心酔夜はきみが灯して

雨野 天遊

第一章

第1話 あんたみたいなガキはタイプじゃない

 出会いというものはいつも突然で、別れというものもいつも突然だ。


 出会ってどんなに信頼を築き上げても急に別れが訪れたり、辛い別れが訪れたとしても再会できたり……と、この世の中には数え切れないたくさんの“出会い”と“別れ”が転がっている。


 坂本さかもと美鈴みすずさんとの出会いは、そのたくさん転がっている“出会い”の中の一つだった。


 ※※※


『はじめまして』


 挨拶をした瞬間、こちらを睨みつけてくるきつめな顔をした女性の近くに腰掛けた。

 

 私は美鈴さんのことを一方的に知っていた。

 理由は大学生からの親友で職場も一緒の谷口たにぐち和奏わかなの元カノだからだ。


 よく和奏から話を聞いたり、写真を見せてもらったりしていた。

 

 目の前の初対面の女性は私をギリギリと睨んでくる。

 

 暗めのアッシュグレーの髪を靡かせる美人な顔つきはモデル並みだ。

 耳には数箇所ピアスが開いていて、少し怖い印象もある人だった。


『どなたですか?』

『和奏の親友の心春こはるって言います』


 とびきりの作った笑顔で伝えると、信じられない目つきで睨まれ続ける。


 顔が綺麗に整っている分、そんな鋭い目で睨まれると大人の私でも怯んでしまった。


 美鈴さんとの“出会い”も、彼女に対する第一印象も“最悪”だった。


 私よりも年上なはずなのに口も態度も悪く、可愛げがない。

 

 この日でこの人と関わることも終わりだろうと思っていたから、そんな薄い関係の人にどう思われようと、どうでもよかったので、その日は適当に話をして終わった。



 ※※※


 

「美鈴さん、ビールにしますー?」

「今日はハイボールにする」


 妖艶な女性はしかめっ面でこちらを見ていた。

 今日は仕事終わりだからか、いつもキラキラと彼女の耳を彩っているピアスは不在だった。

 

 結局、私たちはこの居酒屋で頻繁に会うようになり、週末に飲み会を開催する飲み友になった。


 週末にここで彼女と過ごす時間は私の生活の一部になりつつある。


 初めて会った時の印象が最悪だった美鈴さんは、会話を重ねていくと案外普通の人だった。


 その美人な顔から出る言葉は信じられないくらいトゲトゲしているけれど、正しいことが好きで、それなのに素直になれない矛盾しているタイプの人間。


 そんなめんどくさい彼女の何に惹かれたのかは分からないけれど、話しているとからかい甲斐があり、こうやって週末に会うお姉さんになっている。

 

「ハイボール、珍しくないですか?」

「最近飲むようになった。ビールよりは太らないし」

「ダイエットでもしてるんですか?」

「少しね。ジムにも通うようにしてる」

「好きな人でもできたんですかー?」


 元から見目好い彼女がもっと見た目を極めようというのならば、好きな人ができた以外に考えられない。


 ちょっと気になって聞いてみた。


「あんたって馬鹿なの? なんですぐそうなるの」

「元からかわいい美鈴さんが努力するなんて落としたい人でもいるのかなぁって思いました」


 いつものようにからかいながら彼女を見つめると、不請面をされた。


 これがお決まりのパターンとなっていて、私たちのコミュニケーションの一つである。

 私が冗談を言い放ち、彼女が嫌な顔をしながら棘のある言葉で返してくる。

 

 冗談のやりとりとわかっているけれど、たまに美鈴さんの言葉が強すぎて、切れ味の悪いノコギリで胸を削られている気分になる。


「そんな人いたらこんなところに飲みに来てない」

「私に会いに来てくれてるんですか?」

「誰がクソガキのために会いに来るか。ここの居酒屋が好きなだけ。あんたが勝手に来てるんでしょ」

「冷たいです」

「普通です」


 今日も美鈴さんは冷たい。

 お酒に酔うと口が達者になるが、基本冷たい。


 しかし、せっかく好きな人の話を持ち出したのだから、そのまま聞きたいこと聞こうと思った。

 

「美鈴さんってどういう人がタイプなんですかー?」

「急になに?」


 美人でクールなふりを装っている女性はふいっと顔を背けている。

 まだ、聞くには早すぎたのかもしれない。

 酔えば簡単に口を割るだろうと思って、お酒が来るのを待った。


 キンキンに冷えたグラスは汗をかきはじめている。そんなグラスの取っ手を握り、掛け声をかける。


「美鈴さん、乾杯!」


 私の言葉に返事は返ってこなかったけれど、カチンとグラスがぶつかり合う。私たちの周りは楽しげに話す人々の声で騒々しい。

 

 そんな中、美鈴さんは無言でグビグビとお酒を口に運んでいた。

 

「あんたはどういう人がタイプなの?」


 ジト目で綺麗な女性がこちらを見つめている。


 美鈴さんが私に興味を持ってくれるなんて珍しいこともあるらしい。


 基本、私たちは職場の愚痴とか世間話とかそういう話しかしない。


 彼女が私に興味を持ってくれることが少し嬉しかったのだと思う。


「どういう人がタイプだと思いますー?」

「割と誰でもよさそうな顔してる」

「それは尻軽ってことですかー」

「そうね」


 少し傷ついた。

 私ってそんな風に見えるんだと、自分の頬を無意識に撫でていた。


 たしかに人と話すのは好きだけれど、みんな同じ好きで、誰かを特別に思ったことはない。

 

