第七話 眠る前に

 その後、ごく普通に銭湯でも入る感覚で一緒にシャワーを浴びた。俺が先に髪を洗い、その間に千尋が身体を洗う。

 そう広くない浴室は二人入れば一杯だ。

 余り見ないように意識したのだけど、チラと目に入った千尋の身体は、かなり鍛えているのが分かる。

 細いと思っていた腕にも足にも、しっかりと筋肉がついていたのだ。見せる筋肉ではなく、身体を動かしている人間のそれで。

「千尋、何かスポーツしてるの?」

「どして?」

 泡立つスポンジで泡を作っていた千尋がキョトンとして振り返る。俺はシャワーで泡を流しながら、千尋の二の腕から肩にかけて視線を滑らせた。

「筋肉、結構ついてる…」

 ああ、と千尋は納得しつつ、

「遊びでキックボクシングやってる。後は仕事かな? って言ってもそこまで肉体労働じゃないけど」

「兄貴の所だけじゃなくて?」

「うん。律のとこはアルバイト」

「じゃ、本業は?」

「家具職人」

「家具…職人?!」

 予想外の言葉に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「イス作ったり机作ったり。楽しいよ」

「凄い意外…」

 思っても見なかった職業だ。千尋は肩をすくめつつ。

「やらかした後、眞砂さんから何か手に職つけろって言われて紹介された先。小さい工房だけど、皆いい人だし楽しい。ただ、見習いのうちは交通費くらいしか出ないから、律の所でバイトしてる」

「うわー、俺なんかより、全然しっかりしてる…」

「だって、社会人だから? 一人で生きる分は稼ぐし、イザって時、もうひとりくらい養えないと──」

 そう言ってこちらに視線を投げかけると、意味ありげにニッと笑んでみせた。それは俺を養う、と言う事だろうか。

「お、俺はちゃんと自分で稼ぐし。千尋におんぶに抱っこはない──」

「って事は。一緒になるのオーケー? 否定、しないんだ」

 千尋はすっかりこちらに向き直ってニヤニヤ笑う。俺はハッと自分の発言に気が付き、気恥ずかしさにそれを無視して、次に身体をゴシゴシ洗い始めた。

「わ、分かんないっ」

 自分の中で勝手に千尋と一緒に暮らすのが前提となっていた。内心驚きつつ、それもそうかと思う。

 俺は千尋が大好きで別れるなんて頭の片隅にもなかったのだ。将来も一緒にいるのが当たり前で。

 でも、素直に認めるのが照れくさい。頬に視線を感じつつ、その後、ちょっかいを出される事もなく、無事にシャワーを浴び終えた。

「先に出るよ」

「ん」

 千尋はようやく髪を洗い出した所だった。

 そうして脱衣所で千尋が貸してくれたパジャマに着替え終え、ドライヤーで髪を乾かしていれば千尋が浴室から出てきた。

 視線を感じた気がして振り返ると、千尋がバスタオルで身体を拭く手を止め、こちらを見ている。

「なに?」

「拓人は細いなって」

 確かに借りたパジャマから覗く首や手足は細い。ちなみに何故か大ぶりのカットソーしか貸してくれなかった。

 辛うじてパンツは隠れているが、お陰で足元がスースーして心許ない。

「っ…。そりゃあ、千尋みたいにキックボクシングしてないし。細いよ?」

 ここ最近は千尋と歩き回っているからいいけれど、その前はずっと部屋にこもりっきりだった。筋肉などつくはずもない。

 中学の時、陸上部には入ったけれど、あの時ついた筋肉は何処かへ溶けて無くなった。

 代わりに残されたのは、ヒョロリと細い手足だけ。体毛が薄いのが余計にひ弱さに拍車をかけていた。

 すると千尋は俺の耳元へ顔を近づけると声をひそめ。

「でも、抱き心地はいい…」

 そう言って、腰にバスタオルを巻いただけ、裸のでまま抱きしめてくる。腕が腰に回され素足が触れあった。

「?! な、に言って──」


 くっ、こ、ここで来たか。


 バスルーム内で何もしてこなかったから、すっかり油断していた。

 耳を押さえ腕の中で声を荒げると、千尋は嬉しそうに。

「それ以上、痩せるのも太るのも禁止。でも、筋肉はもうちょっと欲しいから、今度、ヒマラヤトレッキング、行こ」

 千尋の空想旅だ。きっと、近場の山に行くに違いない。

「了解…。てか、早く服着ろよっ!」

 俺は頬を赤く染めつつ、千尋の鍛え上げられた胸を押し返した。


 その夜、千尋に抱きしめられて眠った。

 どうしてもくっつきたいと言って譲らなかったのだ。

 夏を迎える季節。くっつくと熱いのだが、結局押し切られ、伸ばされた腕の中で眠りについた。

 眠りにつくまで、ずっと千尋の手が背中や脇をなでていて。それは嫌ではなく、むしろ心地よかった。

 朝方、ふと目覚めると、明けきらない光の中、すぐ近くに千尋の寝息と顔があって。思わず魅入ってしまう。


 こんな風に人と触れあって眠りにつく日が来るなんて。


 つい数か月前まで、ひとり布団に潜り込み、うつうつとした日々を送っていたと言うのに。

 千尋といると世界が変わる。もっと、広く、楽しいものに思えてくる。

 ひとり布団に潜り込んでいるのは勿体ないことに思えた。


 千尋が、好きだ。


 そんな世界に気付かせてくれた千尋に、感謝しかなかった。


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