第8話

 いまいちすっきりしない気分のまま翌日を迎え、それでも学校へ登校する。


 その調子で授業を終え、忍び足で駐輪場へとやってくる。そんな事をしても意味がないのは分かっているが、精神的に。


「いぇーい」


 今日はタンクトップに短パン。足元はスパイクで、歩く度にカチカチと音がする。陸上部という事だろうか、これは。


 右腕は例によりピンクのリボンがが巻かれ、ちょっとしたアクセントになっている。


「食欲の秋、読書の秋。そしてスポーツの秋」


「そういう行事も関係あるんですか」


「恵方巻きだって昔は知名度が低かったでしょ。それと同じで、多角的に展開していかないとこの業界も辛いのよ」


 切実な表情で語る瞳さん。この人、ノルマとか抱えてないだろうな。


「今日はまた、瑞樹の家に行くから」


「山は登りませんよね」


「あはは」


 何故答えないのかな、この人は。



 正門前に止まっていたのは、初めて出会った日に見かけた巨大なナス。でもって瞳さんは、どうだという顔である。


「流君がこれに乗りたがってたから、整備し終わったのを借りてきたの」


「いや。乗りたいとは一言も」


「良いから、乗って乗って」


 ぐいぐいと体を押しつけてくる。ではなく、ナス内へと押してくる瞳さん。


 まあ、色々良いんだけど。


 皮というかドアをくぐって中に入ると、普通の乗用車と同じような内装だったので少し安心をする。


 ただ色がナスの果肉とよく似ていて、シートも毛羽立ち気味


 恐る恐る座ると、体を程良く包み込む柔らかい感じがする。幸いナス汁はしみ出て来ず、快適と表現しても良い部類である。


「キュウリの方が早いんだけどね。今度は、それにする?」


「いえ。ホウキ以外なら、何でも結構です」


「マニアックなタイプと思ってたけど、案外保守的ね」


 くすくすと笑う瞳さん。


 別にマニアックでは無いと思うんだけどな。


 



 乗り心地も昨日の牛車と同じくらい快適で、あっという間に、白鳥邸へ到着する。


 瞳さんが持ってくる乗り物としての不的確な物は、今の所あのホウキだけだな。


 ただあれはタンデム仕様なので、ドライバーの腰にしがみつくのが必須。それはそれで 捨てがたいが。


「彼女、今日もいますか?」


「向こうも学校から帰ってきてる時間だし、いるのかもね」


 俺達がいるのは先日同様土蔵前で、瞳さんは例により南京錠のピッキングに勤しんでいる。


 となれば俺に出来るのは、銃撃に備えて身構える事だ。


 そして先日とは違う鋭い轟音が、今日も鳴り響く。違うのは音だけではなく、穴の大きさも桁違い。腕が貫通するくらいの大穴が土蔵に1つ出来上がっている。


 位置としては俺の頭の少し上で、やはり今更ながら這いつくばる。


「ウィンチェスターM70だね。このところは冴えないけど、良いライフルだよ」


「いや。悠長に説明してる場合では」


 再びの轟音。見上げると大穴の横に、もう一つ大穴が穿たれる。


「今度は、レミントン700。最近はライフルといえば、これだよね」


「次からは、グレネードランチャーを用意した方が良いかしら」


 銃口の上から伸びるレーザー光は、何故か俺の顔を彷徨っている。そして俺の顔が、土蔵の壁よりも固いとは思えないのだが。


  


