*第二十七日目 六月七日(土)
今日は短い行程と、余裕ぶっていたのに…最後の最後で、意外や意外な展開となる。
朝は六時半起床。ビジネスに泊まると、つい部屋に
夕べは結局、寝たのは十一時半。真剣に観ていたわけではないが、テレビでやっていた映画番組を、けっきょく終了まで観てしまう。
朝はいつものようにテーピングまで一通り終わらせ、七時半、2Fフロント前の食堂へ。
洋食を頼んでおいたが、値段の割りには少な目。
厚切りトースト半分…バターはたっぷり。サラダ少々。スクランブル・エッグ。そして飲物はアイス・コーヒー。
目が覚めた後、朝食に降りて来る前、スコールのような感じで、かなり激しい雨が降っていたようだが…部屋に戻って歯磨き&トイレ後、八時ジャストに宿を出る。
すでに雨は上がっていたが、中途半端な降りだった模様。強い日差しに照らされて、かえって湿度急上昇。おもては非常にムシている。空を見上げれば…まだ雲は多いが、まあ良い天気。
先ずは「宇和島城」。
本日のフロント、白髪混じりのおじさんに聞いた通り…少し戻って、昨日前を通り過ぎた消防署の先の路地を、右に入る。短い路地。すぐ先に、お城への門が見える。
六時半から開門との事で、すでに開城。先ずは石垣のような石段。一番近いルートで天守閣に登る。この時間、
(このお城は、「信長・秀吉」時代の築城の名手「
写真撮影後、傘を持ったおじさんとスレ違いながら下へ。
少し降りた所に、ゲートボール場のある公園。そこにあった、鍵の壊れた
車が一台上がって来た道を下って、そちらの門から出る。
「国道56号」に入って、「宇和島駅」方面へ。飲み屋街やアーケードの見える繁華街を横目に進む。
ここで、よせばいいのに『今日は余裕』と、国道から
ガイド・ブックによると…ここから先に行き、少し回って国道に戻るようになっている。行ってみれば、右に新しいトンネル。『こちらに行くのか』とトンネルを抜けるが、その先にもトンネルが見える。
『
ガイド・ブックを取り出していると、目の前の駐車帯に車を停めたおじさん。「こっちじゃないよ」と教えてくれる。
(たぶんこちらは「国道320号」)。
結局4~500メーターはあっただろうか? 長いトンネルを無意味に往復し、1キロ余計に歩いてしまう。
トンネルから戻った先を右。歩行者用陸橋で線路を越えていると、前方に交通量の多い道が見える。住宅地を抜けてそちらへ。
「ホッ」
「56号」に戻る。
まだまだ街並は続く。国道が右に直角に曲がった先、「和霊」という町名の右側にコンビニ。ここで、お昼用のおにぎり購入。ついでに、缶コーヒーをあおりながらの立ち休み。ここまで、宿を出てから一時間。
ここから北に向かって、「宇和島」の街を後にする。
1~2キロ歩いた所に、「四国のみち」の標識。右から突き当たっている道に右折。次のお寺に向かう「県道57号」。
ここからは、緩いがず~っと上り。民家の数も段々と減ってくる。
天気は…良い。良過ぎて暑い。でもそのうち、頭上に大きな雲が掛かって、太陽が
延々と、テクテクと上る。『そろそろ休憩を』と思っていた十時頃。直線の上り坂の途中に、左側の路肩が大きく広くなった場所。
そこに、「たこ焼き」「アイスクリーム」の看板のあるお店。建物と、その横に並ぶ自販機の列の間に、プラスチック製のベンチとテーブル。『ここだ』と思い、歩いていた右側から反対側のそちらへ。おじいちゃんが焼いている。「ここで食べます」と言うと、「今、焼き上がるから」と、外のベンチで炭酸飲料を飲んで待つ。間もなく、十五個入り・三百五十円のたこ焼きとマヨネーズを持ってきてくれる。
顔を出した太陽に、おじいちゃんがパラソルを出してくれ、しばし
十時半の時刻を確認し、出かける準備をしているところに店のおじいちゃん。「どこから来たんだい?」「若いうちだから」と少々。
そこを出て、歩道の無い部分は旧道に入ったりしながら、上を目指す。でも…いきなり頭上に、真っ黒い雲。
「ヤバイ!」
そのうちポツン・ポツンと、大きな雨粒。早目に傘を出しておくと、いきなりザッと来た。雷を伴った激しい降り。
ちょうど歩いていた左の路肩で、合羽を着ている女性の遍路さん。同年代か、少し若いくらい。「四十二番から来たんですか?」と
