12話 バンダナの男【改訂】
「それで、ジベールさんの件は?」
俺の身体の謎の刻印については結局あれ以上何もわからないままだったため、話を元に戻すことにした。
「我も詳しいことはわからぬ。お主を見て我はすぐにジベール卿の書斎に向かったのだが……中はもぬけの殻であった。
騎士団の兵士たちも駆けつけ捜索に加わったが、卿の行方は知れぬままだ」
「そうか……。ところで組織にはいつから?」
「ちょうど1年前だ。2ヶ月ほど世話になっていたが、お主と同じく無益な殺生を拒み足抜けした」
「その後、ジベールさんに拾われたってわけか」
偶然ジベール卿に出会い、それから屋敷でメイドとして働いていたということだった。
メイファは行き場をなくしたように目線をさまよわせ遠くを見つめた。
「しかし、だとすると変だな。ジベールさんは噂によると事故で死んだという話になっている」
「うむ、卿は王都では名の知れた人物であったからな。混乱を避けるため、表向きはそのような話になっているのだろう」
なるほど、あれだけ立派そうな人物だ。
行方不明ともなれば様々な流言や憶測が飛び交うだろう。
事故で死んだという方がまだ真実味がある。
「……うん? でもメイファは最初、俺のことを仇だと言っていたよな。
メイファはジベールさんがすでに死んでいると思っているのか?」
「うむ。卿は王城内で王都防衛に関わる要職についていたのだが、政敵も多かったらしく近頃は不穏な気配が漂っていた。
いつ刺客に襲われるだろうかと、常日頃の卿からは考えられぬほど神経質になっておられたのだ。
そこに来てあのような事件があったため、おそらくはもう……」
メイファの表情が曇った。
良い人だったのだろうな。
俺もほんの少し会っただけだがわかる。
誠実で正義感の強い人だったのだろうと。
「やるせねえよ……」
良い人から死んでいく。
それが、この世の摂理なのだろうか。
俺に人を信じる心があれば、ジベールさんと一緒に戦って事態を変えられただろうか。
もう今となっては後の祭りだが。
「奥方様と御息女は健在だ。今も屋敷で夫の身を案じておられる」
「つらいだろうな……。場合によっちゃいつまでも待ち続けることになる」
「我とて本当は生きていてほしいのだ。だが、それはあまりにも楽観的な考えと言えよう」
メイファのように考えるほうが、多分現実を見た時のショックは少ないのだろう。
俺がメイファならば、きっと生きているという希望に縋り付いただろう。
まだ子供なのに、メイファはずいぶん達観しているように思える。
「これからどうするんだ?」
「我はジベール卿の行方を追い続ける。奥方様と御息女のためにも、ここで諦めるわけにはいかぬ」
――ザッ!
通りの方から一瞬だが足音のような物音がして、俺とメイファは同時に音の方を見る。
だが、そこには誰もいない。
通りに出てみても、もともと人通りの少ない路地には人っ子1人いなかった。
しばらくあたりを凝視する。
そこは、俺もメイファもさっきから見ていた場所だった。
「よお。お2人さん」
その場所に突如ヒトの姿がずずずっと浮かび上がる。
恐怖と緊張感が一瞬にして俺の身体を駆け巡った。
「……ッ! 何奴!?」
奇妙な格好の男だった。
今の今までまったく気配を感じなかった。
一瞬だけ通りに響いた足音がなければ、注意を向けることはなかっただろう。
それはメイファも同様のようだった。
男は頭と口元を2つの大きなバンダナで覆っていた。
かなり奇抜なデザインだ。
「だ、誰なんだこの変なバンダナ野郎は」
「失敬なやつだな。……まあいい、俺は名はクリプトだ」
男は通りの中央に立ったまま、堂々と名乗りを上げた。
随分と自信満々じゃないか。
だが実際、それだけの隠密スキルをまざまざと見せつけられている。
「さっきまでどこに隠れてやがったこの変質者!」
「いや待てクロウ。彼はおそらく組織の人間だろう」
メイファがそう言ってよく見るように促す。
「ああっ! そのローブは魔法のローブじゃねえか! それで隠れてやがったんだな」
俺はあの日、シャルに渡したローブのことを思い出した。
