9話 司教ミリエル【改訂】
あれから2日間ほどスラム街に潜伏し続けた。
相変わらず騎士団が
ある程度動向を見守りつつも目立つ動きは避けた。
スラムの物乞いたちに紛れて夜を明かし、夜闇に紛れて水飲み場で喉を潤した。
失うものなど何もない。
捕まりさえしなければよかった。
ただ、それももう限界だった。
「くっ……腹が減った」
食事は3日前の夜から取れていない。
金もなければ食う物もないとはこのことだ。
おまけに逃げる道中で腹部の傷口が開いてしまっていた。
血が足りず、フラついて倒れるのも道理だ。
「あの、大丈夫ですか?」
声がして上を見上げると、淡い緑色の髪をした美麗な少年が立っていた。
桃色の瞳でこちらを覗き込んでくる。
よほど、このスラム街には似つかわしくない。
まるで天使のようだった。
「大丈夫、だ……ごほッ! 俺に関わるな!」
しばらく何も口にしていなかったせいか、喋ろうとして思わず咳き込んでしまう。
少年はふむと言ってなにか考えていたがやがて人を呼んできて、その人と一緒に俺を担ぎ上げようとした。
「おい、何をするんだ!」
「お兄さん、名前は?」
「お前には関係ない! 離せ!」
俺は2人の手を振りほどいて逃げ出す。
「あっ、待ってよ!」
「もうたくさんだ!」
俺に関わるとみんな死んでしまう。
俺のせいでロクな目に合わない。
このまま1人で野垂れ死ぬのがお似合いなんだ。
さらに3日ほど経った。
俺は完全に動けなくなってしまっていた。
立ち上がろうとしても、足が萎えてしまいうまく動かない。
「これで、みんなのところに行けるだろうか」
そもそも俺みたいなクズを待ってくれている人などいるのか。
かつての仲間も、俺が勝手にそう思い込んでいただけじゃないのか。
本当は俺以外のメンバーで集まって、楽しくやっているんじゃないのか。
「いいさ……もう楽になれるんだ」
血と汗でじっとりとした肌の感触も、いつの間にか気にならなくなっていた。
俺はそのまま眠りについた。
◆
目が覚めると、ベッドの上だった。
知らない天井に清潔なシーツ。
どうやら今度は牢屋ではないようだ。
「ここは……どこだ?」
身体がひどく痛む。
だが、ベッドと布団の感触に安心感を覚えた。
「しばらく動けそうにないな」
立ち上がろうとするも、身体の力がことごとく萎えている。
「おや、起きたのですか?」
急に声をかけられて驚く。
乳母といった感じのクラシカルなメイド服姿の老婦人が、部屋の入口の前からこちらを見ていた。
なんとなく見覚えがあった。
たしかスラムであの少年と一緒にいた人物だ。
物音を聞いて様子を見に来たようだった。
「……あんたは?」
「私はマーグメルテ。みなさんはマグメルと呼びます。ミリエル坊っちゃんのお世話係をしております」
すると、今度はあの少年が入口からひょこっと顔を出した。
見た感じ13か14才ぐらいの少年だ。
「あっ、目が覚めたんだ。よかったね」
少年は人懐っこく小首をかしげてこちらを見ている。
「まだ自己紹介してなかったね。僕はミリエル、一応ここの主だよ」
「俺はクロウ、クロウ=ディアスだ。……すまない、世話になっちまったみたいだな」
俺はこれ以上迷惑はかけられないと思いベッドから起き上がろうとするが、ミリエルに強引に止められた。
「あーっ、いいのいいの。僕が趣味で勝手にやってることだから。まだ寝てないとさ、ね?」
「だめだ! 俺に関わるとロクな事にならない!」
ミリエルは「だめだめ」と言って俺の身体をベッドに寝かしつけようとする。
「もうすぐ食事もできるからさ。ねっ?」
「ふざけるな! 俺のせいでまた誰か死ぬかもしないんだぞ!」
俺が手を振りほどき声を荒げても、ミリエルはまったく動揺する素振りを見せない。
「僕が助けたくて助けたんだ。たとえどうなっても、それは君のせいじゃない」
「だ、だけど……」
俺はそれ以上もう何も言えなくなってしまった。
会ってまだ間もないがわかる。
ミリエルは強情だ。きっと折れない。
似たような状況に俺は覚えがあった。
機械都市を出て外をさまよい倒れたときに、ハナビが俺を助けてくれた。
この少年は、どこかハナビに似ているなあと思った。
「それでは、私は食事の支度をしてきます」
マーグメルテは深くお辞儀をして出ていった。
少しだけ警戒したが、兵士の気配はまるで感じなかった。
いや、俺を突き出すつもりならハナからこんな風にはしないだろう。
事実、俺の傷はかなり丁寧に処置されていた。
本当にただの人助けだというのだろうか。
「どうしたの? きょとんとしちゃってさ」
「いや、どうして俺みたいな見ず知らずの訳アリな人間を助けるのかと思ってな」
「言ったでしょ。僕がやりたくて勝手にやってるんだ。いわば趣味だね」
「変わった趣味をお持ちなこって」
「ふーん、もう随分元気そうじゃない」
俺の皮肉めいた言い方に頬をふくらませるミリエル。
「悪かったよ」と俺は手を軽く振って答える。
するとすぐにミリエルはまた人懐っこい微笑みを浮かべこちらを見つめてくる。
コロコロと表情の変わるやつだ。
