ちいさな話しかできないけど

きたの しょう

通り雨

 …それは、まだ魔法を知る前の話。


「ポアンカぁ!?いやそれはお前だけ行けよ!」

「他にも回るところがあって荷物持ってほしいの。来て!」

「来てって…あんなところ男が行って誰かに見られた日にはクラスの連中に何言われるかわかったもんじゃねぇ。それにお前の親はどうした。車持ってんだろ?妹の由紀ちゃんは?」

「親二人は親戚の用事とやらでいきなり車で出かけるし、妹は友達と遊びに行ってる。マトモに荷物持ってくれるのあんたしかいないの!無駄話してる間に電車来ちゃうでしょ、早く着替えて来て!」

 まだ寒さが微かに残る4月上旬の上空を、福井駅前からやや離れた商店街にある自転車屋の宣伝を機体にくくりつけたスピーカーからがなり立てながら、単発高翼小型機がやや低めの高度で過ぎてゆく日曜日の午前9時過ぎ。テレビを見ながら昼ご飯までの時間を潰していた白谷駿しろたに しゅんは、出し抜けにやってきた、隣に住む幼馴染で同じ歳でクラスメイトで席順が後ろで腐れ縁の黒瀬結衣くろせ ゆいにスケジュールの修正を強いられた。時間を潰しているだけで別にテレビの前にかじりつかなければならないというわけではないが、かといって出かけようとする気力もあまりない。

「9時半過ぎの電車に乗るからね!」

 彼女はそう言うと急いでるのか玄関の引き戸をやや乱雑に閉める。ぱしん!という派手目な音がしたあと、玄関越しに彼女のサンダルの足音が遠ざかっていく。

「ポアンカかぁ…野郎の行くところじゃねーぞ…」

 福井駅前にある衣料品中心のデパート…と言うには小規模だが…で、俗称「女の城」。女性向け衣料店が多く入居しており、実際来店する客も女性が3/4を占める。

 当然、男は入りづらい。男がそこへ入るためにはカップルでないと、と言われるほど。まあ今回は結衣が一緒だから"合法的"には入れるが。

 駿はやや深めのため息をつくと、奥の居間でゲームをしてる弟の白谷駈しろたに かけるに、

「駈、ずっとゲームしてる?」

「あ?多分してる」

「んじゃお留守番お願い。親父たちいつ帰って来るか判らんしなぁ」

「いってらー。にしても兄ぃも大変だな。お隣のお姫様にオモチャにされて」

「おとうとおとうと、ってかわいがってくれるならいいけど単なるパシリだからなぁ…」

「そう言ってる割には喜んで行くくせに。高校卒業したら結婚しちまえ」

「それだけは勘弁して」

 No thank you!という言葉をポーズにして駿は二階の自室へと階段を上がって行く。部屋でよそ行きの服に着替えて再び1階へ。

「それじゃ駈、お願い」

「気を付けて~」

 スニーカーを履いて玄関を出ると、お隣のお姫様…結衣が丁度自宅の敷地内に足を踏み入れた所で目が合う。

「丁度良かった。じゃ行こうか」

 パッと見、男の子のような恰好…まだやや寒い4月というのにズボンはデニム地のホットパンツ。上は緑地にNHの文字をデザイン化した野球帽と、それに似た緑地の長袖のTシャツの上から同じ色のスタジアムジャンパーを黒瀬は羽織っている。足元は白のミドルソックスに緑地のスニーカー。そして目を引く、胸元の水晶のペンダント。

 まあ彼女にしてはおめかししてる方か。下手するとどこぞのオジサンかと見まがう位にセンスがない服を着てくることもあったが。

 しかしその格好、特に下は寒くないか?と白谷は思ってしまう。4月とはいえ、まだ桜の咲く頃に素足晒してるというのは。でも、女子はスカート履くしなぁ。

「駿…何見てんのよ」

 黒瀬が眼鏡のレンズ越しにジト目で白谷を見つめる。

「いや、結衣にしちゃあ歳相応の服着てるなぁ、と」

「一応街出るんだからそれなりのカッコしてかないと」

「…の割にはこの前なんか福井競輪に屯してるオッサンみたいなカッコだったよなぁ」

「着てく服がなかったのよ。だから今日買いに行くんじゃない」

「さよですか」

「そっちも似たような服着てるくせに」

「この時期に男は短パン履かねーぞ。寒いし」

 白谷の方はというと、ややだぶつきな感じのデニム地のジーンズに長袖の紺のパーカー、紺のソックスと似たような色のバッシュ、帽子には牛をデザイン化した白地に赤と紺が混じった在阪球団の野球帽。

