オキニの店

多田島もとは

オキニの店

 夕暮れの雑踏の中、定時退社した俺は自宅には向かわず駅裏の繁華街を歩いていた。

 路面に響く乾いた靴音が、催眠術師の振り子のように俺の半生の記憶を呼び覚ます。


 俺はグルメやファッションなどにはまるで興味のない、趣味といえば激安ピンサロをはしごするくらいのつまらない男だった。

 そんな俺が、妻――優里を一目見た瞬間、雷に打たれたようなショックを受けた。

 悪友に連れられて偶然入店したあの店で、運命の女性に出会えたことを今でも鮮明に覚えている。


 それからの俺は優里を目当てにあの店に通うようになった。

 必死に口説き落として店の外で会うようになったが、何せ俺は恋愛方面の経験値が極端に低い。

 ショーウインドウの前を通るたび、ファッション雑誌から飛び出てきたような美女の隣に立つみすぼらしい場違いな男が許せなくなってくる。


 俺が笑われるのは構わない。だが俺のせいで優里が笑われるのは我慢出来ない。

 俺はそれまでの自分を恥ずかしく思い、彼女の隣に立つにふさわしい男になりたいと、強く思った。


 それからは体型や身なりにも気を使い、高級フレンチの予約もそつなくこなせるようになったが自慢することでもない。誰もがしていることをそれまでの俺が出来なかっただけの話だ。


 努力の甲斐もあり、俺は優里と無事結婚することが出来た。

 プロポーズの返事を待つ間、どんな結果になっても自分を成長させてくれた優里には感謝しかないと思っていたし、優里以外の女性を好きになることなどないだろうと確信していたが、最高の結末に俺は世界一の幸せ者だと運命に感謝した。


 それからの俺は自慢じゃないが妻一筋に生きてきたつもりだ。

 ただ最近少し不満がある。まあ、ぶっちゃけて言えば体の問題だ。

 要するに最近の妻は淡白というか、俺はその……物足りなさを感じているのだ。


 結婚当初の妻といえばそれはもう、プロのテクニックを存分に駆使して俺を満足させてくれていた。

 連日連夜、貪るように欲望を満たしていた日々を体が覚えてしまっている。

 妻が悪いわけではない。悪いのは俺だ。俺に全ての原因がある。

 自分のせいでそうなったというのに、更に最愛の妻を裏切ろうとしているのだから、俺は最低の男かもしれない。


 信号待ちをしている間に、妻に帰りが遅れるとメッセージを送る。


       ごめん!残業で遅くなる(泣)夕飯は買い置き食べるから心配しなくていいよ(合掌)

 

 おつかれさま(ハート)あかちゃんも遅くなるかも(残念)


 信号が青になるよりも早く妻からの返信が届く。

 文面を見て一瞬考えたが、”あかちゃん”がベイビーのことではなく妻の妹のことだとすぐ理解する。今晩泊まりに来る約束でもしていたのか?


 ところでこの姉妹だが、まるで双子のようによく似ている。

 夫の俺でさえ時々間違えては愛情が足りないと妻にしかられるほどだ。

 しかし妹の来訪が遅れると俺に伝えたところで仕方がないだろうに。


 不可解な妻からのメッセージについて考えているうちに、きらびやかなネオン街の中に俺はいた。

 うっとおしい呼び込みを適当にあしらい、俺は目的の店の前で足を止める。


 またこの店の――優里と出会ったの常連になるとは思ってもみなかった。 


 店の前にいる店員に予約を告げると待合室に案内される。

 俺は安物のソファーに腰掛け、静かにその時を待つ。


 待合室には俺のほかに若い男がいたのだが、少々落ち着きがない。

 緊張しているようだが、こういう大人の店に入るのは初めてか?

