第1章 発狂屋敷


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「ハーイ、それじゃあ今日のレッスン終了、お疲れ様ぁ」

 下北沢にある「ステラ・プロ」の社員寮に併設されたトレーニングルーム兼稽古場で、パンパンと響くインストラクターの手拍子と共に、望はトレーニングウェアのまま、練習場の床へとへたりこんだ。

「まだちょっと動きが固いけど、随分サマにはなって来たから。ただ、ここで教わってそれで終わりじゃなくて、自分でも、いろいろ自身の振り付けのイメージ捉える様に。以上」

 来週は撮影があるみたいだから、次のレッスンは再来週ねの言葉を残し、インストラクターが引き上げると、望はタオル片手に床にへたり込んでスポーツドリンクを喉に流し込む。

 酸欠で目が眩む。左胸の内側で心臓が早鐘の様に轟き、全身の血管が張り詰めて破裂しそうだ。空調が効いているとはいえ、全身は汗びっしょりで、脳幹から筋肉に対する指令の維持と、身体の冷却の為に多量の水分を必要しているのもわかる。500ミリリットルのペットボトルを一気に空けた。運動は苦手な方ではなかったが、アイドルのレッスンがこんなに厳しいものだとは思わなかった。これがプロスポーツの選手なんかだとしたら、一体どれだけの運動量をこなしているというのだろうと考えただけで頭が痛い。

「いよっ、『キャピタル・キューティ(キュートな財産の意)』の功労者!居残りレッスンお疲れ様!」

 突然、横合いから声が掛かった。

 いつの間にか、先にレッスンを終えていたグループメンバー三人が、傍らのベンチから彼女の稽古を眺めていたらしい。

「ノッチ、収録来週なんだって?ゴールデンタイム進出一番乗りおめでとう!」

 目力の強さと、長い黒髪にポニーテール、美形が売り物のグループリーダー、篠かずえが満面の笑みを浮かべながら望の肩を抱き寄せた。

「デビューから一年、うちら鳴かず飛ばずだったけど、よくやってくれた!」

「わたいら三人にも、お声が掛かったよ!リ―ダーは来週の『昼休みです!』で、末席だけどベテランさんらと一緒にゲスト仲間入り、わたいと真奈美の二人は地方局だけど、旅番組のレポーターとして出演決まり!」

 茶髪にギャルメイクが印象的な倉田梨々花がドーンと抱き付いて来て、望は数歩よろめいた。その後ろで楚々としたお嬢様然のこれまた美形、千堂真奈美はその外観と裏腹のVサインで決めポーズだ。

「まさかあの深夜放映がこんなに反響あるって思わなかったって、末松課長も目を丸くしてたよ。視聴率も6%程度だったのに、放送終了後、『あの女の子は誰?』っていう事務所への問い合わせがハンパじゃなかったって!」

「だって、あの番組泣けたじゃん?」

 梨々花がとぼけた口調で相槌を打った。

 

 円城望と三人のメンバーは、毎年行われる「ステラ・プロダクション」の新人アイドル募集のオーディションに合格した第23期組の同期生に当たる。その年のオーディションに合格したのは十二人。その合格メンバーを社長の根岸や演出家、振付担当のダンサーらが協議して、ペアやトリオなどのグループ分けを行った。

 そして望はかずえや梨々花、真奈美らとの四人グループ編成のユニット「キャピタル・キューティ」としてデビューにまで漕ぎつけたのだが、人気としては今ひとつ伸び悩んでいた。そんな中でたまたま関東テレビから深夜枠の「ドキュメント未来」でアイドルに関するテーマで何かをやりたいと依頼があり、それならいい案があると楓が持ち込んだのが「姉を探す為にアイドルになった少女」の企画である。


