第22話 【外伝 第一話 ディランとエバーハルト】

 これは今から数年ほど前の話だ。

 ディランは今でこそ翡翠色の瞳だが、昔は違っていた。湖の底のような、深い藍色だった。

 奴は当時の城内からの評判だと、冷徹な軍師だの突出した魔法の才能を持つだのご大層に言われる時もあるが、私からすれば全く違う印象だ。

 よく泣く奴だった。いや、正確に言えば涙を見たのは二回だけだが。それを本人に話すとお前が偶然居合わせただけだと言われる。


 城が一定期間で発令する徴兵制度によって集められた若者は、騎士団か僧兵かの適性を見るため集められ、一斉に訓練を受ける。

 私と同室になった若者——つまりディランの事だが、こいつは入隊早々から本当にとんでもない問題児だった。

 ここらでは珍しい黒髪をしていた上に、当時は小柄で更に細身、肌も白くそれは綺麗な顔をしているのに常に仏頂面な奴だなというのが第一印象だ。

 そして、そういったなよなよしていると評されるような体形の奴は当然騎士団では揶揄されるわけだが、それをまたとんでもない実力で——要するに暴力で物理的にねじ伏せてきた。

 誘蛾灯のように次から次へと人々を引き寄せてはなぎ倒すのを繰り返してきたせいなのか、この適正訓練期間中は奴の機嫌が良い日など存在しなかったと言える。

 元はどこかの貴族の使用人だったらしいと噂で聞いたが、上記の問題のせいで口数少なく仲間とも打ち解けず、その癖組手や魔法演習では身軽さを活かして圧勝で負け知らず。

 そんな調子で腕はあるのに本人に愛想と協調性が皆無なものだから当然仲間から反感は買うし、どの教官にも一瞬で目を付けられ、何をするにもよく叱責されているのを見た。

 恐らく、一向に言う事を聞かず手を付けられなかったから、名門貴族であり代々近衛騎士である武家の一族の私と同室になったのだろう。出る杭は叩かれるとかいう問題ではない。

 ここまで来ると単純に、本人の性格の問題で致命的に団体行動に向いてないのではないかと私は分析した。街の各区から一定の年齢層という基準だけで雑多に人が集められてしまうため、そういった人間が出てくるのは常だ。

 試しに訓練を終えた夜、交流として何度か会話を試みようとしたが、話しかけてもうんともすんとも言わず布団を被って寝てしまう。仕方なく、殺気を放つ布団饅頭に向かって気づかないふりをしつつ私の話をする日々が続いた。

 懸命なアイスブレイクが成功するどころか状況は悪化する一方で、体力向上訓練である走り込みの最中に平気でさぼるし、掃除や配膳と言った雑務はさりげなく誰かに押し付けているし、ひと月の間に数回は5階だというのに窓から脱走し、慌ててそれを止めようと追いかけると案の定見張りに見つかって二人まとめて叱責された。

 このままでは団体行動を乱して周りの士気も下がる。もしや元は貴族のお気に入りであの性格だから飽きて手放されたのではないか、と下卑た憶測を流す者もいた。

 教官達が日に日に怒りの余り爆発寸前になっているのをひやひやしながら感じていると、何度目かのさぼりと脱走の罰としてついに奴は折檻されてしまった。当然である。判決は満場一致で情状酌量の余地なしだ。

 しかし、地下牢に折檻という事は、丸一日飲まず食わずになってしまう。

 本人が百%悪いとはいえ、まだ子供の年齢である彼に流石にそこまでするのはどうかという気持ちと、さすがに奴もこれを機に懲りたかもしれず、今なら思い直すかもしれないという雀の涙程の希望もあり、せめてもと夕飯のパンを隠し持った私は見張りの隙を突いて地下牢に忍び込んだ。

 廊下の角から恐る恐る様子を窺うと、小さな格子窓の隙間から僅かな月明りが差す牢屋の中で、布団すらない粗末なベッドの上で横向きに丸まっている姿が見えた。

「……おい、起きてるか?」

「……」

 寝ているのかと思ったが、声に反応してむくりと上体を起こす。面倒そうにこちらを見た瞬間、彼の青い瞳からぼとりと涙が落ちるのを見て、普段の不愛想な彼の様子との差もあり私はなんだかいけないものを見てしまったような、空恐ろしいような気持ちになった。

