宮廷認定茶使 〜桂花は茶で謎を解く〜

水無月せん@コミカライズ葬送師~開始

第一章 宮廷認定茶使になる

1-1 嵐のはじまり 1

 〈 1 〉


 長い廊下を歩き、住居棟から繋がる店舗へと向かう。正面から来た侍女が立ち止まって脇に寄り、頭を下げた。


「おはようございます、お嬢様」


 白桂花はくけいかは笑みを浮かべ、はつらつとした声で返した。


「おはよう」


 お嬢様と呼ばれているものの、十八歳の令嬢が着るには地味な衣装だ。ほかの店員と同じ膝上丈の濃緑の上衣。同色の下衣は二またに分かれた裾が絞られていて動きやすい。風を切るように颯爽と歩くと、頭の高い位置で縛った長い黒髪が揺れる。

 桂花は両開きの扉を開けた。

 深く息を吸い込み、新緑の葉に似た匂いを嗅ぐ。


 ——ああ、たまらない、この香り。


 うっとりと目を閉じる。

 ずっと嗅いでいたい。

 毎朝の儀式のような瞬間が、桂花の至福の時だ。


 とはいえ、ずっとこうしてはいられない。

 瞼を開く。

 眼前には木製の台。商品の受け渡しや支払いの際、この台を挟んで接客する。左右の壁面は三段の棚で、陶器の壷がずらりと並んでいた。「龍井茶ろんじんちゃ」「陳年普洱茶ちんねんぷーあるちゃ」など茶葉名が書かれた札が下げられている。

 正面入口の扉は開け放たれていて、州都・西兆せいちょうの物流の要である運河が見える。川沿いに並ぶしだれ柳の枝が風で微かに揺れていた。

 開店のために扉を開けた段誉だんよが店に入り、微笑んだ。段誉は店を取り仕切る番頭で、この数年で白髪も目尻の皺も増えた。


「桂花様、おはようございます」

「おはよう」


 桂花の父である白維忠はくいちゅうは茶葉の買い付けなどで不在のことも多い。段誉は桂花が幼いころから店頭に立っているので、祖父のようにも思える存在だ。


「茶使試験のために西兆に来た人たちで賑わっていましたが、今日は少し落ち着くかもしれませんな」

「そっか、昨日が結果発表だったね」


 地方には茶舗がない村も多い。西州の州都・西兆に試験を受けに来たついでに茶葉を買いに来る客で、ここ数日は忙しかった。

 茶に関する並外れた知識を有する者に皇帝から与えられる称号がある。


 宮廷認定茶使。

 宮廷茶使、茶使などと略して呼ばれることが多い。

 東西南北各州の筆記試験を経て、その合格者で利き茶による試験を宮廷で行う。

 年に一度、称号を得られるのは数人のみ。


 称号は職を保証するものではないが、蘭果国には榷貨務かくかむという茶の専売に関する役所があり、そこで雇われる茶使もいる。科挙を受けなくても官吏になれる数少ない道だ。

 茶商となるにも称号は有利だ。かつては茶の売買はすべて国が行なっていたが、二十年ほど前からは国内のみ茶商が自由に売買出来る。売上に応じて国に税金を納める仕組みだ。貴族と平民の身分差が縮まらない中で、職に繋がる茶使を目指す人は多く、試験には大勢集まる。

 皇帝を筆頭に、茶を愛飲する人は多い。職のためではなく知識試しで試験を受ける人もいるぐらい、茶は国に浸透している。

 段誉は釣り銭用の小さな金庫を開け、台の裏側にある棚に置きながら話した。


「桂花様は茶使試験を受けようとは思わないのですか」

「うーん……、称号をもらって何か変わるという物でもないし」


 桂花は茶が好きだ。試験内容に興味はある。ただ、国に雇われたいわけでも、称号を得て利用したいわけでもない。

 茶が好きである以上に、自分が見繕った茶を客に喜んでもらえるのが楽しい。そういう意味では、生まれながらの商人なのだろう。

 試験対策をする時間があるなら、接客したい。


 棚や壺に汚れがないか確認しようとしたとき、店の前で馬車が止まる音がした。屋形の客車は地味な黒色だが、屋根や窓の縁に細かな意匠が凝らされていて、ひと目で高貴な人が乗っているとわかった。

 客車の入口を覆う布が開き、男が降りてきた。

 すらりとした長身。長い髪は後ろの高い位置で縛っている。丈の長い上衣は黒色。無地に見えるが近づいてくるにつれ布地の編み目が模様になっているのがわかった。光沢と厚みがある上質な布だ。腰帯と襟元のみ濃紺で、とにかく第一印象は「黒色の人」だ。客を覚えるときに、適当な名称を付けることが桂花にはよくある。茶の銘柄のようなものだ。

 黒色の人が侍衛らしき若い男を従えて店に向かってくる。


 ——来た来た!


