第27話
一人残されたエリィは、雷撃でボロボロの服のままへたり込んでいた。最後の自分の番を認めたくないように、じりじりと尻を引きずっと後ずさりしている。カイルの腹から剣を抜くと、思ったほどの血は出なかった。鎧の欠片がそれを防いだのだろう。ゆっくり瞳孔が開いて行くのをじっくりと見ながら、剣の血払いをした。
「安心しろ、エリィ。俺はお前を殺さない」
向けたことのない笑みをにっこりと浮かべると、ヒッとその喉が引き攣って音を立てた。嬉しいんだろうか。自分一人生き残れることが。だが残念、そうじゃない。俺はお前を殺さない。だが――
誰が、お前は生き残ると言った?
「我の血を所望していたのは貴様だったな、魔術師」
ずっしりとした声の竜魔王に話しかけられ、またその細い喉が鳴る。俺と竜魔王、両方を交互に見て、エリィが助けを求めたのは俺の方だった。
「ごめんなさい、ククルス、謝るからぁ!」
「何を謝る? お前だって自分の夢があって、ああしたんだろう?」
「夢は諦める! なんなら冒険者だって辞める! だからククルスの世界に、私も置いてぇ!」
泣きじゃくった顔は化粧が剥がれて惨めだった。ウォータープルーフにしないからだ、未熟者め。おねーさんにあれだけたくさんの化粧品を貰っておきながら、学ぶものは何もなかったんだな、こいつ。ふうっと呆れて聖剣を床に立てる。こつん、と音がした。同時に沸いて来るのは雷竜の子供たちだ。杖を取り上げられた魔術師は、ヒッと三度目の悲鳴を上げて、鼻水を垂らしながら俺を見上げる。
「お前を殺すのは我だ。魔術師。さんざん同胞の血を浴びて来たのだろう? ならその小さな身体一杯分ぐらいの血を寄こしても、良いはずだ」
「いや……いやぁあ……助けて、ククルス、助けて」
「俺の一存ではどうにもならないなあ。竜魔王を説得した方が早いんじゃないか?」
「た、助けて下さい! 何でもします、何でもしますからあ!」
「ならばその血をおくれ、魔術師よ」
何も変わっていないが、正当な問答だとも思う。何でもすると言うなら死ねば良い。それが本当の『何でもする』だろう。
群がって行くドラゴンベビーたちは、かちかち歯を鳴らしている。足に噛み付かれ、ブーツを突き抜ける牙に、エリィは悲鳴を上げた。それを呼び水に、がぶがぶとあちこちが噛まれて行く。二の腕、太もも、脇腹、首筋。やがてその身体が血まみれになった頃、ドラゴンベビーたちはその血まみれの身体を竜魔王に捧げるようにした。いや、いや、とまだ意識が残っているらしいエリィのうわごとに、俺は笑いを浮かべる。
竜魔王はエリィの身体を掲げ持った。
そしてぎゅぅっと、雑巾のように搾る。
ぎゃあああああああああ。
城中に響く悲鳴がして、エリィの血は竜魔王に絞り取られた。文字通り。
それを浴びた竜魔王は、一回り大きくなったようだった。
「さて勇者ククルスよ。お前はどうしたい?」
「世界を半分貰ってシャロンと平和に暮らすよ。勇者なんて柄じゃなかったんだ。俺は」
「確かに我の力を持って己の復讐を遂げるのでは、勇者とは言えんかもしれんな。世界の半分は、約束だ、お前にやろう。だがお前が死んで次の勇者が現れるまでは、また世界は我の支配下になるぞ」
「良いよ、自分の死んだ後の事なんてどうでも良い」
俺はシャロンを抱いて、竜魔王に背を向ける。
「一度死んでるんだ、なおさらにどうでも良い。ただ、俺が死ぬまではあまり荒事を起こしてくれるなよ、竜魔王。たった五十年かそこらだ、約束は守ってくれるんだろうな?」
「元々我がお前の父母を殺したところから、お前の勇者への道は始まっているのだからな。それは受け入れよう。ただ、世界中にいるモンスターは分からないぞ」
「ヤマタノオロチを倒してるんだ、連中だって大人しくなるだろう」
「それもそうか。新しくモンスターの王を決めなければな、五十年後までに」
「ははっそうだな。五十年後までに」
ぽいっと渡されたロンギヌスと魔鉱石の杖をを受け取り、俺はさっさと竜魔王の城を下りて馬車まで戻る。モンスターは一匹も出なかった。竜魔王なりの礼儀なのだろう、俺は馬車の荷台にシャロンを寝かせて、傍らにロンギヌスと杖を置き、軽くなった馬車をぱかぱか走らせる。
ぅん、と途中で声がしたので馬車を止めて荷台を見ると、シャロンが目を覚ました様子でぼーっとしていた。前後の記憶が曖昧になるらしいこの紋章術は、使い勝手が良いのかもな、と思う。はっとしたシャロンは、自分が荷車に居ること、杖とロンギヌスが傍らにある事に困惑していた。俺は精々残念そうな顔を作って、シャロンを見る。どうしたのか分からないとでも言いたそうな顔に、シャロン、と声を掛けた。
「ククルス……? エリィさんとカイルさんは、」
「死んだよ。竜魔王の火球には勝てなかったらしい。最初のそれで瀕死の所を、ドラゴンベビーの群れに囲まれて」
「そんな……私、私がちゃんと防げてればっ」