魔法のローブは組織の暗殺者に支給されるローブで、魔法の力で姿を見えなくする効果があるのだ。
「ふっ……たしかに俺は組織の人間だ。だが、俺のハイド能力をそんなちゃちなおもちゃと一緒にされちゃ困るぜ」
そう言うと、クリプトはローブを脱ぎ捨てる。
そして次の瞬間、男の姿は音もなく一瞬でかき消えた。
「ど、どこだ!? いったいどこに……」
「ここにいる」
すると、また元いた場所――通りの中央に男は相変わらず立っていた。
「い、いったいなにがどうなって……」
戦闘態勢を取るが、存在をまったく知覚できない相手にどう戦えばいいのか。
「まったく面妖であるな。完全なるステルス能力とは」
「組織の人間……ということはこの男も刻印使いか!」
メイファの話が本当なら、クリプトも刻印使いと見て間違いない。
「いかにも。俺は森の神レーシィと契約している。
能力は見ての通り完璧なステルスだ。
この能力を使用している間は誰も俺の存在を知覚できない。
……まあ、1つだけ欠点はあるがな」
そう言うと、クリプトは通りの端へと歩く。
建物のドアのすぐ近くで止まり、こちらへ向き直った。
「いくぜ……
すると、今度はクリプトの姿が半透明になった。
「どういうことだ?」
「ふっ……このステルス能力はこのような人工物が近くにあると効果がガクッと落ちる。俺の声も聞こえているだろう?」
「なるほど、たしかにな」
クリプトがまた歩き出して建物との距離を離すと、さっきまでと同様にまた完全に存在がかき消えた。
能力を解除してクリプトがまた姿を表す。
「そういうわけだ。人工物が近づいた途端に俺のステルスは完全ではなくなる。
そのため剣などの武器を持つこともできない。
唯一許されるのは、この自然由来の素材をそのままの形で使用して作られた
自然の中では無類の強さを発揮する能力だが、街の中では隠れられる場所は少ない」
「いいのか? 能力のことをそんなにペラペラと喋ってよ。こっちは2人だ。やる気なら容赦しないぜ!」
俺は気合を入れてファイティングポーズを取る。
しかし、クリプトはその様子を見ても焦った様子はなく微動だにしない。
「勘違いするな。俺は敵ではない。アルマイーズ様の命令でお前に伝言を頼まれて来たのだ」
「アルマイーズの……?」
「アルマイーズ様から直接の言伝であると?」
理由はわからないがアルマイーズは相当俺のことが気にかかるようだ。
コロッセオでもコンタクトを取ってきたしな。
「東へと向かいキーストーンを追え。ベリクトという男に気をつけろ。出会ったらすぐに逃げることだ」
「どうして俺がそんなことを?」
「いずれわかる。指示に従うのが身のためだ」
なにがなんだかわからない。
暗殺組織は敵ではないのか。
「それから、あの司教も連れて行け。教団から命を狙われている。逃走手段についてもなにか用意があるはずだ。じゃあな」
「待て、アルマイーズはいったい何を……」
俺が言い終わらないうちに、目の前からクリプトは忽然と姿を消した。
まるで始めからいなかったかのように、跡には何も残らない。
クリプトがそこに存在した証拠はチリひとつなかった。
「いったい何が起こっているんだ?」
「クロウよ、気が変わった。我もお主とともに行こうぞ」
メイファが真剣な眼差しでこっちを見つめる。
「どうしたんだ? ジベール卿を探さなくていいのか?」
メイファは思案する様子で指を立てる。
「もとより卿の手がかりはもはや絶えておる。このまま宛もなく行方を追うよりも、お主についていく方が幾分よいであろう」
「そりゃ構わねえが……」
内心は不安だった。
一緒にいると俺のせいで危険に巻き込んでしまう。
『――目の前でまた誰かが死ぬことになる』
手のひらにじっとりと汗がにじんでいた。
「我はこう可憐に見えてもかなり腕が立つぞ」
「はいはい、わかったよ。好きにしろ」
こうして何かと古臭い喋り方をするこのメイド姿の少女と行動をともにするようになった。
外はいつの間にか斜陽が差し込む時間になっていた。
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