グランパ
アマモリ
グランパ
暑かった夏が終わりを告げ,半袖で出歩くには寒く感じる10月初頭。
早くも上着を羽織っている通学中の小学生たちの一人が,周りに自慢げに話を切り出した。
「なぁなぁ!昨日ネットで見つけた噂なんだけどさー!世界にはどこかに,中に入れちゃう鏡があるんだって!そしてその中に入ると、全部が逆さまの鏡の世界があるんだってー!‥‥なんだよぉ!ホントだよーぅ!」
まるで信じていない友人たちの後を追い、小学生は駆け出した。そんな彼を横目で見送りながら、一人の青年がため息混じりに呟いた。
「鏡‥‥か。」
彼の名は、日見巧助(にちみ こうすけ)。高校2年生だ。年齢の割に「無気力」という言葉が実に似合う彼は、「鏡」という単語を聞いて思わず唇を噛んだのだ。その理由は、少年時代の彼が経験した‥‥鏡職人であった祖父の失踪が原因であった。
巧助の小学校入学式であった、10年前の4月。彼の祖父である日見巧月(にちみ こうづき)は姿を消した。巧助の入学祝いとして作っていた、大きな鏡を仕事場に残して。
入学式の朝、巧助は巧月のいる仕事場に新品のランドセルを背負って顔を出した。
「じぃちゃん!見てみて!似合うでしょ!?」
「おぉ!こいつぁいい晴れ姿だなぁ!似合ってるぜ、巧助ェ!」
「へへへ‥‥。」
「そうかぁ、巧助ももう小学生かぁ‥‥。くぅ!はぇぇもんだ。」
「あ、お母さんが呼んでる!じゃ、じぃちゃん行ってきます!入学式、絶対来てね!」
「あぁ行ってこい!じぃちゃんも後で見に行くからなぁ!」
それが、巧助が見た最後の巧月の姿だった。
「入学式の朝、俺を見送ってくれたじぃちゃんの言葉と笑顔を、今でも俺は鮮明に覚えている。あの日、学校から帰ってきてもじぃちゃんは家にいなかった。どんなに待っても帰って来もしなかった。──じぃちゃん!じぃちゃん!どこに行ったんだよ、じぃちゃん!じぃちゃん!──俺は、入学式で着た服をボロボロにしながら町中を必死に探し回った!けど、それでもじぃちゃんは見つからなかった。親父達は警察に捜索届けを出したみたいだけど、まともに取り合ってくれなくて‥‥。」
そして失踪から7年経った3年前、巧月は失踪人として法律上、死んだものとして処理された。
「あの日、俺が入学式なんか行かなければ何か違ったのかもしれない‥‥。誰かに攫われたのなら助けることもできた!自分でどこかに行ってしまったのなら俺も連れて行って欲しかった!そう考えると悔しくて悔しくてたまらない‥‥!くそぅ‥‥くそぉ‥‥!」
彼は今までの10年間を、自責に囚われたまま過ごしていた。眠りにつくと、必ず巧月が夢に現れ、彼を呼ぶのだ。
「巧助‥‥。巧助!」
「じぃちゃん!どこ行ってたんだよ!ずっと,ずっと心配していたんだぞ!」
巧助は巧月に向かい走り出そうとするが、前に進めたことはなかった。しかし、走ることを諦めた夜はなかった。
「待って!待ってよ!じぃちゃん!じぃちゃぁん!」
泣き崩れる巧助を残し巧月は遠くに消え、そして目が覚めるのだ。
「また取り戻せなかった」と考えながら目が覚めると、自分が今しがた終礼のチャイムが鳴ったばかりの教室にいることを思い出した。
クラスメイトの一人が、ニヤニヤしながら巧助の席に向かってくるのが見えた。
「巧助、巧助ぇ」
夢の中で聞いたような呼びかけに、巧助は苦虫を噛むように答えた。
「なんだよ。」
「また午前の授業寝通しか。なんかもう,お前,すごいぞ。」
「そりゃどうも。で、今は何の授業だったんだ?」
「ホンット、呆れるのを通り越して尊敬に値するね、その無気力ぶり。一応答えるとさっきの授業は科学。」
「ふぅん。なんか課題とか出たか?」
「どうせやらないんだろ?でもまぁ、宿題ってわけじゃないけど,1つクイズが出たぜ,聞くか?」
「興味ない。」
「そういうなよ、俺にはなかなか興味深いクイズだったんだぜ?コホン!さぁて問題です!鏡は、なんで左右が逆にはなるのに,上下は逆にならないでしょーか!?」
「‥‥聞かなきゃ良かった。」
