初陣ーレザール砦の戦いー③

 

 空は灰色の雲が覆っている。そしてその下には、黒の鎧の塊。レザール砦は完全に帝国に包囲されていた。リシャールたちは敵に勘付かれない場所に身を隠し、様子を窺うことにする。

「ニア、念話で砦側と連絡を取れるか?」

「やってみます」

 ニアはそう言って目を閉じ、身じろぎ一つしなくなった。

「…あの、念話って何ですか?」

 ベルナデットは小声で隣にいるオリヴィエに尋ねてみた。

「私も使えるわけではないので上手く説明できる訳ではないのですが…高度な魔法の一つで、魔力を多く持つ魔術師同士のみが、空間のエーテルを介して頭の中で語り合うことが出来るようです。原理などは未だに詳しく分かっていないらしいですけどね」

 オリヴィエは“自分も知りたい”という風に、今知っている念話のことについてベルナデットに教えた。ベルナデットは礼を言う。本当に、ジャンヌと出会って戦争が始まってからは、知らなかったことが山程ある、と知識が増えていくのを実感した。すると、そこでニアが目を開く。

「殿下、現在帝国軍が砦の内側に侵入しようとしています!」

「っ、ではこちらで軍を引きつけ、砦側からも攻撃して挟み撃ちにするしかない…伝えてくれ」

「はい!」

 三人は気持ちを戦に切り替える。いよいよ本当に戦うことになるのだ、とベルナデットは緊張を紛らわすために深呼吸した。

「砦側もそちらが動き次第、挟撃に当たる、とのことです」

 ニアが念話の内容を報告した。

「分かった。ベルナデット、なるべく離れるなよ」

「分かりました…!」

 ベルナデットは聖剣の柄を握りしめて返事をした。

「ガストン、オリヴィエ、先陣は任せたぞ」

「はい!!」

 ガストンとオリヴィエは、覇気に満ちた声で答えた。

「では、作戦開始だ…突撃!!」

 リシャールの合図で、皆木陰から飛び出した。――ベルナデットの初陣は、こうして火蓋を切ったのである。


                  ■


 先陣を切るガストンとオリヴィエに気付いた帝国軍は、屍兵以外の多くが注意を取られていた。数はベルナデットたちの二倍はいる。戦力としては、砦にいる兵士たちを加えてギリギリ拮抗、というところであった。

「あんな少数で援軍のつもりか?」

 帝国軍の兵士は、リシャールらたった5人の援軍をせせら笑った。

「どうやら、あの様子を見るに我らは侮られているようだ」

 ガストンは視線を敵に向けたまま、オリヴィエに話しかける。

「ならば好都合。何も知らぬまま散って貰う!」

 オリヴィエも視線を定めたまま、にやりと笑った。二人の剣と槍の先が最初の敵に触れたのは、少し間を置いた後である。

 ガストンとオリヴィエは、木の葉でも払うかのように兵士たちを退けていく。ここでようやく帝国軍はざわつき始めた。

「す、凄く強いですね!」

 鎧の重さを背負ったまま走るベルナデットは息を切らしながら、二人の戦いに舌を巻いた。

「あの二人は騎士団切手の手練れよ。ヴァリサントでの悔しさをここで晴らしたいんでしょうね、私もだけど! ベルちゃん、屍兵はふらふらと動いて、周囲より少し浮いたような動きをしているわ。私もなんとか援護するから頑張って!」

「は、はい!」

 ニアに応援され、ベルナデットは何とか返事をする。馬に乗ったリシャールもそろそろ敵と接触する頃であった。ベルナデットは何とかリシャールに追いつこうと歯を食いしばる。リシャールは盾を構えつつ、剣を敵目掛けて切りつける。ニアも魔法で杖から火の弾を撃ち、二人もまた次々と敵を倒していく。ベルナデットは二人に負けていられないと思いつつも、中々自分から敵に向かって行けず、足が止まってしまう。

(お願いだから、お願いだから動いてよ!)

