15話 刻印使いの戦い【改訂】

 霧の中での俺とアニカの戦いは混沌としていた。


「しつこい男だ」

「どうにも死ねないもんでね」


 追撃をかわして三度距離を取る。

 霧によってすぐにお互いの姿が見えなくなる。


「けどこの霧、メイファ以外には目眩まし以上の効果はないんだよな」


 メイファによるとこの霧で気配を消せるのは自分だけということだった。


「むしろ見えない分邪魔になってやしないか?」


 そう思ったが、アニカは先ほどから投げ物を封印して接近戦を仕掛けてきていた。

 俺は攻撃を凌ぎ切って距離を取る逆ヒットアンドアウェイを繰り返して相手の動きをよく観察した。


 多少切り傷は増えたが致命傷ではない。

 相手の動きにも慣れてきた。


「なるほど。そういうことか」


 霧の中にはミリエルもいる。

 投げ物が飛んでくると危ないから姿勢を低くしてじっとしているように言っておいた。


 だが霧で相手を視認できない今、アニカはスティレットを迂闊に投げられないでいるのだ。


「投げればミリエルに当たる可能性がある」


 スティレットに糸を付けてぶん回すようなかわいげのない戦い方の割には慎重な性格のようだ。


「さて、どうやって攻勢に転じるか」


 逃げる道中で役に立ちそうなものをいろいろ拝借してきたが、どうにも攻め手を欠いていた。


「短剣は捕まったときに取り上げられているしな」


 フライパンを腹部に仕込み、丈夫な鍋蓋を盾として防御面は問題ない。

 だが武器は包丁に果物ナイフではリーチが短くてあまり使い物にならない。


 こちらにまともな攻撃手段がないことは向こうもわかっている。


「どうにかして投げ物のスティレットを奪えないか……?」


 すぐにピンときた。


「そうだ! 刻印の力!」


 前に盗賊から短剣を奪ったのはおそらく刻印の力によるものだ。


「だけどどうやって使えばいいんだ?」


 軽く念じてみる。


「おおー、神よ! どうか俺に力を!」


 しかし何も起こらない。


『それじゃダメだ。力を使うには鍵となる合言葉、スキル名が要る』


 頭の中に声が響く。


「合言葉? それはいったいなんだ!?」

『頭の中で動きをイメージしろ。スキル名は高みを行く者ハイペリオン

高みを行く者ハイペリオン、か……」


 考えているところへ再びアニカの突撃が来る。


「ぼーっとしていたら死ぬぞ。ここは戦場だ」

「おわっ!」


 不意を突かれた形になりもろに右腕にダメージを負ってしまう。


「くっ……!」


 スティレットを弾いて距離を取る。


「あと少しだ。次でお前の命運は尽きる」

「へっ、言ってろ!」


 またアニカの姿は霧で見えなくなる。

 俺はアニカの突撃に対応する動きを頭の中でイメージする。


「よし……! 今度はこっちから仕掛けるぞ!」


 またもアニカは低い姿勢から突撃してくる。

 そこに刻印の力を発動する。


高みを行く者ハイペリオン!」

「――なにっ!」


 俺の身体はイメージした通りの鋭い動きを見せる。

 突撃してくるアニカを半身でかわすとともに伸びた腕をとり、ひねる。

 合気道の技を受けたように、アニカの前方向への慣性がひねりによって下方向へとシフトして身体を回転させる。


 そのまま地面に勢いよく叩きつけた。


「がはっ!」


 地面に寝転び動けなくなったアニカを見下ろす。

 このあとどうするかは考えていなかった。

 とりあえず近づいて首筋に包丁を当てようとするが、アニカは不敵に笑う。


「ふふ、その甘さが命取りだ」

「な、なんだ?」

「すでに発動条件は満たしている。――天に至る道ツェッペリン


 俺の身体は不意に浮き上がる。

 奇妙な浮遊感に全身が包まれていた。


「まさかお前も刻印使いだったとはな」

「なに! ……ま、まさか」


 倒れたときにスカーフがめくれたアニカの首筋には、神々の加護を示す刻印の紋様が見えた。

 まさかアニカも刻印使いだったとは!


