*第三十三日目 六月十三日(金)

 雨を予想していたのだが…今日は「十三日の金曜日」。しかし、あいにくキリスト教徒ではないし、諸般の事情により、むしろ「13」はラッキー・ナンバー。

 カーテンではなく、窓の内側に取り付けられた遮光用の戸を引き開けると…路面は濡れているが、ビルの谷間から、青空が顔をのぞかせている。

『ホッ』

 本日は距離も短いし、『雨でもよいか』と覚悟はしていた。それよりも、山道となる明日の天気が気になるところ。『あわよくば「石鎚山いしづちさん」登山を』と思っていたのだが…まあ、天気が良いのにこした事はない。


 時刻は六時。準備を済ませ、朝用の「いなり寿司」を食べ、七時十五分、ホテルを出る…と、「ムアッ」ときた。まだ雲は多いが、とても湿度が高い。本日は「不快指数」の高い一日になりそうな予感。

 先ずは宿を出て、すぐ先の「国道196号」に戻る。ここを右折した並びに郵便局の本局がある事は、ホテルで確認済み。最近、地元の本局では、郵便業務は二十四時間営業となった。当然ここでもそうだろうと思い、コンビニ袋に実家宛で発送する荷物を積め(ここまで書き溜めたレポート・撮影済みフィルム・その他、「旅の記念品」等々…)、手持ちでホテルを出たのだが…閉まっていた。

『ガッカリ』

 八時か九時にならないと開かないのだろう。

『仕方ない』

 旧道を歩く遍路の旅。小さな集落でも、地元の郵便局前を通る機会は多々ある。でも、『今までこんなもを背負しょってたんだ』というほどの重さ。とりあえず、手持ちのまま取って返す。


 道路標識に従い、市役所手前で「国道317号」へ左折。遍路コースではないが、いずれ合流するはず。

「今治」の市街地を、集団登校の小学生の群れとスレ違いながら、南西の方角に進むが…「ふう~」。予想通り、今日はとても蒸す。元々「汗っかき」な人間。何をやるにしても、湿度が高い日が一番嫌だ。

 途中の自販機でペットを買い、「196号バイパス」を右折。手持ちの荷物がカッタルイが、はっきり言って、これが一番大切な物。テストの済んだ研究開発用車両と同様、今までの成果がすべて詰まっているのだ。


 バイパスに入ると、間もなく目指すお寺の看板。左折して、路肩の無い道。朝の通勤車両も多いが、距離は数百メーター。道路から、少し右に入った所に次のお寺がある。


《第五十六番札所》

金輪山きんりんざん 泰山寺たいさんじ


  本尊 地蔵菩薩(伝 弘法大師作)

  開基 弘法大師

  宗派 真言宗醍醐派


 天長元年(823)、「淳和天皇」の勅願寺として創建。

 弘仁六年(815)、「弘法大師」がここで災害をしずめる護摩秘法を修し、堂宇を建て、自ら刻んだ「地蔵尊」像を安置。


 時刻は八時。まだ人気ひとけは少ない。

 香台(と言うのだろうか? お線香をお供えする、金属製の大きな屋根付きの台)の手入れをされているのは住職さん? 小犬を連れている。

 お参りを済ませ、お寺の入口横にある売店へ。ここで朝の缶コーヒー。

 先ほどお寺に入る前、駐車場で座っていたおじさんが、店のおばさんとあれこれ話をしている。お遍路さんなのか?