 頭の中ではそう叫びつつも、身体の方は言うことを聞いてくれない。そして、そんなベルナデットに対し、敵が待ってくれるはずもなかった。突如視界に、黒と金の鎧の色が飛び込んでくる。

「死ねえ!!」

「っ!!」

 ――そのまま敵に叩き斬られるか、と目を瞑ったのと同時に、聖剣を持つ両手が勝手に動いた。聖剣は敵の剣身を受け止め、ガチガチと金属音を鳴らしている。ベルナデットは自分でも何が起こっているのか分からない。ただ、ぼんやりと“聖剣が何とかしてくれた”というのは理解した。

『聖剣を信じて、身も心も委ねなさい』

 夢の中で出会ったセラディアーナの言葉が、自然と思い起こされた。あの言葉はこういうことだったのか、と冷静に納得している自分がいることにベルナデットは気が付く。ならば、今は聖剣を信じて自分はそれについて行くのみである。

 膂力で既に負けているはずのベルナデットは、まだ敵の剣を受け止め、押していた。つい先程まで怖じ気づいていたのが嘘だったかのように、戦うことへの勇気が湧き、身体もどこか軽い。その気持ちが後押ししたのか、ついにベルナデットは敵を押し返し、反動で浮いた敵の腕目掛けて斬り付けた。

「があっ!!」

 敵の苦痛の叫び声と共に、持っていた剣は斬られた拍子に手から離れた。――例えにくい敵だとしても、命まで取る勇気はベルナデットにはない。このまま逃げてくれないか、と願うも、その望みはすぐに断たれる。敵は腰にあるベルトから下げていたナイフを取り出し、こちらに再び向かって来た。ベルナデットは剣を構え直す。すると、

「なっ!?」

 突如敵の足下が凍り、身動きが出来なくなる。

「ベルちゃん、しゃがんで!!」

 ニアの声が背後からし、ベルナデットは咄嗟に言うとおりにしゃがむ。すると、氷の弾が二、三発飛んで来る。まともに食らった敵は悲鳴を一声上げたあと、そのまま動かなくなった。足下の氷が割れ、敵はそのまま地面に倒れた。ベルナデットは後ろを向く。

「無事で良かった! ベルちゃん、戦えてるじゃない!」

 少し距離を置いた場所から、ニアが驚きの表情で駆け寄って来た。

「ニアさん! あの、私が戦えていたのは聖剣のお陰で…」

「聖剣が!? そんな力まであるなんて…でも、女神様から授かった剣なら色々あっても不思議じゃないわね…」

「これなら、私も戦えそうです。まだ怖い気持ちもありますけど…」

「それは私も同じよ。ベルちゃんは屍兵を優先的に倒していきましょう。念話での情報によると、屍兵は砦の入り口付近にいるようね。私がそこまで護衛するわ!」

「ありがとうございます! 私もなるべく自分で戦うように頑張ります」

 ベルナデットの言葉に、ニアは頷き返した。


                 ■


 砦から出てきた味方も加わって、いよいよ戦場は混迷を極めていた。折れた剣や槍に矢、血を流して倒れている敵と味方をあまり目に入れないようにしながら、ベルナデットはニアと共に砦の入り口へと向かう。そこへ、威勢の良い声が耳に入ってきた。

