第二十話 千尋の回顧 -1-

 篠宮拓人の事は知っていた。

 とは言っても、会ったのは一度だけ。

 千尋が中学一年の一番荒れていた頃、会った事があって、それきりだ。

 以降は拓人の兄、律からの情報で知っている。

 小学生の時、夏の自由研究で、庭にいた蛾の幼虫を観察し出して、母を恐怖に陥れたとか。

 海沿いに住む祖母の家に遊びに行った際、海岸で偶然翡翠を見つけて、それ以降石に取り憑かれたとか。

 その後、中学生になって友達に誘われ陸上をやる様になって、虫も石も中断して走ることにのめり込んだとか。

 けれど高校に入ると、一変。二年生になる頃には学校へ行かなくなってしまったとか。

 ずっと気になっていた。

 なにせ、千尋にとって拓人は恩人である。

 本人の意図しない所ではあったが、道を外そうとした所を救ってくれたのだ。

 あれは偶然だったけれど、それがなければもっと堕ちていたはず。何がいけないのか、大切なのか気付かずに、薬に手をだすだけじゃ済まなかったかもしれない。

 それくらい、あの頃は投げやりになっていたのだ。

 あれから数年。久しぶりに律の家に遊びに来た。


 何年ぶりだろう? 


 中学で捕まって以降、遊びに来たことはなかった。律はしきりに遊びに来いと誘ってくれたけれど、どうにも罰が悪くて。

 もっとしっかり一人で立てるようになってから、そう思ったからだ。

 そうしてようやく、仕事も安定して、日々穏やかに過ごせることができるようになって。律の住む家に久しぶりに遊びに来ることができたのだ。

 聞けば弟、拓人は自室でほとんどを過ごしていると言う。どうしてそうなったのかは、きっと本人以外には分からないだろう。

 せっかくなのだ。顔くらい見てみようと、わざと部屋を間違えて入ってみた。

 その後も律に時々写真も見せて貰っていて。ちょっといいな、そんな風に思っていたのだが。

 当の拓人は布団を頭からかぶって顔を出さない。色々騒いでいると、漸くのそりと顔をのぞかせた。

「──…」

 千尋は拓人の顔を見つめたまま、そこへ数十秒、固まった。

 幼い頃見た拓人は、短く刈った黒髪に、黒目勝ちの目が印象的な、それでもごく普通の少年だった。 

 今はその髪は伸びて襟足にかかるくらい。黒くて少し癖がある。

 長めの前髪の間に見え隠れする瞳は、昔と同じ黒目勝ちで、どこか潤んでいるようにも見えた。その瞳は今、探る様にこちらを見上げてくる。

 ツンと少し上向いた鼻先や、形のいい唇や。引きこもっている割に、日に焼けた肌も。


 ──いいな。


 一瞬で持っていかれた。

 例えるなら、構えたミットにまっすぐストレートのボールが決まった心地。

 ストライク、だ。

 かけられた涼やかな声音も心地いい。

 千尋は遠慮なくその傍らに座って、試しにキスしてみた。

 これでどつかれるか、頬でも叩かれれば一歩ひいたのだけれど、拓人はちっとも嫌がらない。逃げ出さないのだ。

 というか、頬が高揚し目が更に潤んでいた。身体からはすっかり力が抜けていて。


 これって。


 生理的に嫌悪感を抱いたなら、こんな反応はしないだろう。

 いける、そう思った。

 それから、千尋の押しの一手に、拓人はだんだんと心を開いてくれ。

 なにより、馬鹿にもせずに、千尋の途方もない空想の旅に付き合ってくれたのだ。

 幼い頃から辛い環境に置かれていたため、その寂しさや辛さを忘れようと、空想の世界に浸っていた。

 拓人との旅は、それの延長線上で。いつも一人だった旅に拓人を誘ってみたのだ。

 拓人はそれをなんのためらいもなく受け入れ、一緒の景色を見てくれた。

 自分だけの孤独な世界を受け入れてくれた拓人を、好きにならないはずがない。

 もっともっと拓人が好きになって、近づきたいと思った。


 拓人の一番でいたい。


 その思いは日増しに強くなり。

 とうとう、本気のキスをしてしまった。

 流石にそれ以上はいけないと思い、なんとか理性を総動員し、抱きしめるだけにとどめたけれど。

 もう、拓人への思いが溢れ止めようがなかった。


 なのに。


 あいつらが再び現れた。

 切り捨てた過去。その住人。

 千尋はとっくに切れたつもりだったが、あっちはそうではなかったらしい。勝手に抜けたと怒りをあらわにしてきた。

 自分勝手な言い分。

 無視を決め込むと、新たな手に出た。

 それは、効果覿面。

 ポケットに突っ込まれたそれが指先に触れた瞬間、やばいと思った。

 ビニールの小袋に入れられたそれは、中身がカサリと音を立てる。はっと周囲を見れば、数人の男がこちらに向かってくるところ。多分、警察だ。

 千尋はすぐに気付き判断する。


 拓人を巻き込めない──。


 コンビニまで行かせようとしたけれど間に合わず、俺は警官に取り囲まれた。気づいた拓人は、慌てて戻って来ようとする。


 関わらせちゃいけない!


 そう思い警察官を突き飛ばし逃げろと言ったのに、拓人は逃げなかった。

 むしろ、その方があとから考えれば良かったのだが──。

 その時は、なぜ? と思った。拓人は必死に千尋は潔白だと言い張る。それを見て、身体の力が抜けた。


 ああ、拓人──。


 俺は拓人を好きになって良かった、そう思った。


 暴れた所為で逮捕され、結局拓人も連れていかれ。

 すぐに眞砂の所へ連絡がいき、前にも世話になった笠間という弁護士が来た。

 拓人は簡単な取り調べ後、解放されたと教えてくれた。千尋はその後取り調べを受け、署内の留置所に拘留される。

 必死に自分を守ろうと警官に立ち向かった拓人。嬉しかった反面、間違えれば拓人も逮捕されていた。

 自分と一緒でなければ巻き込まれることはなかったはず。


 俺は──拓人といていいのか? 


 大切な人を不幸に巻き込む。

 それでも、一緒にいたいと願う気持ちは強い。巻き込まないよう、注意を払えばいい、そう言い張る自分がいた。

 けれど、四六時中、拓人を見守っていることなどできない。

 それに、どんなに守ろうとも、相手の出方によっては、それが効かないこともある。

 連中は汚い手を使うことなどいとわない。千尋がだめなら、その周囲にいるものに目を向けるはず。既に仲のいいのは知られている。かならず、拓人を狙ってくるだろう。

 ああいった連中がいる限り、一緒にいると言う選択は、拓人にとっては危険と隣り合わせになってしまう。

 いくら悔やんで反省しても、過去は消せない。ずっとついて回る。

 あいつらに関わらず、過去が原因で千尋一人が被害を被るなら構わない。それこそ、自業自得でもある。

 けれど、拓人まで狙われるようなことになれば。拓人の人生を駄目にする。


 拓人のもとを去る。


 結局、選べる選択肢はそれしかなかったのだ。


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