第2話 目撃者
社会情勢の変革ということが一番言われるのではないだろうか?
一つは、
「少子高齢化」
という問題で、そもそも、社会というものが、
「子供を作って育てられる」
という環境にないということが問題である。
政府は、
「少子化大臣」
などを設け、子育て支援を考えるというふりをしているが、実際に対策がされているわけではなく、問題は進む一方である。
昔であれば、待機児童などという問題が、
「バブル崩壊」
から以降、慢性化してきたが、ここ5年くらいの間で減少傾向にあるという。
これは、
「世界的なパンデミック」
による理由からで、
「伝染病への感染リスクが大きいため」
というもの、
「保育園が増えた」
ということ。
「幼稚園の受け入れの緩和」
ということからであろう。
これは、表面上は、
「政府の努力の成果」
といえるだろうが、そもそも、バブル崩壊からということになると、
「じゃあ、この30年、一体何をしてきたんだ?」
ということになる。
当時、20歳代で、
「待機児童問題」
に直面していた人が、
「今度は、自分の子供の世代になっても、まだ解消されていない」
ということで、
「これほど、長きにわたって変わっていないということであれば、何もしていないと言われても仕方がない」
ということであろう。
しかも、最近の保育園は、ひどいものである。
特にここ最近、
「保育園や幼稚園においての死亡事故」
というのが、多くなっている。
ここ最近話題になったこととしては、
「送迎バスの中に、子供を置き去りにして、そのまま、熱中症で死なせてしまった」
というものである。
そういう施設は、ちゃんと、マニュアルを作って、普段は徹底して守っていたところが多く、
「たまたま、いつもの運転手が休みでいなかった」
ということから、普段しない人が子供を見ているなどということで、ちょっとしたチェック忘れから。子供をバスに置き去りにして、
「日中、熱中症になるまで、気づかなかった」
というのは、どういうことであろうか?
少なくとも、反日以上も、自分たちが預かっている幼児の存在に、まったく気を遣っていなかったということになるのか、
「置き去りにした」
ということも、最重要な問題であるが、
「保母さんたちが、最低限把握しているはずの園児がいないことに気づかない」
という方が、
「致命的な問題ではないか?」
といえるであろう。
「確かに待機児童」
というものは減ってきているのかも知れないが、裏でこういう問題が起こり続けるというのは、どういうことなのだろうか?
「無認可保育園」
というのがあったりして、その質というものが、一番大切なのに、それがおろそかにされている時代だといえるのではないだろうか?
そうなると、
「親もおちおち、子供を預けるわけにはいかない」
ということで、
「だったら、子供を作っても仕方がない」
ということになる。
表面上だけを取り繕っても、中身がなければ、結局、こういうことになるというだけで、何の解決にもなっていない。
つまりは、
「これからも、この問題は続いていく」
ということである。
しかも、それがひどくなっていくのであれば、どうしようもない。
政府が。
「子供三人目からは、補助金の額を上げる」
といっているが、それも、
「一番上の子が、高校を卒業すれば、子供としてカウントしない」
という条件付きであり、これでは、対策の根本解決にはならないというももで。それこそ、
「政府は、問題の根本を分かっていない」
ということで、本来であれば、
「それなら子供を作ろう」
と思ってくれるであろう期待は、
「政府は何を考えている」
という不満に変わるだけで、
「政府に対する不満だけが残る」
という結果になるのだ。
だから、最近は、
「子供を作らない」
どころか、
「結婚しない」
という男女も増えてきて、さらには、
「草食系男子」
と言われるような、
「セックスという行為に対しても、あまり関心を示さない男子が増えてきた」
という時代に入ってきたのだ。
これが直接の理由ではないだろうが、世の中には、
「コンプライアンス違反」
ということで、
「セクハラ」
というものも騒がれているが、
「ちょっとした世間話のつもりで口にしたことが、セクハラ案件」
ということで騒がれ、
「セクハラ上司」
などと言われたりするのもたまったものではない。
また、電車に乗っていて、
「この人痴漢です」
などと言われたりすれば、いくら冤罪だとしても、誰も信じてはくれないだろう。
それを考えると、
「女に近づくだけで、危険だ」
と感じるようになり、自己防衛のために、女性にかかわりたくないと思う男性が増えてきたのだ。
だから、出会いもなければ、出会うつもりもない。
そうなると、
「一日だけのアバンチュール」
というもので、あとくされなく。
というのが、出てくる。
だから、
「子供を作らない」
あるいは。
「結婚しない」
という人も増えてはきているだろうが、結局、昔からの
「出会い系」
というものも、形を変える形で、消えることはないのだ。
それこそ、まるで、
「世界的なパンデミック」
というものにあった。
「ウイルス」
のようなもので。
「変異」
というものと同じではないだろうか?