 先日同様あっさり解錠され、土蔵のドアが開いていく。


 瑞樹さんは初めから諦めていたのか、土蔵に入っていく瞳さんを止めようともしない。


「やあ」


「ばうばう」 


 足元へ近付いてきたベルの頭を撫で、顎の下に手を回す。


「ばばう」


「へへ」


「ばう、ばうーん」


「へへへへ」


 脇の下を撫でていると、やはり瑞樹さんに嫌そうな顔で睨まれる。


 何か誤解してないか、この人。


「……ごほん。この近くに、白鳥神社の別宮ってあるよね」


「ありますが」


「そこへ行った事は?」


「本宮が遠いので、事ある度に参拝をしています」


 それが何がという顔。


 ここへ来る事があるのは予想していたので、例の写真を彼女に見せる。



 瑞樹さんは怪訝そうな顔でそれを受け取り、写真に見入ってさらに表情を険しくした。


「昔の私に似ています」


「写真の光景に見覚えは?」


「全く。……別宮で撮影となってますね。……少々お待ちを」


 小走りで屋敷へと走っていく瑞樹さん。


 そうなると、俺はベルと2人きり。良い言葉だな、2人きりって。


「ベル」


「ばう」


「ベルベル」


「ばうばうー」


 本当に可愛いな、この子。


 芝生の上でベルと揉み合っていると、瑞樹さんに真上から見下ろされた。


 見えそうで見えないな、これは。


「私のベルに、そういう事は止めて頂けますか」


 どういう事かは分からないが、かなり怒っている様子。俺とベルの仲を認めてもらうのは、まだ先のようだ。


「同じ写真を見つけました」


 手渡されたのは、やはり幼い俺と彼女。そしてベルが写っている写真。こちらが元というか、同じデータからプリントアウトされたものだろう。


「家族の者に聞きましたら、別宮で迷子になった時の写真だそうです。それ以上の事は分からないと仰ってましたが」


「俺の母親も似たような事を言ってた」


「ベルの名を知っていたのは、その時に私が教えたのでしょう」


 話としては、お互いこれで終わり。また出来事としても、それだけなのかもしれない。


 俺が立ち上がると、ベルも芝生の上からのそりと起きあがった。


 そのままベルは瑞樹さんの側へ寄っていったのだが、動きが少し緩慢に感じられる。


「年のせいか、最近ちょっと疲れやすいみたいです」


「俺が余計な事をしたせいかな」


「いえ。こんなに元気なベルを見るのも久しぶりですから」


 優しく微笑む瑞樹さん。


 それには俺も、ひとまず胸をなで下ろす。


「大体余計な事とは、何をしたんですか」


 そういう誤解は止めて欲しい。



 最後はライフルで追い立てられ、ナスに乗り込み逃亡する羽目となる。おおよそ、現代日本での出来事とは思えないな。


 それでも少し気持ちが落ち着いた所で、俺は瞳さんに疑問をぶつけた。 


「……ポイントを貯めて、病気を治す事は出来るんですか」


「程度問題だね。それに今は医療水準が発達してるから、そちらに頼った方が良い場合もある」


「ベルの場合は?」


「過ぎていく時は止められないよ」


 いつになく真剣な口調。視線は前を見据えたままで、俺の方へはわずかにも向けられない。


 それは俺も分かっていた事。分かっていて、だけど尋ねずにはいられなかった事だ。


「何ごとにも近道はないし、時が止まる事もない。第一そんな世界、誰が望む?」


「それは」


「そういう優しいところは、昔と変わらないよね」


 小さな、独り言のようなささやき。もしかして彼女自身も気付かないような。


「あなたとも、会った事があるんですか」


「私、そんな事言った?」


「確かに言いました」


「昔、クリスマスに忍び込んだ時出会ったって事。両親が買ってくれたゲームソフトの隣に、手袋があったでしょ」


 また古い記憶を辿る作業にぶち当たる。ただ今度のは比較的最近で、すぐにそれが想起された。


 確かクリスマスの朝、枕元へ置いてあった靴下に手袋が入っていた事が一度あった。両親もそれは知らないと言っていたし、靴下の中に手袋というのは結構シュールなので印象に残っている。


「サンタさんご苦労様ですって手紙が靴下の中に入っててね。優しくて可愛い子だなって思ってたの。だから物をもらっていく代わりに、自分の手袋を置いていった訳」


「俺が、まさか、そんな」


「今では随分汚れてしまったけど、昔は清らかな心根の持ち主だったんだよね」


 朗らかに笑う瞳さん。褒められているのか何なのか、判断に苦しむところだな。

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