 桂花の頭の中で太鼓が打ち鳴らされた。出陣の音だ。


「いらっしゃいませ」

 満面の笑みで深々と礼をし、顔を上げた。


 目の前に立つ男を見て、稀に見る美形であることに今更気づいた。整った目鼻立ち。華やかというよりも涼やかだが、笑みのない人形のような顔立ちは、やや冷たくも感じる。

 男は店内を見回してから、右の棚に近づき壺の札を確認していった。侍衛は入口に立っている。

 いきなり食らいつくように動いては引かれてしまう。茶葉を買うつもりのようだ、と判断してから声を掛けた。


「お探しの銘柄はありますか。お出ししますよ」


 男が桂花の方を見た。


「特に決めてはいない。茶はよく飲んでいたが銘柄は詳しくない……というか、苦手だ」

「苦手、と言いますと?」

「父が茶好きで、飲むときはいつも解説が入った。それが正直うんざりで」


 桂花は軽く吹き出した。

 茶好きのうんちくが止まらないのは、ありがちだ。桂花も客相手のときは早口で捲し立てないよう気をつけている。気をつけないと止まらないからだ。


「お父様はお客様のこと大好きなのですね」


 男が目を見開く。


「大好き?」

「ええ、人は自分の好きな物を、好きな人に語りたがるものです」


 意味を咀嚼するように、男は瞬きをした。数秒の後、ふっと笑った。


 ——笑うんだ?


 美麗な仮面のようだった顔が、急に血が通ったかに見え、親しみがわいた。


「そんなふうに考えたことはなかった。とにかく自分で茶葉を買ったことはないので適当に見繕ってくれ」


 高貴な人だから、使用人が茶葉を買っていたに違いない。飲んでいた、と過去形なのは、もうその屋敷にはいないのか。歳は二十代半ば。結婚して自分の邸宅を西兆に構えて日が浅く、この店に気づいて茶のことを思い出し、馬車を止めた、というところか。

 勝手な想像だが、大きく外してはいないだろう。


「贈り物でしょうか。飲み慣れた茶が良いとか、珍しい物が良いとか何か希望はありますか」


 桂花は男に近づき棚の前に立った。

 高額な茶か、庶民に人気の手頃な茶か。

 脳内に再び太鼓の音が響く。


 ——何を薦める? どんな茶がこの客を喜ばせてくれるだろう。


 男は無表情に戻っていた。


「ああ、そうか、贈り物にしよう。特に希望はない。お薦めの物があればそれで」


 贈り物を探していたのではなく、言われてそうすることにした様子だ。

 指定はなくお薦めの物で、というのはよくある返答だ。任せたいという客もいれば、どの程度の店か試す客もいる。

 高貴な男が贈る相手だから、質の良い茶を飲み慣れているだろう。


「上質な黄山雲霧こうざんうんむが入荷したばかりです。年齢問わず、茶にお詳しい方もご満足いただけるかと。お相手が女性でしたら、花茶も喜ばれるかもしれません」

「では花茶にしよう」


 女性への贈り物。


 ――いいぞ! 無愛想な美丈夫が茶舗に自ら足を運び茶を贈るとか、妻も心ときめくに違いない!


 心の中で喝采したが、にやにやしないよう気をつける。妻がいるというのは想像でしかない。


茉莉銀毫もうりぎんごうはいかがですか。茶葉に茉莉花のつぼみで香りづけしたもので、さわやかな香りで安らぎますよ」


 茶葉は茶の木の葉から作られるのが一般的で、花茶は少し違う扱いになる。通常の茶葉に花の香りを移した物や、花を茶葉に混ぜた物、花そのものに湯を注いで飲む物など。花の香りや、見た目の美しさで特に女性に人気だ。

 桂花は背伸びをして、一番上の棚にある茶壺を取ろうとした。横からさらうように男が茶壺を手にし、差し出す。

 受け取って慌てて頭を下げた。


「申し訳ありません、お客様のお手を煩わせて」

「煩わされてなどいない。高い所にあるのだから私が取った方がいいだろう」


 にこりともしないが、不快そうでもない。

 何もかも人にやってもらうのが当然の箱入り御曹司ではないようだ。


「ありがとうございます。茶葉をご覧になりますか」


 桂花は笑みを浮かべ、茶壺を台まで運んで置いた。男が近づいてくる。茶壺は両手で抱えるほどの大きさで、希望の量を包んで渡す。買い慣れている客は自ら壺を持ってくるので、そこに移す。