「この時期からあんたのすね毛生えた足なんか見たくねーわ…んじゃ行きますか」

 黒瀬はひとしきり文句を言ってから踵を返して歩き出す。白谷はお姫様に付き従う騎士のように、黒瀬のやや後ろを駅へと歩いてゆく。踏切すぐにある食料品店を過ぎて線路を渡り、歴史が古い用水路を渡って左に折れる。

 用水路沿いの道は桜並木。ちらほらと散って行く桜の花びらを横目で見ながら二人は家近くの駅である越前新保駅へと向かう。

 来年の今頃も、再来年も、10年後もこのままなのかなぁ…白谷は春らしい陽光に照らされた桜を見ながら何気なく思った。

 いつも一緒。クラスメイトからは夫婦のようだとからかわれ、幼馴染からは遅めに生まれたせいで弟みたいなものと言われながらも、その腐れ縁から逃げられないのかなぁ、と半ばあきらめていた。とはいえ、積極的に逃げようとする気持ちも起きていない。

 ぬるま湯、かなぁ…自虐的に白谷は小さく笑った。

「まあ、それもいいか」

 思わず口に出た言葉に前を歩く黒瀬が反応したのか、

「なんか言った?」

 振り向いた黒瀬に、一瞬驚いた白谷だったが…ややあってから

「別に。何も…」

 彼女から視線をそらした先には、今が盛りと咲き誇る桜があった。


 二人は福井駅に着くと、跨線橋を渡って駅ビルがある西口へ。左へ折れ、駅前広場を右に見ながら進むとビルの谷間に橋が架かるように緑色のアーケードが待ち構える駅前ショッピングアーケードがある。そこに入り、全蓋式のためやや薄暗いアーケードを進む。右に折れるとしばらくはアーケード内の店舗が並ぶが、その向こう、交差点の先には福井鉄道の福井駅前停留所が道の真ん中にその存在を誇示していた。

 二人はアーケードを出てすぐ左に曲がる。10mほど歩くと左側の建物が今回の目的地の一つ、ポアンカが入るビルになっている。

 黒瀬は当たり前のようにずかずかと入っていくが、白谷はその入り口で一旦歩みを止めた。男には、そこには見えない何か結界のようなものが張り巡らせてあって、容易には近づけないようにしているかのように思えて仕方がない。

「駿、どうした?」

 自動ドアの向こう、店内のエントランスから黒瀬が振り向いて何気なく訊くが、

「…いや、入っていいのかな、って」

「はよしねま、いいんだよ!」

 少し怒った表情の黒瀬はそう言うと一旦白谷が立ちすくんでいる場所にまで戻って、背中を押して無理やり店内に押し込もうとする。押された白谷はブレーキが利かずに黒瀬に押されたまま強制的に店内に入れられた。

「あんたそこでぼーっ、と待ってるつもり?」

「その方がいいかなぁ…なんつって」

「アホ、荷物誰が持つんだよ」

 入口では押され、階段では彼女に手を引かれて上らされる白谷。さながら母親に駄々こねてるけど結局は親の力で黙らせられてる子供のよう。

 店内はデパートと言うよりは郊外のショッピングセンターに近い感じの、店と店の間の通路の狭さが気にはなるが、流石に"女の城"と言われるだけのことはあるほどの女性率。ここほど、男であることに恥ずかしさを感じるところはない。その割には…、

「へぇ、男子トイレもあるんだ」

「そりゃああるでしょう。こうやってカップルで来る人らもいるんだし」

「カップル…ねぇ」

「…何言ってんの」

「…いや、別に…」

「…弟のくせにマセた事言うんじゃない」

 ほらこっち、と彼女は白谷の言う事に耳を貸さずにずんずんと通路を目的の場所へと床を踏みしめてゆく。

 やがて着いた所は…、

「なあ、結衣さんや…」

「何よ」

「ここ下着売り場じゃねーか」

「そうだよ。いくらか欲しいのがあってねぇ…」

「あってねぇ…じゃねーよ。俺は男だぞ」

「さっさと来るの。あんたは今日は荷物持ちなんだから」

 デリカシーという言葉知ってるか?と思わず言いたくなる白谷だが、今は何言っても無駄だなぁ、と思ってそれ以上は口にはしなかった。した所で、後で何されるか判ったものじゃない…。

 黒瀬はニコニコと微笑みつつ自分に合いそうな下着類をとっかえひっかえしながら選んでゆく。

 まあ、さっきみたいにガサツな言葉使ってもなんだかんだで女の子なんだよなぁ、と彼女の行動を見ながら白谷は今更のように思う。

 口さえ開かなければ…。幼馴染が言うのも何だが、背中の半ばまであるストレートで長い髪に知性があふれそうな眼鏡をかけ、顔の造りも美人じゃないが美少女の範疇には入るし、成績も上から数えた方が早い位に優秀…おまけに文化委員会の委員長をしてるとなると普通なら男どもが放っておかないはずだが…。

