第5話 致命的な欠陥

 



 ぼんやりと、感覚が戻る。

 少しずつまぶたを開けていき、眼球に外の光を浴びせる。そこで見えたのは真っ白な天井。  

 鼻。2、3回空気を吸ってみる。妙な匂い。鼻腔がスースーする。これは……アルコール? 消毒液か? 


 半分以上沈んでいる意識の中、周囲の状況を掴もうとする。すると突然、眼の前に人の顔が飛び込んできた。


「あ、よかった。起きましたね」


 ……誰だ。

 知らない顔。濁りを含んでいる視覚で辛うじて捉えたその輪郭から、女性だということは分かる。


「大丈夫ですか? 今サザデーさんを呼びますから、ちょっと待っていてくださいね」


 そう言うとその人は視界から消える。かちゃり、ばたんと、扉を開け閉めする音がした。


 ……さざでーさん? さざでーさん……さざでー……。


 !! そうだ、サザデー! あの野郎!


 頭の中の霧が晴れ、俺は全てを思い出す。牢屋の床が昇り出したこと。そこに縛られていた化け物から逃げ回ったこと。そして命の危機にさらされた自分の声を無視し、終始眺めるだけをしていた女のことを。


 上体をがばりと起こすと、俺がいたのはベッドの上だった。眼に映ったのは一面の白。天井以外、壁も床も。視線をずらすと戸棚があり、中には小瓶がいくつも並んでいる。そのすぐ横には3本の太いパイプがついた謎の機械っぽい何か。

 その景色、そしてさっきから感じている独特の匂い。ここはーー


「病室……病院か……?」


 俺はふと、自分の身体に眼を下ろす。

 右腕は肩から指先まで包帯でぐるぐる巻きにされており、ギプスで固定されているのか肘が曲げられない。胸にも何か固い布のようなものが巻いてある。そして所々に貼られた正方形の絆創膏。


「……夢、じゃないんだよなぁ」


 それらの患部に残る生々しい感覚から、これまでのことが全て現実のものであったことを実感する。

 別世界。魔力を凝縮したという光の球。ガネントと呼ばれる怪物。そして――


「魔術……」


 その怪物の頭を一撃で消し去った、凄まじい光。俺は包帯に隠れた右手を見る。

 あれを放った一瞬のことははっきりと覚えている。全身の血液を掌から噴出したような、全てを持っていかれる感触。身体の表面は燃えるどころか融けてしまいそうなほど熱くなり、逆に芯の部分は火傷をするほどに冷たかったのだ。


「あっ、ダメですよまだ寝てなくちゃ!」


 記憶を蘇らせていた最中、1人の女性が部屋に入ってきた。その声から察するに、さっき俺の顔を覗き込んでいた人物だ。


「え、あの」


「いいからホラホラ、横になって!」

 

 彼女は慌てた様子で走り寄ってくると、そのまま俺に喋る隙を与えずにベッドに寝かせる。



 この彼女、身長は160以下。ふわふわとした髪をボブカットにし、左のもみあげ部分に3本の細い三つ編みを作っている。髪色は夕焼けのような濃いオレンジだ。

 大きく真っ赤な瞳はルビーを彷彿とさせ、限りなく白に近い肌の中で存在感を際立たせている。


 服装は質素なもので、縦に縞が入った鼠色のセーターに、膝丈ほどの黒いスカート、その上から白衣を着込んでいた。



 服に関しては別段おかしなものではない。だがその髪と瞳の色は今までに見たことのないもの。この人もまた、ここ別世界の住人なのだと理解した。


「じゃあお熱計りますね。ハイくわえてー」

 

 俺は彼女が口元に差し出してきたガラス棒をぱくりと口に含む。


 その計熱中、隣にいる彼女の顔をちらちらと眺めてみる。

 ……歳は俺と同じくらい。女性というよりまだ少女だ。そんな人が白衣なんか着て……医者、なのか? こんな子が? 

