第31話 五人の行方
音が遅れて聞こえるぐらいの速さで振り払われた手を涙目で撫でている船長へ、完璧な配分のミルクティーを作り上げて満足気なアルジャーノンが尋ねる。
「博士はもう手遅れだったという事ですか?」
「博士だったものになっていたという事だ。棺の中には湿った痕跡だけがあったが、写真のようなその生物本体はどこにも見当たらなかった。夜も更けた頃だ、蓋を開けた拍子に本体が闇に紛れて消えてしまっていたらお手上げだが、私としては葬儀の時点ですでに遺体という抜け殻から脱出した跡だとみている」
マグカップを持ったまま窓辺に立つ探偵が言った。
「はぁ……魔法だの超常現象はばかばかしいと思う性質だがね、実際にこうしてあるんだから仕方がない。さて、城の暗部を見つけ出すという貴殿の依頼は完了した。私達が協力できるのはここまでになる」
「充分だよ。本当にありがとな。ここからは彼に頑張ってもらうわけだし。な? そうだろ?」
「まだ何も言ってないだろ……」
溜息をついて、顔を覆っていたディランはそのまま諦めたように深くもたれかかり、ソファがきしむ音を立てた。
「リバーサイド河口で複数の目撃情報……今一番気になるのはそこだが、他にも水の国が危険だし大元の実験室を潰す必要があるし巫女には今連絡が取れないし……」
「って事はあんたやっぱり所属は僧兵か何かか? 服装が似てるもんな」
「この人御庭番衆頭領ですよ」
「はぁ⁉ 城の暗部って国の双剣クラスが動いてんのか⁉ 要人を守るのが仕事なんじゃないのかよ⁉」
「その隣にいるのが次期国王となるレオフリック王子なんですよ」
アルジャーノンの言葉にそういやそうなんだったと口を押えて冷や汗をかいている船長に、片手で額を押さえつつも机上の日記を手早くめくりながらディランは告げた。
「うるさいな。とにかくこの件は俺が片付ける。クラゲモドキが今何匹に増えてるか知らんが、必ず見つけ出して根絶やしにしなきゃならない」
「引き受けてくれるのか!」
「詳細を教えろ。お前の知ってる事全てだ」
喜色満面に握手を求めたものの、跳ね返ってきた凄みのある声に一転し縮こまって怯えつつ、改めて日記の一冊を手に取ると机の上で見開き、船長は一文を示した。
「ここを見てくれ」
水槽の掃除をしようと蓋を開けた途端、また飛び出した。海水を噴射する気功は見当たらないのに私に向かってその生き物は一直線に飛び、シャツを捲くっていた私の左腕にへばりついた。一瞬火傷のような痛みが走り、慌てて引き剥がしたがその際マダニの様に口器のような何かが千切れて透明な塊が皮膚内に残った。
ピンセットで除去しようとしたが傷口に埋没した上異様に硬くて取れず、病院に向かう。もしかすると毒があるかもしれない。
診察の結果、幸い皮膚を切除するまでには至らなかった。謎の口器は除去後すぐ溶けてなくなり、回収不可能。化膿止めを処方され、帰宅後、念のため体温を測ったが平熱。
なんだか体がだるくて起き上がれない。口器かと思っていたが、刺胞のようなものかもしれない。毒か、感染症か。震えや痺れはない。念のため友人にこの経緯の手紙を書いておく。
熱が出た
「うーん。しっかり噛まれていますね」
「しっかり噛まれたか、しっかり刺されたか、後述されているが繁殖行為として細胞を移植されたかだ。この後から急に博士の文章がおかしくなってな。何かを懸命に書き記そうとしているんだが、次第に要領を得なくなる」
それ以降のページをめくられると確かに何らかの記述をしているが、文字が崩壊しほとんど読めなくなっている。船長は数ページ先で、何度も繰り返し記述されている文章を更に指さした。
——私 わたし? の中に、誰か がいる
「後はこれが延々と続いていた」
「……一度、リバーサイド河口付近を確認してもいいか。実は協力者の一人から、同じ生物の目撃情報があるんだ。その周辺に巣があるのかもしれない」
不安の色を隠せてないままディランが尋ねる。そうなのか、と驚いた顔をした船長は、リュックから島国ミラの地図を広げて取り出した。
「リバーサイドと博士の家は近い。ヴィクターは朝の散歩がてら生態採取に向かっていたからな。徒歩二十分くらいだ。どのみち向かう先は同じだよ」
「河口の巣を除去してから館で実験室を探すことになるだろう。恐らくだが、お前たちがそれほど探して見つからないのであれば何らかの方法で隠されている実験室に比べて、今も発生し続けている河口の方が緊急度が高い」
そう言いつつ今にも飛び出していきそうなディランを制止し、アルジャーノンが先ほどから気になっていたんですが、とホームズの方を見た。