 ガサツなのは変わりないからこんなの嫁に貰う野郎はある意味不幸かもしれん…白谷がつらつらとそんなことを思いながら女性下着の森の中を、多少の性的好奇心に満ちた目で歩いていると、

「駿。ほれ、これ持って」

 いつの間にかレジ通したのか、いくつかの下着が入った手提げが付いた紙袋を横合いから手渡された。一瞬状況を把握しかねているうちに黒瀬はさっさと歩いて次の売り場へと突き進んでいた。遅れて白谷も後をついてゆく。


 …そのあと数件回ってそれなりの買い物をした黒瀬は、昼ご飯の代わりと称して駅前電車通りから横合いに少し入ったところにあるミスドに入っていった…しかし白谷はガッツリと食えないドーナツという選択肢に不満を表明する。

「ドーナツ?昼ご飯じゃねーよなぁ…」

「いやなら食べなきゃいいじゃない?折角来てくれたんだからおごろうかと思ったのに」

「お嬢様お慕い申し上げておりました」

「…わざとらしい」

 おごるという言葉にあっさり陥落した白谷は進んで黒瀬の犬と化した。

 白谷はコーラにフレンチクルーラーやオールドファッションなどを含めて5つ、黒瀬はハニーディップとシュガーレイズドにホットコーヒーを選んで偶然開いた歩道側の席を確保して座る。白谷の横には一抱えはある紙袋の山。

「しっかし…よくもまあ買ったなぁ。というか、金あったなぁ」

 コーラを飲んで喉を潤した白谷が横目で紙袋を見ながら訊いた。高校生が買い込むにしちゃ量が多い。

「いくらかは妹の分もあるけど、お金はお父さん何か宝くじでそれなりに当たったとかで臨時収入」

 黒瀬がそう言うと、コーヒーを息で冷ましつつ少しづつ口をつける。

「うらやましい」

 白谷はそう言いつつオールドファッションにかぶりつく。黒瀬もハニーディップをリスみたいに少しづつかじるように食べ始めた。

 しばらくは無言になる。店内の喧騒と有線放送、ガラス越しに聞こえてくる街の雑踏と、目に入ってくる行き交う人、車。

 どことなく映画のワンシーンのように、白谷は思った。

 幾つかのドーナツを胃袋に空腹の生贄として送り込んだあと、彼はふと思ったことを口に出した。

「なあ、こういうのって世間一般では"デート"って言わんか?」

 何気なしにガラス越しの街を見ていた黒瀬はその言葉に顔を彼に向ける。そして無表情で、

「デートって普通は映画とか遊園地とかで男女の親密度を上げるためにやるもんだろ?これはただの買い出しだしなぁ…」

 彼女基準ではこれはデートではないらしい。

「でも買い出しも立派なデートじゃないかなぁ…?」

「それに駿は弟だしなぁ…弟とデートしても」

「さいですか」

 またかよ、と言いたげな白谷の渋い顔。そんなんじゃないんだけどなぁ、と店内のGMに負けそうな小声でつぶやいたように彼の口が動いた。

 …それから10分ほどして全てのドーナツと飲み物を平らげた二人。

「つぎ、何処?」

 白谷が複数の手提げ付き紙袋を携えつつ彼女に訊く。黒瀬は椅子から立ち上がりながら、

「繊協ビルのバスターミナルの所にパン屋さんがあるでしょ?そこ行ったらおしまい」

「りょーかい。ならそこまで行きますか」

 紙袋の重さを感じない動きで、白谷が立ち上がった。


 ミスドから400mほど駅から離れた方向にある、大名町交差点にあるバスターミナルが入っているビルのパン屋で家族分のパンを買い込んだ黒瀬と白谷は、家へ帰るために駅へ向かおうとしてビルのエントランスを出た。アーケードがない所なので嫌でも空模様が視界の片隅に入ってくる。二人はそれを見て同じタイミングでしまったと思った。

「朝方は天気よかったんだがなぁ」

 今は泣き出しそうな曇り空に結衣が数時間前の自分の決断を後悔した。出る時は傘はいらないと思ったのだが…。

「道理で暗いはずだ。結衣、どーする?しばらく雨宿りがてら茶店に入るか?」

 同じように分厚そうな雨雲を恨めしそうに見つめながら白谷が訊く。手に持ってる紙袋は雨に濡れると色々と不味い。

 その横で決断しかねているのか、悩んでる表情を浮かべる黒瀬。

「まあ、時間あるし。結衣、地下降りよう」

 白谷がそう言うがその言葉尻を断ち切るかのように黒瀬が何かを思い出して、

「しまった!番組録画するように言われてたんだった…家誰か帰ってるかな…ごめん電話してくる!」

 黒瀬はそう言うとバスターミナルにある公衆電話へと駆け出して行った。何台かある緑の公衆電話に取りついて受話器を取り、10円玉を入れて自宅の番号のボタンを押す。

 彼女の動きが止まり、受話器から流れて来る音の意識を集中しているように見えた。やがて、苦虫をかみつぶしたかのように嫌な表情を浮かべつつ受話器を戻す。どことなく重くなった足取りで白谷の所へと戻って来た。

