第10話 ラカリズ村10 現実
オスカーはその場に佇んでいた。
辺りは真っ暗闇に包まれている。
ラカリズ森の中だ。
悪開閉の門は目前から消失していた。
「ってえ!?」
オスカーは身を焦がすような痛みを感じ、地面に倒れ込んだ。
「くあっ! いッ!?」
ひたすら、のた打ち回る。
そうしていると次第に痛みは消え去っていった。
オスカーは息を乱しながら立ち上がる。
己の身体を見渡す。
森の音が、耳穴に入り込んでくる。
オスカーは悪開閉の世界から、元の世界へと無事に戻ってこれたことを理解した。
涙も出てこない。
「……そう、だ……ラナは!?」
オスカーは駆け出した。
しかし痛みや疲労感によってすでに限界にあった肉体は安定感がなくなっていた。
ゆったりとした足取りになった。
長い時間をかけて森の外に辿り着くと、そこには炎が鎮火し黒焦げとなったラカリズ村の景色が青い満月の下に映し出されていた。
よろめく体に鞭を打ち、進んでいく。
たくさんの人間の最期の姿が残されていた。
家屋の残骸が散らばっていた。
誰が、どこで、どのように、亡くなったのか。
その光景がオスカーの脳裏にかみ合う部分があった。
だが全ての死の原因は分からなかった。
しかし心底嫌いだった彼らにも日常があったことを、オスカーはあの世界ですでに目撃してしまっていた。
だからこそやるせない顔で歩んで行く。
グランツ叔父の家がどこにあるのか分からなかった。
知ったる村の景色は最早、オスカーの知る村の姿からはかけ離れていた。
無数に転がっている遺体に導かれるようにしてオスカーは先ほど魔物に襲われそうになった場所へとたどり着いた。
不自然なことに炎がこの場所だけに残っている。
ギデオンはこの場に立ち尽くしていた。
魔物の死骸も、辺り一面に飛び散っている。
その中でも一番の巨躯。
ドラゴンの死骸の近くにラナの遺体が横たわっていた。
オスカーは走り寄った。
そしてその死に顔を覗き込む。
「ラナっ!」
「よくぞ、無事に開閉の旅を終えた」
と声がかかった。
「……なにも……よくねえよ……」
オスカーは振り返りもしなかった。
「気に病む必要はない。この娘には己の身を守る力がなかった。その他の者もしかり」
オスカーは苛立った顔で、振り返った。
姿を見せたギデオンは淡々としていた。
オスカーは立ち上がって訊ねた。
「…………誰一人、生き残っていなかったのかよ?」
ギデオンは正面を見つめてきた。
「お前がいる」
「……俺が生き残ったところで、ラナがいなけりゃなんの意味があんだ……ッ?」
オスカーは、その場に両足から崩れ落ちた。
燃える家屋の残骸から火の粉が飛び散って、夜空へ消える。
青い月光が、火の灯った場所以外の、景色を薄青く染めていた。
顔を怒りに染めてオスカーは怒鳴った。
「…………なあ、あの悪開閉の世界っていったいなんなんだよ!? おとぎ話の中じゃ、魔物が住む世界って話じゃなかったのかよ!? なんでラナや、村の連中の姿があんなところにあんだよ!」
「お前はあの世界で何を目にした?」
「死んだ奴らが沢山見えた! ラナや、村の奴ら……俺の知らねえ奴らもだ! 何度も何度も、数えきれねえぐらい目の前で死んでいきやがったッ!」
「それこそが悪開閉の世界だ」
「分けわかんねえつってんだろうがッ!」
「……あの世界が魔物に殺された死者の魂が行きつく世界だと言えば理解は出来るはずだ」
ギデオンは言葉を続けた。
「お前も見た数々の死にゆく者たちの姿。彼らは魔物に殺害される直前に起きた己の死の出来事や、自身が大切に抱えてきた日常の記憶をあの世界で繰り返し行っている。そうすることで死者の魂は強い負の魔力を生み出し続ける。そうして悪開閉の世界にある亀裂から漏れ出す悪魔力と、不魔力は結合し、我々の世界に魔物となって生れ落ちてゆくのだ」
オスカーは全身を震わせた。
「あれが日常の光景だって? 違う! あんな顔をした親父やラナの姿を、俺は今まで一度も見たことがないッ!」
「幸せという感情は、不魔力を誕生させるには邪魔な要素だ。ゆえに本来ならあったはずの幸福な記憶すらも、あの世界は偽りの絶望で上塗っていく。悪開閉に閉じ込められた死者の魂は陰に染まり不魔力を吐き出す傀儡となり果てる」