「五人の娘の件なんですけど、彼女達もこの怪物に刺されたということですか?」
「そうなるな。現場で消えた痕跡が博士の棺の跡と同じだった」
ホームズはそう言うと、何に使うかわからない物がごちゃごちゃ置いてある書斎机に置いてあった黄色いファイルをテーブルの上に差し出す。
「ウィリアム、クラーヴァル、エリザベス、ジュスティーヌ、そしてフルール嬢。彼女達の共通点は年頃の娘たちであり学生として博士の葬儀に行った事だが、その際に遺体から寄生された可能性があるね」
「でもそれなら参列者全員が寄生されてしまうんじゃ」
「たぶん最初に男性のヒトゲノムを吸収、学習したことにより、若い娘に株を植え付けるようになったんだ。そしてこの怪物には弱点があり、太陽光……つまり強力な紫外線を長時間浴び続けると自壊する特性があってな。だから本人の動きを模倣して外出したものの、長時間の暴露に耐え切れなくなって細胞が崩壊したんじゃないかと俺は推測している」
「自壊した? なら、派生した五つ分の怪物はすでに消滅してるんですか」
「そのはずだ。そうだといいんだけど、そうじゃないなら今も誰かのフリをした誰でもない怪物が増殖してはこの街を歩き回ってるということになる」
残るはオリジナルのみだといいんだけどな、とお手上げのジェスチャーをしながら、船長はとんでもない事を言った。逆にディランは、太陽光か、打つ手があるならまだいいと少し安堵した様子を見せる。
「ウンディーネと巫女へ、すでにその生物自体は送りつけた。奴らの解析が間に合い、連絡さえ取れれば追跡自体は容易だ。最悪ここら一帯を焦土にしてでも根絶する手段はある」
「なるほど。……もしかして、この前原因不明の大規模な山火事が起こったのはやっぱり君が動いた結果だったり?」
「原因は不明なんだろ?」
「うえー……やっぱおっかねーよ城の暗部って」
「城というか、巫女側だけどな。俺は」
絶対目を付けられたくねーうっかり特定危険物とか禁止魔道具とか積み荷にしちまったらどうなるんだよと自身の両肩を摩る船長に向かって、ディランはにこりと笑いかけた。
「では最終確認だが、お前の俺に対する望みは、名前のない怪物の根絶という事でいいんだよな?」
「ああ! ……それと死因は老衰で親族に囲まれベッドの上で最期を迎えたいかな!」
「チッ」
綺麗な笑顔から一転苦々しい顔で舌打ちをしたディランに、物騒な真似はやめろと諭す。
これもし素直に頷いてたら解決した後消されてただろ俺、と震えながら船長は続けた。
「まあ落ち着け、それにな、この事件を解決してくれたら俺からだってメリットを提供できるぞ! 俺は環境調査飛行船を所持しているから、君たちが行きたい国にいつでもどこでも連れて行くことができるんだ! まあ今は空路が安定してからになるが……」
「それはありがたいな」
「火の国へ連れて行ってもらえますね」
アルジャーノンと顔を見合わせて喜ぶ。喜んでいるところ悪いが、実際解決に動くのは俺なんだよと隣でディランがぼやいた。
「ついでに、謎や人間の起こす事件絡みで困った事があるならうちに来るといい」
「僕達が解決するよ! もしよかったらうちで取り扱った事件をまとめた書籍を出しているから、今後もし何かあって依頼する時は出版への同意とご協力を頂けると助かるんだけど」
書斎机に座って書類を眺めていた探偵と、暖炉の側の椅子に座ってファイルをまとめていた助手が言った。
ありがとうと再び礼を言ってホームズから事務所の名刺を受け取り、その様子を見た船長が腕組みをしてうんうんと頷く。
「人脈とは何にも代えがたい宝かな。さぁいざゆかんリバーサイド河口へ!」
「私達はここで失礼するよ。依頼も終わった事だ。次の事件が待っている」
ならば急がねばと慌てて冷めた紅茶に口を付けていると、ホームズがそうだと口を開いた。
「人は大切な物に危機が迫るとそれが気になって仕方なくなる。館の探索の際、どうしても行き詰ったら火事だとでも叫んでみるんだね。きっと隠し場所に手を伸ばすだろう」
「君が昔使った手じゃないか」
ふふふと仲睦まじげに笑う二人を見て、ホームズさんの聡明だが気難しい所は少し貴方に似ている気がすると隣に座るディランへ告げると、お前は能天気な助手の方に似ていると即座に返され閉口した。
彼に額を撫でられるまま退屈そうに伏せたバレットが、大きな欠伸をしている。
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