 そこにいる間、一昨日の五十三番「円明寺」、昨日の五十四番「延命寺」で見かけた、気合の入った女の子。後からお寺にやって来て、先に出て行くが…『ハテ』。

 こちらは、ここからのコースがわからない。駐車場にある看板を見たり、あたりを眺めたり…ウロウロしていると、例のおじさんが来て、道を教えてくれる。そして、次の次のお寺は、遠く真南に見える山の上で光っている建物(そこは宿坊らしい)だそうだ。

 よく見れば、いま辿たどって来た寺前の道の先に遍路札。そちらに向かって歩き出す。次のお寺までは3キロ。そこから2・5キロでその次のお寺と、本日も連チャンだ。


 少し先を左折。田んぼの畦道あぜみち風の道に入る。車では通れないような道幅。最初は未舗装の、まさに畦道。

 間もなく、農家風の古い建物が建ち並び始め、やがて…開店待ちなのか? 若いおにいちゃん・おねえちゃんが、入口の階段に座り込んでいるパチンコ屋の敷地。

 裏側から入って表に抜けると広い道。ちょうど幼稚園バスが止まっていたこの道は、おそらく「国道317号」。でも、ここは横切るだけ。

 向かいの住宅地を抜けると、「蒼社川」沿いの道に突き当たる。ここを右折し数百メーター。次の交差点を左折。

 草の茂った路肩を歩き、すぐ先の「山手橋」で川を渡る。橋の前後は車の往来が多い…なのに、特に昔ながらの橋などは、幅が狭いときている。

 渡った先の信号を右。

『ホッ』

 路肩は相変わらず狭いが、こちらに入ると通行量はほとんど無い。

「へんろマーク」に従い、用水と思われる小川沿いの地道に入る。このあたり、すでに「今治市」を出て、「玉川町」に入っている。

 多少のアップ・ダウンのあるクネクネ道。農家もポツポツ。最後に、少し登った右側に次のお寺。


《第五十七番札所》

府頭山ふとうざん 栄福寺えいふくじ


  本尊 阿弥陀如来

  開基 弘法大師

  宗派 真言宗高野派


 元々は、当寺の上山にある「石清水八幡宮」が札所だった。

 明治初年の「神仏分離令」により、山頂の社殿から分離。現地に移転し札所となる。

「嵯峨天皇」の勅願所。


 到着は九時。狭い境内だが、結構な人出。先ほどの女の子もいる。

 人混みにまぎれて、お参りを済ます。お寺の入口近くまで戻って、ベンチに腰掛け缶コーヒー。

 ここまで、未だ郵便局が無い。ここで、手持ちの荷物をザックの上蓋との間に突っ込む。重量物が上に来てバランスが取れたせいか、あまり重量の増加を感じさせない。


 小休止後、次のお寺に行くのであろう乗用車が、左折した方向へ下りて行くと…手前に遍路道。「歩道―車両不可」の札。そこに左折。

 草の茂った道を上れば、左手に「犬塚池」という大きな池。そのふちを歩き、車道を横切り、最終的に車道に出る。

 このあたりから、一気に勾配がきつくなるが…湿気があるせいか? そして何より、すっかり快晴。気温が上がったため、すでに大汗。それに、意外と距離もある。

 そうそう、さっきの女の子、「へんろマーク」を見落としたのか? 前のお寺を先に出たのに、下を歩く姿が見えた。


 最後に山門をくぐると、続くは石段。これも結構ある。今日は『街の郊外だから』と、たかをくくって朝食は軽目。飲物の用意も不十分。なのに、意表を突かれた登り坂。

 やがて、大師像の頭が見え始め…でも、まだ安心するのは早い…と自分に言い聞かせつつ、到着した先が境内。

『ホッ』


《第五十八番札所》

作礼山されいざん 仙遊寺せんゆうじ


  本尊 千手観世音菩薩

  開基 越智守興

  宗派 真言宗高野派


「天智天皇」の勅願を奉じ、伊予の太守「越智守興」が「作礼山」上に創建。

 昭和二十二年の山火事で焼失したが、再建される。


 九時五十分着。参拝客はほとんどいない。『今のうちに』と、汗だくのまま、先にお参りを済ませる。


 駐車場へと戻る道の途中に、トイレがある。

 その横のベンチで着替え。本日は市街地発だったので、一般旅行者スタイルでスタート。ここで、白衣びゃくえに白手拭いの遍路姿に変身し、十時十五分、お参りしている先ほどの女の子を横目に、登って来た石段に向かっていると…本堂前のベンチに座っていた、作業服姿のおじさんに声を掛けられる。