「ああクソッ! 何度も起き上がって来やがって!!」

 一人の若い騎士が、ふらふらと動く敵兵を前に吠えていた。ベルナデットは敵兵の方を見て、背筋が寒くなる。―直感で、あれが屍兵だと分かった。

「あれは、ラウルね。この砦の兵士たちの隊長よ。ラウル!」

 ニアが叫ぶと、騎士の青年―ラウルはベルナデットたちの方を見た。

「ニアさんか! 無事だったんだな…うおっ!」

 ラウルはニアに話し掛けようとするが、その隙を屍兵が見逃すはずがなかった。屍兵の振りかぶった剣を、寸手のところで避ける。

「屍兵の切り札が彼女よ! 彼女なら、屍兵を倒せる!」

 ニアは周囲を警戒しつつラウルに話した。ラウルはベルナデットをじっと見る。

「何だかか弱そうな女の子だが、大丈夫なのか!?」

「何とかやってみます! 屍兵は私に任せて下さい!」

 ベルナデットがニアよりも先に答えた。

「…分かった。オレは周りの奴らを片付ける!」

 ラウルはそう言うと、少しずつ距離を取ったあと、一気に駆けてその場を離れた。ニアはベルナデットに接近する敵兵に気付き、火の弾を撃つ。

「ベルちゃん、任せたわよ!」

「…はい!」

 ベルナデットは駆け出し、ラウルと入れ替わるように屍兵の前に立った。聖剣を構え、屍兵を見据える。

「ウウ…グゥ…」

 兜を被っているため表情などは分からないが、くぐもった低い唸り声が兜から漏れ聞こえてくるのは分かった。ガチャガチャと鎧を鳴らすように揺れ、生気のなさが空気に滲み出ている。一体どうして死者にこんな仕打ちが出来るのか――ベルナデットは理解出来なかった。一度死んではいるものの、生身の人間を今度こそ斬らなければならない。ベルナデットは乱れる呼吸と大きな脈拍を感じながらも、屍兵と対峙する。しかし、屍兵がベルナデットの迷いを感じ取る訳がなく、呻き声を発して間合いを詰めて来た。

「くっ!」

 ベルナデットは聖剣をこれでもか、というほど強く握り締め、聖剣に自分が立ち向かえるように祈った。またしても身体は勝手に動き、屍兵の雑な剣の振りを躱す。屍兵は即座に振り向いて体勢を立て直そうとするが、ベルナデットの方が一手、速い。聖剣は鎧ごと腹部目掛けて叩き斬る――ベルナデットの手と腕には、重くて固い衝撃と、その中に少しだけ柔らかい感触があった。ベルナデットは横目で屍兵を見る。屍兵は文字通り、上半身と下半身が真っ二つになって地面に倒れた。そして次の瞬間には光の粒となり、鎧だけを残して消えてしまった。

「…倒した…?」

 ベルナデットは屍兵が残した鎧の方へ駆け寄る。綺麗な断面で鎧は斬られており、ベルナデットは聖剣を見る。聖剣には屍兵を斬ったあとの血も、刃毀れすらもなかった。ベルナデットは鎧にそっと手を触れる。屍兵にされた人間は、ようやく神々の楽園へと逝けたのだ。ベルナデットは目を閉じて、屍兵を悼んだ。

「屍兵が…倒されたぞ!」

 帝国兵の誰かが叫び、その声で帝国兵たちの動きには隙が生じた。

「ベルナデット…! よくやった…!」

 リシャールは馬上から、今は姿が見えない、戦場のどこかにいるベルナデットに語りかけた。そして帝国兵たちの動揺と同時に感じ取る。

「どうする!? お前達の要でもある屍兵は敗れたぞ! まだ戦うか!?」

 リシャールは全軍に伝わるように声を張り上げ、進退の是非を問うた。まだ攻撃の手を止めない兵士もバラバラにいたが、大体の兵士の動きには迷いがあった。そして、

「帝国軍全兵士、撤退だ!」

 この場の兵士を率いていた男が、そう告げた。帝国兵たちは打って変わって、急ぎ足で砦の前から次々と去って行く。その中には屍兵も混ざっていた。

「殿下、追撃なさいますか?」

 オリヴィエはリシャールに尋ねる。

「いや、それほどの力はこちらにも残っていない」

 リシャールは首を横に振る。そして、

「皆、よく戦ってくれた! この戦い、我らの勝利だ!!」

 味方の兵士たちに、勝利を宣言した。その場でどっ、と勝ち鬨が上がる。ベルナデットは自分たちが勝ったのだ、と安心したからなのか、力が抜けてその場に座り込んでしまった。

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