第10話 光
ジョークの声は戦場に響き渡った。周囲の地面が揺れ動く。土の中から手が伸び、瞬く間にそれらは地上に這い出てきた。部隊は死人の群れに囲まれる。
「兵士たちよ、私が足を止めている間に下がって陣を立て直せ」
リンバル隊長は指示を飛ばすと、手を地面につけて祈りを捧げた。水分の抜けた地面に足を取られた死人は、体勢を崩す。その隙に兵士は距離を取り、陣を整えた。
「リンバル隊長も下がってください」
死人は寸前まで迫っている。だがリンバル隊長はその場から離れようとしなかった。僕は脚に力を込める。彼を死なせるわけにはいかない。
「もういい下がれリンバル」
僕より早くコール隊長が彼のもとへ駆け出していた。
「隊長なにを」
「元部下を死なせるわけにはいかねえだろ」
そう言うとコール隊長は近付いてくる死人に飛びかかる。
「いいから下がれリンバル。この部隊にはお前が必要だ。満足に動けない老兵に、見せ場は譲ってくれ」
背中に剣を付き立てられながらもコール隊長は死人の足を止め続けた。僕はリンバル隊長の体を掴み、強引に離れさせる。気付けばミルも彼の体を掴んでいた。
「やめろ。離すんだ」
「だめです。冷静になってください隊長。全員死なせるつもりですか」
リンバル隊長の体を部隊の奥へと連れていく。コール隊長は死人の群れに飲み込まれていった。冷静さを欠いたリンバル隊長の代わりに兵士達に指示を飛ばす。
「前列の兵士は盾を構えて、剣で死人の足を払うんだ。後列は抜けてくる者を槍で押し返して。悔しいかもしれないけど今は耐えて。名前を呼べば彼も操られてしまう」
迫りくる死人の群れに、隊列は徐々に崩されていった。もう陣は役を果たさない。隣で涙を拭ったリンバル隊長の怒号が響く。
「皆の者、剣を抜け。隊長が繋いだ光を絶やすな」
僕たちは剣を抜き、死人に向かって振り下ろす。腐敗した体に刃があたる。骨は簡単に砕け、脚が飛ぶ。それでも止まらぬ死人に何度も剣を振り下ろした。腕が落ち、頭が落ちる。何度斬れば止まるのか。一心不乱に振り続けた。
兵士に覆いかぶさる死人の群れ。振り上げた手を斬り落とし、蹴とばしてその体を退かす。あと何人、後どのくらいの時間耐えればいいのか。そんな事ばかりが頭の中を駆け巡る。
「セキ、集中を切らすな」
僕に迫った死人を斬りながら、ミルが叫ぶ。
「ありがとう」
身体はとうに限界を迎えていた。諦めたら死ぬ。力を振り絞り顔を上げると、死人の中に青い瞳を見つけた。あの目は夢で見た。その身体は腐敗し、体のいたる所の肉が剥がれている。それでも尚、指だけは原型をとどめ、黄色い石の指輪は彼女を主と定めるかのように指にはめられたままだった。
「ミル、青い瞳の死人の手を」
僕の声に答え、ミルがその手を斬り落とす。ぼとりと落ちた手から指輪を抜き取り、指にはめた。
手荒になってすみません。力を貸してください。
「従属たる癒の意思よ、聖者を導く燈火《ともしび》となり、我らの身を清め給え」
神の声は聞こえなかった。ただ僕は頭に浮かんだ言葉を口に出す。思い出したとも違う不思議な感覚。石は輝き出し、その光は辺りを包み込んだ。死人の体が次々と崩れ落ちていく。
「今の光は……」
視線の先ではジョークが膝をつき、こちらに顔を向けていた。兵士の一人がその身を取り押さえようと、堀を飛び越えた瞬間、得体のしれない生物が空から降り立った。
その身体は森の木々と肩を並べ、口には鋭い歯を覗かせていた。禍々しい瞳に、その場にいた者は誰一人として動けなくなる。異形の怪物は大きく裂けた口で器用にジョークの体を咥えると、その場から飛び去った。
「なんだ、今の生き物は」
あっけにとられる兵士を横目に、僕はひとり走り出した。死人の欠片を払い除け、コール隊長の姿を探す。幾重にも重なった人だったものを取り除くと、彼の遺体がそこにあった。その顔はどこか満足気で、背中に刺さった剣を抜くと、まるで眠っているだけのようだった。
