第39話 行動を以って




「見たかァッ!! 魔力の吸収と、自在の放出!! それがゼメスアの能力よッ!! いかに膨大な魔力を有していようが、貴様には一片の勝機も無いのだッ!! そしてッ!! ゼメスアが吸収した魔力は、主人であるこの俺にも分け与えられるッ!!」


 雄弥ゆうや、およびゼメスアより数十メートル離れた位置で、狂喜に声を張り上げるバイランのにごった瞳の中に、黒紫くろむらさき色の光が宿る。


「はははァァーッ!! 見える!! 見えるぞッ!! ゼメスアの眼を通して、貴様の無様な姿が…………あ?」


 ところが視界を回復した瞬間、彼の顔から笑みが消えた。


 なんと彼の眼……もといゼメスアの眼に映った雄弥ゆうやは、いまだ健在であった。

 

「……ち……ッ! しぶとい……! 命中寸前に『波動はどう』を撃って相殺したか……!」


 老人は期待を裏切られたと言わんばかりに忌々いまいましく舌を打った。



「く……ああアッ!!」


 雄弥ゆうやは砂塵が引ききらぬうちに立ち上がるとギシギシと音を発している両脚を動かし、自身の眼の前の怪物の背後に回り込んだ。

 そのような無茶な動きをするのは身体にムチ打つどころの話ではないが、彼にはもはや考える暇など全く無い。


「ぐおぉおおぉッ!!」


 彼はそのまま機能不全間際の右腕を振り回し『波動はどう』を乱発。同時に6発の光弾を撃った。

 


 が……怪物は先程と同様に、それら全てを後頭部および背中や尻に備えている眼球からすするように呑み込み、彼の悪足掻わるあがきを一蹴してしまう。



『……じょ……冗談じゃねぇ……! 吸収……マジなのか……!? ず……ズリィよ……! 反則だろそんなの……!』


 さらにゼメスアは茫然ぼうぜんとしている彼が前に突き出している右腕をつまむとーー



 ぐりっ、とじりあげた。


 

「あぁああぁぁあぁあァァァーッ!!」


 大脳が破裂しそうなほどの苦痛に悲鳴を上げる彼の右腕が、二の腕の真ん中からだらりと垂れ下がった。

 多眼の巨人は非情にも、わずかな間も置かずにその彼を殴りつけた。


「げぉ……ッ!!」


 ゼメスアが手を抜いたのかは知らないが、雄弥の身体はさほど遠くには飛ばなかった。しかし……とうとう彼の意識は沈黙してしまった。


「……………………が……………………」


「きひひひひひ……まだかすかに息はあるようだが……どのみちゴミ同然だなァァ……!! よォォし、ゼメスアッ!! もういいぞッ!! 喰ってしまえッ!! しっかり噛んでから飲み込めよォォォ……!!」


 バイランは回復した魔力を介し指示を出す。それを受けたゼメスアは待ってましたとばかりに全身の眼玉を輝かせ、地に倒れている雄弥を掴もうと手を伸ばし始めた。


「や……めて……! おねが、い……ッ! やめ、て、くだ……さい……ッ!」


 怪物に残酷な命を下す老人を、彼の腕に拘束された少女が弱々しい声で必死に止めようとする。


「黙れッ!! 俺に指図するなガキがァァッ!!」


 それに逆上したバイランはエミィを抱えている腕に力を込め、彼女の細い首を締め上げた。


「…………か…………あ…………ッ」


 エミィは眼球を充血させ、激しい苦悶を表情に見せる。


「……そうだ……!! そろそろ貴様を部屋に戻さんとなァ……!! 子供が夜更かしをしちゃいかんし……!! 今度はもっと厳重なところに、なァァァ……ッ!!」


「!! や、だ……ッ! やだぁ……ッ!」



 一方雄弥は沈みゆく自我の中で、少女のその悲痛な声を申し訳程度に認識していた。




 ……ちっく……しょ……やべぇ……。エミィが……。早く……起きて……助けねぇ……と……。


 ……いや……どうやって……助けりゃいいんだ……?。


 ……身体は動かねぇ……。腕は折れて……千切れて……一発逆転の策も浮かばねぇ……。



 …………どーしろってんだ。



 ……つーか……最初から知ってたろーが。


 ちょっと考えりゃ……誰にだって分かる……。


 俺なんぞに……あんなふざけたバケモンはどうにもできん……。


 ……そーさ。分かりきってたさ。だから……これは仕方がねぇんだ。


 負けるのが当たり前だ。こうなるのが、当然だったんだから。


 俺なんかには……どうしようもなかったんだよな。


 …………俺、なんか、には…………。






 ーー貴方あなた、なにか勘違いをしているようですね。






 肉体も精神も落ちかけたその時、彼は、誰かの声を聞いた。


「!!」




 直後、ゼメスアがその巨大な手で雄弥を握った。ーーと思われた。

 しかしどういうわけか。怪物のてのひらの中に、彼はいなかった。


 では、どこに?