 実際に、望が「ステラ・プロ」のオーディションを受けたのは、まさにその通りの理由であった。望は母親の顔を知らない。母親はお産が重く、望の誕生と引き換えにこの世を去ったと聞いている。望は父親の腕ひとつで育てられた。ところがその父親も彼女が高校三年生になった頃、職場の定期健診で癌が発見された。

 その父親が臨終の際に言い残したのが「お前には姉がいる」という事であった。


『私は行き別れた姉を探す為にアイドルになろうと思いました。父も母も早くに亡くしてしまった私は、ただ一人の肉親である、その姉に会ってみたい。けれども私は、姉の顔も名前も知らない。そんな姉を探すお金も持っていない。だからデビューして人気が出たら、テレビを通して公開捜査をお願い出来ればという目的で、オーディションを受けに来ました!』


 面接の際に彼女が述べたのはそんな台詞である。

 もっとも、オーディションの願書自体は、彼女の身の上を知っていた高校時代のクラスメイトが勝手に申し込んで画策していたものではあったのだが。

 面接に同席していた管理部門の責任者である楓は柳眉を逆立て、業界なめんな!と凄んだが、根岸の方はその時の望の表情がとても印象的だったらしく、程なく合格通知が彼女の手に届いた経緯がある。

 これは望自身にとっても二重の喜びだった。姉探しと別に、父親を亡くして叔母夫婦の家に預けられ、肩身の狭い彼女としては、研修生として「ステラ・プロ」に入社して寮生になる事により、気兼ねない自身の時間と空間も得る事が出来たからである。寮は二人ひと部屋で、同室になったのは現在のグループリーダーである篠かずえ。沖縄系の美人で歌もダンスもキレッキレの彼女に最初は気後れを感じていたが、幸いにもかずえは自身の才能を鼻に掛ける事のない、懐の広い姐御肌で、シロウト同然の望の面倒をあれこれとみてくれた。

「ノッチはさあ、笑顔がいいんだよ。あと時折見せる芯の強そうなとこもいい」

 ちなみに暫くしてから、かずえは高校二年で学校を中退、スターになる事だけを目指してオーディションにやって来たという猛者であり、望より一つ年下である事が判明する。そののち、望とかずえは残り二人のメンバーと引き合わされ、ユニットグループ「キャピタル・キューティ」か結成する。

 だが、担当マネージャーがなまくらだったのか、事務所の戦略もあったせいなのか、CDデビューこそ果たせたものの、人気そのものはあまりパッとせず、売り上げも三か月でダウン、その後の出演依頼も皆無に等しかった。


 その時期、望は個人的にタレント管理責任者の楓から呼び出された。

 社員らが退社してひと気のない事務所のパーティションの中で「あなたみたいな素人採用するの、私は大反対したんだけどね」ときついひと言を切り出された。そして「お姉さんを探すって、どういう了見で言ってるのかを、もう一度聞かせて欲しい」と強く迫られたのである。

 望は覚悟を決めて、自身の想いを克明に打ち明けた。


 「そうなのか……。わかった……」


 その時に、あの怖かった楓が、ひと筋の涙を流してくれた事が嬉しかった。


 そして、ひと月ほどして、楓が持ち込んで来た望の仕事が、深夜枠ではあったが大手キー局・関東テレビのドキュメンタリー放送だったのである。

 それは芸能事務所にオーディションを受けに来るアイドル志望の女の子らの姿を追うドキュメントものだったが、特に「姉を探す為にアイドルになる」という望のパートに重きを置かれた内容でもあった。

「お姉さんへのまず第一歩。あとそれから『キャピタル・キューティ―』のマネージャーは私に変わったから、宜しくね」

 寮室に訪れ、わざわざ台本を持参して帰る楓の後姿を見送りながら、かずえは驚きの目で望を見据えた。

「ノッチ、あんたどういう魔法を使ったの?」


「ドキュメント未来」の放映は先にも述べた通り、視聴率自体は低かったが、その反響は大きかった。「幼い頃に行き別れた姉」を探す為にオーディションを受けた少女の真摯な表情と、レッスンを必死にこなす姿に番組を見た視聴者からは「感動した」「インタビューのあの女の子は誰?」「応援します」「CDは発売されていますか?」等の問い合わせがインターネットを通して局や事務所に殺到したのである。