 壺の蓋を開けた。ふわりと茉莉花の香りが立ち上がる。匙ですくって見せようとしたとき、異変に気づいた。顔を近づける。匂いがわずかに弱い。茉莉花は元々の香りが強いので無臭とまではならないが、香りが弱いということは、品質が落ちているということ。茶葉を手で摘み硬さを確認する。湿気を吸ってしまったのか。茶葉は湿気に弱い。

 桂花は頭を下げた。


「申し訳ありません。こちら少し香りが落ちているようです。ほかの物をご用意します」


 蓋を閉めようとしたとき、男が手で制した。顔を近づけて匂いを嗅ぐ。


「良い香りがしているが、これでは駄目なのか」

「はい、お売りすることは可能です。この程度でしたら販売する茶舗も多いと思います。ですが折角なら最高の状態の物を味わっていただきたいので」


 販売を止めた茶葉は損失となる。だけど桂花の判断を店主である父親も段誉も責めないだろう。最高の状態の茶を客に味わっていただく、それが白茶舗の信条だ。

 桂花は棚の方へ向かい、二段目にある壺を持ってきて台に置いた。


「真珠花茶。緑茶の葉を丁寧に丸めた真珠のような形は珍しく、湯でほどけていく様は目でも楽しめます」


 匙ですくって見せる。こちらも茉莉花の香りがする茶だ。男は香りを嗅いで満足気にうなずいた。


「ではこちらを」

「ありがとうございます。贈り物でしたらお包みするのではなく、壺と合わせてご購入されますか」

「そうしてくれ」


 片手に乗せられる大きさの白い陶器の壺を台の下から出す。丸みを帯びた大きな白い花弁の花が描かれている。茶の木に咲く花だ。匙で茶葉を移し、すぐに蓋をする。

 代金を支払い、男は店を出ていった。

 深々と頭を下げて見送る。顔を上げたときには馬車に乗り込んでいて男の姿はなかった。すぐに動き出して去っていく。

 振り向いて、脇に立っていた段誉に尋ねる。


「茉莉銀毫を受け取ったの、十日ほど前だったかな」

「そうです」

「すみません、お店お願いします」


 説明を聞かずとも理解した、というふうに段誉は頷いた。店の奥の扉を開けると廊下に出る。右にある扉を開けて部屋に入った。

 入荷したばかりの大きな茶箱が五つ積まれている。茶箱の前で身をかがめていた女性二人が、桂花の方を見た。茶葉を点検しながら、部屋の中央にある卓上の壺に移す作業をしていたようだ。おはようございます、と挨拶し合う。


「十日前に入荷した茉莉銀毫を点検したの、どなたでしたか」


 申し訳なさそうな顔をして素錦そきんが答えた。


「十日前なら……娘が急に熱を出して私が帰ったので、小嵐さんにお任せしてしまった日ですね」


 素錦は長く勤めていて、歳は桂花の母親と同じぐらい。いつも和やかで誰とでもすぐ打ち解ける。

 隣にいた柳小嵐りゅうしょうらんは作業の手を止めた。背が高くすらりとした体型。長い髪は高い位置で巻き、かんざしで留めている。透き通るような白い肌に桃色の唇、つぶらな瞳。


「何か不手際がありましたでしょうか」

「湿気が入ったのか、香りが落ちていました。点検したときはどうでしたか」


 入荷直後の茶葉は維忠が確認しているはず。質が落ちた物を受け取るとは考えにくい。維忠は茶畑の視察で不在だったのかもしれない。

 小嵐は頭を下げた。


「申し訳ありません。確か雨が降り続いていて、私一人の作業で時間が掛かったせいかもしれません」

「そういえばかなりの長雨でしたね。配送時から問題があったのかもしれないし、劣化と言ってもわずかだから、気づかないのも仕方ないかも」


 長雨のときの管理は難しい。すべて小嵐の責任と決めつけては気の毒だ。


「点検で気づけなかったのなら、それも私の責任です。販売できなかった茶葉の代金を私の給金から引いてください」

「じゃあ、あの茉莉銀毫は小嵐さんと私で、仕入れ値で買い取って飲みましょう。少し香りが落ちているだけでお茶として飲むには問題ないですから」

「でも――」

「あの程度の劣化なら販売する店もあるし、それを下げるのは私個人のこだわりみたいなものだし」

「ありがとうございます」


 涙ぐみ頭を下げる小嵐を見ていると、胸が微かに痛んだ。

 白茶舗は小嵐の父親である柳宗燐りゅうそうりんと白維忠が作った店だ。蘭果は島国で、西の大陸で国が乱立していたころ、跡目争いから逃れて海を渡ってきた一族から始まっている。その後、茶の専売制が取り入れられた。国が茶葉を売買し財政を充実させる制度だ。二十年ほど前からは、国内でのみ茶商による売買が認められることになった。

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