 ーー彼は走っていた。地面に映る自分の影を自分の身体から流した血で塗り潰しながら、エミィを捕らえたバイラン目掛けて真っ直ぐに走っていた。



 あり得ないことだった。走るという行為そのものも、また、その走る速度も。彼の状態から考えれば到底信じ難いことであった。


「はひ?」


 もう雄弥に動く力は無いと思い込んでいたこと、またあまりにも一瞬の出来事だったこともあり、バイランは完全に気を抜いていた。

 ーー彼の左肩に、激痛がはしった。



「ぎゃあああぁああぁぁああァァァァァーッ!!」



 肉迫した雄弥が、背後から彼のそれを思いっきり噛みちぎったのだ。


「ひぃッ!! ひぃいィィ〜ッ!! きぃ、きぃさまァァァ何をォォォ!! 何をォォォしたんだァァァァァッ!!」


 苦痛に伴う混乱の渦に叩き落とされたバイランは抱えていたエミィから意図せず手を離し、痛みを紛らわそうと暴れ回る。

 雄弥はそれを逃さず、バイランの腕元から落下した少女を右腕の上腕で受け止めた。


「ぐあ……ッ」


 折れている二の腕部分に振動が響き痛みに呻き声を上げるも、歯を食いしばりこらえぬく。そのまま彼は奪い返した彼女をすぐさま自身の右脇みぎわきに挟むようにして抱えると、バイラン、及びゼメスアと50メートルほど距離を取った。


 先程、瀕死の彼の脳中に蘇ったのは、いつかの記憶。自身の師である女の子から投げかけられた言葉だった。



「…………へ…………へへ…………俺って奴は…………とことん学習能力がぇや…………。こんなんじゃ…………またユリンに怒られ…………ちまう…………」



 彼は息切れとともに自嘲じちょうの笑みを浮かべながら抱え込んでいた少女をゆっくりと地面に下ろし、震えるその子の前に立つ。背後の彼女を庇うように、眼の先にいる巨人と向き合ったのだ。


「なアァァァァーッ!! もうどォォォでもいいィィィッ!! ゼメスアァァッ!! 喰うのはナシだッ!! 今すぐ2匹まとめてチリも残さず消し去れェいィィィッ!!」


 振る舞いを乱れに乱した主人の狂声に応じたゼメスアは口を開き、砲撃の姿勢を取る。



 対して、雄弥は?



 全身から血を流しつつも、黒の瞳に確かな闘志を宿し、その大口を開いた巨人を真っ直ぐににらみつけていた。




 ーー俺よりデカい。俺より速い。そして俺よりずっと強い。


 ……だからなんだ。


 そうさ、なんてことはねぇ。いつものこと。


 もとの世界でだってそうだった。俺の周りにはいつだって、俺より優れた奴しかいなかった。


 つまりやること……やるべきことも、変わらねぇ。


 それは今ここで倒れることか? ここから逃げ出すことか? あるいは助けてくれと、命乞いをすることか?


 違うな。そんなことすりゃ、またあのっくきアルバノに言われちまう。甘ったれ、と……。


 立つことだ。


 逃げないことだ。


 前を、見ることだ。


 そして守ることだ。俺の後ろにいる、小さな命を。



 言葉に意味は無い。示すなら『成果』を伴った行動でーー




「…………ふぅう…………ッ」


 ひとつだけ、深呼吸。少しの間だけだが、痛みを、恐怖を、そのひと呼吸で忘れさせる。


「エミィイッ!!」


 直後に雄弥は思いっきり叫んだ。振り向かぬまま。自身のすぐうしろに座り込んでいる、小さな女の子に。

 彼女はそれにビクリと身体を震わせる。


「そのままそこにいろッ!! 動くんじゃねぇぞッ!! いいなッ!!」


 エミィはやや呆けた様子で眼の前に立つ血みどろの男の背中を見つめ、怖々こわごわと口を開いた。


「…………は…………い…………」


 彼女がそう答えた瞬間。雄弥の全身が青白く発光する。魔力の輝きだ。

 ただしそれは、これまでのようなやわく揺らめきを持つものではない。強く、鋭く、まばゆい光だった。彼に視線を向けていたゼメスアが、身体中の眼を細めてしまうほどに。


 これまでのものとは比較にならないーー凄まじい魔力だった。


『吸収するったって……無限にできるわけじゃねぇはずだ……ッ!!  それに賭けるしかねぇッ!!』


 雄弥は決意を固める。

 