「全部回っているのか?」

「はい」

「杖は持ってないのか?」

「はい」

「じゃ、持ってけ」と、忘れ物の杖をくれる。


(お遍路さんなら誰だって一度くらい、お参り後、『ハッ』とした経験があるはずだ。杖など、普段は持ち慣れない物。「杖立て」に立てた杖を、そのまま忘れてしまう人も多いのだろう)。


 はっきり言って、もうここまでくれば必要無いのだが、せっかくのお言葉だ。


(しかし本来は、「人の」が入った物。使うべきではないそうだ)。


 それにこのおじさん、坊主頭のところを見ると、案外ここのお坊さん? ここから先、下りの遍路道で使ってみれば良い感じ。今頃になって、妙に「遍路気分」だ。


 道はハイキング・コース然とした下り坂。

 遠くに見える大きな橋は、「来島くるしま海峡」に架かる「来島大橋」だろう。

 天気は最高。

 ふもとに下りても良い眺めだが…でも、暑い。とても暑い。とにかく暑い。そして、風もあまりない。

 遍路道は、しばらくの間、ひたすら道なりまっすぐ。直線部の多い道で…田んぼを抜け、農家の前を通り、少し広い道を横断し、集落に入り、徐々に家々が密集してくる。

「196号バイパス」を横切り、「四国のみち」の標識も無視して、「へんろマーク」に従い直進。

 途中、道路沿い左側にあったパン屋さんで、パンを買う。


(ベーコンポテト・ピリ辛ソーセージ・カレーパンに、カップのエスプレッソ。おまけに飴が二つ、入っていた)。


 最後にT字路で突き当たり、右へ。

「予讃本線」を越え、「頓田川」を渡り、スーパーやJAの前を通り、次のお寺までもう少しという所。左の道路際に郵便局。

 中に入ると…『ふう~!』。エアコンの効いた局内に、『ホッ』と一息。

 ここで梱包用のダンボール箱を購入し、荷物の発送。「肩の荷」が、かなり降りた。


 そこからお寺まで、1キロ弱くらい…のはずなのに、「四国のみち」の標識に従い、変な風にグルッと回ってしまい…あのまま、まっすぐ進んだ方がよかったのかもしれない。

 暑い最中さなか、御苦労な事をしたものだ。

 とにかく…


《第五十九番札所》

金光山こんこうざん 国分寺こくぶんじ


  本尊 薬師瑠璃光如来(伝 行基菩薩作)

  開基 行基菩薩

  宗派 真言律宗


 天平十三年(741)、「聖武天皇」の勅願により、「行基菩薩」が創建した「伊予の国分寺」。

 その後、「弘法大師」も逗留し、五大尊の絵像を残している。

 再三の兵火で焼失・再建を繰り返すが、寛政元年(1789)に金堂が再建され、以後復旧が続いている。


 時刻は正午少し前。

 ここには、一群の団体さんの他、歩き遍路さんの姿もチラホラ。

『どこかパンを食べる場所がないか』と、お参り後、正面の方へ石段を降りると…そこにあったタオル屋さん。


(「今治」周辺は、タオルの産地のようだ)。


 子供を連れた、そこの若いお母さん、お接待にと「な・なんと」…大好物の「アイスクリン」。

「中で座って下さい」とのお言葉に甘え、中のイスに腰掛ける。

「二歳くらいですか?」

 お母さんの膝に座っている男の子。

「一歳半です」

 二十代半ば過ぎほどの、感じの良い人でした。


(四国の女性は、ショート・カットの人が多い? 気候が良いからだろうか? 二~三十代のお母さんや、旅館の若女将おかみさんは、たいていがショート・カットのような気がする。この人もそうだ)。


