第12話 大魔導師の弟子1 旅


 あれから数日、後。

 けっきょくオスカーはギデオンの旅に同行するしかなかった。

 ラナや父親の姿を悪開閉の世界で目にした時から、それは決まってしまっていた。

 故郷を失い、頼ることのできる人間なんて誰一人として、存在しないオスカーには、あの世界に縋りつくためにギデオンの背中を追いかけ続けるしかない。

 ラナたちを見捨てることなんて考えられるわけがなかった。

 開閉について、もっと詳しく知る必要があった。


 青い月が浮かんでいる。

 地上では草原が月へと向かって伸び悩んでいた。

 ギデオンとオスカーはたき火を囲んでいた。

 音を立てて、燃えるたき火の炎。

 オスカーは時の流れがゆったりとなったように錯覚していた。

 ギデオンが語っている。


「何千年も前、お前も私も目にしたことが無い遥か昔の歴史の中に魔物が現れ出した時代があった」


 オスカーはラナが話してくれた物語の中でそれに該当する話があったのを思い出していた。

 教会の神父が村で語った教えの内容をラナがオスカーにそのまま伝えてくれたのである。

 ギデオンの語り声に耳を傾けながらも、ラナとの想い出の記憶からラカリズ村の惨劇を連想しあんなことになってからもう数日か、とオスカーは遠い目をする。


「――大魔法文明。その時代で暮らしていた当時の人類は多くのものを魔法で創り出せたとされている」


 ため息を吐くオスカー。


「栄華にあったその時代の終わりは魔物の誕生と共に始まった。今では彼らの築いた技術や歴史のほとんどは消え去り、現在の人間にわかるのは魔法があったこと、悪魔力が存在したこと、かつての人間達が築いた……現在では遺跡と呼ばれるようになった痕跡の数々、文字や言葉、地下迷宮――」


 ギデオンの話す内容は、オスカーはすでに知っていた。

 全てラナが教えてくれたことだった。

 嬉しそうに知識をひけらかすラナの面が脳裏に思い浮かんでは消え去っていく。

 もっとちゃんと聞いておくべきだった。


「悪の開閉世界」


 とギデオンは言った。


「あの世界もまた大魔法時代に生まれ出たものだ」


 夜空から視線を下ろし、オスカーは無言で、続く言葉を待った。


「悪開閉の世界に現れる……魔物の被害に遭った犠牲者達の魂。その姿が写す彼らの身に付けている衣服などから推測できる時代背景などからそう考えられてきた」


 ギデオンは言った。


「悪開閉の世界に流れる悪魔力を生み出すあの亀裂が一体何なのかを知る者は未だ存在せぬ。犠牲者の魂が発する不魔力と、あの世界に漏れ出す悪魔力が結合し、我々の世界に魔物となって……生み落とされ続けていることだけが、あの世界について判明している事実だ」


 青い月に照らし出された草原が風に揺れていた。


「遥か昔、大魔法時代にそうして誕生した魔物たちは今ではお前も知る一般的な魔物として、この世界に根付いてしまった。繁殖機能を有す彼らは、自らの生息域を世界各地に築き上げ、ダンジョンや悪魔力領域といった形でその地を支配している」


 たき火の炎が空へ昇ろうとしている。


「世界の混乱を避けるため、悪開閉の世界の真実については秘匿され続けている。お前が知っていたおとぎ話の、魔物があふれる世界という誤認情報は意図的に流された嘘に過ぎぬ。あの世界の真実を口外すれば、世界の実質的支配者シヒツノ利郷に睨まれ、狙われることになるだろう」


「シヒツノ利郷……」


 その組織の名前は、オスカーも知っていた。

 シヒツノ利郷。

 女神シヒツノに利する郷だ。利郷にはシヒツノ教会なども属している。


 ギデオンは言葉を続ける。


「星の寿命そのものであるシヒツノ樹。その巨大樹の延命のために純魔力が必要なことは知っているな? 大魔法時代に発生したとされる悪魔力はこの世界の純魔力を汚染し続けている。シヒツノ樹の延命とはすなわち……悪魔力に汚染された純魔力を回収しシヒツノ樹に与えることだ。そのためにシヒツノ利郷は森や海、鉱山など世界のあらゆる場所で生み出される魔力の塊――魔石を古くから回収し続けている」


 オスカーはギデオンの顔をじっと見つめた。


「悪魔力から生み出された存在である魔物もまた、その体内に魔石を秘めた生物だ。シヒツノ利郷は魔物から魔石を回収するために解放人ギルドや全魔法里(ぜんまほうり)といった組織を各国と協力し創設、または下部組織とし取り込み、日々魔物の討伐を行っている」


 記憶を探るようにオスカーは瞼を閉じた。

 解放人だったオスカーの父も魔物を討伐した際、魔物の体内から獲れる魔石……それも良質な物が獲れた日にはすごく喜んでいた。

 そういった時は、食事が少しだけ豪華になった。


「魔石が内包する純魔力はそれ自体が、価値を持ち、シヒツノ利郷が各国と協力し流通させている国家紙幣にも、魔石が価値を付与している。シヒツノ利郷は国家から寄された大量の魔石をシヒツノ樹に与え、様々な奇跡を女神の代理で起こし、悪魔力に汚染された土地の浄化や、食料そのものを創造し、世界を安寧へと導こうとしている。彼らが創る特殊な紙幣は我々に神の存在を身近なものへと昇華させ、不安定な世界は、女神シヒツノにより一つに繋がっている」


 オスカーは尋ねた。


「要は利郷に逆らわず悪開閉の世界について口外すんなってことが言いたいわけだろ――じゃなくてですよね? し、師匠?」


 慣れない口調だった。


 ギデオンは肯定した。


「だが所詮……開閉魔導師がそのことを他言したところで大した意味を持つことはない」


「アンタでもですか?」


 ギデオンは誇らしげに頷いた。


「お前と私では生きてきた年月が違う。お前が生まれる以前から私は世界に対して様々な功績をもたらしてきた。そんな数々の成果を挙げてきたこの私が、悪開閉の世界について世界に訴えたところで、世の人間達に正しく伝わることはないだろう。あの世界を自身の眼で見た者にしか、正しく世界の悲劇を理解することは出来ぬ」


 たき火が、音を立て燃えていた。


「……魔物の恐ろしさをしんに知る者は我々開閉魔導師の他に存在せぬのだ」


 ギデオンの話はそれで終わりだった。

 夜闇に呑まれた空は、オスカーがラカリズ村でいつも見上げていた空とさほど変わりはない。

 だがその景色を見て少しだけの差異を自覚した時、自分が広大な世界に身を投じたのだとオスカーはようやく理解した。


 寝床につくと、苦痛に満ちた表情を浮かべるラナの姿が思い浮かんできた。

 何年もかけてオスカーが記憶してきた彼女の笑顔よりも、あの世界で目にした彼女の姿の方が自然と脳裏に湧いて出てくるのだ。

 悪開閉の世界に囚われた死者の魂は、過去の大切な記憶を苦痛に染め上げられる。

 しかしそれはたった一人生き残ったオスカーの想い出にも浸食してきていた。


 オスカーは必死に本当のラナの姿を思い浮かべようとする。

 そうしているうちに深い眠りの中に意識が沈み込んだ。

 慣れない旅の足取りは確実にオスカーの肉体に疲労を蓄積していた。


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