第2話 彼と夜空の散歩
「今日はこのまま帰るのか?」
私の後ろを左右にフラフラ飛び回りながら着いてきた本物が、そう後頭部に投げかけた。
どうしても寄り道しなきゃいけない日を除いて、私の登下校は常に目的地へ一直線。下手に出歩いて、寒気を感じたらたまらない。
「今日だけじゃない。いつだって真っ直ぐ帰るよ」
周りの人からは見ることのできない死神と会話してるだなんて、知られたら余計に変な目で見られちゃう。
「なんか、嫌なことでもあったのか?」
できる限り唇を動かさない様に話せば、不機嫌に聞こえたのだろうか。死神が私の目の前に回り込んで、私と視線を合わせた。
視線をからみ合わせたって、何も伝わらない。アイコンタクトなんて嘘っぱち。
目の前のイケメンを直視した。ただそれだけのこと。
「別にない。どこまで来るの?」
「んー。どこ行こっかなぁ。なぁ、俺と遊びに行く?」
「はぁ? ほんっとうに暇なんだね!」
呑気な死神の声に、今度は本当に不機嫌になった。
何で私が独りで、いつだって真っ直ぐ帰らなきゃいけないの。
何でこんなのと同じ名前で呼ばれなきゃいけないの。
何で。
なんで。
死神への悪態は、そのうちに泣き言に変わっていって。頭の中で響き渡る自分勝手に考えた想いに、自分自身が苦しくなって。息が詰まって。
目頭を刺す様な痛みと、滲んでいく景色に、自分が今にも泣き出しそうなのがわかる。
こんな奴に涙なんか見せてたまるか! そんな風に自分を奮い立たせようとしても、強い風が遠慮なく涙を揺らす。
「ちょ、ちょっと。泣いてんの? 何で? 俺? 俺のせい?」
私の涙の理由が、心底わからないとでも言いたげに、目の前のイケメンの顔が慌てふためく。その情けない顔に、泣き出しそうな自分が馬鹿らしくなってくる。
「あなたのせいなわけ、ないじゃん!」
こんな奴のせいで泣いたりなんかしない。ましてや泣き顔なんて、見せてたまるか!
「もう、放っておいてよ!」
空を飛んでる死神を振り切って、駅までの道を走った。自分が出せる全速力で走り切れば、いつもよりも一本早い電車に乗れたりして。
息切れしながら駆け込んだ電車に揺られて、自宅の最寄り駅のホームに死神を見たときは、憎しみと絶望が心の中を占めた。
「俺が追いつけないわけないでしょ?」
ニヤニヤと嫌味な笑顔を浮かべた死神の、その頬を殴ってやりたい。
「ね。俺と遊ぼ」
「嫌」
「今からどこ行く?」
「帰る」
「じゃあ、家で遊ぶ?」
「出かける」
「どこ? どこ?」
しつこい死神と、会話だと思いたくないものを繰り広げながら歩き続けて、気がついたら家の前だった。
「もう、家に着いたから」
「じゃあ、その邪魔な鞄置いてこいよ」
「出かけないって言ったじゃん」
「部屋の窓、開けて」
一方的な死神からの言葉。
部屋の窓……開けるわけないじゃん。
自分の部屋で制服を脱いで、おやつにポテトチップを食べて。授業で出された課題を済ませた頃には、日は既に沈んで、月明かりと遠慮がちな星達が夜の訪れを告げていた。
死神……どうしたかな。
窓、開けないと入れないんだっけ?
死神の言葉が気になって、心の中をひっかかってるのは、わずかな罪悪感。
何でそんなもの感じてるのかわからない。
八つ当たりしてしまった心苦しさ。
あんな風に言い合うことのできる相手ができた嬉しさ。
そういったものが絡み合って、つい窓を開けてしまった。
「やっと開いたな」
窓ガラスの向こう、窓枠がまるで絵画の額縁の様に、夜空に浮かぶ死神は息を呑むぐらい綺麗だった。
青空の下では青く輝く髪も、漆黒の翼も、夜の闇に溶け込んで。月明かりで照らされた眼鏡が死神の笑顔を神秘的なものに見せる。
「まだ、いたの?」
「いつ窓が開くかわからなかったからな」
「開けないかもしれなかったのに」
「でも、開けた」
「開いてなくても、入って来れるよね?」
「仕事じゃねぇからな。女の部屋に無断で入ったりしねぇよ」
「死神のくせに」
変なところで紳士的な死神の話に、思わず吹き出しそうになる。
「遊びに、行く?」
「今から?」
「そう。夜空の散歩。いや、散歩じゃねぇな。散……飛行?」
「何それ」
「ほら、俺の手、掴める?」
触れるはずがない。彼が私に触れられない様に、私も彼には触れられない……はずだった。
「何で?! 触れないんじゃないの?」
夜空に浮かぶ彼が、私に差し出した白い手。青白く見えるのは、陽射しがないせい? それとも、彼の正体が死神だから?
「普通はな。ほら、行くぞ」
彼の手を握る様に掴むと、そのまま彼が夜空を駆け出した。窓枠に体をぶつけない様に少しだけ体を縮こませて、彼に引っ張られていく。
「飛行って、こういうこと?!」
「そりゃそうだろ」
体一つで空に浮かんでるのは、恐怖しかない。頼れるものは彼と繋いだ手だけ。これを離されてしまったら、地上まで真っ逆さまだ。
自分のそんな考えに、全身から血の気が引いていく。離されないように、彼の手を握りしめた。
「くっくっ。そんなに強く握らなくても大丈夫だって」
「だって! 笑っていられないよ」
「しゃーねーなぁ。わがままなお姫さんだ」
そう言った彼が、私の腰に腕を回して、体を密着させようとする。まるで体育祭の二人三脚。足と足を同時に動かして、夜空の……散歩だ。
「これでどう?」
二人三脚のせいで、彼の顔は私の目の前。イケメンのどアップに、身体中の熱が顔に上っていく。
私の恥ずかしさなんて気にも止めてない彼は、鼻歌を歌いながら散歩を続ける。
彼の平然とした態度に、夜空を抜ける風に、徐々に顔の熱もおさまって、そのうちに私も散歩を楽しめる余裕が出てきた。
「いつも、こんな風に散歩するの?」
「まさか。こんなことしない。今日は特別」
「何で?」
「ん? 涙、止まった?」
彼の前で悔しくて泣きそうになったことなんて、もう遠い昔の記憶の様だ。
夜空の散歩道。頭上には窓越しに見たよりも一回り大きな月と、照れ臭そうにその存在感を放ち始めた星。足元には、そろりそろりと動く赤いテールランプと、大小様々な窓から漏れる光が煌めいて。
『今日は特別』耳元で落とされたその言葉を、何度も繰り返す。
「私の、ため?」
「さぁ。どうだろうね」
夜空の散歩の最後は、この辺りで一番高いって言われてるビルの屋上。大きなホテルも併設されてるビルの屋上のヘリポート。緊急事態でもなければ誰も来ることのないその場所に、二人きりだ。
「ここから見る景色も素敵」
強い風に煽られる髪の毛を手で押さえつけながら、フェンス越しに見える夜景に胸を躍らせる。
「俺さぁ、嬉しかったんだよね。この世界で、初めて俺を見える人に会えたこと」
夜空に浮かぶネオンサインが眩しいのか、眼鏡の奥の目を細めながら、彼がそう言い出した。
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