神龍軒よ永遠に

月見 夕

決戦前夜

 イベント前夜。閉店後の厨房には人が詰めかけ、これまでにない熱気にあふれていた。俺、兄貴、そして兄貴のバンドメンバー三人は手元の作業にかかりきりだ。

 そう、事情を知った兄貴のツレたちはエプロン持参で手伝いに来てくれていたのだった。

「皿洗いかと思ったらガッツリ調理とかアガるわ」

「料理すんの家庭科の調理実習以来だもんな」

「やべぇ! 卵の殻入っちまった、菜箸くれ」

 ……手元には不安が残るが、下処理は手伝って貰えるに越したことはない。

 俺は俺でいくつもの寸胴を前にガラを炊いたり焼豚を仕込んだりと、後ろの喧騒を振り向けない忙しさでいた。

「卵、卵黄と卵白に分けといてくれ、一人十個ずつな」

「量マジで鬼だな弟……何になんの? これ」

「杏仁ロールケーキ。完成したら切れ端食っていいから頑張れ」

「味見して良いってよ! やったぜ!」

 無邪気にはしゃぐドラムのカズ。喜ぶのは混入させた卵の殻を取り除いてからにしてくれ。

 ボーカル兼リーダーの兄貴は、五本束ねた菜箸を掲げてバンドメンバーへ叫ぶ。

「野郎共、菜箸は持ったか!」

「いぇーい!」

「いいか、卵白は気を抜くとすぐヘタる。ライブと一緒だ! 客席オーディエンス沸かせたいならバイブス上げてけ!!」

「バイブスは良いから手を動かせ手を」

 熱くなっている兄貴をよそに、俺はざっくりと刻んだばかりの白葱の山を豚ガラの寸胴へと投入した。

「ねーぇ? 中華屋弟ぉ、お品書き書けたわよぉ」

 遅い時間にも関わらず頭をきっちりとポマードで固めたダンディな青髭面が、厨房へひょっこりと現れた。お隣の純喫茶、シン・カテドラルのマスター……いやママだ。

 その強すぎる絵面は男むさい調理場に極彩色の花を添えている。早い話、胃もたれしそうだ。

 ママは明日のイベントには出店しないのだが、ぜひ手伝いたいと熱い申し入れがあり、こうして閉店後の客席でメニュー表や看板の準備をしてくれている。本当にありがたいことだ。絵面は強いけど。

「どう? 他に書いておくことあるかしら」

「おぉ……相変わらず達筆だな……」

 ママが持ってきた紙の上には流麗な筆文字が踊っている。確か彼は書道の師範代をやれるほどの腕前なんだった。美しさの中に宿る力強い字体に、思わず素直な感想が漏れる。

「……うちの店内のメニュー表も全部、ママに書いてもらいたいな」

「ヤダぁ、べた褒めすんのは明日を戦い抜いてからよぉ。その先もやっていけなきゃ、メニューもクソも無くなるんだから」

 ウィンクとともに飛んできた言葉は重く肩にのしかかり、俺に現実を叩きつける。そうだ、どこか文化祭の前夜気分で浮かれていたかもしれない。

 明日のイベント――愛され地元メシ決定戦で一位を取り、露出を浴び、「地域になくてはならない」と皆に感じてもらい閉店への反対の声が上がらなければ、爺ちゃんから三代続いた神龍軒は無くなるかもしれないのだ。どこの馬の骨とも知れない男との契約によって。

 一番になったところで契約が破棄になるのかどうか、一抹の不安はよぎったのだが……契約とやらにどう対処すれば良いのか分からない以上、中華屋以外の生き方を知らない俺には鍋を振ることしかできない。

「なあ龍樹の弟、これまだ掻き混ぜるのかよ」

「まだまだ、全然角立ってねえじゃねえか!」

「電動泡立て器買おうぜ……俺金出すからさ……」

「こんな夜中に売ってくれる電気屋があると思うか?」

 泣き言を言ってるベースのコウタに喝を入れ、俺は煮立つ寸胴へ戻った。

 こうして胸の片隅に不安を抱えたまま、決戦前の夜は更けていった。

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