 色々と詮索していると、またもや扉がガチャリと開く。入ってきたのは――


「よう」


 サザデーだった。


「あ!? あんたは!!」


「丸1日も眠りこけおって。待たせられる身にもなってほしいもんだ」


「なんだとォ!? 誰のせいだと思ってんだ!! だいたいあんたが――」


「ナモセさん、静かに! 傷に響きます。サザデーさんも怪我人にそんなこと言うのはやめてください」


 俺が大声を上げかけたところを、白衣の少女が俺たち2人を静かに制する。


「はいはい、すまんな。まぁあれだけの傷と出血があったことを考えると、1日で回復したのはむしろいいほうか。さすがだユリン。相変わらずお前はいい腕をしている」


「まだ完全に治癒できたわけじゃないですよ。特にこの右腕は、最低でもあと2日は動かせません。神経も一部切れたままですし……」


 サザデーは少女をユリンと呼び、親しげに話している。この女……俺との時とは違い、その眼はとても優しげだった。


 ……あれ。今この女の子、俺の苗字を――


「……名前、言いましたっけ」


「サザデーさんに聞いたんですよ。ユウヤ・ナモセ。あなたの名前ですよね?」


 普通に考えればそうだろうし、実際そうらしい。しかし俺の心の中に、妙な違和感が湧き上がる。なにか、以前にも味わったような違和感がーー


「それでだな、ユウヤ君」


 だがそんな俺の思考に割り込むように、サザデーが話しかけてきた。


「最初の訓練はほぼ予想通りに済んだ。お前が莫大な魔力を手に入れていることは確認されたし、魔術を撃った際の感触はまだ身体に残っているはずだ。つかみは無事に終えたというわけだ」


「な、なにィ!? あれが予想通り!? それに無事ってどこが! てめぇ俺をおちょくってんのか!?」

 

「いい加減喚くのはよせ。とにかくその怪我が治り次第いよいよ本格的な訓練を始めるわけだが……それにあたり、ひとつだけイレギュラーが発生していることを伝えておこう」


「あ? イレギュラー?」


「お前は右腕に大怪我を負ったわけだが、それはあの時に放った魔術の反動によるものだ。銃を撃つときのリコイルを極端に大きくしたもの、とでも思ってくれ」


「はあ……俺、銃なんか触ったこともねーけど」


「どっちでもいい。とにかくここで提示しておくべき前提として、人が魔術を使う時は体内の魔力をエネルギーとし、それを加減することで術の威力を調節する。しかし、魔術を扱う際の1番の難関となるのがこの加減なのだ。詳しい説明は面倒だから省くが、結論から言うとこの世界のほとんどの者が、自分の体内にある魔力の1%ほどしか魔術として還元できていない。自分の本当の力を引き出せていないのだ」


 ……要は、火事場の馬鹿力、ってやつか? 


 人間の脳は普段、体力を急に消耗させないようにするために筋力を大幅に抑制しているとかいう話を聞いたことがある。

 魔術もこれと同じで、身体への負担を無意識のうちに抑えてる、ってこと……なんかな?


「専門的な訓練を積めば、上方へのコントロールがある程度はきくようになるがな」


「ん、ん? えーと……つまり何が言いたいんだ?」


 首をかしげまくっている俺に、サザデーはうんざりとため息を吐く。


 


「……分からんのか? 腕1本を失いかけてまで放ったあの一撃は、お前に宿る魔力のうちの僅か1%分しか発揮されていない、ということだ」

 



「…………え?」


「いや、あれが生まれて初めて使った魔術だということを考えれば、もっと下、大きく見積もっても0.5%ほどと見ていいだろう。つまりあの時放った魔術は、全開時の200分の1の威力しか出ていなかった、ということになる」



 ……バカな……! あんな大砲何十発分とも知れないやつが、200分の1!? 



「イレギュラーというのはこれだ。君の体内に入った魔力は、私の予想を何倍にも上回って増幅されてしまった。発動した時の反動に君の身体が耐えられないほどに、膨れ上がってしまったのだ」


 俺は自分の右腕を見る。掌の部分を触ってみると、中指と小指の間の空間がやけに広い。おそらくだが、薬指が無くなっている。そして俺の隣で黙って会話を聞いているユリンさんはさっき、この腕の神経の一部がまだ切れっぱなしだと言っていた。

 1%、いや0.5%でこのザマなのだ。もしあれ以上少しでも威力を上げたら、今度こそ腕は根元から千切れるだろう。いや、下手をすれば全身がバラバラになるかもしれない。



「私はさっき言ったのと同じように、お前への訓練課題は自分の中の魔力をより引き出すためのものを与えるつもりだった」


「しかしその内容を真逆のものに変更する。お前はこれから、自分の中の魔力を極限まで抑制することを覚えなければならない。詳しいことは2日後に教えるが、それだけは頭に叩き込んでおけ。余計な怪我をしたくないのならな」



 話を終えたサザデーはきびすを返し、部屋から出て行った。


「へ……へっへ〜……よ、余計な怪我……ねぇ……」


 俺が手に入れたのは、1回使っただけで死にかけるほどの莫大な力。


 当初の想定とあまりにかけ離れたこの現実に、俺はボーゼンとするしかなかった。


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