今日は鏡の話題がよく耳に入る。巧助は散々な気分になった。
「どーよ?あの先生にしちゃなかなかイカしたクイズだろ?」
「ああ、たまらないね、こんな日は‥‥。」
巧助が帰宅すると、珍しく父親と母親が神妙な顔つきで巧助を待っていた。
「ただいま‥‥。」
「ああ、お帰り巧助。大事な話がある。」
「親父‥‥。俺に聞く気はないよ。」
「いいから。おじいちゃんの仕事場の事だ。」
「!?‥‥仕事場が、どうしたの。」
「おじいちゃんがいなくなってもう10年経つ。10年だ。お前はまだ、あの仕事場をそのままにして欲しいと思っているのか?」
「約束したじゃないか。あそこはずっと残しておくって。」
「ああ。確かにあの時は約束した。お母さんも俺も、あの時は親父が帰ってくるって信じていたからな。‥‥でも、もう10年だ。もう親父は、おじいちゃんは‥‥死んだことになってる。」
「違う!おじいちゃんは‥‥!」
「俺たちが意地を張っても、帰ってこない人は帰ってこないんだ!もう誰も使うことのないあの仕事場をそのままにしておけば俺達家族はみんな、あの時のままだ。来年になれば、お前の今後のことも考えていかなきゃいけない。巧助、そろそろ‥‥受け止めよう。辛いのはわかる。それは俺もだ。だがな‥‥」
「なんだよ?なんだよそれ!?親父ははおじいちゃんのことなんて、もう忘れようって言うのかよ!?」
「そうは言ってない!けどな‥‥!」
「言ってるじゃないか!‥‥おじいちゃんとの思い出を‥‥おじいちゃんの大切にしてたあの仕事場を、無くすってんなら、もう‥‥もうアンタなんか父親じゃない!!」
「待つんだ、巧助!オイ!」
巧助は制服のまま家を飛び出し、巧月の使っていた仕事場へと駆け出した。
「ここに来るのは、何年ぶりだろ‥‥。」
巧助の家の裏にある小さな小屋。ここが巧月の仕事場だった。
工具は片づけられ、炉や機材にはブルーシートがかけられていた。だが匂いなど、建物が醸し出す独特の雰囲気は彼がいなくなった当時のままであった。
「親父の言う通り、あのころのままだ。」
そして仕事場の最奥には、巧助の入学祝いとして作っていた、あの大きな鏡が立て掛けられていた。
「鏡の世界‥‥か。」
巧助はまるで鏡の中に巧月がいるかのように、鏡に向かって語りかけていた。
「じぃちゃん。そっちにいるのかい?‥‥久し振りだね、じいちゃん。この小屋、なくすんだってさ。もう俺のわがまま、聞いてもらえなくなっちゃった。ごめんね‥‥。だけど、じいちゃんが悪いんだよ、10年もそっちに行ったきりなんだもん‥‥。俺がじぃちゃんの後を継ぎさえすりゃ、この小屋も残せたのかもしれないけど、ごめん。ダメなんだ、俺。じぃちゃんは好き。今でも大好きさ。でもさ‥‥憎いんだ、鏡が。俺からじぃちゃんを奪ったのが、鏡なんじゃないかって、そんな気がしてならないんだ‥‥。この鏡だってそうだよ、じぃちゃんが俺に作ってくれた入学祝いってさ‥‥。見る人によっちゃぁ、これって美しいってヤツなんだと思う。すごいヤツなんだと思う。けど俺には‥‥禍々しい、まるでブラックホールみたいに吸い込まれそうな‥‥そう。悪魔だよ。俺にはコイツが悪魔の鏡に見えるんだ。‥‥ホントは今すぐにだって割ってしまいたいんだ!でもさ、こわせねぇ‥‥だってよ。これって最後の、じぃちゃんの最後の作品なんだろ‥‥?もう‥‥何もかも、イヤだ‥‥。ねぇ、じぃちゃん。俺もそっちの世界に行っても良いかな‥‥?そしたらこんな思いしないで‥‥」
巧助は鏡に吸い込まるように鏡に近づき、足の先が枠に当たったところで我に返った。
「くそ!何を馬鹿なことを!バカバカしい!‥‥なんだよ、こんな鏡のクセに!全部お前のせいなんだ!いい加減にしろ!」
巧助は鏡に思い切り殴りかかった。割るつもりはない,興奮した気持ちを振り切ろうと思ったのだ。
その時だった。
巧助の右手が、身体が、鏡の中に吸い込まれていったのである。
「うわあああああああ!」
どれくらいの時間が経っただろうか。