上りの終点近くでは、歩道が無くなり、急カーブが連続しているようだ。視界の悪いこの土砂降りの中、通行量の多い路肩を歩くのは怖い。左・山側の茂みで雨宿り。
木が陰になって、少しは激しい雨をしのいでくれる。ついでに立ちション。空は明るくなってきている。間もなく上がるだろうと、傘を差して待つ。
予想通り、すぐに小降りになって、間もなく上がる。まだ時おり雷鳴が轟いているが、雨雲は遠のいたようだ。
歩き出すと…「アレ?」。ほんの数歩先、「旧へんろ道」と書かれた白塗りの角材が、左上に立っている。傘を差したまま、
きついが短い登り。登った先はY字路。右方向には、墓石のような物が見える。先ほどの道標に「○○院経由」とあったと思い、そちらへ。
墓地を抜け、お堂の先で県道に戻る。距離的にも・体力的にも得したとは言えないが、歩道が無い部分だったので、安全と言えば安全。
すぐ先に、左折の道路標識。入ってすぐの右斜目方向に、「へんろマーク」を発見。
雨で濡れた、広い田んぼの中の一本道を行く。空は曇っていて、まだ雷鳴も響いているが、雨粒は無し。
長い直線が突き当たった集落を左。その先で、標識に従い右。数百メーター歩いた左側。こんもりとした里山に、次のお寺がある。
時刻は昼前。十一時半。入口角には食堂があり、短い参道には露店が数軒。おばさん達に声を掛けられながら、短い石段を登れば…
《第四十一番札所》
「
本尊 十一面観世音菩薩
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
「稲荷宮」が元の札所。南予の穀倉地帯「三間平野」を見下ろすここは、「お稲荷さん」と呼ばれ親しまれているらしい。
ここに残る伝説によれば…土地の庄屋が川原でうたた寝をしているところに龍が現れた。腰の刀が自然に抜け、龍の目玉をくり抜いたと云う。その「龍の目」が奉納されていると云う。
明治初年の神仏分離令により、新しく本堂を建立。本尊を
右に本堂、左に大師堂。正面の階段をさらに登れば稲荷神社。
参詣の人もチラホラ。
お参りを済ませ、参道を出る。来た方に戻って県道に出るコースが示されているが、これは車用のものだろう。たぶん先ほどの女性は、そこで道を間違えたのではないか。
そちらとは正反対の方向・方角、「中山池」をかすめるルートを取る。
(後でガイド・ブックを見ると、かなり遠回りをした事に気づく。でも県道経由よりはマシだった)。
先ずは、お寺のある山の右側に沿って続く細い道。
やがて山から離れ、少し反対方向の右方面へ。
小さな川を渡った先の道を左折。そこにあった商店向かいの自販機前。飲物で一息。良く冷えている。一気飲みで先へ。
通る車も人もまったくないこの近辺、向こうから車でやって来たお遍路のおじさんに、道を
そこから小さな集落を抜け、左に入る。
田んぼでカクカクと区切られたこのあたり。四角の三辺を回ったのだから、距離的にはかなりの無駄。
やがて前方に、池が見え始める。
民家の敷地脇を入って、木の階段を登れば池の
右回りに池沿いの地道を歩く。対岸には、綺麗に整備された公園。姿は見えないが、子供たちの声が響く。
でも、ここも先ほどのスコールのせいもあり、木々に囲まれた未舗装路はムシムシと、湿って陰気な感じ。まだ雲も残っている。
ほど無く、何かの建物横を上がり、公園駐車場へと向かう道を反対に歩けば、コンクリート製休憩小屋。時刻は十二時十五分。
少し足を休ませようと、腰を降ろす。昼には次のお寺と思っていたので、予定より少し遅れている。
ここで、宿の選択。二つ先のお寺のある「宇和町」に宿を取る。
そして本来なら、ここでお昼となるのだが…たっぷり「たこ焼き」を食べてしまったし…脇には犬のフンが転がっているし…で、二十分ほどの休憩後、腰を上げる。
この後のコースは、右に左にと田園地帯を抜けて行く。
各所にしっかり道標があり、迷う事は無かったが、どこに向かっているのか? 何だか無駄に歩かされているような道筋。
表示された距離が徐々に減っていき、「県道31号」に出た手前右側、道路沿いに次のお寺。
《第四十二番札所》
「
本尊 大日如来(伝 弘法大師作)
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