 だから、誰でもよさそうに見えるのか……。

 

 残念ながら、話すことが楽しいと思っている美人なお姉さんに核心を突かれてしまったらしい。

 彼女にはなぜか分からないけれど、良い印象を持たれたいと思っているので少し気分が落ち込んでいた。


「うそ――。羨ましいくらいに誰とも仲良くできそうで悪態ついた」

「今日はずいぶん素直なお姉さんですね」

「うるさい、クソガキ」


 美鈴さんはこちらをギリっと睨んで、さらにお酒を口に運んでいた。

 頬はどんどん赤みを帯びていき、それは次第に耳まで広がっていく。

 

 正直、誰にでもモテそうなお姉さんが一年近く、私とだけお酒をこうやって飲んでくれていることに驚きだ。

 

 そのことが嬉しいし、もしかしたら明日、美鈴さんに恋人ができてこの生活が急になくなってしまうかもしれないと思うと、胸がきゅっと苦しくもなる。


 だから、彼女に好きな人がいるかどうかなんて探りを入れようとしたのだと思う。


「それで、教えてくれないんですか?」

「好きなタイプは一緒にいて落ち着く人。あと、私のことかわいいと思ってくれる人。私にかまってくれる人」

「わがままですね」

「別に理想くらい高く持ってもいいでしょ」

「いい大人が甘えたがりなんですね〜」

「うるさい」


 つんつんと柔らかな頬を触ろうとしたら、蠅を払い除けるような手つきでブンブンと払われた。

 

「ちなみに、今言った条件満たしてる人知ってますよ」

「はい? そんな人いないでしょ」

「目の前にいるじゃないですかー」


 冗談で彼女に問いかけると、思ったよりも口をもごもごと動かし、挙動不審になっていたので、こちらが恥ずかしくなってしまった。美鈴さんは恋愛に慣れているオーラを出すのに、たまにうぶな行動を見せる。


 しかし、しばらくすると咳払いしていつもの真顔に戻っていた。


「あんたみたいなガキはタイプじゃない。大人っぽい人がいい」

「私、そんなに精神年齢低くないと思います」

「そんなこと言ってる時点でガキだし、童顔に興味ない」

「なっ……」


 私が一番気にしているところをこの人は簡単に抉ってくる。

 

 見た目が幼いのはどうやったって仕方ないじゃないか。

 本当に口の悪い意地悪な人だと思う。

 

 美鈴さんは美人系が好きなんだと思うと、自分が否定されている気がして勝手に落ち込んでいた。

 

「確かに、和奏って美人ですもんね」


 そんな捻くれたことを言うつもりなんてなかったのに、言葉が止まらなかった。


 私の親友の和奏は男女関係なくモテるタイプの人間だ。

 時々、嫉妬してしまうくらいに優れた人間だと思う。


 そんなことを考えていたからか、私の顔はだいぶ硬くなっていたと思う。しかし、もっと硬い顔をした美鈴さんが話を始めた。

 

「過去の人の話はいいから。答えたんだから、あんたも答えなさいよ」

「あんたじゃなくて、ちゃんと私の名前呼んでくれたらいいですよ」


 美鈴さんはいつも「あんた」や「クソガキ」としか私のことを呼んでくれない。距離が遠いとも近いとも感じるその呼び方以外で、彼女に呼ばれてみたいと思った。


「なんで、そんなことしなきゃいけないの」

「大人になって、飲み仲間の名前呼ぶのも恥ずかしいんですかー」


 いつものようにからかうと、ぎりっとした視線が飛んでくる。

 

 初めて会った時も思ったが、美人に鋭い眼光で睨まれると少し怯んでしまう。


 美鈴さんは、睨んできたかと思えば俯いて、聞こえるか聞こえないかの小さい声を発していた。

 

「こ……」

「んー?」

心春こはる――」


 心臓がバクバクと跳ねて、体が硬直する。

 

 きっとお酒を飲みすぎたのだろう。

 二十代後半になるのだから、そろそろお酒の悪い飲み方は控えなければいけないと思う。


「呼んだんだから早く答えて」


 まさか、美鈴さんが私の要求に応えてくれると思っていなくて、自分の回答を用意していなかった。お酒でぽけーっとしている頭をなんとか働かせる。


「ちょっと手がかかるかわいい人ですかね」

「何それ、全然わかんない」

「私も自分で言ってるのに、よくわからないです」


 ちょっと手のかかるかわいい人なんて私の周りには美鈴さんくらいしかいないはずだ。

 冗談と嘘を重ね、私という人間は偽りで出来上がっていく。


「ふーん。付き合ったことある人いるの?」

「美鈴さんがこんなに私に興味持ってくれるなんて珍しい」

「うるさい。答えて」

「秘密です」


 なんとなく「経験がない」と言って彼女に馬鹿にされるのが嫌だった。


 尻軽そうに思われているのならば、秘密と答えておけば、数人はいたのだろうと思ってもらえるだろう。


「今日は意地悪じゃん」

「いつもこんな感じですよ」

「ふーん」


 美鈴さんはグラスの縁を不服そうに撫でている。


 その後、信じられないぐらいお酒を飲んでいた。

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