残った兵士たちと共に、戦死した遺体を野営地へと運んだ。そこにはすでに兵士は誰もいなかった。ラグナ草原へ布陣を済ませた後だろう。日の出まで時間はあまり無い。リンバル隊長は部隊を整えると、後方部隊に合流するため兵を進めた。僕とミルは団長への報告を頼まれ、前線へ向かう。
「あの光、やっぱりお前か」
向かう途中、ミルが口を開いた。
「うん。夢で見た場所に、夢で見た女性の死体とその力。おそらく僕の夢は過去の記憶の断片だと思う。でもこの地で大きな戦があったのは昔の事みたいだし」
「前世ってやつか」
「わからない。だけど知り得ない事を理解できる時は、過去の記憶が流れ込んでいるのかも」
「また難しくなってきたな。何はともあれ回復できたのは助かった」
「神の声とやらは聞えなかったし、また使えるかは分からないから無理しないでね」
「わかった」
前線に敷かれた団長の部隊が見え、その姿を探す。
「二人とも無事だったのね」
声の方を振り向くと、あまりに薄着姿の団長が立っていた。視線のやり場に困る。腰に付けたいくつもの小瓶が目に入った。
「ど、どうしたんですかその姿は」
僕は慌てて言葉を返す。
「ごめんね、今ちょうど足止めの準備が終わった所なの。体温が下がらないからこんな格好で」
そう言うと団長は服を着て、鎧を身に着けた。僕たちは戦いのすべてを彼女に伝えた。
「そう。コールが犠牲に。この戦いが終わったら弔ってあげましょう。まもなく夜明け、そろそろガレイオもこの草原に到着する頃でしょう。まずは目の前に敵に集中するわよ」
団長の言う通り、すぐにその足音は僕にも聞こえるくらい近付いてきた。辺りが次第に明るくなる。正面に現れた連合軍隊。その先頭には馬に乗る一人の男。大きな剣を担ぐその男が声を上げる。
「ランセイス連合、センリ国将軍ガレイオ。この地は我々連合国が頂く」
それに呼応するかのように団長が言葉を返す。
「ネイブロス王国、ミイネ騎士団団長ミイネ。ここを通すことは私が認めない」
「通るかどうかは俺が決める。野郎ども進め」
号令を受けた連合兵が歩みを進めた。騎馬隊が先陣を切り走り出す。だがその馬たちは何かに足を取られ、その場に倒れこんだ。朝日が届き、地面を輝かせる。辺り一面に氷が張られ、滑って立ち上がることさえままならない様子だった。これがミイネ団長の力。おそらく水から熱を奪ったのだろう。
「弓隊、掃射始め」
団長の指示で、崖上に陣取ったエイス隊長率いる弓部隊が射撃を始めた。格好の的となった敵兵に矢が降り注ぐ。敵は残った騎馬隊を下げ、後ろから盾を装備した兵が出てきた。それらは盾を頭上に構えると、矢を防ぎながらゆっくりとした足取りで進行する。だがそれを予期していたのか、今度は人とそれほど変わらない大きさの石が、彼らの頭上から降ってきた。地面が揺れるほどの衝撃。防げるはずもなく、敵兵士は押しつぶされた。
「氷は一時の足止め。敵の陣形は乱れた。兵士の数は常に均等に保って。厚い所はガレイオに狙われるわ」
ミイネ団長の声を聞き、前線の兵士が盾を構えて進み始める。僕は槍兵の後ろに立ち剣を構えた。
「我の声を聞け、さすれば連合に負けは無い」
進んでくる敵兵の中に、ひと際大きな声を出す兵士の姿があった。彼の声を聞いた連合兵士は体を射抜く矢をものともせず、真っすぐに向かってくる。前列の盾兵とぶつかり、槍に貫かれても尚、その足は止まらなかった。異常な士気に戸惑う兵士にミイネ団長が声を上げる。
「臆することは無い。間を抜けた敵兵を討ち、列を組み直して」
徐々に押され始める。前後で兵を入れ替え、何とか隊列を維持していた。
「押してるぞ連合兵。止まるな。進め」
彼の声で異常に活気づく敵兵士。神の力を使っているのは明白だ。誓いの分からない今、彼の声を止めるしかない。僕はミルのもとへ向かった。
「ミル、あの兵士の声を止めてくれ。おそらく鼓舞の力か何かだ。声で味方の能力を上げているに違いない」
「わかった。体は任せるぞ」