「うわ、だ、大丈夫か⁉」

「なんだお前か……何しに来たんだ」

 本当にどうでもよさそうな、冷たい声だった。意を決して私は口を開く。

「いいか、今回が折檻で済んでまだマシな方だ。いい加減態度を改めろ。こんな事を続けていたら昇進に響くぞ」

「興味がない。……お前、こんなとこまでわざわざ説教しに来たのかよ」

「何を言うか。少しは考え直してみろ。お前は強いから先を約束されているに違いない。貴族だって実力が足りなければ希望先に配属されない事もあるんだぞ」

 壁にもたれかかるディランの殺気が段々強くなっていくのを感じたので、話の切り口を変えてみる。

「私は正直に言えば、安堵している身だ。お前が僧兵に行くだろうと思って。騎士志望なら団長はお前だったかもしれないからな。……それに、お前の問題行動を放っておいたら、同室である私の査定にも響くんだちゃんとしろ」

 建前だけでは通じなさそうな気がしたので、本音も混ぜてみた。誠不可思議なものを見たかのようにこちらを向いて何度か瞬いたディランはしばらくしてから、そうか、お前はそもそも武家の出身だから俺といても平気なんだろうなと感想を述べた。

「そんなに嫌なのか」

「兵士などなりたくない」

「なりたくないと言っても、制度なのだから仕方ないだろう。何かあるのか? 過去はどんな暮らしをしていたんだ」

 視線を落とし、彼はしばらくしてからようやく口を割った。

「……俺は、元は孤児なんだが、運よく裕福な医者の家族に引き取られて数年使用人をしていた。そのまま家族になれると思っていた。なのに徴兵で、自分の息子の代わりにとここに引き渡されたんだ」

 別に珍しい話ではなかった。金持ちの家が、自分の息子を守るための手段として聞いたことがある。孤児なんてここにはたくさんいる。だけど、ディランが孤独をむしろ好んでいるように見えていたので、今の憔悴した姿に困惑したのだ。下手に口を挟むより続けさせたほうがいいと判断して、言葉を待つ。

「何も不仲だったわけじゃない。むしろいい家庭だった。俺は一人息子のための兄弟役だったから、息子と同等に扱われたし屋敷内で学ぶ事も許してもらえた。

 けど徴兵となった時、結局大事な一人息子の代わりに差し出された事であの家族は難を逃れた。本音は、そういう不測の事態のためにも俺を拾ったんだろう。

 結局あの場所はどんなに優しくても本当の家族じゃない。その事実がずっと、ここで日々を重ねるうちに堪えていた」

 ベッドで膝を抱え、彼は下を向き重苦しい溜息をついた。それは耐えがたい嘆息だった。

「この先は一人だ。自分を守るために強くならなければ、戦えない。でも、本当は嫌だ。あの家に帰りたい。なんで俺はここにいるんだ? このままここにいて、結局俺にはどこにも帰る場所が無いと思い知る事が嫌だ。フィリップに会いたい。約束したんだ。あいつ俺がいないとすぐ泣くんだよ」

 今零したのは間違いなく彼の本心だろう。だが、自分の役目が変わってしまった事は、彼自身が最も理解しているのだ。だからこそ少年の内心が酷く傷ついたのを、ひたすら自らに言い聞かせて押し殺すような言葉だった。

「徴兵は期間限定の務めだ。任期満了で希望者は帰ることだって……」

「あの家族が俺を欲しかったのは幼少期の間だけだよ。任期が終わる頃、フィリップは勉学に追われているだろう。もう俺は必要ない。このまま勤めるしかない。だから本当は今すぐ帰りたい」

 そんなことをすれば、その家にだって迷惑がかかるであろうことぐらい、ディランも知っているだろう。

 そうではなく、その衝動のぶつけどころがなくて、困惑のままとりあえず帰りたいのだと言ってしまう気持ちは伝わってきた。

 頭で言い聞かせているのに気持ちの整理がつかず、外に放出してしまっているのだろう。

 果たしてこれを説明したとして、教官は理解してくれるだろうかと算段しながら言葉を押し殺し、手に持っていた包みを格子の隙間から渡す。

「なんだそれ」

「パンだ。夕飯の残りをくすねてきた。腹が減っただろう、今のうちに食っておけ」

「水は?」

「……忘れていた」

 気が利かねぇなと、文句を言いながら歩み寄り受け取るので、なら返せと言ったが知らぬふりをされた。ベッドに腰かけて偉そうに足を組み、渋々と言った様子で硬くなったパンをまずそうに齧っている。あまり言いたくはないが、皆が不満に思うのはそういうところなのではないかと思った。

 やたらと気位の高い猫のような、しかし孤高の狼のような近寄りがたい雰囲気を持つのに、妙に視線を惹くのだから、皆が自分の思うような態度が返ってこない事で勝手に否定されたような気になるのだろう。

