第1話 出遅れオタク
まだ桜が開花しない三月。
夏の残暑のように冬の寒さが残っていて、頬を掠る風は冷たい。
まだ春は訪れない。
それでも気づけば、大学生活の半分が終わろうとしていた。
「……んじゃ、僕の一番好きな映画はッ……」
「いいから座れ森田。ビールがぬるくなっちゃたぞ」
ガハハ、と笑い同じく酔って顔が赤くなった佐藤に遮られて、一人棒立ち状態だったことに気づく。つい酔いが回って、また熱く語っていたみたいだ。
僕は佐藤を睨んだ。
人がせっかく気持ちよく話していたのに。
話を遮られて思考が緩慢となっている隙に、佐藤は「次何飲む?」とメニュー表を持ちながら映画サークルのメンバー達に尋ねる。金髪に髪を染めた佐藤は、見た目通りザ・陽キャって奴で、空いたジョッキに目を配ってから店員を呼び出す。
仕方なく腰を下ろした僕は、まだ半分も残っているビールに口をつける。
「……うえ、にが」
苦味が舌に絡みつくようで、未だに飲めたもんじゃない。ヌルくなると尚更だった。よくこんなもの楽しげに飲めるな、と不思議で仕方がない。みんな僕と同じ大学生のくせに、何が違うんだ?
そんなことを思っていると、僕がジョッキの隣にグラス(レモンサワー?)が追加で置かれり。
まだ飲んでるわ! って佐藤に文句を言おうとしたら、周りから「いっき! いっき! いっき!」と煽られてジョッキの底を上げていた最中だった。
グラスを机の中心へ遠ざけて、その代わりに枝豆を掴んでから、一粒口に入れる。
「今日は本当に騒がしいな」
「そりゃ、今日は送別会でもあるからね」
僕の真正面に座るボブカットの女子が気だるそうな声で答える。彼女は村上。ズボラな性格なのか、それもオシャレなのか、いつもパーカーばかり着ていて眠そうな目をしているやつ。
村上の言うとおり。今日は映画サークルに所属していた先輩の送別会が開かれている。先輩たち数人は卒業式が終わってからすぐに来たのだろうか、着慣れてなさそうなスーツに身を包んだまま、胸ポケットには花が添えられている。
とはいっても僕はその先輩たちと面識があまりない。
映画サークルは、週に一回メンバーたちと一緒に映画を観るだけのユルいサークルだ。特に規則やルールなんかもなく、ただ映画を観てその流れで飲みにいくっていうのがいつもの流れ。
これが原因なのかわからないけれど、毎週真面目に参加している人はほぼいない。まあ、映画なんてどこでも観れるからかもだけど。
だから所属人数こそ多いものの、いわゆる幽霊部員が多い空々のサークルなのだ。なので今日、初対面の先輩? 後輩? それすらわからない人すらいる。
毎週参加しているのは二、三人くらいだ。
もちろんそのうちの一人が僕。
他には……意外にも今吐きそうな顔をしている佐藤と気だるげパーカー女子の村上の二人もよく参加している。
今日は大御所だけど、普段は僕ら三人だけの飲み会みたいなものだった。
いつものように僕が好きな映画を語り、佐藤に遮られ、次は村上に切り替えるって流れだ。
「じゃあ、村上。お前が聞いてくれ。まだ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の話ができてないんだ」
「それいつも聞いてるんだけど……それに今日は周りにいっぱいいるじゃん」
「いやだよ。知らない人ばっかりだし。それに……」
卒業をする先輩とその周りを囲むメンバーたちを覗いてから、村上に振り返る。
とにかく今日は映画の話で頭をいっぱいにしたい。
人見知りで慣れた佐藤や村上くらいしか話せないって事情もあるけど、それよりも周りから聞こえてくるある言葉を耳に入れたくなかったから。
村上のしかめた顔を無視して話し始めようとしたら、彼女の隣に座る映画サークルの女子に先を越される。
「〜はあ、私たちももうすぐ就活だよね。村上さんはやりたいこととかあるの?」
「え、ウチ? ん〜今はないかなー」
「そうだよねー。私もまだ考えてもないや」
パーカーの首紐を指で絡めながら村上は就活という言葉に遠ざけるように答えた。そう、どこもかしくもここが映画サークルだというのに。聞こえてくるのは就活の話ばかりだ。
すると、村上に話しかけていた子が今度は僕に尋ねてくる。
「森田くんはどうするの?」
「……あ、えっと」
その話題が振られるとはわかっていたけど、いざ来られるとずしりと重い石が上から降ってきたみたいに言葉に詰まる。
なんて言い逃れしようかと戸惑っていると。
「森田はまだ二年なんだよ。だから就活なんてまだまだ先の話だよな? ったく、羨ましいぜ」
と、隣から佐藤が代わりに答えやがった。
同時に口からアルコールの臭い漂ってきて顔を真っ赤にした佐藤を睨む。
「なんだよ? 事実じゃん」
「ああ、そうだよ。僕は一年出遅れてるんだよ」
やけくそのように強く言った。
そう、僕は一年浪人して、同じ年にも関わらず佐藤や村上とは出遅れている。春から二人は四年生で、僕は三年生ってね。
まるで時間の流れが違うような感覚だ。高校まではみんな一緒に同じ時間、同じ方向を歩いていたのに、大学生になった途端、僕だけがいつもワンテンポ遅く感じるこの不快感。
浪人自体、別に珍しい話じゃない。そんなことはわかっている。けれど、この出遅れコンプレックスとでも言うのか、それが苦味が絡みつく酒のように僕にずっとのしかかっているんだ。
だから就活の話なんかされても、僕にはまだまだ先の話でラッキーなどと返せる心境なんかではない。いたずらに出遅れコンプレックスを刺激するだけだった。
「怒るなよ。俺たちはもう就活で忙しくなるからさ、お前のことが心配なんだよ」
「心配? って何の?」
「いや、お前ってさ映画オタクなのはいいんだけどよ。そろそろ彼女でも作れよ。大学生にもなって彼女もいないんじゃ、楽しくないぜ」
「よ、余計なお世話だ!」
出遅れコンプレックス発動。
佐藤の言うとおり、お付き合いしている女性、という相手はいない。
それが何だ? と露骨にめんどくさいぞお前って顔をしてやっても無理やり肩を組んできた佐藤は、ポッケからスマホを取り出してある写真を見せつけてきた。
それは殴りたくなってくる笑みを浮かべる佐藤と、そいつには不似合いなくらい清楚で美人な黒髪の女性とのツーショットだった。
「……な、なんだこれ? アイドルとの握手会のときか?」
「バカっ! ちげえよ。彼女とのツーショットだよ。ツーショ」
にやける佐藤。
いつの間に? といった風に村上に視線を送るが、興味なそうに「さあ?」と眉毛を上げた。佐藤に彼女がいたなんて僕は驚いた。
なぜなら佐藤は陽キャな奴ではあるけど、別にイケメンというほど顔が整った奴ではないからだ。というより、大学デビューするために髪を金髪にしたって風情だ。
そんな男に彼女がいるなんてこと、ましては僕のタイプの女性だなんて、ますます『出遅れ』コンプレックスが発動し続ける。
そんな僕の心情を知らずに、佐藤は追撃をしてくる。
いや、トドメだった。
「それにお前、童貞だろ?」
「………………」
ドウテイだろ?
頭の中でやまびこのように何回も響く。
出遅れコンプレックスのみならず、男としてのコンプレックスも刺激されて、僕の心は砕かれた。
そこで村上がため息を吐きながら横から制止に入る。
「ちょっと酔いすぎじゃない?」
「酔ってないよ。俺は映画ばかりしか興味がない森田を心配してるんだって」
「いいんじゃないの。それが森田じゃん」
「いや、だって……」
「それよりもその写真違和感を感じるんだけど……」
「なっ!? どこがだよ」
「……いや、別に。なんとかくそう思っただけ」
二人のやりとりを呆然と眺めているだけの僕。村上にスマホを指されるとなぜか動揺してすぐにポッケにしまった佐藤だったが、あまり情報として頭に入らなかった。
その後はあまり覚えていない。
未だに慣れない酒で酔いがピークに達したのだろうか、それともショックのせいなのか、気づけば自分の部屋にいた。
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