終わりなき開閉の旅 大魔導師の弟子 勇者と魔王

森山休郎蔵

一章 終わりなき開閉の旅

第1話 オスカー・エメラルデの日記


 利郷歴りきょうれき1035年。

 シフルディア王国。

 3月、前半週11日。


 シフルディアの長い冬が終わり、ようやく春を迎え始めた今日この頃。

 肌寒さを感じさせる凍えた空気こそ未だに残留しているもの、この街の植物は俺などよりよほど早くから冬の終わり支度を進めていたらしい。

 今はもうシフルディア桜花おうかの満開で色鮮やかな景色が窓越しに見て取れている。

 便たよりを手にして駆け走った宅配ギルドの少年が、いつものように花の舞の下を潜り、このクランハウスを訪れていた。

 そうやって騒動しくも彼が仕事として運んできた山ほどの手紙のうちの数通が、実をいうと一日遅れで昨日あった日常をこの日記に書き留める前に、俺の手元まですでに渡って来ている。

 その手紙の束の中には、俺個人へ充てた一通の仕事のたっしが混ざってあった。

 全魔法里ぜんまほうりからのものだ。中身には、魔人討伐の任に加わるよう手短にそのむねが述べられてある。

 本音を吐けば、この命を受けて真っ先に思い至ったことは、今度ばかりは生きて戻れないかもしれない、その一点に尽きる。

 魔人という分類で数えられるようになった元人間たち、奴らは人知を超えた実力者揃いであり、血も涙もない殺戮者ばかりなのは誰もが知るところにある。

 今回の任、厳しい戦いになることはこの日記に筆を走らせている現時点であっても想像に難しくはない。

 身震いすら湧き立っていることが、文字にすら残ってしまっている有様だ。

 しかし、だ。俺の生きている道と、あれら魔人や怪物、英雄や勇者といった己よりも遥かに優れた才を有す奴らが歩む道がなぜこうも交差してしまうのか。

 考えてみれば、考えてみるほど、切っ掛けは、あの傷痕を持つ者たちがいつも運んできていたように思う。


 今では悪魔の誘いや魔王の呪いとも呼ばれるようになった傷跡。

 その傷痕を初めてこの目にした時、俺はまだ幼かったはずだ。

 当時の俺が暮らしていた小さな村ラカリズ、そこへ現れたのは見たこともない銀色の傷痕を持つ女だった。

 そしてその女を追ってやってきた大魔導師ギデオンとの出会いもまた俺の運命をいちじるしく変える出来事であったことだろう。

 その頃の俺は、厄災のまくを発端する魔物化病まものかびょう発症者の女が生んだ忘れ形見として故郷の村人たちから忌み嫌われていた。

 だからか当時の俺は未来への希望を感じることが極端に少なかったはずだ。

 だがそんな中でも淡い恋情を抱く余裕はあった。

 常日頃から幼馴染の少女のことを目で追いかけていた。

 もはや、あの日々が遥か遠い過去の話なのだ。いつしか俺の中で彼女の存在は、小さく薄らいでいってしまっている。

 

 これが、年を取るということなのだろう。

 血に染まったラカリズを出たあの瞬間から、今日に至るまでどれだけの時間を懸命に生きようとも彼女が浮かべる新しい笑顔を目にすることはできなくなった。

 当然の話だ。

 死者が笑うことがどれだけ珍しいことなのかを俺は普通の人間より理解してしまった。

 憎悪と戸惑い、無力さを噛みしめて、訳もわからぬ感情のまま、ただ目の前を見つめることしかできなくなっていた当時の俺は、その頃まだ思い浮かべられていた彼女の笑顔の鮮明さが、なによりも尊く、特別なものなものだと理解することが難しかったのだ。

 今日こんにちではどうやって彼女が微笑みを浮かべていたのか、おぼろげに残る過去の記憶の中に探しに向かわなければならなくなる始末である。

 

 ラカリズ村を出た後の俺は、新しい友人に恵まれ、新しい恋にも落ちた。仲間だってできた。そして、こんな俺のことを兄だと呼ぶ奴すら現れた。

 全ては終わりなき開閉の旅の道中での出来事だ。


 今日きょうまで自分が救えなかったもの、救えたもの、それらは一体どれくらいの数量となっただろうか。

 しかしすぐに答えも出た。

 その天秤の傾きから得られる答えには何一つの価値もない。

 

 日記を書き残すためにわざわざと筆を手に取り、我ながららしくもない、感情を残してしまったようだ。

 だがわざわざ一度書き上げた文字を消しさることも、なにか違う気がしている。

 そもそも日記を付け始めたのも、過去の己が見た景色を忘れないためにと手段を探してみたゆえの結果なのだ。

 ただし、どうしても気に入らなければ、任地先の宿で破り捨てるのも俺の自由だ。

 けっきょくのところ、もう一度、日記を書き直すのが面倒なだけなのかもしれない。

 これから俺は魔人を殺しに行く。

 


 解放人かいほうにんクラン『魔力蛍の灯火』二代目クランマスター、オスカー・エメラルデの日記より。


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