第5話

 家について風呂に入り、着替えを済ませた所で即座に外へ連れ出される。


「よし、レッツゴー」 


 さっきの会話など無かったような、例の軽い調子。何にしろそのノリには付き合えず、塀にもたれてため息を付く。


「俺、お腹空いてるんですが」


「平気平気。乗った乗った」


「はぁ」


 言われるままに、それへ乗る。正確には、またがってみる。


 ちなみに俺が乗っているのは自転車でもなければ、バイクでもない。


「今度は、流君が私にしがみついてね」


「はぁ」


 それは良しとしよう。



 何の合図もなく体が垂直に浮き上がる。フリーホールの座席が上へ登る感覚と同じで、魂を地面へ置いてきたような気分。そして眼下には無数の明かりがきらめき、見上げれば空が一気に近くなる。


「これはかなり危ないのでは」


「年代物のホウキだから大丈夫」 


 そう。俺と彼女が跨っているのは、ホウキそのもの。魔女が乗る、例のあれだ。


「落ちる事はないけど、掴まってて」


「どこに」


「掴みやすいところに」


 俺を振り返り、悪戯っぽく微笑む瞳さん。


 掴みやすい所か。これは悩むな、色々と。


 しかし感触を楽しむ間もなく、あっという間に現場へ到着する。現場かどうかは分からないが、ホウキが地面に降り立ったのでここが目的の場所だと判断するしかない。


「日本ですか、ここ」 


 巨大な門と、どこまでも続く高い塀。敷地内にも外にも木々が生い茂り、その彼方に館と呼びたくなるような建物が微かに頭を覗かせている。


「ここは隣町で、この辺一帯の地主のお屋敷」


「なるほど。確かに、いらない物はたくさんありそうですね」


「そういう事。私からすれば、大の常連さんよ」


 ホウキを巧みに操り、木々の間を抜けていく瞳さん。


 さすがにここでしがみつくのは俺も抵抗があり、ほうきの柄に掴まって周囲に視線を向ける。しかし明かりは殆ど差し込まず、このまま闇に吸い込まれそうな気分になってくる。


「……そういえば昔、こういう所で迷子になった事がありますよ。迷ったという程、奥には入り込まなかったんだけど」


「子供ってそんな物でしょ。昔遊んだ公園に行ってみたら、随分小さくて驚いたなんて良くある話だし」


「そう。そういう事です。昔あんなに面白かったゲームを今プレイしてみたら、全然面白くなかったとか。本当、年は取りたくないですね」


「今何才よ」


 瞳さんは笑いながら突っ込み、ホウキを器用に駆っていく。 


 だけどそれは、俺の偽らざる気持ちだ。


 俺がもっと幼ければ彼女と出会ってからの経験を素直に楽しめただろうし、もっと興奮をしていたはず。


 だけど今の俺はどこか冷静に割り切り、変に受け入れてしまっている。つまらないのは周りの状況ではなく、俺自身なのかも知れない。



 やがてホウキは森を抜け、開けた場所へと抜け出てくる。そこは大きな屋敷の正面で、しかしホウキはそこを素通りし、裏手の方へと回り込んでいく。


「隠密行動ですか、やはり」


「サンタだってこっそり煙突から忍び込むでしょ」


「確かに」


「さて、今日は何を持っていこうかしら」


 後ろから見える彼女の横顔は、聖人というより小悪党のそれ。少し心配になってきた。


 結局ホウキが止まったのは、屋敷の裏手にある土蔵の前。土蔵といっても俺の家が3つくらい入りそうなサイズで、許可が下りるのならここに住まわせて欲しいくらいだ。


「鍵が掛かってますよね。やはり、開けるんですか?」


「大丈夫。ピッキングは得意な方なの」 


 針金片手に微笑む瞳さん。大丈夫だろうな、色んな意味で。


 南京錠に針金を差し込んでいる彼女の手元をサーチライトで照らしていると、俺に明かりが当てられた。


「……明らかに、誰かが来てるんですが」


「平気平気。もうすぐ開くから待ってて」


「というか、本当に開けて良いんですか? 窃盗ですよね、これ」


「考えが小さい小さい。本当、小さいよね。あんな小さいとは思わなかった」


 え、何の話?


