誕生日前夜

小烏 つむぎ

誕生日前夜


 祐子は小さな封筒を手にして背後を振り返った。薄く開いていたドアの隙間、サッと小さな二つの影が消えたのが目の端に映る。消えた先の廊下ではクスクスとひそめた笑い声がしていた。


 夕食のあと綺麗に拭かれた食卓の上、その封筒は置かれていた。お風呂上がりの濡れた髪をタオルで適当に拭きながら、祐子はソレを見つけたのだ。可愛い花柄の折り紙で作られた封筒は小さなハートのシールで止められていた。廊下のクスクス声はまたドアの近くまで来ているようだった。


 祐子はそちらを見ないようにしつつ封筒を開けた。


『⑩ ……』


「え、今年は命令が10個もあるの?」


 祐子の驚いた声に廊下の笑い声が少し大きくなる。祐子はその声が聞こえないふりをして封筒の中の紙片を読み上げた。

「⑩ だいどころのコップで ぎゅうにゅうを のむこと」


「風呂上がりに牛乳かぁ。ビールって書いて欲しかったな」

廊下の小さな二人には聞こえないように呟いて、祐子は調理台にこれ見よがしに置かれた娘のプラスチックのコップに冷蔵庫から取り出した牛乳を注いだ。コップを持ち上げるとその下には四角に畳んだ折り紙があった。


『⑨ コップは あらうこと』

「いや、言われなくても洗うし」

祐子はぶつぶつと言いつつ、使ったコップを洗って水切り籠に伏せた。アルミ製の水切り籠の角にたたんだ紙片が結んである。


「風流か」

濡れた手を首にかけていたタオルでぞんざいに拭いて、祐子はその結び文を解いた。

「ここで和歌とか出てきたら、ウケるんだけどな」

いやいや、案外数年後には和歌が書かれているかもしれない。


 大河ドラマの影響でマンガ源氏物語を読んでから、すっかり平安時代にハマった長女の羽月はづきの顔を思い浮かべる。今はまだ小学校二年生だが子どもというモノはどう化けるかわからない。


 いずれ羽月はづきはテレビの「博士な子どもたち」という番組で博士デビューするかもしれない。その時には羽月はづきのために奮発して十二単でもレンタルしようかな。そして自分は羽月はづきの隣に座って司会のホットドックマンさんとおしゃべりするんだ。祐子はウキウキと妄想を広げた。


「ママ、早く読ん……」

廊下からかすかにせかす声がする。羽月はづきのその声を遮ったのはきっと次女の奈月なつきだ。保育園の年長になる奈月なつきは夢見がちな姉とは違ってこの歳でリアリストの片りんを見せている。


『⑧ らいちゃんの おしり』


 細かくたたまれ結んであったメモにはそうあった。「らいちゃん」というのは次女が生まれた時に夫の弟夫婦から贈られたアザラシのぬいぐるみの名前だ。一世を風靡したゴマフアザラシの子どもで真っ白だったのだが、奈月なつきの愛のヨダレ攻撃でなんとなく薄茶色に変身している。


 祐子はソファーのひじ掛けに並べてある奈月なつきコレクションから「らいちゃん」を持ち上げた。あざらしのお尻というか腹にセロテープで封筒が貼り付けてある。ぬいぐるみの毛を抜かないように細心の注意をしていると、二人の娘がそっと背後に寄って来る気配を感じた。祐子より一足先にお風呂から上がった二人から同じシャンプーの香りがしていた。


「⑦ はあちゃんの せなか」


 祐子がそう読み上げると、羽月はづきが歓声を上げて台所へと逃げて行った。

「こらこら」と裕子が大げさなしぐさで追いかける。しばらく追いかけっこをして羽月はづきを捕まえて抱きしめると、背中に貼ってあるメモを剥がした。


『⑥ なっちゃんの せなか』


 振り返ると居間のソファーの陰に隠れた小さな影がクスクスと笑っている。顔は隠しているがメモを貼った背中を無防備に見せているのがやっぱり子どもだなと思いつつ、見えないふりで奈月なつきを探した。

 

『⑤ ピンクのようふく やくとあまくて おいしくなるもの なんだ?』


 奈月の背中にはまた封筒が貼り付けてあって、ピンクの色紙が入っていた。

 

 「いきなり、なぞなぞかよ」祐子は声に出さずに呟くと、一昨日オーブントースターで焼き芋を焼いたことを思い出した。田舎から送られてきたサツマイモは濃いピンク色で、焼くとねっとりとして美味しかった。


「えーと、サツマイモ」

「ピンポーン! ママすごいね!よく分かったね」

七枚目と八枚目の命令の紙は、サツマイモが入っていた段ボールの箱に隠されていた。


『④ なっちゃんに だいすきと いうこと』

『③ はあちゃんに だいすきと いうこと』


 祐子は背中に貼り付くようにくっついていた二人をまとめてぎゅっと抱くと、「なっちゃん、はあちゃん、大大だーいすきっ!

我が家の可愛い天使たちだよ!」

と大きな声を出してふたりをぎゅっと抱きしめた。


「「ママ、わたしも ママがだいだいだーい好き」」

羽月はづき奈月なつきも我先にと祐子に抱きついた。三人できゃぁきゃぁとひと騒ぎし終えたころ、奈月なつきが「あ」と小さな声をあげてパジャマのズボンのポケットを探った。


 祐子に差し出された紙片は少しシワが寄って子どもの体温でほんのりと湿って温かかった。羽月はづきに急かされて紙片を開く。


『② ママは はぁちゃんと なっちゃんから だいすきと いわれること』


 これはもう終わっちゃったねとまた三人で笑った。


「さて、最後の命令はなんだ?」

ふたりの顔を見渡して裕子が言うと羽月はづきがポケットから小さく畳んだ封筒を出した。


『① パパに このてがみを わたすこと」


「パパにこの封筒を渡せばいいの? このまま?」


 奈月なつき羽月はづきは大きく頷いた。


「あけちゃダメだよ! そのままだよ!」

「絶対だからね! ママ約束だよ!」


 そう何度も繰り返す小さな娘たちを「わかった、絶対開けないよ」と請け合って、手紙を受け取り二人を子ども部屋へと見送った。


 祐子の夫は今夜は夜勤だ。帰って来るのは明日の早朝。祐子は手の中の小さな封筒を眺めた。


 どうしようかな。


 ふふふと笑いながら祐子はその封筒を台所の明かりに透かした。中には明るい色の折り紙がたたまれては入っているようだった。

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