第6話 斜向かいの老爺
「あれは……いや、まさか……」
早朝、庭にキュウリを収穫に来たときのことだ。
息子夫婦の住むこの家に越してきて一年。おれはその日初めて斜向かいの住人を見た。
一階の玄関横、リビングのあるだろう場所の、白いカーテンに覆われた広い窓。蔦や苔が付いたその窓に、背の小さく髪の長い、少女のような影が映っていた。
「子供……? まさか、家族で住んどったんか?」
言っている間に人影は奥へと引っ込んで見えなくなった。朝起きてまだ時間も経っていなかったから、なんだか夢を見た気分だ。
息子が起きてきてから、今朝のことを話してみた。眠そうにトーストをかじりながら聞いていたが、聞き終わってコーヒーをすすると真剣な顔をする。
「親父、それはさ…… 寝ぼけてたんだよ」
「失礼だな。おれはまだまだボケたりせんぞ」
「あの家に人が出入りすんの見た事ある?住んでるとかありえないって」
だが見たものは見た。あの背丈は間違いなく女の子だった。カーテンの向こうから外を窺いに来て、また奥へ消えていったのだ。
そう主張するが、いつもは味方をしてくれる恵香さんまでもが「それはないですよ」などと言う。
「だってお義父さん、あの家車もバイクも置いてないでしょ? こんな田舎に家族で住んでたら絶対必要ですよ。無いと買い物も不便だし、子供がいるなら、急に熱だしたりしたとき病院に連れて行けないじゃないですか」
きっと見間違えたんですよと、夫婦に揃って否定された。この調子だと、孫が起きて来てから聞いても同じことを言われそうだ。
じじいになると、ありえないことを信じてもらうのは一苦労になるらしい。
そうか、そうか。しょうがない。
それならおれにも考えがある。
◇
「えぇーっと……これを押す……うおっ」
パシャ、と音が鳴り画面が光った。今ので写真撮影が出来たようだ。ホームボタンを押し、写真と題された四角を押すと、人形が山のように積み重なるごみ屋敷の写真があった。
「これで証拠を押さえてやれば、信じざるを得んだろう」
昨日より少し早めに庭に出て、斜向かいの家を見張っていた。いや、一年も見なかったのだから昨日の今日でまた住人を見られる保証というのは無かったから、何日もかけて撮影するつもりでいたのだが。
なんとその日も、一階の窓に人影が現れた。
「おお。よしよし、僥倖僥倖……」
パシャ。写真に収めて携帯をどけると、もう人影は消えていた。
「ううむ……ちゃんと撮れたかね……」
手元を見てまたアルバムを確認しようと板状の電話を叩いていると、ガチャッ、と音がした。
斜向かいからだ。
正面玄関から女の子が出てきた。
真白い洋服を着た五歳くらいの女の子が、兵隊のような綺麗な姿勢で歩いて庭に出ると、ぷつん、と糸が切れたように人形の山に倒れ込んだ。
「おや、いかん!」
子供が倒れた。目にしたその事実に反射で体が動いた。キュウリに背を向け階段を下り車庫を素通りして斜向かいの家へ駆けつける。老いた体はこんなわずかな移動で息を乱させ、視界に邪魔な霞を作る。
「はあ、ああ、おい、お嬢ちゃん、どうした? 大丈夫か?」
目をこすり、息を整えて、ごみ山を見た。
そこに倒れていたのは、真っ白な服を着た洋風の人形だった。
「ああ…………。 ボケちまったかねぇ……」
笑われるのがオチだろうと、この話は息子たちにはしなかった。
その代わりに、息子にはあれを訊いた。
「なあ、このスマホってのは、写真を撮ったのはどう消せばいいんだ?」
カーテン越しにも拘わらずわかる、女の子の顔のニタニタとした笑み。その写真は、手元に置いておくべきではないと思ったのだ。
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