血と涙とほんの少し恋の味のする手紙

木谷未彩

第1話

彼氏が自殺した。

なんの予兆もなかった。

いや。常にあったのかもしれない。

彼はとても変な人だったから。




彼が死んだ、次の日の朝。

ピンポーンとチャイムが鳴った。

手元のスマホで時間を確認すると、朝の8時20分だった。

早すぎるだろう。

今日は仕事が休みだから、一日中寝ていようと思っていたのに。

起きていると彼のことを考えそうだから。


私の家に来る人間など彼しかいない。

いや。正確にはもう彼もいない。

なら宅配だろうか。

何かを頼んだ覚えはないけれど。


玄関に行き、ドアスコープを覗くとポストマンが立っていた。

ドアノブを持った瞬間、宅配を装った強盗のニュースが頭をよぎる。

どうしよう。何かを頼んだ覚えがないなら出ない方がいいかな。


まあ、いいか。

死んだら死んだで。

どうせ人間いつか死ぬ。彼みたいに。

それに私の死を悲しんでくれる人なんていない。

……貴方なら悲しんでくれたのかしら。


ドアを開けると「郵便です。こちらにサインをお願いします」と言われた。

サインすると、荷物を渡し「ありがとうございました」と言ってさっさと帰っていった。


リビングまで移動し、届いた物を見ると普通の封筒だった。

青い封筒に白い鳥が小さく書かれていて可愛らしい。

私好みのデザインだ。


宛名は機械で印刷したシールを貼っているようだ。

こういう物を見ると無機質でどこか気持ち悪く感じる。

宛名の隣には午前に指定されたラベルが貼られていた。

手紙をわざわざ時間指定するなんて変な人間もいるものだ。

まさか彼が。

いやいや。そんなはずない。

彼は手紙を書くような趣がある人間じゃないし。自殺する翌日に届くよう彼女に手紙を送るほど性根の腐った人間じゃない。

そんなことをするくらいなら前もって何か話してくれただろう。

違う。違う。絶対に違う。

そう思っても、私の手は幽霊でも見たのかというほど震えていた。


一体誰から。

裏面を見てみると、結城 陽(ゆうきはる)