「望ちゃんは表情がいいんだよ。ヒトの心を揺さぶるその視線がね」

 楓は親指を立ててにこやかに笑いながら、彼女の成果を褒め称えた。


 発売以来伸び悩んでいたユニットのデビュー曲はダウンロード数やCDの売り上げもランクイン、ユニットグループ「キャピタル・キューティ」はじわじわと人気上昇中というところであった。

「ノッチ、もうレッスン終わりなんでしょ?みんなで外にごはん食べに行こうよぅ」

 梨々花があの鼻に掛かった口調で声を掛ける

「あ、りったんゴメン。これから来週の撮影のスケジュールチェックと台本読みがあるから、本当にゴメン!」

 望が手を合わせながら頭を下げると、梨々花はうわー残念といわんばかりに口を尖らせた。

「そっか、もう来週かあ。金曜ワイドの特番収録」

「でも、別にケチつけるワケじゃないんだけど、私、『心霊特集』ってのはちょっとやだなあ。お化け苦手だし、そういうのって撮影中に結構何か起こったりするっていうじゃん?しかもその場所が東海地方最恐スポットの『発狂屋敷』と来たら、私ならビビって拒否るかも知れない」

 真奈美が顔を歪めながら呟いた。

「あの、私、その名前くらいしか知らないんだけど、西伊豆の『発狂屋敷』って、そんなに怖い場所なの?」

 望の唐突な質問に、メンバー全員が目を丸くした。

「出た、ノッチの世間知らず!」

「名前の通りじゃんか?静岡のローカル局のスタッフがあそこ撮影に行って、MC役だったタレントさん以外、全員行方不明になって、その人もおかしくなっちゃって、結局何が起こってそうなったのか、今でもわからないままなんだって。だからあそこ『発狂屋敷』って呼ばれてるんだよ?」

「まあ、アレは何か、撮影を嫌がっていたADさんが怖さ紛らわす為にクスリ持ち込んでたんだけど、それが合成麻薬のMDMAだったらしくて、みんなでそれキメておかしくなっちゃったんじゃないかって。現場でそれが見つかったらしいから」

「でも、その前にも一家失踪事件があったんだよね、あそこ。『現代のメアリー・セレスト号事件』って『世界ドキハラ大検証』でやってたの見たよ?」

「雑誌の心霊特集とかでも、肝試しに行った大学生や地元の暴走族が、屋敷内をうろつく変な光や人影を目撃したって書いてあったなあ」

 思い思いに呟くメンバーの声を聞いて、望はいまさらの様に、

「そんなに怖い場所だったのか。なんかこの件、やり手の楓さんが妙に尖ってたからおかしいなと思ってたんだけど……」

「楓さんは静岡の出身だからね。暴走族仲間でも噂はあったみたいだから、あそこの怖さ身に染みてるんじゃないの?」

「えっ、そうなんだ?」

「やだな。あの人、元は静岡じゃ有名なレディースだったらしいよ。それを社長が見込んで拾い上げたのは裏じゃ有名な話」

 かずえがしたり顔で呟いた。

「あのド迫力の根源はそこだったのか」

「だからまあ、あの人に身内と認められるとメッチャ面倒見いいらしいんだけど、そういう人でさえビビる場所って事よ」

「そっか、それでなのかなあ……」

「なに、どうしたの?何かあったの?」

 望は今日の昼頃、オフィスのエレベーターホールで遭遇した、不気味な中年男の件を全員に打ち明けた。

「えー、何それ?気持ち悪い!」

 梨々花が声を裏返らせて叫んだ。

「見たはずの顔がわからないってどういう事?」

「それって、もうすでに『発狂屋敷』のサワリが出てるって事?やだあ!」

 気味悪がるメンバー達の話を聞いて、先の幽霊の様な男の件が脳裏を過り、望の中にも、この禁忌に満ちた撮影場所『発狂屋敷』に対する、新たな不安が湧き上がっていた。


 食事に外出した三人と別れたあと、望は寮の自室のベッドの上で渡されたスケジュール表と台本、そして撮影場所である「発狂屋敷」こと「青木蔵之介邸宅」に関する資料に目を通そうとしていた。