「お前はもう私が能力を解除するまで決して。死へのフライトを楽しむことだ」


 俺の身体は地面を離れ、ぐんぐん上昇を続ける。

 スラムの景色が少しずつ遠ざかっていく。


「これも刻印の力なのか……!」


 手足をばたつかせ抵抗を試みるがどうにもならない。


「くそっ、なにか手はないのか」


 まるで身体の質量が一瞬にしてなくなったようだった。


 刻印……神という理外の存在によって与えられる加護の力。

 俺は改めてこの常識を超えた力を認識する。


 抗えぬままに、俺の身体はもう王城の一番上と同じ高さまで舞い上がっていた。


「いったいどうなっちまうんだ……?」


 このまま上昇し続けて空気が薄くなり酸欠で死ぬのだろうか。

 それとも凍死するのが先だろうか。

 俺の亡骸が宇宙を彷徨って太陽の熱に焼かれ灰になるのだろうか。


「あいつは落ちないって言ったが、どこまで上昇し続けるんだ?」


 すでに高度は雲と同じぐらいか。

 落ちれば地面に叩きつけられ破裂して死ぬ。


 そんな悪夢のような想像をしていると――。


「うわっ!」


 突如身体が風の力を感じる。

 身体が下へと落ち始めたのだ。

 先ほどまで感じていた浮遊感は一切なくなっていた。


「これは、能力が解除されたのか!」


 力を取り戻した重力によってぐんぐんと加速しながら落ちていく。

 このまま地面に激突すれば間違いなく死ぬ。


「くそっ、どうすりゃいい」


 とりあえず着ていたローブを広げて減速を試みる。


「おらぁ!」


 必死に手を伸ばしてたなびくローブの端をつかむ。

 ローブを握った手に風の抵抗を感じるものの、大きく減速させるほどの効果はない。


「もっと減速しないと……これじゃ焼け石に水だ」


 何かないかと周囲を必死に探した。

 すると、あるものを見つけた。


「あれは……ほろか?」


 スラムの路地にはところどころに日除けのための布が張られていた。

 ローブで減速を試みたおかげで、俺の落下地点はスラムの建物の方へとズレていた。


「これならいけるかもしれねえ」


 ごくりと息を呑み覚悟を決める。


「なんだってこんな曲芸みたいなマネしなけりゃならねえんだ」


 俺はローブをうまく操って位置を調整する。

 そこに何か光るものが飛来する。


「うぐっ!」


 アニカの投げたスティレットだった。


「往生際の悪い男だ」


 幸い位置を調整していたタイミングだったので身体には当たらなかった。

 だが、狙いを外れたスティレットは俺のローブに大きな穴を開けていた。


「くそっ! もうローブを握ってても意味がねえ!」


 俺はローブから手を離し、落下の衝撃に備える。

 もうこれ以上落下位置を調整する手段も時間もない。


「届いてくれッ!」


 風の力がうまく加わったのか、俺の身体は張られた幌の真上に墜落する。

 落ちた衝撃で幌を支える支柱が折れる。


「まだだ!」


 俺は落ちる際の身体の体勢と入射角度も計算していた。

 幌にぶつかった後、身体が建物の外壁の方へと転がるようにするためだ。


 イメージしていた通り、それまで垂直落下していた俺の身体は幌にぶつかり軌道を変える。

 眼前にスラムの建物の壁が迫る。


「うおおおおおぉぉぉおぉぉぉぉ!!」


 足に、腕に、指先に目いっぱい力を込めて建物の外壁に張りつく。

 摩擦で腕と足の皮が擦りむけ、爪が剥がれて血が滲む。


 次の瞬間、地面に叩きつけられる。

 ――どすんと大きな音がした。


「うごぁッ!」


 落下の衝撃で土煙が立ち、鉢植えが『がちゃん!』と大きな音を立てて割れた。


 意識はある。

 しかし、立ち上がろうとしてもすぐには立てない。


「ぐっ……クソッ」


 手の方を見ると、壁に張りつく際に突き立てた果物ナイフが根元からぼっきり折れていた。

 ローブを握る際に手放した包丁と鍋蓋もどこかにいってしまった。


「悪運の強い男だ」


 アニカの声がしてそちらに向き直る。

 土煙の先に人の姿が見える。


「くそ、グズグズしてられねえ」


 俺は無理やり身体を起こす。

 上半身を起こした瞬間、喉の奥から血が吐き出された。


「ごほっ……! うあっ。ぐく……」


 血が喉につまり声にならない苦鳴が漏れた。

 どうも落下の衝撃で内臓がやられているらしいな。


 口元についた血をそでで拭う。

 なんとか萎えた足を叩いて鼓舞しながら立ち上がった。


「へっ……フライト成功だぜ」


 必死で余裕ぶるも満身創痍だった。


「生き残ったことは褒めてやる。だがチェックメイトだ」


 土煙が晴れ、スティレットを高く掲げたアニカが見えた。

 メイファの霧もいつの間にかなくなっており、武器として使えそうな物は腹にしまっていたフライパンしかなかった。


『相手の武器を盗め』

「そんなこと言われてもどうすりゃ……」

『イメージしろ』


 他に策はない。

 俺は目を閉じて集中する。


「終わりだ!」


 目を開ける。

 眼前には投げられたスティレットが迫っている。

 だが、もうイメージは済んでいる。


 俺は飛んでくるスティレットを真正面に捉える。

 まるで何千回、何万回と繰り返した動きのように身体が自然と動く。


「よし! とった!」

「捉えられただと!?」


 俺の手は飛んできたスティレットを正確に掴んでいた。

 しかし、すぐにアニカの突撃が来る。


 俺は奪ったばかりのスティレットを手に応戦する。


「私は負けられない! 姉さんのためにも!」


 怒涛の勢いで攻め立てるアニカ。

 だが、彼女の戦い方はもう見切っている。


 俺の能力は予測できる動きにはとことん強い。


「最初よりずいぶんと遅く見えるぜ」


 俺はイメージしていた動きで完璧にアニカの攻撃を捌いてみせた。

 驚きに目を見開くアニカ。


「まだだ!」


 なおも猛然と迫ろうとするアニカに対し俺は距離を取る。


 まだ油断はできない。

 彼女には刻印の力がある。

 再び発動されればひとたまりもない。


 俺は距離を保ちながら彼女の周囲を逃げ回る。


「何のつもりだ! 戦え!」

「やなこった」


 相手の位置をうまく誘導しながら立ち回った。

 そして頃合いを見てを引っ張り上げた。


「ひゃっ! なに?」

「よし、狙い通りだ」


 急に動きに制限を受けて慌てた様子のアニカ。

 身体には自分から俺の持つスティレットへと伸びる鋼鉄のが絡まっていた。


「おのれ! 卑怯な!」

「なんとでも言え」


 俺は糸の先を建物から出ていた鉄製の杭に括りつける。

 その後スティレットを糸から切り離した。


 身動きの取れないアニカをそのままにして、俺は戦いの場を後にする。


「じゃあな」

「くっ……次に会った時は覚えておけ!」


 一陣の風が吹き抜け穴の開いたローブをなびかせる。

 こちらの決着はついた。

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