倒れている巧助の傍らには、何故か小学生ほどの少年がしゃがみこんでいた。
「気が付いた?」
巧助は目を覚ますと、あたりを見回し自分の状況を確認した。一見、巧月の仕事場であるようだったが、なにか様子がおかしい。
「確か俺は、あの鏡に殴りかかって‥‥え!?どうなってんだこれ!?」
仕事場の最奥にある鏡を見て巧助は驚愕した。その鏡には、自分の姿が映っていなかったのである。
しかし巧助の驚愕をよそに、傍らの少年は呑気な声を上げた。
「うわぁ、初めて見たぁ。僕は映ってるけど、お兄ちゃんは映ってない!」
「オイ、なんなんだよ?どうなってんだよ?ここは‥‥仕事場、だよな?けど、なんか違う!」
慌てる巧助に、少年は諭すように落ち着いて声をかけた。
「まぁまぁ、落ち着いて。鏡の世界にようこそ、お兄ちゃん。」
「鏡の‥‥世界!?」
理解が追いつかない巧助へ、少年は変わることなく言葉を続けた。
「今、お兄ちゃんは鏡に映った自分とくっついちゃってるんだよ。だから、鏡には姿が映らないんだよ。」
「そんな‥‥鏡の世界?本当の話だったのか‥‥。じゃあここは、鏡の中の仕事場?」
「そういうこと。」
ようやく事態が飲み込めてきた巧助に一つの疑問が生まれた。
「鏡の中の世界なんだろ?じゃあ、お前は誰なんだよ?」
自分が鏡の中にいるのであれば、自分のいる世界に存在しない少年が鏡の中にだけ存在しているのは、確かに不可解だった。
少年は「ごもっとも」という表情で、巧助の疑問に答えた。
「んー、僕はねー。あっちにはいない人、かな。‥‥ああ、これじゃあわからないか。じゃあ鏡の原理から説明するね。」
「‥‥何で?」
「まぁまぁ,聞いてよ。鏡ってさ,左右が逆になるけど,上下は逆にならないよね。何でだと思う?」
数時間前に聴いたものと全く同じ質問に、巧助はうんざりした。
「いいよ,クイズは。続けてくれ。」
「んーつれないなぁ。‥‥まぁいいや。鏡ってさ、実は左右が逆になっているんじゃなくて空間の前後が逆になって映っているんだよ。」
「前後?」
「そう、前後。だって確かにおかしいじゃない。左右が逆になるっていうのなら,鏡に向かって右手をかざしたら、鏡の中の自分は左の手をかざさないといけなくない?」
巧助は、少年の言っていることが全く理解できなかった。が、これでは話が進まないだろうと思い、理解したふりをした。
「前後、ねぇ。それとさっきの話の関係は?」
「そう焦らないで。実は、鏡は空間の前後も逆にするけど,時間の前後も逆にするんだ。だから今、あっち側で時間が未来に流れていけば行く程、こっちでは時間は過去に向かって流れていく。砂時計の流れ落ちる砂がお兄ちゃんの世界の時間なら、僕らの世界の時間は砂と入れ替わって昇っていく空気、って言えばわかる?」
わかりかけていた内容がますますわからなくなったことを巧助は理解した。
「‥‥じゃあ結論として、お前は誰?」
「もう少しだけ聞いて。鏡は、空間と時間の前後を逆にするだけじゃなくて、生物の生死の概念も逆にするんだ。あっちでの『生』は『死』になって,『死』は『生』になるってわけ。だから,僕はあっちではまだ生まれていないか死んだかで,ここに存在しているってわけ。」
「だから‥‥俺たちの世界にはいない人?」
「そういうこと!わかってくれた?」
「‥‥ここが鏡の中で、ここには向こうにいない人しかいない、ってことはわかった。」
「十分だよ!あ!できるなら早く元の世界に戻った方が良いよ。よくいるんだ。できたての鏡に入って,あっちで鏡が完成する前まで時間が戻ちゃった人。そのせいで出口が無くなっちゃって元の世界に戻れなくなるんだ!‥‥まぁ,この鏡はそんなことなさそうだけど,念のため。」
元の世界に戻れなくなる‥‥その言葉に対して、巧助は恐怖よりも希望を感じていることに気がついた。
「そうか、それなら。戻らなくても,いいかな。」
「?‥‥なんで?」
少年は、年齢に似合わないほど顔を歪めた。が、巧助はそれに気がつくこともなく頭上を見上げ、虚ろに言葉を紡ぎ出した。