 台本のページを開くと、そこからホチキスで閉じた数枚の資料がこぼれ落ちる。拾い上げると、そこには「メアリーセレスト号事件概要」と記してあった。

(ああこれ、まなっぺが言ってた事件の事か)

 メアリー・セレスト号事件の事を望は知らなかった。興味を持ってその書類に目を走らせると、そこにはこんな文章が書かれていた。


 メアリー・セレストは、全長31 メートル、重量282トンの二本マスト帆船であったという。当初は「アマゾン」という船名であったが、当時から曰く付きの船舶だった様で、建造中に幾度もの事故が発生したとも伝えられている。アマゾンは数回にわたって所有者が変更され、1869年に「メアリー・セレスト」と改称された。

 そして、事件は発生する。1872年12月4日、カナダ船籍のデイ・グラツィアが、アゾレス諸島付近の海域で漂流中のメアリー・セレストを発見した。

 デイ・グラツィアの船長は2時間ほどメアリー・セレストを観察し、「おそらく漂流中」と判断。一等航海士のオリヴァー・デヴォーに銘じてメアリー・セレスト号に向かわせた。彼は「船全体がびしょ濡れだ」と報告した。ポンプは1基を除いて操作不能であり、デッキは水浸しで船倉は浸水していた。だが、乗組員と船長の家族を含む10名の姿は船内のどこを探しても見当たらず、彼らの姿は煙の様に消え失せていたという。

 船体に目立った損傷はなく航行可能な状態であったが、ハッチも食料貯蔵室も開いており、掛時計は機能しておらず、羅針盤は破壊されていた。六分儀とクロノメーターは失われており、メアリー・セレストが故意に遺棄されたことを示めしていたという。また、同船の救命ボートは故意に降ろされ、無理矢理引き離されたようであった。手すりには謎めいた血痕があり、そのうちのひとつには説明のできない引っかき傷があった。また、刀剣が船長の寝台の下に隠されていた。

 積荷のアルコールは、ジェノヴァで降ろされた際にあった以外は無事で、六か月分の食料と水も残されていた。しかし、船内の書類は、船長の航海日誌を除いて全く見つからなかった。日誌の最後は11月24日付で「アゾレス諸島の西方100マイルの海上にいる」と書かれており、11月25日にはアゾレスのサンタマリア島に到着できる位置にあった。

 メアリー・セレストを巡るこの事件最大の謎は、航行可能な本船を遺棄した原因と、煙の様に消えてしまった10人の乗組員の行方に尽きるとされている。嵐による大波説やアルコールの気化による中毒説、そして科学では説明のつかないUFOによる拉致誘拐や、バミューダトライアングルなどの超常現説、大ダコが海中に引きずりこんだ説までが飛び交ったが、いずれも都市伝説の枠を出るものではないという。


(そっか、過去にこんな事件があったんだね)

 望は資料に目を通し終わったあと、もう1枚の気になる書類綴じが挟んであるのを見付けた。そのタイトルは「『発狂屋敷』こと青木蔵之介邸事件の変遷」とある。

(あ、これ、例の『発狂屋敷』についての事件報告書だ!)

 望はホチキス綴じされたその資料を、慌てて捲り上げる。


 そこには、今回のロケ先である「青木蔵之介邸宅」で起きたという事件の、目を見張る様な内容が記載されていた。

 






 

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