「お前、前から思ってたが本当にお人よしだな。なんで俺にそんなに構うんだ」

「貴族として、仲間の団結力や士気を調整するのは当然の務めだ」

「はぁ……仲間ねぇ……俺はほんとに無理だよ。部隊で動くとか、指示通りにするだとか、そういった事に向いてない。虫唾が走る」

「なら、僧兵の御庭番衆を目指したらどうだ。指示を出す側になるし、配属先は主に社内で巫女の側近になる。書類仕事や、個人で動ける仕事の方が多い」

「……じゃあそうする。こんな夜更けまでご丁寧な進路相談をどうも」

「食事付きでな。良かっただろう解決して」

 最後の欠片を口の中に放り込んで手を払うと、さっきまで床でも掘って出られないかと思っていたが、疲れたからやめたんだとのたまった。

「……そんな事だろうと思っていたし、私はそれを止めに来たんだ。次は折檻どころか鞭打ちになってしまうぞ。反抗的な態度は止めて——」

「そこで格子を外してみたんだが」

「代替案を試みるな」

「ほら。あの隙間から、俺なら行けそうな感じしないか?」

 ベッドの上に立ち、天井近くの格子窓からあっさりと外した棒を放り投げると、よっこいしょなどと言いながら細い窓から無理やり地上に出ようとした。

「こら! 何やってるんださっき言ったばかりだろ! 本当に罰が重くなるぞ!」

 慌てて柱にかかっていた牢屋の鍵を使い、開錠して牢の中に飛び込む。

 その瞬間、壁に足をかけていたディランがずると滑った。

「あ、やばい、詰まった。嘘だろまずいそっちから引っ張ってくれ」

「言わんこっちゃない!」

 すでに上半身を半分ほど潜り込ませていたディランの腰をひっつかんだ。

「いてててオイやめろばか雑に引っ張るな」

「我慢しろ下手に動くと首がとれるぞ」

「とれてたまるか!」

 窓の隙間から土が零れ落ちてきて、恐らく無理に広げた土のせいで詰まったのだと考えながら壁に足をついて思いっきり後ろにひっぱるとすぽんと抜けた。弧を描いて二人揃って倒れ込み、その衝撃でベッドの上から放り出され、床で後頭部を強打したディランが声も出せず悶絶している。

 大丈夫か、と慌てて振り返ったところで、牢屋の前で仁王立ちしている兵士の足が見えた。


「流石に私も納得がいかないぞ」

「うるせーな。お前が勝手に来たんだろ」

 翌朝。昨夜の罰として、巫女の社のとんでもなく長い廊下を自らの手で雑巾がけしろと言われ、二人で息を切らしながら清掃を始めたものの三往復目に差し掛かったところでついにディランがキレた。

「やってられるか! 絶対におかしい! こんなの人間がやる事じゃない」

「おかしいも何も罰なのだから当然だ。己の手でやる事で精神の鍛練にも」

「んなわけねーだろこの広さだぞ⁉ まともにやったら日が暮れるわ! 坊主共も絶対魔法で適当に掃除してるに決まってるほら見ろよ、そこの角が汚いぞ」

 廊下に思いっきり雑巾を叩きつけついでに難癖もつけた後、ディランは印を切り、据わった目で詠唱を始めた。桶に入れられていた他の雑巾も光り輝き始め、浮かび上がると廊下で横一列になって整列する。高度な魔法が使えない私にとっては、いったい何の呪文を組み合わせたらこうなるのか全く不明な芸当だ。それに、こいつはいったいどうして、こんな悪知恵ばかり働くんだ?

 様子を窺っていると雑巾達は静かに動き始めたが、なんだか手でやるよりは綺麗になっていないような。

「お、おい何をやって」

「クソ、重みが足りないのか? なんかちょうどいいのねーかな」

 隣の部屋にあった燭台やら銅鐸やら木魚やらのあらゆる勝手に触っては絶対にいけないであろう道具を持ち出し、順に雑巾の上に乗せていく。雑に重りを乗せられた雑巾は身震いした後、各々の速度で静かに動き出した。

「お、いい感じだ。これでよし。後はお掃除御神体EX達に任せておこう。なんなら、どれが一着になるか賭けるか?」

「ふ、ふふっ……こらやめんか罰が当たるぞ」

 早速部屋で猫のようにのびのびと寝転び、堂々とさぼりだしたディランを窘めていると、すでに三馬身差でトップを走る金色の御神体像が通り過ぎる。この光景を御庭番衆が見たら憤死してしまうかもしれないな、と折り返しに差し掛かった光り輝く像を目で追っていると、廊下の角で仁王立ちしている僧兵の足が見えた。

「オイ、ディラン」

「なんだよ。昨日結局寝れなかったしもう眠い。ねよーぜ」

「まずい」

「何やっとるんだ貴様ら!」


 結局監視付きで雑巾がけをやらされることになり本当にこいつはと思ったが、到底発想できない奔放さになんだか胸のすく自分がいたのだ。

 彼がなぜ人の身から巫女の使い魔となったのかは、いずれまた語る時が来る。

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