「シャロンは十分に戦った。それに俺達は竜魔王に勝ったんだ。誇っていい。お前の魔法はいつも適切だった。たまたまそれが通じなかっただけで、お前は何も悪くない」
「そんな……そんなのって……」
ぼろぼろ涙を零して、シャロンは泣きじゃくる。化粧が取れているので、やっぱり俺は自分用の聖水でその顔を拭いてやった。火球が防御魔法を破ろうとしていたところは覚えていたんだろう、あれが直撃していたらやばかったのは確実だ。だが現実はそうじゃなかった。防御魔法は俺達を少し焼くまでにとどめてくれた。
もしかしたら二重、三重掛けにしていたら完全に防げたのかもしれない。でもそれは知れないことだ。吹っ飛ばされて気を失った、それがシャロンの記憶。間違っていない。間違いなんかない。俺はお守り袋に突っ込んでいたパフとモフを出し、シャロンを慰めさせる。それ、とシャロンはお守り袋をぼうっと見る。
「魔鉱石だろ? これのお陰で俺は急所を外れたんだ。そして生き延びることが出来た。お前のお陰だよ、シャロン。二人は助けられなかったけれど、健闘してくれた。だから遺物として杖と槍を持って、帰ろう、城へ。そして聖剣や鎧を返したら、村に帰るんだ。そこでまた牛達と暮らす。それで良いだろう? シャロン」
「でも、私達だけ幸せになるなんてそんなの、」
「良いんだよ。許してくれる。そう言う奴らだったって、覚えてるだろう?」
記憶の捏造で混乱を振り切らせ、頷くしかない状態へと持って行く。よし、と頭をぽんぽん叩いて、俺はその額にキスをした。ぼぼっと赤くなる顔、可愛い従姉妹。お前が無傷で復讐を遂げられたのは、運が良かった。
世界の半分は俺のものになった。それはうちの大陸も入っているから、別大陸で何が起ころうと情報は入って来ないだろう。あの竜魔王のそういう抜け目ないところは信用している。信頼と言っても良いかもしれない。この五年間で。
長かった。あいつらを殺せる日が来るなんて、本当は夢みたいだった。でもサザンが死んだ時から急に現実味を帯びて、俺はワクワクしていたんだ。この日を。待ち焦がれていたんだ、この日を。ぎゅっとシャロンを抱きしめる。ぶるるっと馬が鳴く声がする。
「前に来るか?」
「うん。荷車だと落ち着かない……」
「俺もお前が隣にいないと落ち着かなかったから、丁度良い」
ぼぼぼっと頬を赤くするシャロンである。本当、無事でよかった。お前だけが無事でよかった。サザンもエリィもカイルも、みんないない。みんな殺せた。ちゃんと俺は俺の仇を取ることに成功したんだ。清々しい気分だと言っても良いぐらいだ。
茨道を抜け、街道にもモンスターは出ない。楽々と旅をして、王都に戻ろう。北に寄り道して行った方が一応良いかな。体裁として、サザンの墓参りはした方が良いだろう。あのダンジョンにもいつか次の王が住み着くのだろうか。それとも別のダンジョンになるのだろうか。そもそもダンジョンは、俺の管理する世界で必要とされているのだろうか?
冒険者を育てる場としてはあった方が良いだろうな。ふわ、と胸元が光って、魔鉱石のお守りが俺の願いに頷いたようだった。どうしたの? と隣に座るシャロンに問われるが、俺は何でもないと答える。
なるほど、この魔鉱石を通じて俺は自分の支配領域に干渉できるようだ。精々豊かで、暢気な世界にしたいが、俺の次の勇者の為にダンジョンは残しておこう。モンスターも割合はともかく保っておこう。その方が次の勇者も楽だろう。俺は馬をぴしゃりと叩いて、まずは北へと向かう。
そうだ、あの眼鏡も遺品として持って行くか。割れちゃいるが直せば使えるだろう。それで勇者パーティ全員の遺品が残る。次の勇者には丁度良いだろう。
エリィが絞られた瞬間、聖剣は黒澄んだ色から元の銀色に戻った。これで俺の復讐は誰にも気づかれないだろう。それで良いのだ。今度の俺は殺されなかった。もしかしたら殺される未来がやって来るのかもしれないが、この爽快感だけは本物だから、構わない。シャロンも無事だった。それだけでも十分だ。俺は、もう、悪夢を見ることも幻肢痛に悩まされることも無いのだろう。それは喜ばしい。
「サザンの墓に寄って行こう、シャロン」
「うん。報告、しないとね」
「ああ。俺達だけでも生き延びられたってな」
「……エリィさん、カイルさん」
「そう言えばエリィが言ってたが、お前はカイルのことが好きだったのか? シャロン。カイルはお前に好意を持っていたようだが」
「そんなのないよ! 私はククルスがいれば良い! ククルスが……ククルスだけでも、死なないでくれて、良かった……」
泣き出す背中を撫でる。お互い思っていることは同じか。従姉妹だもんな。みっちり修行した仲間だもんな。
俺もお前だけで良いよ。こんな清々しい気分は五年ぶりだ。だからもう、十分だ。
あと五十年ぐらいは、平和に暮らそうな。シャロン。
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