第3話 昼休み

 それから、およそ二週間経て。



 ――バンッ。


「……っ!! 二人とも、大丈夫かい!?」


 四限目が終えほどなく、教室後方から鈍い音が届く。見ると、教室を出ようとしてたであろう一人の生徒が尻餅をついていて。


「……その、ごめんね蒔野まきのさん! その、わざとじゃなくて……」


 そして、その生徒――蒔野さんとぶつかってしまったであろう女子生徒、久谷くたにさんが謝意を告げつつ蒔野さんへ手を差し伸べる。きっと、急いでいて周囲の確認が疎かになってしまっ――



「――ご心配には及びません、それでは」


 すると、徐に立ち上がり、一言そう告げ去っていく蒔野さん。差し出された久谷さんの手は、一顧だにされず虚空に伸びたままで。それから、少し間があって――


「――大丈夫、彩香さいかちゃん?」

「あ、うんありがと美奈みなちゃん。でも、ぶつかっちゃったのは私だから」

「……でも、それにしたってあの態度は流石にないよ。やっぱり感じ悪くない? あの子」

「だよね。わざとぶつかったわけでもないのに、完全に無視とか――ほんと、何様って感じ?」

「それにさ、なんかわざとっぽくなかった? あの倒れ方。だって、そんなに強くぶつかってなかったよね、彩香ちゃん」

「見た目はすげえ可愛いけど、あの性格は流石に無理だわ」


 そう、次々と続く蒔野さんへの不満。……確かに、今の状況だけを見ると無理もないのかもしれない。ぶつかられたことを考慮しても、先ほどの彼女の振る舞いはおよそ好意的に映る類のものではなく……うん、やっぱりこのままじゃ――





「――やあ、蒔野さん。ここ、お邪魔しても良いかな?」

「……へっ?」


 それから、10分ほど経て。

 僕の問いに、少し目を丸くする蒔野さん。……いや、問いと言うより僕自体に、かな。と言うのも、ここは屋上――それも、どの学年の教室からもそれなりに距離があり、昼休みという短い時間に敢えて屋上ここを訪れる生徒は恐らく皆無――そう、蒔野さん以外には。そこに、突然の思わぬ来訪――まあ、それは驚くよね。


 ともあれ、僕が来たのはその屋上の奥の方――そこにポツンと在する、少し古びた木組みのベンチの前で。そして、そこに腰掛けお弁当を広げようとしていた彼女に、今しがた僕が声を掛けたという次第で。



 ――すると、数十秒ほど経過して、


「……別に、私に許可を取る必要などないのでは? 言わずもがな、屋上ここは私の所有地ではありませんし、このベンチは私の所有物ではありません」

「……そっか、ありがとう蒔野さん」


 そう、少し目を逸らし告げる蒔野さん。そんな彼女を微笑ましく思いつつ、ベンチ隅の方へと腰掛ける。あまり近づいちゃうと、尚のこと申し訳ないし。


 その後、二人昼食を取りつつ他愛もない会話を交わす僕ら。とは言え、基本的に僕が一方的に話し掛け、それに彼女が答えてくれてる形ではあるのだけど……それにしても、こうして会話が成立することに少し驚いて。正直、話し掛けても相手にしてもらえないんじゃないかと思ってたし。……うん、これなら少しずつでも――



「――ところで、由良ゆら先生。つかぬことをお伺いしますが――先生は、罪を犯したことはありますか? もう、決して取り返しのつかない罪を」




「……蒔野、さん」


 そんな楽観的な思考の最中さなか、不意に届いた蒔野さんの問い。およそ日常で耳にすることのないであろう、何とも重々しい問い。そして、それを口にした彼女の意図は分からない。だけど――


「……蒔野さん、僕は――」

「――ふふっ、冗談ですよ。そう真面目に受け取らないでください、由良先生」

「……そっか、分かった」


 たどたどしい僕の返答に被せる形で、少し微笑みそう話す蒔野さん。僕が初めて目にした、彼女の笑顔。だけど、きっと本来の笑顔それとはほど遠くて――


「――さて、そろそろ戻りませんか先生。きっと頃合いでしょうし」


 すると、少しぎこちない微笑のままそう口にする蒔野さん。右ポケットからスマホを取り出し画面を見ると、確かにもう昼休み終了が迫っていて。……凄いな、分かるんだ。


 そういうわけで、各々弁当箱を手に徐に立ち上がる。そして、屋上入口へと向かう彼女の背中をぼんやり眺めつつあの言葉を脳裏に浮かべる。



『――先生は、罪を犯したことはありますか? もう、取り返しのつかない罪を』






「……不思議な、人ですね」



 朧な月が浮かぶ、ある宵の頃。

 自室にて、漫然と空を見上げ呟く。誰のことかと言うと、由良恭一きょういち――随分と柔らかな物腰の、我が一年二組の担任教師についてで。


 ただ、それにしても……うん、ほんと不思議な人。とは言え、具体的に何処がどう不思議なのかと問われれば、些か答えに窮するのだけど……何と言うべきか、彼といるとどうしてか不思議と心地好さを覚える自分がいて。……ほんと、なんでだろうね。



 まあ、それはともあれ――あの時、先生の申し出を断らなかったのもそれが理由で。……いや、これは少し違うか。あの時言ったように、当然ながら屋上もベンチも私の所有物ではないので、そもそも断るも何もない。なので、それが――彼が同席するのが嫌なら、必然私の方からその場を離れるのが筋というもので。


 さて、繰り返しになるけど――結局、私が彼とそのまま昼食を共にしたのは、どうしてか彼との時間が心地好かったから。

 ……思えば、いつ以来だろう――家族以外の人と、あんなふうに他愛もない話を楽しんだのは。……まあ、どう好意的に見たところでそのように――私が楽しんでいたようには見えなかっただろうけど。基本、ずっと無愛想だったはずだし。基本、ずっと暖かな微笑を浮かべてくれていた彼とは対照的なほどに。



『――先生は、罪を犯したことはありますか? もう、取り返しのつかない罪を』



 昼休みも終わりに近づいた頃、ふと問い掛けた私の言葉。……うん、自分でも思う。なんで、こんなこと聞いちゃったのだろうと。普通だったら恐らくドン引きだろう。……まあ、彼も内心ドン引きだったかもしれないけど。


 だけど、私とて全く考えなしにあんな発言ことを言ったわけじゃない。もちろん、雑談のつもりでもなく。では、どうしてか――それは、きっと彼が私と同じだから。

 ……いや、同じじゃない。同じじゃないだろうけど、それでも――彼が、その穏やかな笑顔の奥底に、なにか私と似た類のものを抱えている気がしたから。……まあ、考えすぎかもしれないけど。


 ただ、それでも一つ言えることは――あのような暖かな配慮を……あのような暖かな笑顔を向けてもらう資格なんて、私にはないということで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る