 これが最後のチャンスなのだ。

 自分への反動や周囲への被害を気にして威力を限界まで抑え込んだ光弾をチマチマ撃ち込む余裕は、彼にはもうありはしない。

 向こうの攻撃を押し返し、その先にいる標的をもほふり去る。彼に要求されているのは、それを成し得る力なのだ。

 限界まで魔力を解放。今できるだけの、自分が死なない程度の……。


「マヌケがァッ!! 両腕を潰した貴様に何ができるというゥッ!!」


 バイランの罵声などもはや彼の耳には入らない。

 ボロボロの干物のような脚をりきませ、地面を踏ん張る。 


『ひん曲がった右腕じゃ……狙いはつけられねぇ……! ……なら……ッ!!』



 そして雄弥は、をゼメスアに向けた。



「……は?」


 バイランは唖然となる。


 当然の反応である。雄弥の左腕はひじから先が無いのだ。


 傷口からはいまだに血が流れ続けており、肉の中心に白い骨が見えているのだ。



 しかしその左腕の先端に光が、魔力がどんどん凝縮されてゆく。



 あまりに膨大なエネルギーに大気が震え、周囲に突風が吹き荒れる。


 今、彼の千切れた左腕の先にあるのは、ひとつの小さな太陽だった。


「そ……そんな馬鹿な……!! あんな腕で魔術を撃てるはずなど……ッ!!」


 そんな戦慄するバイランに対し、雄弥は鬼気迫る声を放つ。



「マヌケはてめぇだ!! 腕なんざアクセサリーなんだよぉおッ!!」



 彼の左腕から術が撃たれたのはそれと同時だった。

 青き流星を思わせる『波動』の光線が、地を抉りながら標的であるゼメスアに迫る。

 

「ぜッ、ゼメスアァァァッ!! 早く撃つんだァァァァァァッ!!」


 バイランの激しい動揺を合図にゼメスアもまた、その大口から純白に染まる破壊のエネルギーを吐き出す。

 少年の左腕から放たれたものと、怪物の口から放たれたもの。空気を叩き切る轟音とともに、それらは真っ向から接近していく。



 やがてーー2つの奔流ほんりゅうは激突した。



「ぐわああッ!! あ、あァのガキィィィーッ!!」


 巨大なエネルギー同士が真正面からぶつかったことで大嵐のごとき衝撃波が発生し、離れた位置に立っていたバイランはそれに吹き飛ばされた。

 彼だけではない。周囲に生えている木や草は1本残らず根こそぎかっさらわれ、中庭はたちまち更地さらちとなる。しまいには孤児院の建物そのものが外壁から徐々に引っぺがされていく。


「う……あ……!」


 エミィは雄弥のすぐ後ろでその小さな身体を伏せ、飛ばされまいと必死に耐える。



「ぐぐぐ……!! ぎ……がぁああ……ッ!!」



 雄弥は……眼を固くつむりながら、ゼメスアの攻撃と、そして全身を襲う激痛と格闘する。

 砲口である彼の左腕はみるみるうちに崩れていく。皮膚が裂け、骨がきしみ、血で真っ赤に染まっていく。

 

 腕だけではない。


 地を踏む脚の筋肉が、ぷちぷちと音を立てている。歯を過剰に食いしばるあまり、歯茎から血がにじみ出る。

 息もできず、前もロクに見えない。彼の五体は今にもバラバラになりそうだった。


 しかしそのような有様ありさまでありながら、彼の顔に絶望は無かった。

 



 ーーあのクソじじい……人をゴミだのマヌケだの……言いたい放題言いやがって……。


 んなこたとっくに知ってんだよ……。てめぇに言われんでもよ……。そんなことは……俺自身が1番よく分かってる……。分かって……いるんだ……。


「…………ぐ…………ご…………!!」


 ……だがよ……。



 そんなものが……負けられる理由になるものか……!



 自覚があるなら尚更だ……!!


 劣っているなら劣っているなりに!! 出来損ないなら出来損ないなりに!! やり方ってもんが……あるんだ!! そのはずなんだ!!


「…………お…………れ…………だっ…………て…………!!」


 できないことを言い訳にするな!! 能力の低さを、免罪符めんざいふにするな!!


「俺……だっ……てぇ……ッ!!」




 他人ひとより劣ることと、役立たずであることは同義ではないッ!!




「俺だってッ!! 誰かの役に立つんだァァァァァァーッ!!」


 雄弥の身体から発せられる光が一層強烈なものとなる。光源である彼自身の姿が見えなくなるほどにスパークし、また大きさも彼の身長の倍に達した。

 そしてそれに呼応するように、彼の千切れた左腕から放たれている『波動はどう』の激流も何倍にも増幅しーー



「ゔぅぅうあああぁぁあぁああァァァァァァーッ!!」



 ついさっきまで拮抗きっこうしていたことが嘘であったかのようにあっという間にゼメスアのそれを押し返し、またたく間にその先にいるゼメスアの全身をみ込んだ。


 その規格外の威力はなおも留まらず、中庭を、どころか孤児院周辺の林の一部までをも消滅させ、やがて天を突き上げるほどの爆炎を巻き上げた……。



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