オスカーは血走った眼で睨んだ。
「ふざけんな! なんでラナや親父があんな目に合わされなきゃならねえんだよッ!」
声にならぬ声で怒鳴る。
その激情に、だがしかしギデオンは一切、心が動いた素振りをみせなかった。
「お前が軟弱者ゆえ……あの娘は死ぬことになったのだ」
と追い打ちをかけた。
「――は? ……ふざけんじゃねえェッぞてめえッ! 俺がなにしたっていうんだよ!? それならあんただってもっと早く来てくれてりゃあよかったじゃねえかッ!」
無我夢中でギデオンの衣服を掴んだオスカーは金切り声を上げる。
「大魔導師と呼ばれようと、私もただの人間だ。全てを救えるわけではない」
見下ろしてくるギデオンの顔は、火と夜の色を映していた。
ギデオンは諭すように言葉を投げかけた。
「お前は他者の責を問えるほど、その手で一体何を救えたというのだ?」
炎がゆらゆらと空へ向かって燃え上がっていた。
「少なくとも私は一人の人間を救い出すことができた。オスカー・エメラルデという少年は、私がいたことで今を生き延びられた」
語り聞かせるようにギデオンは言葉を並べ立てていく。
「理解しているはずだ。本来であれば……悪開閉の世界でお前が見た悲劇の数々。その中にはお前自身の命も含まれているはずだった」
ギデオンは断言した。
「オスカー・エメラルデ。お前が強く優秀だったなら、この村を襲った悲劇ははなから起こらずに済んでいた。なぜならお前が森の中で目にしたという女。目前に広がるこの悲劇はその者が作り出した光景だからだ」
オスカーは呼吸を荒げていた。
「お前次第ではラナという娘は死なず、村の人間たちも明日へ命を繋ぐことができていた」
ギデオンはかがみ込み、オスカーに目線を合わせた。
「他責を行い、無力を悔いる暇があるならば、これからの私の旅に同行するがよい。今日のような悲劇を起こさぬ力をお前に私が与えてやる」
オスカーは言われている言葉の意味が理解できなかった。
困惑したように見つめ返した。
「……力だって? いきなりなにを言ってやがる……? なんで俺があんたについて行かなきゃならない? 俺が助けたかったのはラナなんだよ! そのラナがこうなった以上、悲劇を起こさない力なんてッ、どうだっていいんだよッ……!」
「お前はあの世界でラナという娘の姿を目にしたのだろう?」
「……だったら、なんだ……?」
「理解が及ばぬようだな? お前が大切に想っていたラナという娘の魂は、お前が目にしたであろうあの世界の中で、今後も永久にさ迷い続けることになったのだ、と」
オスカーの表情が強張った。
「――あ、あんな世界に……ラナがずっと……?」
「悪開閉の世界に囚われた者の魂を救い出せる可能性、それは開閉魔導師が開閉の旅を成功させ続けるほかには存在せぬ」
オスカーはその場に座り込んだ。
頭を抱え込む。
「…………どういうことだよ? ラナがなんで……」
「オスカー・エメラルデ……。私もお前と同じ開閉魔導師だ」
ギデオンはそう言葉を発した。
オスカーは顔を上げた。
「……あんたも、だと? ……………だったら、なんで俺があの世界に入る必要があった?」
火の粉が飛び交っている。
「お前が見た女を追って、私はこの村を訪れた。そんな私にお前は悪開閉の門から漏れ出す声を己の耳で拾ったとそう告げてきた。あの瞬間から、私の中でラカリズ村でやるべきことは本来の目的を超えてたった一つの事柄に定まった」
ギデオンの表情が一変する。
狂気に染まったような笑顔だ。
「オスカー・エメラルデという少年を、開閉の大魔導師……ギデオン・アルヴァーウルスの後継者として弟子にすることだ。そのための試しをすぐに行わなければならぬ」
ギデオンは歯をむき出しにした。
「そして見事お前は開閉の旅を成功させ、私の元まで戻って来た」
片手を差し出してくる。
「合格だ。今すぐにお前を私の弟子にしてやろう」
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