聞いたアルバノは、ゆっくりと彼の方に顔を向けた。


「へぇ……僕のことをご存知で?」


白々しらじらしい……!! 知らんほうがどうかしておろう!! アルバノ・ルナハンドロ……20代の若さで最高戦力の座に就いた、憲征軍稀代の天才兵士……!! 特に魔力量に関しては、現三大最高戦力を含めた歴代の兵士たちの中でも飛び抜けていると聞く……!!」


「はは、大ゲサだよ。なんか照れちゃうな」


 その台詞の内容とは裏腹に、アルバノの顔には何の感情も表れてはいなかった。


「だがッ!! それはあくまで、魔術が通用する相手に対してにのみかされる才能だ!! 貴様の後ろに転がっている死にかけのガキと同じだな!! どれほどの魔力を秘めていようがこのゼメスアの前には圧倒的に無力!! 結末は何ひとつ変わることはないッ!!」


「? どういうことだ? 言ってることがよく分からないな……」


「き、吸収、だ……!」


 アルバノの問いに答えたのは彼の背後で倒れている雄弥であった。彼はそれに対して振り向きもせずに聞き返す。


「あ? なんて?」


「あの魔狂獣ゲブ・ベスディアは……身体中についた、あの……眼玉から……魔力を吸収する……! そういう……能力が、ある……んだ……!」


「ああ〜なるほど……そういうことか。『ゼメスア』……だっけ? 面白いな。学者連中にとっちゃ最高の研究材料になるだろうねぇ……」


「そ……んな呑気なこと……言ってる、場合かよ……!! ど……どうやって戦う……つもりだ……ッ!!」


 そんな雄弥の危惧に対し、アルバノは冷ややかな舌打ちをした。


「……あのさぁ、ユウヤくん……。君こそいったい何を言っているんだ? さっきからごちゃごちゃごちゃごちゃと……」


「な……なんだと……」


「どうやって戦うか、だと? 考えるまでもないだろ。魔術を使わずに倒さなければならないのならーー」


 だらりと降ろされているアルバノの左手が、コキリ、と音を立てた。



使、いいだけの話じゃあないか」



 ーーそのように彼らが勝手気ままに話をしている中、1人、……いや1体だけ、硬直しきったまま全く動けないでいる奴がいた。


「……………………ゥ……………………」


 そう、ゼメスアである。


 突如現れた長髪の男。ゼメスアはそいつから眼を離すことができず、自分の中の細胞全てが大音量で警報を鳴らしているのを感じていた。


「………………ゥゥ………………」



 危険だ。



「…………ゥグ…………ギ…………!」



 逃げろ……! 今すぐ!



「ググ……ゥゥウヴ……!!」




 ーー勝てる相手じゃないッ!!




「ヴゥゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォ!!」


 巨人は自分自身の"本能"の叫びをかき消そうと、空を割るような咆哮を発した。


「…………な…………な…………!?」


 これは驚いたのはバイランだ。

 彼自身、ゼメスアの声を聞くことが初めてだったのだ。先ほどの雄弥の一撃で半身が消し飛んだ際にすら唸り声ひとつ上げなかった怪物が、たった1人の男が現れた途端に沈黙を破った。主人であるバイランにとってそれが看過し難い事態なのは、言うまでもなかった。


「……うるっさいなぁ〜……。カンベンしてよ。寝不足で頭痛いんだから……」


「バアアァァアァアーッ!!」


 アルバノのうんざりとした顔をよそにゼメスアは立て続けにその大口を開くと、彼に向けて魔力の激流を放った。

 その巨大な閃光は、雄弥と撃ち合った先程までと比較しても全く威力は落ちていない。いやむしろ、これまでで1番ではないだろうか。


「あ……あの野郎……ッ!! まだあんなモンが……撃てんのかよ……!!」


 無論それを見せつけられた雄弥は戦慄せざるを得なかった。

 ……が、彼の前に立つアルバノには欠片ほども焦る様子は無くーー

 


「だから……言ってんだろ。うるせぇんだよ……」

 



 そう吐き捨てると、自身の眼の前まで迫りきっていた光線を、左手を軽く振るだけで弾いてしまった。

 



「……………………え……………………ッ?」


 それはバイランと雄弥が同時に発した声だった。彼らは軌道を無理矢理に変えられて真上に飛ばされた光線が闇空に消えていくのを、唖然としながら眺めている。


「おい……なんだ今のは。3日連続の徹夜明けでヘトヘトなところをわざわざ出向いてやったこの僕に、こんなお粗末な歓迎しかできないのか?」


 アルバノはしゅうしゅうと音を立てて煙を発する自身の左手をほこりでも払うかのように動かし、巨人に向かってゆっくりと歩を進めていく。


「…………オ…………オ…………ッ」


 ゼメスアの全身の眼が激しく泳ぎ、明らかな動揺を露わす。

 ……魔狂獣ゲブ・ベスディアは人を喰うほどにその知能レベルを高める。そしてゼメスアも山でのエドメラルや街中に現れたディモイドのように、バイランによってすでに多くの人間を食している。

 そうして半端に上がった知力によりゼメスアは悟っていた。自分よりずっと小さな生き物が自分の攻撃を片手間程度にしのいでしまった、この状況の異常さを。


「困るんだよ……。せめて眠気覚ましくらいはしてもらわないとさぁ……」


 ゼメスアの無数の眼に映るアルバノの姿は、10メートル以上の身長を誇るゼメスアよりも遥かに巨大であった。

 悠々と近づくそんなアルバノに対し、ゼメスアは後退あとずさりをし始めた。


『…………ぜ…………ゼメスアが…………ゼメスアが、逃げている…………だと…………ッ!?』


 もはやバイランにも現在の状況を全く飲み込めず、主人とそれに飼われる怪物は、揃いも揃って完全に精彩を欠いている。


 だがアルバノはそんな様子を黙って見てやれるほど優しい男ではない。



「おいッ!! いつまでウジウジしているんだクズが!! さっさと来い!! でないと今すぐ叩き殺すぞ!!」

 


 ーーその罵声が、ゼメスアを限界まで追い詰めた。

 


「ウゥゥグギャガゴグギガアアァアァァアアァァァァーッ!!」


 ついにゼメスアはアルバノに向かって走り出す。


 耐えられなかった。身体が押し潰されそうになるほどの、恐怖の重圧に。その姿はまるで、親に叱られた小さな子供のようであった。


「だ、ダメだアァァッ!! 行くなゼメスアァァアッ!!」


 バイランの必死の制止を微塵も意に介さず、巨人は突進。アルバノまでの距離をほんの2秒ほどで縮めたのは流石さすがと言うべきか。

 

 だがしかし。そこに辿り着いたゼメスアを待っていたのは、あまりにもどす黒く凶悪な彼の笑顔であった。



「まぁ……来ても今すぐ殺すけど」



 それと全くの同時。

 ゼメスアの首から上が、宙を舞った。



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