第16話 厨房は戦場

 私の後ろに飛び乗るアルジャーノンに続き、失礼しますと淡い光を纏い宙に浮かび上がったホーリーは私の前で横向きに座ると、髪を払った。実体が無い、というのはどうやら精霊の意志で自在に調節できるようで、触れられることなくただ姿だけがそこにあり、重さも感じない。

 もしこのまま旅を続けて言う事を聞かない精霊が次々増えていくなら、最終的にブレーメンの音楽隊のようになるのだろうかとくだらない事を考え、首を振って想像を掻き消した。

「貴方には、たくさんの友人がいるのだな」

 馬で駆けながら、先導するディランに声をかけた。

「意外に見えるか?」

「意外、というか……素直に羨ましいと思っただけだ。私はずっと城の中で生活していたから、友と呼べるような存在がいない。あのように互いの立場関係なく慕われているのは、見ていて不思議な感覚だ」

「……まあ、そうだろうな」

「友達なら、すでにマスターの傍にいるじゃないですか」

 そこに二人、とこちらの気も知らず、精霊は両手の指で前後を指した。

「それは、勝手に決めるものでは」

「大変恐れ多いですが、私めでよろしければその称号、謹んで拝命致します」

「友達とは称号ではないのだが」

「俺は謹んで辞退させていただくよ」

「辞退されるものでもないのだが」

 憮然としていると、ディランが弾かれたように森の奥を見た。

「……? どうしたんだ」

「——いや、なんでもない」

 魔物か何かかと思いその方向を見たが、森の乱立する樹木と茂みしかない。混乱していると、何事もなかったかのように話を続けられた。

「……俺は、使いの任務で寄る所が多い。その過程で助けた見返りに協力してもらう事もある。そう悲観しなくても、この試練の旅路であんたもいろんな人に出会い、助けられるさ」

「前から思っていたのですが、王子に向かってその言葉遣いは不敬ですよ。いくら所属先が巫女の一派とはいえ、改めたらどうですか」

「では王子殿下。僭越ながらご武運をお祈り申し上げます。此度は誠不可思議な縁により出会いましたが、私めの任務の都合により栄えある旅路を供にできませぬ事、どうぞお許しください」

「全然気持ちが籠ってない……」

 それに口調は別に変えなくていい、と言うとぐぬぬとなぜかアルジャーノンが唸った。


 そんな話をしているうちに館の裏庭に着いて馬から降りると、バレットが以前見た時と同じように変化し、ディランからおやつをもらうと鞍を背負ってゴム毬のように跳ねていく。

 すっかり慣れた様子でバレットについていく栗毛の馬を見送りながら庭に入ると、門を閉めるディランが近くにいたアルジャーノンに囁いた。

「オイ、狐がいるぞ。気をつけろよ」

「——知っています。先日から窺ってばかりで、なんともやりにくい」

「私、なんとなく居場所がわかりますよ。おびき寄せましょうか」

 驚いて二人は顔を見合わせたが、じゃあ頼む、とディランが頷いて、守護精霊は微笑み姿を消した。

 ここからは内容が聞こえない声量だったために首を傾げていると、二人共すぐこちらに向かってくる。

「え、ホーリーは」

「ちょっと頼み事があってな」

「王子は気にしなくていいんですよ」

「え?」

 戸惑っているうちに、彼らは歩を進めてしまうので慌てて後を追う。

「よし、キッチンでイリスから魚を受け取ろう。街に向かうのはその後だ」

「あの魚は何に使うんだ」

「何って……お前らの飯だよ、取り急ぎのな。後で礼を言っておけよ」

「あっ、そうか……すまない」

「いいよ。倒れる方が困る」

「なるほど。次期国王に対して殊勝な心掛けです」

「お前はなんで得意そうなんだ?」

 口論しながら庭に咲いていた花冠をいくつか選別し、広い屋敷を移動してようやくキッチンに着くと、ディランは調理場の奥から大人一人が入ったとしても余りある空の水瓶を転がしてきた。

 なんだなんだと二人で眺めていると、調理台の隣に置いて水瓶の中に先ほどの花冠を放り込み、両手を翳して何やら唱えたと思った瞬間、青い光と主に水瓶からみるみる内に湧水があふれ出す。

「イリス、もう移動してきていいぞ」

「お待ちしておりましたわ!」

 声が聞こえるや否や、水面が光り輝いたかと思うと壺を頭上に乗せた人魚が飛び出し、全員が水浸しになって悲鳴を上げている間に上体を壺湯でくつろぐ様にしてにこにこと縁にもたれかかった。