 動揺しているところに、突然の轟音。パニックの2乗と行ったところで、1周回って冷静になってくる。


 感覚が麻痺したと言い換えても良い。


「一体、何の音ですか?」


「レミントンM870、ウイングマスターかな。ベネリM3を買うとか言ってたけど、手に入らなかったのかもね」


「何の話ですか」


「ショットガンの話」


 彼女が指さしたのは、土蔵の壁。サーチライトをそちらへ向けると、俺の頭の上辺りに小さな穴が幾つも出来ている。


 もしかしなくても、散弾がここに炸裂したという訳か。


「ここ、日本ですよね」


「猟銃としてなら、入手は可能だよ」


「ここで撃つのはどうなんですか」


「違法だよね。良くないよ、本当」


 再び轟音がして、さすがに今度は地面へ伏せた。今伏せても遅いのは分かってるが、せめてもの気持ちとしてだ。


「ああ、今度のはベネリM3だね。日本だとピストルグリップ付きは入手出来ないんだけど、ちゃんとグリップが付いてる」


「……どうして付いてると思います? あなたを殺すためですわ」


 月夜に響く高笑い。


俺がすかさずサーチライトを向けると、「眩し」と言ってこちらへ銃口を向けてきた。 


「いや、人。人がいるから」


「盗人に人権はあらず。……あなた、どなた」


「見習いというか新人というか。強引に連れてこられたというか」


「なるほど」


 銃口を降ろす声の主。


 俺もサーチライトを下げ、目をこらして相手の姿を窺う。


 


 年齢は多分、俺と同じ年くらい。


 華奢だが結構な長身で、動きやすいようにかジャージ姿。穏やかで親しみやすい顔立ちの女の子である。


「とにかく外道は死すべし。乾さん、あなたに言ってるんですよ」


「ちゃんと対価は払ってるじゃない」


「そこにある物は、全てこの家の財産です。何にも代え難い物なのです」


「目録も把握してないのに?」


 軽く切り返す瞳さん。


 ショットガンの子は口元で唸り、俺達の方へと歩み寄ってきた。


「いつも1人なのに、どうして今日はお連れの方がいらっしゃるんですか」


「繁忙期なのよ。さて、開いたと」


 乾いた金属音と共に外される南京錠。そしてドアの端で電子音がして、土蔵の扉が横へスライドし始めた。


「本当に大事な物は……」


「不要な物しか引き取らないから心配しない」


 軽い調子で中へ入っていく瞳さん。


 俺はさすがに付き合いきれず、歯ぎしりしそうなショットガンの子へ視線を向ける。


「ばうばう」


 不意に足元から聞こえる犬の鳴き声。全然気付かなかったのも道理で、全身真っ黒の大型犬がうずくまっていた。


「はは、ベル」


「え?」


「え?


