第2話
母の見立てによると、私は、ほぼ一歳の赤ん坊らしい。
ミルクを飲ませに私を抱っこしてリビングダイニングへ赴いた際に居合わせた母とようやく対面を果たし、私の幼児時代を思い返して推測してくれたのだ。リアクションは、初めに「まあ」と一瞬驚いたものの以降は夏希同様に落ち着いていたので、私が知らないだけで実はよくある現象なのかな、と馬鹿なことを考えてしまった。
「お母さん、ミルク、こんな感じでいいですか?」
「どれどれ? ええ。よく出来ているわ」
「何この円満な嫁と姑の掛け合い……」
ソファに座る私は、キッチンに立って哺乳瓶を確認し合う二人を複雑な心境で眺める。
完成した所で夏希がソファに来ると、私を早くも慣れた手つきで抱えて哺乳瓶を向ける。
「はい、ミルク」
「本当に飲むの……?」
「作ってから言わないでよ」
いざ実物を向けられるとやはり抵抗があった。赤ちゃんプレイさせられている気分だ。
しかし、生きている限りは栄養を摂取する必要がある。そうなれば赤ちゃんの体質に合った粉ミルクを避けては通らない。それに、下半身を締め付ける感触に比べれば大分マシなので、仕方なく先端を咥えて吸う。
「うえ、まずっ……」
「態度が悪い赤ちゃんだなぁ」
普通の牛乳より甘いし説明しづらい独特の味がする。こんなものちゅぱちゅぱ吸ってるより冬季限定のチョコレートラテを飲みに行きたい。
泣く泣くミルクを飲み干すと、夏希は言った。
「縁ちゃん。いい天気だし、朝のお散歩に行こっか?」
「完全にママになりきるのやめてくれない?」
何もしないで体の変化を待つのも時間の無駄なので夏希の提案に乗り、私は彼女の腕の中に収まりながら外へ出た。日曜だからこのまま緊急外来で診てもらうのもアリかもしれないけど。
私達は、近所の河川敷を歩いていた。寒いけれど快晴の朝に散歩するには最適だと思う。ただ、可能な限り、今の姿で人に──特に幸起には会いたくない。まあ、こんなのどかな場所で幸起と落ち合うはずもないか。今頃、私らの騒動なんか知らずにぐーたら夢の中だろうな。
「あっ、幸起。相変わらずモテる為にランニング中?」
「うるせ」
言ったそばから黒ジャージでこちらに走って来る幸起と遭遇。からかう夏希を一言であしらう。
まさかランニングが日課になっているなんて思いもしないよ!? てゆーか、モテる為のランニングって何!? 相手は!?
「いや、それより……その子、誰? めっちゃ驚いた顔でこっちを見てるけど」
「うちのかわいいかわいい縁ちゃんだよ」
「は? 縁……?」
「私だよ!!」
想定外の状況にイライラして怒鳴ると幸起がみっともなく後ろにずっこけた。
そりゃあ赤ちゃんがいきなり大声で言語を話したら混乱するよね。
「こっわ……!! え、どゆこと?? 赤ん坊、だよね??」
「信じてもらえないかもしれないけど、縁が赤ちゃんになったの」
「お、おお……。まあ、よく見ると顔は縁にそっくりだよな?」
「もう信じるの!?」
受け入れるまでがあまりに早いのでツッコんでしまった。というか、幸起に限らずみんな早い。
「なんというか、この声もテンションももう全体が縁だから認めるしかないな、って」
「さすが幸起。縁のことをよく分かっているね。ちょっと抱っこしてみる?」
「夏希? 何を言っているの??」
「そうだよ。心は一応、十代最後の横山縁なんだぞ?」
「でも、こんな機会、きっと二度と訪れないよ?」
「……まあ、そうだな。記念に」
はぁ!? 断れよ変態!! 何ちょっと考えてから満更でもない感を出しているの!?
「…………」
いや、まあ、別に私も嫌ってわけじゃないんだけど……。
そういう訳で断らなかった私は、軽々と夏希に持ち上げられて微かに震える幸起の手に渡った。ぎこちない動作で私をそっと腕の中に収める。ちょちょ、危なっかしいな。
「緊張してる?」
「いろんな意味で緊張してる」
これって、体が赤ちゃんなだけで、私が幸起にされていることって……お姫様抱っこ?? 私もすごく緊張してきた。
同時に、しばらく夏希の胸の中で暖まっていたから離れたことで体が冷えてきた。こいつ、運動していた割に体温低いし。
……あ、まずい。
「……帰る」
「え?」
「帰る! 今すぐ夏希の所に戻して!」
「なんだよ急に! 俺の体が受け付けないみたいに言いやがって!」
「事実だから!」
急に慌て出す私を見兼ねた夏希が「ごめん幸起」と言って私を抱き上げると、
「そうだ。私、これから縁の家で朝食を作るけど、後で幸起も食べに寄ったら?」
「おう……そうだな」
「自分ん家じゃないのに……。いいけど」
最後にそんな会話だけして私達は解散した。なんだかんだ幸起と一緒に居られることは嬉しかったりする。
徒歩で家路を辿りながら夏希が私を気にかける。
「どうしたの? 突然、慌て出して」
「自分でも、どうしたいか分からない。とりあえず早めに家に戻って」
「縁、もしかして……」
おそらく夏希には気づかれただろうけど、ミルクと緊張と冷えと色々重なって尿意が来たんだ。
本当は、今でも心の中ではトイレを諦めたりしたくない。どうしても譲れない羞恥心がある。それには、ひとまず幸起のそばから離れて帰宅するしかなかった。
「ねえ、夏希……やっぱりどうにかならないの?」
「今の縁の体じゃ、あれ以外に方法は思いつかないかも。ごめんね」
「そんなぁ……」
やっぱり、こうなったからには諦めるしかないのかな。一夜明けたら元に戻る仕組みなのかな。
早く、昨日までの私に戻してほしい。
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