「…まだ誰も帰ってない、か」

「…確かもう15分ほどしたら出る電車に乗れば、ぎりぎり録画に間に合う…」黒瀬は何かを決断したように表情に力が戻って来た「駿、駅まで走ろう!」

「しゃーねーな」

 白谷はやや笑みを浮かべてそう言うと、何処となく雨の匂いがしはじめた外に向けて、黒瀬と駅に向かって走り始めた。

 駅前大通りのやや広めに歩道を、黒瀬は何も持たずに、白谷か彼女の買い物の紙袋を引っ提げて駆け出してゆく。第一勧業銀行を過ぎ、放送会館の前を通過した辺りでとうとう泣き出しそうな重い雲から雨粒が降り始めた。歩道のコンクリートがみるみる雨粒の爆撃を食らって濡れて行く。

「結衣、小雨じゃねーぞ!雨宿りしないと…」

「そんな時間はないっ!」

 結衣はそう言ったが、土砂降りに近い雨の勢いで降ってきている。着ている服も次第に雨粒が落ちて急速に湿気を含み始める。

 仕方ないか…結衣はそうつぶやくと、

「駿、自分のそばに来て!」

「何で!?」

「いいから、寄って!」

 一体何するんだ?と疑問形をいくつも並べたような表情をした白谷が、言われたとおりに黒瀬とくっつくくらいにそばに寄る。

 黒瀬は、頭の中で言葉コードを組み上げる。その言葉コードを口にした。

 何処となく小さく爆ぜるような音がした後、彼女の胸元の水晶が小さく光り始めた。

 水晶の中の"悪魔"が、彼女の発した言葉コードを忠実に履行し、指定座標の物理現象に干渉する。

 周囲の空気が彼女と彼の頭の上へと急速に集まりだし、それはやがて目には見えない二人の頭上に雨粒から守る"傘"を形成した。

「…何したん?」

「雨粒が当たらないおまじない」

「何だそれ」

 駅前の交差点の信号もいいタイミングで青になり、頭上に見えない空気の傘をまとわりつかせた二人はあと少しで駅ビルに入る…しかし、

「間に合うかなぁ…相反則不軌直前になるくらいまで帯域使ってるし」

 雨の勢いは強くなり、折角咲いた桜の花を散らす勢いで地上に降り注いでいる。足元のコンクリートはとうの昔に水分を吸い切れずに表面に水たまりを出現させ、二人の足元から水が爆ぜるようにまき散らされる。

 そして魔法には時間制限がある。時間と共に魔法の効力が落ち、物理法則を捻じ曲げている力が崩壊して通常の物理法則が支配するようになる。

 二人を守る"傘"の先端や表面部分から、効力が切れた空気が揮発するかのように徐々に塊から外へと風を起こし始める。

「間に合えー!」

 駅ビルのエントランスに二人同時に飛び込むように入った瞬間、残っていた空気の塊は"悪魔"の干渉から解放されて一陣の風として周囲に吹き抜けた。

 衆人環境の中、床に倒れこんだ二人は暫く肩で息をしつつ整え、起き上がった。何事かと二人を見ていた通行人は、何も起こらないと判ると無視するように通り過ぎて行く。

 白谷は思い出したように自分の服や手提げの紙袋をしげしげと眺めたが、ほぼ水滴はついてなかった。

「…結衣、おまじない、って言ったよな」

「そうだけど…?」

「…何か、手品でも使った?」

「だから言ったでしょ?"おまじない"だって」

 キツネにつままれたような不思議な表情で黒瀬を見つめる白谷。見つめ返す彼女の眼鏡には、数滴の雨粒が付いていた。


 何とか電車に乗った二人は、さて家近くの駅に着いてからどうしようかと思ったが、どうやら通り雨だったらしく駅から家までは雨に降られずに済んだ。とはいえ、時間はギリギリなので二人とも再び家まで走る羽目になった。そのおかげで録画には間に合った、と翌日の登校時に黒瀬は話した。

 ただ、魔法を使ったせいで空腹感が彼女を襲い、本当は駅の立ち食いそばで何か食べたかったのだが…録画のことを考えると食べてる時間がなかったので泣く泣く断念した。


 もちろん、そのことは幼馴染白谷には言ってない。


【終】

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