 俺も最初は周りの人間からこんな風に見られていたのかもしれないなと懐かしく思い、見ず知らずの若人に頑張れよ!と心の中でエールを送る。


 ほどなくして席に案内されると、いよいよオキニとのご対面だ。

「いらっしゃいませ~」満面の笑みでオキニが出迎えてくれる。

 オキニ――明里は透き通るほどの色白で、純白の装いが良く似合う。


 俺はズボンのベルトを緩めるよりも先に、唇に指を当ててキスをねだる。

 明里はクスクスと笑うと、ゆっくりと両手を差し出してくる。

 その数秒でさえも待ちきれない俺は少し強引にキスを奪う。

 唇に触れる柔らかな感触……熱いものが唇の間からするりと入ってくるのが目を閉じていてもわかる。

 脳と舌がとろけそうになる大人のキスだ。

 明里は本当にキスが上手い。こうして欲しいという俺の好みを良く知っている。


 俺が口の周りを唾液まみれにして余韻に浸っていると、明里は俺を喜ばせる準備を始める。

 白魚のような細い指が薄布を剥ぎ取ると、俺の松茸がボロンと顔を出す。

 と同時に濡れた靴下のような強烈な臭気が広がる。

 明里は気にも留めず濡れた布で綺麗にしているが、俺はそれだけで欲望の高まりが抑えられなくなってくる。


 手持ち無沙汰か悪戯心か、俺は目の前に見える魅惑的な白磁に触れたくなり、そっと手を伸ばしてみる。

 つるりとした地肌に指を滑らせていくと、指先がしっとりと濡れている場所を見つける。


――さっきのアレでこんなになっているのか!


 俺は熱いキスの残滓を確かめるように明里の名器をまさぐると、指先に絡まる塩味と酸味を帯びたほとばしりをそっと口に運ぶ。

「やめてください……他のお客様に見られてます」

 明里は恥ずかしそうに目をそらす。


 俺としては直接口をつけて一滴残さず舐め尽くしたいところだが、時間もないので明里のサービスを堪能することに集中する。

 というかこれ以上我慢できない。今すぐ入れたい! 口の中にぶち込みたい!

 反り返った茸の赤黒い先端が唇の間に消えると、粘膜を押し開きながら喉の奥に当たる。


――きつい、なんて圧力だ。


「うん……んんん……」

 くぐもった声が漏れる。


 小さな口で懸命に受け入れようとしているが、少し動けばカサの部分が口内の粘膜を容赦なく引っ掻き回す。

 ゆっくりしたピストン運動が溢れる唾液の滑りを得て、徐々に高速ピストンに転じていく。

 しびれるような感覚に身を委ねていたそのとき、ふと視界の端に妻の姿が見えた!


 幻覚か、昔の記憶のフラッシュバックか……そんなはずははない。

 この店でどれほど優里を見てきたと思っている。この俺が見間違うはずがない。


 俺は明里のサービスに夢中で全く気づいていなかったが、少し離れた席……男の陰に見えるのは確かに優里だった。


――何でこの店に優里が……いや違う、まさか。


――あれは妹の方なのか?


――だとすると優里は……


 俺は予想外の展開に驚いたせいか、限界が一気に押し寄せてくるのを感じた。

 腹の奥底から熱い物がこみ上げてくる。


――やばい、出そうだ。


 俺は目の前でリズミカルに上下運動を続ける明里にフィニッシュを告げる。





「大将、お勘定!」


「まいどー! 伝票そこね」


 明里は鮮やかな包丁さばきを続けたまま俺に伝える。


   キスの天ぷら盛り合わせ(塩、レモン)

   松茸の丸焼き


   お食事処 明里あけさと


 俺が伝票を確認していると、後ろから不意に声をかけられる。

「これもお願いね、お義兄さん!」

「やっぱり茜だったか」

 目の前で悪戯っぽく笑みを浮かべる義妹殿が伝票を押し付けてくる。


「お前、俺が来るの知ってたのか?」

「うん、お姉ちゃんに頼まれて」


――何てこった。優里には全部ばれているらしい。


「お姉ちゃん心配してたよ。定期健診の結果かなり悪かったんでしょ?」

 茜が心配と怒りを織り交ぜたような目で俺を見据える。

 確かに今も少し食べただけで嘔吐感にさいなまれる。

「お姉ちゃんが一生懸命カロリー計算したり、減塩メニュー考えたりしてるのに、お義兄さんが隠れて外食してたら意味ないじゃない」

「そんなに量は食べてないぞ! 俺だってすぐ飲み込んだりせず、何度も出し入れしてじっくり味わうようにしてる……って、すまん。このこと優里には」

「言うに決まってるでしょ。私がここにいるの知ってるんだから」


 それはそうだ。そんなこともわからないほど混乱していた俺だったが、二人分の支払いを済ませる頃にはすっかり冷静さを取り戻していた。

 次第に嘘がばれたばつの悪さより、俺の体を気遣う妻に嘘をついた申し訳なさで胸がいっぱいになる。


「何やってんだろう。俺が馬鹿だった」

「今日ご馳走してくれた分ぐらいは私も弁護してあげるから、覚悟決めて叱られなさいよね!」

 そう言って俺の背中を叩く茜に黙ってうなずくと、ズボンのベルトを締め直して帰途についた。

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