 少し世間話をした後、お礼を述べてそこを出ると…門前の駐車場には、うさん臭い托鉢遍路のおじさんが立っている。そそくさと、軽く会釈しただけで、その前を通り過ぎる。

 パーキングはずれのトイレに寄ってから、お寺を後にする。

 お接待は受けたが、お昼のパンを食べる機会をいっしてしまった。


 そこから先は、旧旧国道なのだろうか? 左を通る「国道196号」、右を走る「196号バイパス」。その、ちょうどまん中の道。

 お決まりの、街中・旧道遍路道。家々は建ち並んでいるが、時折、小さな商店やスーパーがある程度。人気ひとけも車通りも少ない道。

 ガイド・ブックでは、線路左がルートになっているが…道が複雑に入り組んだあたり。おそらく「JR伊予桜井駅」付近の街並で、「へんろマーク」に従い入った道は線路の右側。

 街を抜けた、退屈な景色の旧道だし…いよいよ歩き疲れた頃、右側に無人の神社。

 その道路向かいに、誰もいない小さな公園。ものを言わない古い滑り台やブランコが、何か物悲しい。


(ナゼかこういったうらぶれた公園、ひどく感傷的な気分にさせられ事がある)。


『ふう』

 生い茂る木の下には木陰。うまい具合に、腰掛けるにはちょうど良い大きさの石もある。

 時刻は十二時四十五分。靴を脱いで石の上に座り込み、お昼のパン。


 その昔、「運動中は水分をるな」と言われていた時代。


(これには、医学的な根拠はまったく無かったそうだ。単なる「軍国主義」時代の「根性論」にすぎない)。


 登山の最中などの休憩は、「座らず立ったままでしろ」などと言われていたが…今ではどうなっているのだろう?

 はっきり言って、歩き旅の大休止は、腰掛けるより、座り込んでしまった方が楽。なるべく足の位置を身体に対して上の方に持って行かないと、休憩中にだってどんどん血が下がり、足がパンパンになってくる。

「歩行中の休憩は、無理せず、思い切って座り込んでしまえ」が、教訓であり持論となった。


 ここで一時二十分まで大休止。

 その先、少し行った所で、右側の里山へと登って行くま新しい高架の下をくぐったのだが…『怪しい』。

 ピンと来た。歩いている道は…線路には沿っているのだが、国道からはれて行く方向に向き始めた。

『?』

 少し戻って、先刻通り過ぎた小さな踏切へ。

『あった』

「止まれ」の道標のポールに貼られた、「同行二人」の小さなシール。

『アブナイところだった』と、ここで踏切を渡れば広い「国道196号」。

 右とへ向かったすぐ先の右側に「道の駅 今治湯ノ浦温泉」。温泉施設が併設された「道の駅」。もちろん、湯に浸かっている暇など無いし、元々温泉には、それほど興味が湧かない人間。しかし、自然とそちらに足が向く。

 暑い最中さなかだ。先刻休憩したばかりだが、ぬるくなった物しか飲んでいない。

『冷たい物が飲みたい。それも出来れば、ノドにピリピリくる、クリアーな炭酸系』…という訳で、サイダーを飲みながら小休止。ペット・ボトルも飲み干していたので、一本買い込む。