「大日さま」で親しまれ、疱瘡除け、牛馬安全の守り仏として知られるお寺。
時間は午後一時。道沿いの駐車帯には大型バスが一台に、乗用車が数台。結構な数の参拝者。先ほどの女性も無事到着していた。
山門前に、向かって左にアイスクリン売りのおじさん、右には自転車の荷台に積まれたお餅か何かを売っているおじさん。人に紛れてお参りを済ませ、アイスクリンを買って、すぐ脇の休憩小屋へ。
アイスクリン売りのおじさんと、例の女性があれこれと話をしている。「東京」から来て、全部を歩いているわけではないそうだ。ここでタクシー待ち。ほど無くやって来たタクシーに乗り込んで行った。
こちらは、駐車帯にあった自販機で、ペットを一本買い足す。この先、本日のメイン・イベントとなる峠越えが待っている。
道路の向こう側、正面に見える道に矢印が向いているのだが…アイスクリン売りのおじさんに
目の前の県道を5~600メーター行った所を左に入って、「あの鉄塔」と言って、前方に見える山に立つ鉄塔を示す。その脇が峠だそう。まあ、大した高度ではない。昨日・一昨日と越えて来た峠くらいだろう。最近では、35キロほど歩いて、途中一回、2キロ程度の山道の峠越えがないと、歩いた気になれない。
その他、あれこれと…「重機があるトコ入って」とか、「赤いノボリのトコ入って」とか、「この俺の足で一時間」など、延々と説明してくれる。
でも、はっきり言って、まったく行った事が無い所、あまり詳しく述べられても…再び『説明上手がどういうものか?』と考えさせられる。とにかく、県道左側の歩道を、前方に見える山脈に向かって歩き出す。
遊歩道風の敷石の歩道。このあたりの路面、新しく造り直されたばかりのようだ。先ほどのお寺に停まっていた大型バスが、追い越して行く。
しばらく先の左カーブで上りに掛かり、右カーブで森に消えて行く。おじさんの言っていた通り、5~600メーターで左折の「へんろマーク」。
少し上がった左に溜池。ガードレール部分は綺麗に作られ、砂利も固められた道。あとはアスファルトを流し込むだけ…といった感じだが、すぐに林道・農道風。
そして、おじさんの言った通り、左に放置された重機。ちょうどその右あたりに、遍路道の登り入口。
ここから普通の山道。思っていたより長い。県道を走る車の音は聞こえてくるが…少し下って、いったん県道に合流。
工事中で、片側通行の場所がある。県道でさらに上れば、右側に、おじさんの言っていた「赤いノボリ」。ここから再び遍路道。
入ってすぐの所に休憩小屋。ペットを一口飲んでいると、上から壮年のハイカーさんが降りて来た。道を
すぐに歩き出すが、ここはガイド・ブックに書いてある通りの急坂。左側に鎖が張られている岩場もあり、台風の日などには止めておいた方が良さそうだ。息を切らし、Tシャツが汗でビショビショになる頃、急坂が終わる。
そこに、山菜採りだろうか? 地元の人と思われる男性二人。三~四十代ほどだろうか? 一人は太目、もう一人は日焼けが濃い。大汗をかいているこちらの姿を見て、「杖作ってやろうか?」と
ここからは、斜面の中腹を徐々に登って行く感じ。ただ、右の山側から落ちて来たのか、大き目の石がゴロゴロしており歩き
木のトンネルを抜け、パッと明るくなった所が鉄塔下。
『ここが「歯長峠」か?』
石碑と、中にお地蔵様が数体並んだコンクリート製のお堂(?)。
ここは霊場「
以前この地には「歯長寺」があったが、昭和三十五年に焼失。昭和四十四年、ここに辻堂が建立され、石仏が安置される事になった…らしい。
先ほどの二人が乗って来たと思われる軽トラが、鉄塔の近くに停めてある。ここまで車で来られるわけだが…鉄塔の補修などもある。こういった所は、案外そんなものだ。
(あまり知られていない事だが、「富士山」にだって、山頂の測候所建設のために、重機が登った道があるそうだ)。
時刻は午後二時。ここは風も無く、日当たりが良過ぎて暑い。『もう少し行ってしまおうか』とも思ったが、思い
Tシャツを
ここには風が無いが、日当たり良好で湿度が低いのだろう。ジッとしていれば、そんなに暑くはない。
近くをウロチョロする
ここから先は、森の中の下り。かなりの距離があった。
岩盤
最後に木々が伐採され(ついでに「へんろマーク」も一掃されている)、日当たりの良い乾燥した場所に出て、舗装路に入る。