「ねえ、どうしてあんなとこで倒れてたのか聞いていい?」
「聞いたら後悔すると思うぞ」
俺の言に、またしても「これも趣味だから」と返し、ヘヘッと今度は子供らしい笑みを浮かべる。
俺は悩んだ末、これまでの経緯を明かした。
話すとこの少年にも危害が及ぶ恐れがあることはわかっている。
わかってはいるが、多分話さないとこの少年が納得しないだろうこともわかっていた。
それにこうまで助けられた以上、俺の心情的にも話さないわけにはいかなかった。
「じゃあそのシャルって子を助けて、勘違いされて捕まっちゃったんだ。
うん、それはきっとすごく大変だったろうね。神様もきっと、君の勇気を祝福すると思う」
ミリエルは慈しむようににっこり微笑みながらこちらを見ている。
俺はなんだか照れくさくて顔をそらした。
「ミリエルはどうしてこんなスラム街に?」
今度は俺がミリエルに質問する。
世話係までいるような人物がこんなスラム街で暮らしているのはどう考えても不自然だ。
「それはね……」
不意に慌ただしい足音が近づいてくる。
続いてドンドン、と扉を叩く音。
「司教様! 司教様はいらっしゃいますか!?」
「あ、ごめんね。誰か来たみたい。ちょっと行ってくるね」
ミリエルはトコトコと部屋から出ていってしまった。
聞くつもりはなかったのだが、部屋の入口にはドアがないこともあり、向こうから会話の内容が自然と聞こえてきた。
「いやあこれはこれは、ミリエル司教様におかれましてはご機嫌麗しゅう……」
「何の用ですか?」
「いえいえ、なにも特別な用事というものではございませんが、いつも申しております通り教団としてはやはりミリエル司教様には本部で礼拝を行っていただきたいと……」
「はぁ……あのね、何度も言うようだけど僕はここでの暮らしがとても気に入っているんだ。昔からこういう質素な暮らしには憧れていたし。
何よりここには僕を本当に必要としてくれている人がいるからね。きっと神様もお許しくださると思うよ」
「ええ、はい……しかしですね」
「ほら、行った行った。僕は今怪我してる人の看病で忙しいんだ」
ミリエルの声色はどこか不機嫌そうだ。
どうやら宗教か何かの勧誘らしいが、司教様というのは……?
またトコトコと足音を立ててミリエルが帰ってきた。
「ごめんね、聞こえてた? ちょっと恥ずかしいとこ見せちゃったね」
「いや……ところで司教様というのは?」
ミリエルはきょとんとした顔で俺を見る。
俺もきょとんとして、思わずお互いの顔をまじまじと見つめ合ってしまった。
「うん?」
「え、もしかして?」
「うん。ミリエル司教は僕のことだよ」
驚いた。
こんな幼い少年が司教とは。
俺は態度を改める。
「あ、いやその、司教様は……」
「もうクロウまで、やめてよ! ミリエルでいいってば」
そう言ってミリエルは拗ねたようにして見せる。
けれど、すぐに元の人懐っこい笑顔に戻った。
「僕の父さんがね、教会の偉い人だったの。カテドラル枢機卿って言ってね。少し前に死んじゃったんだけど……」
「……そうだったのか。でも、それならどうしてスラムに? 立派な屋敷でもあるんじゃないのか? そっちに住んだって罰は当たらないだろ」
俺がそう言うと、ミリエルは少し寂しそうな物憂げな横顔を見せた。
聞いてはダメなことだっただろうか。
「ここだけの話なんだけど……僕の父さんね、実は裏で色々と悪い事してたみたいでね。
僕にとっては決して悪い人じゃなかったんだけど、父さん以外にも教団の中には信仰を盾に色んな方法で悪いお金儲けをしてる人たちがいて。
それが悪いことだって咎めるつもりはないんだ。だけど僕は、そういうのを見たくなかったから」
俺は真剣に話すミリエルを見据え、ただ黙って頷いていた。
「僕は、他のみんなとできるだけ同じ目線で生きていたい。あんな風に高いところから見下ろすような生き方はしたくない。
だから、屋敷を売り払ってでも……。それまで仕えてくれてた人には悪いけど、みんなには暇を出してここに住むことにしたんだ。
みんなはそれぞれどこかに行っちゃったけど、それでも付いてきてくれたのがマグメルなんだ」
なんとなくわかる気がする。
あの日、機械都市の外に飛び出したときの俺も常々どこか変だと感じていた。
内と外でなぜこうも人々は違う生き方を強いられるのかと。
もちろん、俺はミリエルほど高潔で純朴な人間ではない。
俺が飛び出したのは純粋に外の方が楽しそうだったからだ。
だが、俺もミリエルも与えられた世界のあり方に疑問を持ち、全てを投げ売ってでも自分らしく生きることに決めたのだ。
他人事のようには思えなかった。
「誰かが言っていた。世界のあり方は、その人の心の在りようで決まる。俺は、ミリエルの見てる世界を信じるよ」
「うん。ありがとう、クロウ」
少し泣いていたかもしれない。
顔をそらしたミリエルの頬が、輝いたように見えたから。
世界がミリエルのような子にとって、救いのあるものであればいいなと思った。
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