 ずぶ濡れのまま微妙な顔でディランは海藻の壺を受け取ったが重みでガクンと落としかけ、慌てて持ち直しながら流しの近くに設置する。

「うーん、水魔法で疑似水槽作ったとしてもこいつらの餌はないから……しょうがない。この量を全部さばいて冷凍する。お前ら手伝えるか?」

「わ、私は包丁を触った事が無いがいいか?」

「やり方を教えてください」

 キッチンの椅子を台座代わりにして、慌ててアルジャーノンが腕まくりをする。流しを挟んで二人が立ち、私はアルジャーノンの隣から手元を覗き込んだ。

 まな板と包丁や桶などをこちらに渡しながら、慣れた様子でディランは説明する。

「身はおろさなくていいから、鱗と頭を落として内臓を処理しろ。血と中身を洗ったらこっちの桶に種類関係なく入れていってくれ」

「わかりました、簡単な処理ですね」

「そちらの方々は魚の食べ方がわかりませんの? 私も手伝いましょうか?」

「いいんだよイリスは、とりあえず今はそこにいてくれれば……」

「まず頭を齧り切りまして、内臓を啜りますわ。それから——」

「人間はな、内臓にいる魚の寄生虫が怖いんだよ」

「あら、そうなんですの?」

 まあ、と口元に手を当てる上品な様子とは真逆のとんでもない野性味のある食事情に、なんとなく抱いていた人魚への幻想がガラガラと音を立てて崩れていく気がした。

「お前は小さい魚を担当してくれ、アジは尾のところにぜいごというとがった鱗があるから、ついでにそれも包丁で取るんだ」

「わかりました」

「わ、私は何を担当すればいい?」

 はい、と渡されたのは鰓から真っ赤な血が伝う、肘ぐらいまで体長のある丸々太った大きなサバだった。

「こいつは特に難しくないから、さっき言ったように鱗と頭と内臓。よろしく」

 よろしく、と言われてもと背骨を折られて首が直角に曲がったサバを呆然と眺める。

 一先ず包丁を入れようと胸鰭から頭の位置を空中で何度かうろつかせるが、

「……どうしても、この魚と目が合うんだが」

「まず鱗ですよ王子」

 カリカリと神経質に鱗とりを使いながら、確かに人間が手に取るには小さすぎるアジをアルジャーノンは真剣に剥いている。その向こうでディランが次々とさばく魚はすでに桶の中で山になっていた。

 この厨房と言う戦場で自分が圧倒的に戦力外な事を痛感していたら、ディランがふと何かを掴んで後ろを振り返る。

「食うか?」

「まあ、サケの頭! 大好物ですわ……ん、美味しい」

 まだパクパクと尖った口を動かしているサケの頭を喜んでその手から受け取り、血が垂れるのも構わず脳天からガブリと食べた美しい人魚の姿に再び眩暈を起こしていると、水瓶の水が再び光った。

「姫様、出立する時は私に申してくださいとあれほど……まあなんてはしたない! 食べる姿を人前で見せてはなりません!」

「ねぇ、人間は魚の頭や内臓を捨ててしまうんですって。私初めて知りましたわ。特に目玉が美味しいのに不思議ですこと。ラトロクも食べたらどうです?」

「貴様! 姫様からの恩賜を捨てるなど……! 頭から尾の先までありがたく食せ!」

「面倒なのが来た……」

 最早背後を振り返るどころか手も止めないディランに、水瓶の中でおい聞いているのかとぎゅうぎゅうになりながらわめく従者を置いて、できました!とアルジャーノンがピカピカになったアジを嬉しそうに天に掲げた。この厨房は混沌としている。

「見てください、頬近くから胸鰭の後ろまで鱗一つありませんよ。王子の喉に鱗が刺さってはいけませんからね」

 すごいな、ありがとうと声をかけると従者はにっこりと嬉しそうに笑った。普段は緊張を帯びた表情が多いため、その笑顔に癒されつつ鱗とりを手に取って、サバにかけてみる。

「……。取れているか、よくわからない」

「大量に水揚げした時、こういった群れる種類の魚の鱗は剝がれやすいそうです。しっぽの近くとか、背中や腹の部分を擦ってみてはどうでしょう」

「あ、透明なものがとれた。なるほど、これがサバの鱗か……初めて見た」

「取りきった後は、魚を良く洗うといいですよ。まな板にも鱗がついておりますので」

「何呑気に社会見学してるんだ? 俺が銛で後ろから刺される前に、早くしてくれると助かるんだがな」

 処理が終わり、身で満杯になった桶を取り換えているディランが苛々しながら言った。その背後には水瓶から這い出た従者が射殺すような目で銛を突き付けている。

 人魚姫はと言えば、桶に移されたいくつかの種類の魚頭を喜んで食べていた。白魚のような指が血まみれだ。

 大方剥がれただろうと、重い身を抱えて流しで鱗を洗い、おっかなびっくりでなんとか頭を落として、いよいよ白い腹に包丁を滑らせる。

 裂かれた身から、白い内臓が出てきた。薄紫の血管が見えて慣れない生臭い匂いがし、う、と思わず声が出る。

 取り出したら、身ごと洗うんですよと三匹目のアジに着手したアルジャーノンが言う。洗いすぎると身の油も取れてしまいますからね、と。

 でろり、とまな板の上に出てきた内臓を見て、反射的に嫌悪感を催した。平然と処理ができる二人は凄い。

「そうだ、その一際大きい魚は私が獲ったんだぞ。喜べ。さぞかし食いごたえがあるだろう」

「なんかでかいなと思ったらウツボかよ! いらねぇよ!」

 壺から掴んで引き上げた瞬間現れたウツボをディランが即座に放り投げたので、宙に飛んだウツボが兵士の銛の柄に巻き付き、そのまま合体して何かそういう武器のようなものになった。

「いらないとはなんだ貴様!」

「危なっ——振り回すな!」

「ウツボはおでこが美味しいんですのよ。私結構好きですわ」

「じゃあお食べ。ウツボはちょっと処理が難しいから」

 銛に巻き付いたまま、ディランに嚙みつこうと首を伸ばしたウツボの首が瞬く間に飛んで、何が起こったのか理解できていないであろう顔のまま姫の食事場へ落とされた。

「あら、ありがとう」

「貴様こそ刃物を振り回すな!」

「厳密には魔法だから違う」

「ディラン! 頼まれたサバを捌い、た……ぞ……」

 これは違うんだ。言うまで気づかなかったのだ。

 言ってしまってから自分の失言に気づいて固まったが、ディランは魚の尾が飛び出したまま水が真っ赤になっている桶を無言で渡してきた。全部サバだ。

「次言ったら、お前を捌くからな」

 三枚おろしに、と笑っていない顔で言われた。その背後では、きょとんとした顔の人魚姫が暴れるウツボの額を食い千切っている。

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