彼の名前が書かれていた。

誰かの悪戯だ。そう思いたかったけど間違いなく彼の筆跡だった。

私の宛名は機械なのに。こっちは手書きなのね。

だからなんだ。と言われたらそれまでだが私は怒りに駆られて仕方がなかった。



このまま捨ててしまおうか。

どうせろくなことが書かれていないだろう。

でも死んだ人間のおそらく最後の手紙を捨てるのは人として駄目だろう。

そんなことをしたら彼みたいになってしまう。

私は彼が好きだけど。彼みたいになりたい訳じゃない。


封を開けると四つ折りで何の変哲もない真っ白な紙が入っていた。

彼は数字の中で四が一番好きだった。

『死を連想させるからね』なんて馬鹿みたいなこと言って。

でも無駄に良い顔のせいか。彼が纏う独特な雰囲気のせいか。

そんな馬鹿みたいなことでも、彼が言うとかっこよく聞こえた。そんな私も馬鹿な女だ。


今までありがとうとか。なにも言わずに死んでごめんねとか。さよならとか。そんなことが書かれているのだろうか。

そんなの死んでから伝えられてもなんの意味もないのに。

そんなことを思いながら、手紙を開くと『こっちへおいで』とただそれだけ書かれていた。


「………………なによ。これ」

裏面も封筒の中も何度も何度も見たけれど。それしか書いていなかった。

「あはははははははははは」

思わず笑ってしまった。

彼はどこまで私を傷つけたら、気が済むんだろう。

後追いでもしろと言うのか。

そんなことをする勇気があるのなら、昨日のうちに死んでる。

そんなこと貴方だって知ってるくせに。


ダメ元でブラックライトを当てたり、炙り出したりしたけれど、一文字も浮かんではくれなかった。

最後の最後くらい好きとか言えないのか。嘘でもいいから。

そんな言葉あったってより虚しくなるだけ。

分かっていても欲さずにいられなかった。


全部、全部、嘘だったらいいのに。

貴方が自殺したこともこんなバカみたいな手紙も。貴方に恋をしていたことも。

全部、全部、嘘ならいいのに。


もういいや。寝よう。

寝てる間だけは彼を忘れられる。

私はベッドに潜り目を閉じた。

このまま目が覚めなければいいのに。

そんなことを本気で思うくらいには、私はまだ貴方の隣にいたい。




目が覚めると夜の8時だった。

彼を忘れるために寝たのに。ずっと彼の夢を見ていた。

それも楽しい夢ばかり。彼と私に楽しい思い出なんてほとんどないのに。

悪夢でも見た方がよっぽどましだ。


お腹が空いた。でも食欲が湧かない。

食べたら吐きそうだ。

そういえば人間って何日食べなかったら死ぬんだっけ。

気になったからネットで調べてみた。

水を飲んだ状態なら、30〜40日。

飲まない状態なら、4〜5日で死ぬらしい。


試してみようか。

一瞬そう思ったけれどやめた。

脱水死も餓死も死ぬほど苦しそうだ。

どうせ死ぬなら彼みたいに首を吊りたい。

でも首を吊ると舌が飛び出してよだれが流れ、顔は鬱血して紫色になり、目玉が飛び出すんだっけ。

それは嫌だな。

彼もそうなったのだろうか。

そんな姿を見ていたらちゃんと嫌いになれたかもしれない。


水をコップ一杯分、飲んだ。

これであと最低4日、生きないといけない。



なにかしよう。そう思った私の目に、ラジオが映った。

ラジオなんて滅多に聞かないけど、たまにはいいか。

適当にチャンネルを変えると、好きな芸人の声が聞こえてきた。

これでも聞こう。笑えばこの言いようのない感情も少しはましになるだろう。

思った通りラジオを聞き笑っている間は彼のことを忘れられた。

あー、面白かった。ラジオも悪くないな。


そういえば、どうしてラジオを聞かない私の部屋にラジオがあるんだっけ。

少し考えたら思い出した。思い出してしまった。

あー、最悪だ。考えるんじゃなかった。

忘れたままなら楽しい気分で眠れたのに。



彼がくれたんだ。付き合って最初の私の誕生日に。

ラジオが好きなんて、一度も言ったことなかったのに。

「ラジオ好きだもんね?」

なんて優しい顔して言うから。

「……うん。ありがとう」

って言うしかなかった。

多分上手く笑えてなかっただろうな。

今思えば私が困るのを分かってて、わざとプレゼントしたんだろう。

本当にいい趣味してる。


また寝るか。明日は仕事があるし。

貴方の夢を見ませんように。

そう願ったけど、また貴方と楽しく過ごす夢を見てしまった。



貴方が死んでも仕事はできた。

仕事も手につかないくらい悲しめたら、死ぬ勇気も湧いたのかしら。




付き合い始めの頃

貴方の言うことが何でも正しいような気がした。

貴方にはそう思わすだけの言葉に出来ない力があった。

ワンピースを着たり、遊園地でキャラクターのカチューシャをつけたり。

勇気が出なくてしたくても出来ないことを貴方が『かわいい』と言うだけで出来たんだから、貴方は凄い人だ。


付き合って一年くらい経った時。

「死ぬなら一人は嫌だな。その時は心中でもしてくれる?」

なんてよくわからないことを言われた。

「……自殺でもするつもり?」

「今のところその予定はないよ。でもこういうことは前もって許可を取っておかないと。ある日突然心中してなんて言われても困るでしょ?」

「現在進行形で困っているんだけど?」

「あはは。……それで答えは?」

「……気が乗ればしてあげる」

「冷たいなー」

喜んで心中する。とでも言って欲しかったのだろうか。

そう言っていたら、貴方は私を連れてってくれたのだろうか。



貴方は全く歌わないくせに、カラオケに行くのが好きだった。

私が世間で流行ってる曲を歌っても、興味無さそうにスマホをいじっていた。

死にたいとか。消えたいとか。そんな歌詞の曲を歌うとスマホから目を離して、私だけを見てくれた。

恥ずかしかったけど嬉しかった。

「上手だね」

そういう曲を歌う時だけ褒めてくれた。


貴方と付き合って何年も経っていた。

年数的にも。年齢的にも。結婚を考える時期だっただろう。

私だって考えていた。

古臭い考えだろうけど、貴方と同じお墓に入りたかった。もう入れないけど。


貴方の隣に居るだけで幸せだった。

貴方が死ぬ前に気づいていたら、もっと伝える言葉も、あったのかもしれない。



ねえ『こっちへおいで』なんて手紙を残すくらいなら、死ぬ前に『心中して』って言ってよ。

それなら私嫌そうにしながらも、一緒に死んだわよ。


笑顔じゃないと連れてってくれないなら、ちゃんと笑って死んだわよ。


男なんだから貴方が迎えに来てよ。

なんのために女に生まれたのかわからなくなるじゃない。

悪霊でもいいから。幽婚でもなんでもしてあげるから。



ねえ。だから早く迎えに来てよ。

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血と涙とほんの少し恋の味のする手紙 木谷未彩 @misar

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