第17話 再会
クロードがシャーロットから解き放たれた、その数日後。
ソフィアは、第二王女・シャーロットの殺害を企てた大罪人として処刑された。
刑の執行は非公開で行われ、引き取り手のなかったその遺体は、王都の片隅にある共同墓地に葬られたという。
なお、年若い伯爵令嬢が美貌の王女を恋い慕うあまり心中を企てたという噂話は王国中を駆け巡り、吟遊詩人や旅芸人の格好のネタになっているらしい。どこかの町ではソフィアの最後の恋文を模した詩が流行しているそうだ。もちろん、そんなものを書いた覚えはない。
まあ、これで王女様の底抜けの独占欲が少しでも満たされればいい。
――かくして、ソフィア・ルミエールの人生は、幕を下ろした。
ソフィアとしての生に未練はない。
けれど、クロードという仮面の『中身』がなくなってしまったことに、少しの戸惑いは残る。加えて、シャーロットにつけられた爪痕が……疼く夜もある。
それでも、私はクロードとして得た新たな生に――目の前に広がる、雲一つない青い空のような、底抜けの清々しさを一身に感じていた。
あまりに気分が良くて、私はつい、誰も見ていないのに笑ってしまう。
「クロード様、どうされましたか?」
「いや……少し、考え事をしていただけだよ」
私は今、レインとふたり馬車に揺られ、王都から少し離れた町に向かっていた。
目的はただひとつ。
リリィに会いに行くこと。
私がシャーロットに囚われているあいだ、一通のクロード宛の手紙が『ルクレール』に届いた。その手紙の差出人は、なんとあのエリナだったという。修道院送りになったと聞いていたが、一体どうやってホストクラブなどに手紙を送りつけることができたのか……。
彼女には私と違い、自分の置かれた環境を拒絶できる強さがある。その強さに……いまでも、心から憧れている。
エリナの手紙の中身はレインが確認した。すると、封筒の中にはエリナからの手紙とは別に、もう一つの手紙が入っていた。
その手紙の差出人こそが……リリィだった。
リリィは髪を切られ、リオンという少年として辺境の修道院に幽閉されていたらしい。聞くところによると、視力や声まで奪われて……。あの男――ソフィアの父は、徹底的に身元が露見しないように入念な『対応策』を講じていたのだ。
リリィと私が別れた時、私たちはまだ7歳の子供だった。何の力も持たない少女を脅すために、別の幼い子の目や喉を焼いた……人間の所業じゃない。あの男は、悪魔より邪悪な何かだ。
……リリィからの手紙の内容はこうだった。
* * *
クロード様へ
私の名前はリリィと言います。
私には双子の姉がいます。
姉は今も王都に住んでいると思います。
金髪で青い目の優しい女性でソフィアといいます。
どうかこの手紙を姉に届けて頂けないでしょうか。
- - -
ソフィア姉さんへ
もしこの手紙を姉さんが読んでくれたら、すごくうれしい。
私は今、聖アグネスの沈黙院にいます。
ずっと、連絡できなくてごめんね。
足が悪くてなかなか外に出られないけど、
いつかぜったい会いに行くからね。
身体に気をつけて。
愛を込めて、リリィより
* * *
レインはこの手紙を読んですぐ、セシルやオズワルドと協力してリリィを保護してくれたらしい。聖アグネスの沈黙院は貴族が表に出したくない女たちを押し込めておく場所のひとつだから、きっと、すごく苦労しただろう。
それでも彼らは私のために、やり遂げてくれた。本当に、感謝してもしきれない。……特に、レインには。
「……ふふ」
『ルクレール』に戻った時のことを思い出して、笑ってしまった。隣に座るレインが怪訝な顔でこちらを見る。
クロードとして開放された日、私はその足で『ルクレール』に向かった。シャーロットの屋敷に届けてくれたあのメモの真意について、直接彼の口から説明が聞きたかったからだ。
たしかあの時は夕方だったか。夜の営業に向けての準備が始まる頃、裏口を叩くと、レインが私を迎えてくれた。
顔を合わせた瞬間、彼は完全に固まってしまった。まるで人形のように、ドアノブを握ったまま動きを止めてしまったのだ。
よほど驚いたのだろうと思ってしばらく様子を見ていたが、一向に動く気配がない。仕方なく「ただいま」と声をかけてみたところ、なんとそのまま涙をこぼして、へたり込んでしまった。