「なんかもう‥‥面倒なんだよ全部、あっちで生きてることも。じぃちゃんがいた頃はじぃちゃんの仕事を継ぐって思ってたけど,もうじぃちゃんもいないしよ。仕事場もきっとこのままなくなるし,もう何したらいいかわからない。このままダラダラ歳を食っていくなんて、じぃちゃんに申し訳がねぇじゃん。なら,いっそ過去に時間が進んでいくここでずっと‥‥。そして元の世界では俺はじぃちゃんみたいに死人扱いになって‥‥って。なんかもう、それで、いいじゃんか。」
巧助は言い終わるのを待ってから、少年は淡々と巧助に語りかけた。
「‥‥こんな見た目の僕に説教されるのは、あっちの世界のお兄ちゃんには屈辱かも知れないけど,僕ももう数年で消えちゃうぐらいコッチの世界では長く生きてるから,言わせてもらうよ?‥‥よくわからないけど。どうせなら,継ぐ努力してみたらどう?現実と戦って,負けたら自由にするといいんじゃないかな。今のお兄ちゃんは受け入れる振りをして逃げてるだけじゃん。」
図星を突かれた気がして、巧助は思わず声を荒げた。
「お前に何がわかるんだよ!?」
しかし、少年の口調が変わることがなかった。
「流石にもう戻った方が良い。死にたいなら,あっちで好きに自殺でもすればいいよ。死体すら見つからないなんて、そんな親不孝は感心しないしね。」
少年はそういうと、見た目以上の力で巧助の身体を引っ張り起こし、彼の身体を鏡に向かって強く押した。
「最後に一言。僕はずっとこの仕事場にいるけれど,僕がこっちの世界に生まれた時にも,この仕事場はあったからね!」
「それってどういう意味‥‥うわあっ!」
巧助の身体が鏡に触れた途端。彼は凄い力で自分の身体を鏡が吸い込むのを感じた。
巧助が目を覚ますと、そこはさきほどまでの巧月の仕事場だった。
すぐに起きあがり辺りを見回したが、先程あった違和感はない。左右が逆になっているようでもなかった。彼は自分の世界へ帰ってきたのだ。
「‥‥誰かくる!」
巧助が機材の影に身を隠すと、彼の目の前をもう1人の自分が通過していくのが見えた。腕時計を見ると、時計の針は彼が仕事場に入ってきた時刻を示していた。
「うわあああああああ!」
巧助は、もう1人の自分が鏡に吸い込まれていくのを見送ると仕事場を後にし、自宅に戻ることにした。
それから巧助は両親に自分の決意を伝えた。
巧月の仕事を継ぐために修行がしたい、仕事はいずれ俺が使うから無くさないでくれ、と。両親は最初は反対していたが、巧助の熱意に負け了承することとなった。
それから月日は流れた。
高校を卒業した巧助は、明日から巧月の古い職人仲間の下へ修行に出ることになった。
巧助は卒業の報告と掃除を兼ね、巧月の仕事場へとやってきていた。
「さてと、しばらく掃除できなくなるからな、しっかり掃除しないとな。な、じぃちゃん!」
巧助は仕事場の最奥にある大きな鏡に語りかけていた。かつて自分を吸い込んだ大きな鏡は、二度と巧助の身体を吸い込むことはなかった。
「‥‥ん?これ、じいちゃんの工具箱、かな?」
仕事場の掃除中、彼は巧月の使っていた古い工具箱を見つけた。
使い込まれた工具たちはところどころ劣化していたが、手入れをすればまだまだ使い続けることができそうだった。
「じぃちゃん。これ、借りていくね。」
いくつかの工具を中から取り出すと、工具箱の底に1枚の写真が隠れているのがわかった。巧助はどんな写真だろうかと思い、丁寧に写真を取り出してみた。
「これは‥‥ひいじぃちゃんとじぃちゃんの写真‥‥?あれ‥‥これって!?」
巧助は、いつか自分が死んで鏡の世界で生まれた時にも、この仕事場が残っていたらいいな,と思った。そして,そんな彼の旅立ちを、鏡の中で出会った少年時代の巧月が写真の中,笑顔で応援しているようだった。
2010年10月ごろ 初稿
2025年1月24日 加筆・修正
グランパ アマモリ @Ut-Amamori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます