第6話 『兄貴へ直談判。ジャガイモと運河』

 1589年12月9日 オランダ デン・ハーグ


「な、なんだって? そんなに一度に話すんじゃない。落ち着きなさい」


 マウリッツの言葉に我に返ったフレデリックは、自分の提案をまとめてみた。


 年の離れたフレデリックを自分の子供みたいに可愛がっているが、一方的に話されて面食らっているようだ。


 兄貴……ゴメン。


 そうフレデリックは心の中で思った。


「兄上、9つの提案があります。まずはジャガイモなんだけど……」


 マウリッツは地図帳を閉じ、フレデリックの目をじっと見つめる。


「9つもあるのか……。まったくお前は」


 苦笑いしながらも喜んでいるようだ。もっともその真意はフレデリックにはわからない。


「じゃあまずは、ジャガイモから聞こうか。全国展開って……何か月か前に言っていた、例の新しい作物だろう? 成功すれば食料の自給率もあがって、流通すれば小麦やその他の穀類の価格が安定すると言っていたな。あれは6月に許可を出しただろう? そうだ、収穫はどうだったのだ?」


「収穫は予想以上でした! ライデン大学の試験農場では、1アルパン(約0.3ヘクタール)あたり900ポンドの収量がありました。これは小麦の約4倍です」


 フレデリックは興奮気味に報告を始めた。


「おお! 4倍とはすごい。しかし聖職者は『聖書に記載のない根菜』と反対しているそうではないか。噂を聞いたぞ。リエージュ司教からも抗議文が届いている。どうするのだ?」


 マウリッツはジャガイモの予想以上の収穫に驚きつつも、宗教的な反対を心配しているのだ。


 生産量の高い主食になりうる新しい作物だが、そのせいで、せっかくまとまったネーデルラントが分裂しては意味がない。


「聖書の『七倍の豊作』(創世記41章)を引用した説教案を司教たちに配布してはどうかと考えています。司教様のなかでは『神の新たな恵み』として認める方もでてくるのでは?」


 フレデリックがクルシウスの栽培記録を差し出して言うと、マウリッツは指で書類をはじいた。


「ふむ……。しかし教義だけでは納得はしないだろう。具体的な懐柔策はあるのか?」

 

「リエージュ司教のブドウ畑にジャガイモを混植する許可を取り付ければ、収益増を約束できます。司教庁の会計官が計算したところ、従来の小麦栽培より3倍の利益が……」  


「なに? もうそんな事までやっているのか。いや、怒っているのではないぞ……」


 マウリッツはフレデリックの行動力に驚いているようだ。確かに、5歳の貴族のおぼっちゃまが、ここまでやったら神童レベルだろう。そのせいかマウリッツはなんだかうれしそうにも見える。


「司教庁の会計官を動かしたのは誰だ? お前が行って役人が動くとも思えんが」


 ああ~! それは……とフレデリックは続ける。


「それはヤンにしてもらいました。子供の僕が言っても誰も相手にしませんからね」


「ははは、まったくお前ときたら……」


 マウリッツは羊皮紙の端を指で押さえ、笑いながら窓際に積まれた宗教論争の記録文書に視線を移す。


 デン・ハーグの冬の陽光が赤いカーテンに反射していた。


 フレデリックはふとライデン大学の植物園で過ごした夏を思い出している。教授が異端の嫌疑をかけられながらも、ジャガイモの花を『神の幾何学』とたたえた日だ。


「アントウェルペンの絹商人が仲介してくれました。リエージュ司教のおいが香料貿易で負債を抱えていると聞きつけて……」


「商人の懐柔に聖職者の弱みを利用か……」


 マウリッツの目は笑っているが、ネーデルラント統一戦争で培った戦略眼である。


 5歳児のフレデリックの口から出た現実主義を図りかねているようだ。


「兄上、利用とは人聞きが悪いですよ。人助け、それに活用すると言ってください」


 壁に掛かったネーデルラント17州の地図が、窓から流れ込む淡い光を受けてかすかに揺れる。ネーデルラントは北部と南部が連邦を組んでいるおかげで、史実よりも飛躍的な発展を遂げつつあったのだ。


 水路の整備によって水上輸送が盛んになり、内陸港が海港並みの経済価値を持ちつつある。


 バルト海では穀物貿易が経済を牽引けんいんし、北海では多様な経済活動が相乗効果を生んでいた。


 ネーデルラントは各国と有利な貿易協定を結び、国際貿易の新たな可能性も生まれていたのだ。


「人助け、か……おまえの舌の回りは母上譲りだな」


 将来有望なフレデリックに対する安心感か、それとも空恐ろしさを感じているのか。


 いずれにしても、マウリッツの言葉にフレデリックは内心ほっとした。


 母親の知恵と才覚は、ネーデルラント統一戦争の裏方として大きな役割を果たしたと聞いている。マウリッツからフレデリックがその血を引いていると告げられ、彼にとっては兄に認めてもらったようで素直にうれしい。


「それから……次はなんだ?」


 マウリッツの質問にフレデリックは身を乗り出した。


 提案したのは以下のとおり。 


 ・き船運河ネットワーク

 ・ポルトガル式帆装改良計画

 ・穀物先物取引市場

 ・亜鉛板防火屋根義務化(これはちょっと時期尚早。多分肥前国で開発されているだろうけど、もう少ししてからだな)

 ・海上保険組合創設

 ・大学附属病院設立

 ・煙突掃除人ギルド

 ・運河沿いの風車地帯





「お馬さんが曳く水路をつくれば、もっといろんな所に荷物を運べると思うんだ」


 フレデリックがそう提案すると、マウリッツの目がすぐに輝いた。物資を運べるなら兵員や武器弾薬も運べると、瞬時に判断したのだ。


「馬が曳く水路か。面白い発想だな」


 それでもマウリッツの表情には好奇心と慎重さが混ざっている。


 ネーデルラント17州の統合がもたらした平和は、まだ脆弱ぜいじゃくだ。スペインの脅威は去っていないし、カトリックとプロテスタントの軋轢あつれきも完全には解消されていない。


 そんな中で、新たな経済政策は諸刃の剣となりかねない。


「どんな利点があるんだ?」


 その問いかけに、フレデリックは熱心に説明を始める。


「荷物が早く運べます。アムステルダムからアントワープまで、完成すれば今の半分の時間で行けるんじゃないかな……」


「? 海路を南下して進むよりもか?」


「はい。海路よりも早くなります。運河はまっすぐ進めるし、お馬さんが引くから風がなくてもいいし、夜も進める」


 フレデリックの説明にマウリッツは興味を示したが、同時に疑問も浮かんでくる。


「なるほど。確かに海路は天候に左右されるからな。夜間航行も難しい。しかしそんな大規模な工事は、莫大ばくだいな費用がかかるだろう」


「はい。でも長い目で見れば十分元が取れると思います。品物がたくさん流れれば、税収も増えるでしょ」


 マウリッツは机の上の地図を広げ、アムステルダムとアントワープを指で結ぶ。


 フレデリックは5歳で、みかけは普通の子供だ。その子供の発言は時に幼くほほえましいかぎりだが、的を射ている発言や行動は大人顔負けである。


「ここを結ぶのか。確かに、両都市の経済力が合わされればすごいな」


「うん! 富国強兵には必要だよ!」


「? なんだ? 富国……」


「あ、ごめんなさい。なんでもない!」


 マウリッツは時折みせるフレデリックの言動に驚くが、あの落馬事故があってからだ。まるで別人である。


「……そうか。しかし相当に金と時間がかかるであろうな。どのぐらいかかるだろうか」


 マウリッツは、どうせ考えているんだろうと言わんばかりの表情でフレデリックを見た。


 不思議な弟だが将来が楽しみであり、それがネーデルランドの国益になるなら、年齢は関係ないと考えているのだ。


 フレデリックは真剣な表情で答える。


「アムステルダムとアントワープを結ぶ運河の建設には約2,500万から3,000万ギルダーほどかかると見積もっています」


「2,500万ギルダーだと? 莫大な額だな……。どうやって算出したのだ?」


「ざっくりなので正確にはわかりません。土木技術者が集まるアカデミーで職人の棟梁さん、何人かに聞いたんだ」


「そうか……」


 マウリッツは驚きつつもその有用性は理解していたので、次の質問をフレデリックに投げかける。


「ではその資金はどうするのだ? 金は空から降ってはこない。それにお前の提案は長期的に見れば利益はあっても、資金がかかる案ばかりだ。なにか、すぐに金になる考えはないのか?」





「はい。すぐにお金になって、そのお金を新しいお仕事に使って、どんどん増やす方法を考えてます」


 フレデリックはマウリッツの期待がわかっていたので、心の奥に仕舞ってあったアイデアを話し出した。


 フレデリック流錬金術とでもいう、ネーデルランド富国強兵案である。





 次回予告 第7話 『1589年のオランダで可能な錬金術』

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