レインは仲間内でも鉄仮面と呼ばれるくらい表情がない男だったから、正直驚いた。その光景を思い出すと今でもなぜか微笑んでしまう。見慣れない泣き顔がちょっと面白かったからかもしれない。……心配をかけた立場で、ごめん。
「ご機嫌でいらっしゃいますね」
「空は晴れて、穏やかで……そんな日に、気の置けない腹心と気ままな旅に出られたら、誰だって心が浮き立つものさ」
レインに目をやり軽口をいってやると、彼は居心地が悪そうにそっぽを向く。
「ご冗談を。……リリィ様にお会いになるのが、楽しみなんでしょう」
「……そうだね。でも、すこしだけ……怖くもある」
リリィに会うのは間違いなく楽しみだった。
ずっと、あの子に会うことが人生の目的の一つだったから。
けれど、それと同時に恐ろしくもあった。
「レインは、リリィに何度か会っているんだって?」
「はい。修道院に訪問した時と、これから行く町に移ってから数回」
「そうか……」
私は、随分変わってしまった。
リリィと暮らしていた頃、私はただの内気な少女だった。
いつも
しかし、今はそうではない。
そもそも男として振る舞っているし、性格もある意味ひねくれて、あどけない純粋さなど欠片もない。
「リリィは……私がわかるだろうか」
リリィにとっての
その事実にリリィは失望してしまうのではないか……考え始めると、やはり胸がざわついた。
私は、何があってもリリィに会いたいと思っている。
その想いが、リリィにもあるのかどうか――どうしても自信が持てなかった。
急に感傷的な気分が襲ってきて、再び窓の外を眺める私に、レインが不意に言った。
「……僭越ながら。私は、きっとわかると思います」
思わず、レインを振り返る。彼の顔は相変わらず無表情だったが……傷のある右目だけが、微かに笑んでいるように見えた。
「……そうかな」
「リリィ様は目が不自由です。二人が別れてからもう十年以上経っていますし、お互いの声の雰囲気も変わっていることでしょう」
レインは目を閉じる。リリィの様子を思い浮かべているのかもしれない。
「それでも……おふたりには表面に現れない部分に、どこか通じるものがある。私ですらそう感じました。本人同士ならきっと、わかりますよ」
通じるものがある、か……。
何の根拠もない、あいまいな理由だ。
それでも、レインが言うのならきっと、そうなのかもしれない……。素直にそう思えることが、どうしようもなく嬉しかった。
「ありがとう。レインは優しいね」
「……もったいないお言葉です」
馬の嘶きに続いて、馬車が音を立てて停止する。レインが御者に声をかけると、どうやら目的地に着いたらしい。
私は馬車から降り、まわりを見渡す。
そこは小さな田舎の町だった。
小高い丘のふもと、風に揺れる麦畑と、赤い屋根の家々が肩を寄せ合うように並んでいる。
花の咲く石畳の路地には、パンの焼ける匂いと、笑い声がゆるく混ざりあっていた。小さな噴水のそばでは、子どもたちが靴を脱ぎ、鳥と遊んでいる。煙突からのぼる白い煙が、青空にすーっと溶けていくのを見て、思わず呟いた。
「……いいところだ」
「私もそう思います」
この町の長はセシルの知り合いで、これまで何度か事業の利益を寄付したり、仕事を回したりしてきた。忙しさにかまけて直接訪れる機会はなかったが、こんなに幸せがあふれる場所なら、もっと早く来ればよかったと思う。
レインに先導されて、ときおり町の人たちに挨拶をしながら道を行き、リリィのいまの住まいへ向かう。しばらく進むと教会のすぐ隣にある、小さな家にたどり着いた。
大きく息を吸ってから、意を決して扉を叩くが……中から返事はなかった。
「恐らくこの時間帯なら……教会にいらっしゃるかもしれません」
レインに案内されるまま、今度は隣の教会に入る。
古びたオルガン、使い込まれた座席、傷みの目立つ床板――どれも決して新しくはないが、隅々まで手が入っていた。立派ではなくとも、長く大事にされてきたことがよくわかる。
陽だまりのような、あたたかい空気が、ここには満ちていた。
ステンドグラスからこぼれる光のなか、最前列にひとり座る姿があった。髪は褪せた金色で、短い。その人物は一心に、何かを祈っていた。
リリィだ。
間違いない。
背格好も、髪も、別れた時とはまるでちがう。
それでも、すぐにわかった。
わたしは、もうためらわず、その背中に駆け寄る。
「リリィ……。やっと、会えた」
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