 思わず顔を見合わせる俺と彼女。 


 驚いたのは俺も同じで、意識もしないのに名前を呼んでいた。


「あなた、この子のご存じ?」


「まさか。こんなお屋敷に来た事はないし、犬の知り合いもいないし」


 なにより黒犬なら名前は黒とか、それにちなんだ名前をイメージするはず。 


 だからこの犬を見て、ベルと連想する事は無い。


「あなたのお名前は」


「飯田流」


「私は、白鳥瑞樹です」


 お互い名乗るが、お互い思い当たる所はないという顔。何もかもが謎で、また犬の名前は当たったがそれ以外の記憶は出てこない。



 瑞樹さんは軽く首を振り、改めて俺へと視線を向けた。


「どうして、乾さんと?」


「ゲームを譲ったら、その対価がオーバーしたと言われて」


「そんな事、私は一度もありませんが」


「ポイントみたいな物は?」


「使う理由がないですから」


 ショットガンを担いで、首を振る瑞樹さん。


 この豪邸に住んでいてる立場なら、今更欲しい物など何もないか。


「あの方が悪人とは申しませんが、あまりまともな類とも思えません」


「いや。それは俺も分かってる。分かってるんだけどね」


「色香に迷ってらっしゃるとか」 


 さらりと怖い事を言ってくるな。当たらずといえども遠からずだが。


「ばうばう」


 そんな会話とは関係なく、俺の足元にまとわりついてくるベル。


 こっちは全然覚えてないが、向こうは妙に友好的。その頭を撫でて、柔らかい感触につい目を細める。


「これって、何犬?」


「雑種です」


「へぇ」


 こういう家なので、10代くらい遡れる血統書付きの犬だと思ってた。


 見てみると確かにこれといった特徴のない顔付きというか、体付き。ちょっと親しみが沸いてきた。


「ここか?」


「ばう」


「こっちか?」


「ばうーん」 


 脇の下を撫でたら、変な声を出すベル。 


 でもって白鳥さんに、すごい嫌な目で睨まれた。


「止めていただけますか?」


「いや。ただのスキンシップなんだけど」


「その子、女だよ」


 土蔵から出てくるや、半笑いで教えてくれる瞳さん。


 それは確かに問題だ。


「人間よりも犬が好きなら、止めないけどね」


「いやいや。俺は人間が」


「ばうばうーん」


 潤んだ瞳で見上げてくるベル。


 犬もあり、なのか?



 何を察したのか、強引に俺とベルを引き離す瑞樹さん。 


 瞳さんはくすりと笑い、土蔵に立てかけてあったホウキを手に取った。


「私は帰るけど、流君はどうする?」


「帰りますよ。帰ってご飯を食べますよ」


「ここで食事をして行けばいいのに」


「いえ、結構」


 瑞樹さんの目はとにかく剣呑で、ベルを後ろに庇って俺から遠ざけようと必死。これでは食事どころか、俺が何かの餌にされかねない。


「それじゃ、またね」


「もう来なくて結構です。そちらの方も」


「いや。俺はベルに」


「本当に、結構ですから」


 瑞樹さんの台詞は途中でかき消え、俺の体は再び空を舞う。


 


 町の灯りを足下に見ながら、ホウキは軽快に夜空を滑っていく。


「俺、どうして名前を知ってたんでしょうか」


「ヒントを上げようか」


「分かってるんですか」


「意味もなく連れて行かないよ」


 行きとは違い、ゆっくりとホウキを駆る瞳さん。


 俺は彼女の腰に回している腕に力を込め、その顔を覗き込んだ。


「教えて下さい、一体なんなんですか?」


「あの犬は、君の許嫁」


「人間があの姿に?」


「いや。嘘だから」


 それは一安心。


 とはいえ、問題が全て解決した訳でもない。


「俺、犬と添い遂げるのはちょっと」


「・・・・・・許嫁の話自体、嘘だから。そういう願望があるなら、止めないけど」


「ないない。俺は人間の女の子と添い遂げたいです」


「それは残念」


 くんっと加速するホウキ。思わず置いて行かれそうになり、慌てて彼女の腰にすがりつく。


「あ、危ない」


「良いじゃない、その分抱きつけて」


 良いのか?


それで良いなら、俺は良いが。



 何度か振り落とされそうになりながらも、どうにか自宅の前へと到着。


 たださんざん揺られたせいか、食欲はすっかり消え失せた。下手に食べていたら、空から色々落としてただろうな。


「お疲れ様。明日、また迎えに来るから」


「はぁ」


「一日寝れば、すぐ元気になるって。まだ若いんだから」


 無遠慮に背中を叩いてくる瞳さん。


 そんな事はないと思うが、こういう明るさは少し気が楽になる。


「それで、あの犬なんですが」


「すぐ思い出すって」


「やっぱり昔、会ってるんですよね」


 その問いには答えず、瞳さんはホウキを駆って月夜に舞い上がりそのまま消え去った。


 やはりこの角度でも、パンツは見えないんだよな。

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