「うん。絶対守るよ」
敵兵士からの攻撃を阻むため彼女の前に立つ。ミルは目を閉じると祈りを捧げた。辺りの音が消える。ミルの力の存在を知らない敵兵は、突然の事に勢いが止まった。その隙に前線の部隊が態勢を整える。
戦力は五分といったところか。音のない状態が長く続けば、指示が通らずこちらの部隊にも損害が出る。振り返り、ミルに力を止めるよう言おうとした時、後方に見知った顔があることに気付いた。第一王子率いるエイギス騎士団。その団長であるエイギス王子が自らの手の平を短剣で切り裂いた。同時に彼の声が戦場に轟く。
「十三従神が霧の神、我が血を依り代とし、祓い給え」
滴り落ちる血液が、風の中に消えていく。次第に辺りは霧に包まれた。隣の兵士も満足に見えない程の濃い霧が戦場に満ちる。
「これで条件は五分だな。おれの耳と鼓舞の力。どっちが上か力比べだ」
意気揚々とした面持ちで、ミルは駆け出していく。消すことを止め、相手の音に集中し始めたのだろうか。兵士のうめき声と、剣が触れ合う甲高い音が辺りに響き渡っていた。
次第に霧が晴れ、視野を取り戻していくにつれ、何人もの敵の兵士が倒れているのが目に入る。その傍らで目を瞑り、闇雲に振るう相手の攻撃を避け続けるミル。その足は確実に、兵士を鼓舞する男のもとへ近付いていた。
彼女は頭上に振り下ろされた剣を半身で避けると、体を反転させ、手にした短剣を男の喉元に付き立てた。噴き出す血がミルの顔を濡らす。男はその場に膝から崩れ落ちた。
「お前たちはもういい、下がれ」
ガレイオが兵士に指示を出し、僕たちの前にひとり立ち塞がった。その左手には赤い石の指輪がはめられていた。それを見たミイネ団長も一人で彼の前に歩み出る。
「こちらの兵も下がりなさい。ガレイオ。一対一では力は満足に使えないのでしょう。ここは大人しく退いてもらえないかしら」
突如降り出した雨に濡れる二人が対面する。これもエイギス王子の力だろうか。彼女の言葉を聞いて、ガレイオは笑みを浮かべた。
「ここで退いては名折れも甚だしい」
「そう。騎士の道に死ぬのね」
「生憎、そんな高貴なもんは持ち合わせてない」
「その気概に免じて、私も私の騎士道を貫かせてもらうわね」
団長は鎧を外し、腰に差した小瓶のひとつを手に取ると、中の液体を飲み干した。
「さあ始めましょうか。センリ国将軍ガレイオ」
団長はガレイオに向かって駆け出した。振り下ろした大剣を寸前でかわす。まるで舞を舞うかのように体を翻し、纏う雨水を飛ばしながら髪をなびかせる。そのまま彼女は男の左側に回り込んだ。その身体を追うように振るわれた大剣は寸前の所で空を切った。
「毒か」
ガレイオは右目を押さえながら言う。
「ええ、私も命を懸けなければ公平じゃないものね」
「俺と戦うことは、命を懸けるほどの事ではないと」
「そう言えばそうね。考えもしなかったわ」
その後もガレイオの攻撃は団長には届かなかった。攻撃を避けながら男の体に触れる団長。体に纏う雨水の水質を変化させたのだろう。次第にガレイオの動きが鈍くなる。二人の纏う水は毒に変わり、まるで我慢比べをしているかのようだった。二人の表情が徐々に曇り始める。
「ここまでか……」
体を痙攣させ、血を吐き出しながらガレイオはその場に倒れた。
「すぐに解毒薬を」
後方からエイギス王子が声を上げる。ミイネ団長も膝をついていた。駆け寄った兵士が彼女の腰から小瓶を取り、それを飲ませた。王子もその身に駆け寄る。
「あまり無理をするな、ミイネ」
「ありがとうございます。王子のおかげで勝つことが出来ました」
ミイネ団長はすぐさま兵士たちの手によって救護施設へと運ばれた。
指揮官を失った連合兵は統率が取れず、逃げ帰る者も出始めた。エイギス王子が団長に変わり指揮を執る。逃げた兵士を追う事はせず、瞬く間にその場を治めた。
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