 その先で、中央分離帯のある片側二車線だった道は絞り込まれ、対面通行となる。

 そのあたりから上りに掛かるが…日陰が無い、風は来ない。

「暑い!」

 淡々と上り、やがて…「仙遊寺」で杖をくれたおじさん・「国分寺」でアイスクリンをくれたお母さんが言っていた通り、左に池。「蛇越池」と書いてある。

 その向かいに、右斜目前方への分かれ道。線路を渡って、そこに入る。

 少しクネッた上り道。木に覆われた部分もあったが…木陰にはなるが、そのかわり風も入って来ない。どちらにしても山のこちら側、東斜面にはまったく風が無い。

 最後に、右に養老院のある直線の上り。


(「養老院」という表現、最近ではまったく耳にしないが…もしかして「差別用語」?)。


 そこを上り切ると、右に「世田薬師」。

 ここは番外霊場「世田山せたさん 栴檀寺せんだんじ」。


 神亀元年(724)、「行基菩薩」が開基。

「真言宗高野派」に属し、本尊に「薬師如来」をまつる。

 後に「弘法大師」が逗留され、「日光・月光菩薩」を安置されたと云う。

 興国三年(1342)、伊予の守護「大館氏」と「細川氏」のいくさで、本堂を残して焼失。

 明応年間に修復が始まり、藩政の時代に修復。

「病封じ」の寺だそう。


 軽くお参りして境内を出れば、山の反対側。

 パッと景色が開け、風が吹いている。遠くには、青々とした山脈が幾重にも続き…その一番手前、下から急激に立ち上がった山々のふもとの平地には、街並が延々と広がっている。左手には、赤色ライトを点滅させたコンビナートの煙突。ここからでは見えないが、その先には「瀬戸内海」の海が広がっているはずだ。

 天気も良いし、最高の眺め。

 こういったものがあればこそ、今までの苦労も報われる…と言うより、こういったものを求めて、人は山に登るのだろう。

『しばし風に吹かれて眺めていよう』と、少し下り始めていたが、お寺の道路向かいの自販機まで戻りミネラル・ウォーター…でも、これは失敗。日当たりの良過ぎる場所に置かれた自動販売機。そのせいではないだろうが、「ぬ・ぬるい!」。まったく冷えていなかった。

『ガッカリだ』


 そこからは、しばらく下りが続くが…下に降りるに従い、風もパッタリ。

 平地に降り、「北川」の川を渡ると、「三芳みよし」の街に入る。ここからは延々と、古い街並の中を歩く事になる。

 午後の一番暑い時間帯。日に照らされながら、風通しの悪い旧道をテクテクと歩く。

 ガイド・ブックによれば、右に「道安寺」左に「臼井の水」と過ぎて来たはずだが…「?」。ボ~ッとしており、まったく気づかなかった。


 その後に、番外霊場「日切大師堂」。

 ここは道路の右側、少し入った所だが見える距離。立ち寄ってみる。

 街中の一角に、古いたたずまいを見せるお堂。もし、この近所で生まれ育ったなら、敷地の中を走り回って、「かくれんぼ」や「秘密基地ごっこ」でもしたであろう、そんな場所。


 正式名称は「日切山ひきりさん 弘福寺こうふくじ」。

 天平十三年(741)、「行基菩薩」の開基とされる。

 本尊に「不動明王」をまつり、大同二年(807)、「弘法大師」がここで「日切の誓願」を立てたと伝えられる。

 弘仁十一年(820)、住職「実覚上人」が四国巡礼の旅より秘石を持ち帰る。

 そして、大師の尊像を刻んだことにちなみ、「日切大師」と呼ばれるようになったそうだ。


 その先で、「大明神川」を渡る。

 いい加減疲れてきたが…こういった場所…古い街並には、座り込んで休めるような場所は少ない。

『とにかく、どこかで…』

 適当な場所が現われてくれる事を期待しつつ、我慢して歩き続ける。


 住宅地が切れ始めた頃、広い道を渡った先の右側に中学校。

 通り道に面して、ちょうど良い高さのコンクリート塀。木陰になって風もある。

 ここに腰を載せて一休み。時刻は午後三時十五分。すぐ手前で買った、ロング缶の炭酸飲料をガブ飲み。

「ふう~」

 一息ついたところで何気なにげなく、足をひねって靴底チェック。

 前の靴と同じ場所…かなり減ってきている。『最後まで、持つだろうか?』と思っていると、立て続けに二人のお遍路さん。

 最初は例の女の子。さすがに何度も顔を合わせているので、向こうもこちらの存在には気づいているようだ。「早いですね。どこで抜かれたんだろ?」と言い残し、通り過ぎる。

 少し間を置いて、ちょっとナヨッとした若い男性遍路さん。「こんにちは」の挨拶。初めて見る顔だ。

 他の遍路さんと交錯する気は無いので、もう少し。

 夕方も近い時間だが、本日の宿はこの先、「丹原たんばら町」の中心部。正確な距離はわからないが、あと一時間も歩けば着くだろう…と、座り心地は良くなかったが、結局ここに三十分近く。