少し行けば橋が見える。橋の手前左側に、「四国のみち」休憩小屋がある。しかし向かいの販売機で、空になったペット・ボトル二本を買い替えただけで、そこは素通り。
「歯長橋」で「宇和川」を渡った対岸には、左右に走る「県道29号」。ここを左。川に沿って、北西方向に向けて進む。
次のお寺を経由しても、残り7キロ弱で宿に着くはずだ。でもはっきり言って、この区間が、この日最も精神的に消耗した。日陰は無い。風は動かない。西に傾き始めた太陽が正面から刺す。
(「差す」とか「射す」なんてものじゃない)。
民家はポツポツで景色も単調。途中の道路右脇に、「
(古くて形が崩れており、はっきり判別出来ない)。
ここは番外霊場。ここ「
「ふう~」
淡々と歩き、炭酸飲料を立ち飲みした販売機の先で、Y字路を右の旧道へ。
このあたりから、家々の数が増えてくる。左に分かれた県道は、見える距離を並走している。
距離的には、昨日や一昨日ほどではないはずなのに…そろそろ足が限界だ。
新道と、この旧道を
そこを出れば、ほど無く「宇和町 卯之町」の繁華街。
少し先に、笠を
たまたまあった路地を右に入る。その先に、目指す裏街道。
『しまった!』
通り過ぎている。
旅館の前を通って、戻る・戻る。左にある学校の横に「へんろマーク」。本来なら、ここに出て来るはずだったのだろう。
その道に、入る・入る。でも、よせばいいものを、アセッていたのだ。「新四国~」と刻まれた石柱。よく読みもしないで、それに従い右折。
石碑の立つ道を登れば、広い原っぱ。俳句の碑がポツンポツンと立つのみ。ここは高台。原っぱのヘリまで行けば、景色が見渡せる。下を見れば「歴史博物館」。さらに下方に「宇和高校」。
ここで気を取り直し、落ち着いてガイド・ブックを見てみると…とっくに通り越していたのだ。下の街で、
博物館に降りて、さらに下る。高校までは結構あった。そこで、「四国のみち」の矢印発見。細い道をスタスタと歩き、お寺方面への上りに左折。
ここの道端で、ビショビショになった手拭いと
入って行くと、境内下におみやげ物屋さんのある駐車場。ここで五時のチャイムを聞く。
《第四十三番札所》
「
本尊 千手観世音菩薩
開基 正澄上人
宗派 天台宗寺門派
本来の名は「あげいしじ」だが、現在は「めいせきじ」と呼ばれている。この「あげいし」という名は、その昔、若く美しい女神が願をかけ、深夜に大石を山に運ぶうち、夜明けに驚き消え去ったという話を
弘仁十三年(822)、「弘法大師」が「法華経」を納め、諸堂の再興に貢献したとされる。
山門をくぐると、まだ人がいる。
さっさとお参りを済ませ、下まで下らず遍路道に入る。先ほど途中まで来た道に出て、「卯之町」に戻る。
最後の最後で大あわて。『早ければ、四時には宿に入れる』と思っていたのに…息を切らし、もう一汗かいて午後五時半、やっと宿に到着。
おそらくここは、旧旧道。その道沿いに、天井の低い・少々古い家々が建ち並ぶうちの一軒。オバサン・パーマに丸メガネのおばちゃんが出迎えてくれる。
広目の玄関のまん中には、新聞紙が敷かれてある。フト上を見上げると、手が届く高さの天井に、ツバメの巣。今はいないが、「戻りツバメ」があるので、このままにしてあるそう。
二階建て建屋の二階。ず~っと奥の部屋に通される。
大き目の洗濯機があるので、荷物を全部出して、ザックとポーチまで洗濯。その間、風呂に入り、風呂上りに生ビールの大ジョッキ。
(おばちゃんのお孫さんが、一階の続きで居酒屋をやっているのだ)。
洗濯物を干すと、ちょうど夕食時間の六時半。
一階の食堂で、たっぷりの夕飯。煮物・刺身・唐揚げ・おひたし・お新香・お吸い物。ゴハンは二杯…で、もう満腹。
この部屋、エアコンがナゼかすぐに「待機」になってしまう。元々暑いのに、大ジョッキなんて飲んだせいか、かえって身体が
とりあえず…楽なはずの一日。結構あたふたしてしまった。
明日まで天気は良いそうだが、そろそろ梅雨入りしそうな気配。『やだな~』…というわけで、本日も終了。
本日の歩行 36・04キロ
46811歩
累 計 944・55キロ
1227208歩
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