 そこから先は、「へんろマーク」に従い左へ右へ…と、そんな時、途中の小さな集落で、向こうからやって来た白いワンボックスの営業車。すぐ横に停車して、運転手さんが降りて来る。年の頃は、こちらより少し若いくらい…なのに、『なんてこったい!』。「お接待です」と百円硬貨を二枚。

「ありがとうございます」

 走り出すまで、立ち止まって見送った。

『なんてこったい!』

 現金を「お接待」してもらうなんて…。


 その集落を過ぎると、見晴らしの良い平地の田園地帯に出る…と、先ほどの女の子、道端に座って、カップのアイスを食べている。どこで買ったのだろう? 「良い所で休んでますね」と声を掛ける。太陽も傾いてきたし、ここには風もある。そこで二言・三言。今晩は、この先にある通夜堂で泊まるそうだ。大したものだ。


「さて」

 本日もいよいよ締めくくり。『ここから一気に宿まで』と歩き出す。

 少々雲も出てきて、明日の天気が気になるところだが…明日は山登り。しかし、天気は下り坂の雰囲気。

『まあ仕方ない』

 明日は明日の風が吹くだろう。とにかく、真昼の暑さが退いて、疲れてはいるが、歩くには一番良い時間帯。


 その先でいったん広い道に出るが、「丹原方面」はすぐに左の旧道っぽい道。ず~っと、水田地帯を抜ける直線道。

 後ろから「チリ~ン・チリ~ン」と、鈴のが迫って来る。先ほどの女の子。でももう、宿はもうすぐ。急ぐ必要も無い。こちらは自分のペースを守り、先に行ってもらう。

 その先で、遍路コースは右の道。工事中だが、歩行者は通れるようだ。女の子は、そちらの道へ。こちらは…そこにあった木片に、本日の宿の案内。それに従い直進。宿は、遍路道を左にれた場所。


 右手前方、南の方角には、この平地の先に、明日目指すのであろう山々が立ち上がっている。

 そこから吹き降ろす風に吹かれながら、川を二本渡り、県道と思われる広い道を越えて、「丹原」の街中へ。

 赤点滅の交差点を、案内板に書かれた通り左折。

 パン屋の前で飲物を買い込み、その先、Y字路を右に入ったすぐ左。時刻は午後の四時半。本日の宿に到着。

「丹原」市街地の一角。旅館や民宿と言うよりは、普通の民家に近い。二階建ての、少し古い建物。

 通された一階奥の部屋も、普通の民家の普通の和室。トイレは遠いが、他の人とは離れているので静かだし、広くて良い。

 部屋に入って荷をほどく。

「ふ~」

 暑い一日が終わって、ホッと一息。

 距離はそれほどでもないが、身体が火照ほてっている。

「さてと…」

 軒下には洗濯機が一台。でも立て込んでいるようなので、本日の洗濯は中止。

 夕食の時間まで、本日の記録を付けたり、風呂に入ったり。

 六時ジャストから夕飯。

 食事のテーブルに着いたのは…若者とおじさんの親子遍路さん・白髪混じりの髭のおじさん。この三人は、一緒に行動しているのか? とにかく顔見知り。さらにもう一人いるはずだが、素泊まりか?


 献立は…鶏の照り焼き・魚の南蛮漬け・おひたし・お新香・お吸い物、御飯二膳にお茶二杯。

 向こうの三人は仲間内といった感じなので、こちらは先に席を立つ。


 明日のお寺は、「石鎚山いしづちさん」へ向かう途中にあるが…天気も悪そうだし、装備も登山向けではない(特に安物の靴)…元々「石鎚登山」は予定に無かった事だし、『無理せず先を目指そう』という事で、本日は終了。



本日の歩行 35・83キロ

      46533歩


累   計 1168・70キロ

      1518355歩

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