「昔に比べて、性欲というものが全体的に減ってきたというのか」
それとも
「今の時代は、君子危うきに近寄らず」
ということで、
「火遊びには慎重になってきた」
ということから、次第に、性欲が、昔ほど、
「人間の欲」
ではなくなったということなのか。
とはいえ、
「ストーカー事件」
のようなものが減っているというわけではない。
それを考えると、
「危ないやつは、今も昔も変わりはない」
ということであり、
「それ以外の人の性欲が減ってきている」
ということであろう。
そもそも、
「本当であれば、結婚して、子供を作る人の性欲を守らなければいけないものを、本当に守れているのか?」
ということである。
確かに。
「政府に頼るというのは、いかがなものか?」
ということになるのだが、
「政府が対策を取る」
ということは。それは、
「自分たちの税金が使われている」
ということであり、無駄に使われるということであれば、
「それは、許されることではない」
ということになるだろう。
「結局何から解決しなければいけないのか?」
という優先順位を、キチンと政府が分かっていないのが原因なのかも知れない。
それでも、独身のまま、年を取っていくという男女が増えては来ているが、
「結婚したい」
という男女もいるわけで、最近では、
「婚活」
などという言葉で、結婚相談所を利用する人も多いだろう。
ただ、値段がハンパではないということから、手軽な、
「マッチングアプリ」
などというものを利用している人も多いだろう。
正直、マッチングアプリというものがどういうものなのか分からないが、
「出会い系」
というものを知っている世代では、
「これも同じ系統だ」
としてしか見ていない。
「結局、課金させられて終わりなのでは?」
と考えるが、実際はどうなのだろうか?
そんなことを考えながら、今年年齢が40代後半になったところで、初めて結婚式に招かれたというのは昔だったら考えられない。
しかし、今の時代は、
「結婚したとしても、披露宴などはしないで、親族だけでの食事会」
というのが多いとは、前述のとおりなので、結婚式に呼ばれることがなかった。
そもそも、結婚する人が少なく、実際に、会社の所属部署でも、30歳以上で独身という人が半分以上いる。
齋藤の認識としては。
「30代後半になれば、結婚しない率というものが、ぐんと伸びる」
ということが分かっているような気がしたのだ。
だから、今回は、
「後輩の結婚式」
ということで緊張もあった。
実際に斎藤は、
「後輩から慕われる先輩ということでもないので、スピーチなども頼まれることはなかった」
だから、
「適当にうまいものでも食って、すぐに帰ろう」
と思っていたのだ。
何しろ、この年で初めての結婚式への出席なので、
「気楽にいこう」
と思うのも当たり前だった。
実際に、結婚式自体には興味も何もなかった。演出を見ても、別に何も感じることもなく、
「ああ、結婚したいな」
などとも、感じることはなかったのだ。
うまいものを食って、
「ただのパーティ」
というだけだったのだが、そこで、気になる女性が一人いたのだ。
それは、
「新婦側の知り合い」
ということなのか、年齢的には、まだ20歳代であろうか?
「彼女が新婦だ」
といってもいいくらいだった。
それを思うと、
「新婦のお友達なのかな?」
と感じたのだ。
彼女が気になったのは、
「彼女の視線が、自分に向いていた」
ということからであった。
最初の頃は、
「どうでもいいや」
というくらいに、ただ、うまいものを食べていただけだったのだが、そのうちに、
「手持無沙汰」
になってきた。
最初こそ、
「うまそうだ」
ということで、食べることに集中していたが、次第に満腹感を感じてくると、
「時間を持て余している」
と感じるようになった。
そうなると、ついついまわりを見渡すようになり、それまでまったくまわりのことなど気にしたこともなかったのに、キョロキョロしてみると、自分の方へ、熱い視線を寄せてくる人がいることに気づいたのだ。
そんな相手が、
「女性ではないか?」
ということはすぐに分かった。
それは、
「目が合う」
という前に感じたことであり、
「初めて感じたその人の視線で、目が合ってしまうと、今度は、彼女が、とっさに目をそらした」
「これはまずい」
と思い、斎藤も思わず目をそらしたが、
「相手は恥じらいからというよりも、いきなりだった」
ということからのとっさの行動ではないか?
と思うと、もう一度、
「目線を合わせてみよう」
と感じたのだ。
これは、
「彼女は視線であるが、自分は目線」
ということで、
「彼女が、何かの気持ちからなのか」
それとも、
「興味を持って自分を見てくれているのか?」
ということで、彼女が自分に対して、自分よりも、
「一歩先というものを見ているのではないか?」
と感じたのであった。
そんな結婚式は、最初こそ、
「時間がなかなかすぎてくれない」
と感じたが、
「一人の女性の視線」
というものを感じると、結構時間の進みが早くなってきたのだ。
自分の気分的には、前半と後半で結構な変化があったが、本来の結婚式というものに関しては、
「まったく気分的に変わってはいない」
ということで。
それこそ、
「まったく、見ていない」
というものだった。
「ひょっとすると、彼女もそうなのかも知れないな」
ということで、
「お互いに、二人の間には、かなり距離があるのだが、それを感じさせない何かがある」
と思わせた。
「ライトがすべて消えてしまって、スポットライトで、自分たち二人だけが照らされている」
というような演出を見せられているという感覚であった。
彼女は、見ているうちに、
「まわりから浮いている」
と感じられた。
「話しかけてみたいな」
と思っていたが、何しろ結婚式というものへの参加は初めてだったので、どうすればいいのか分からなかった。
確かに、
「結婚式というと、式の最後でチャペルの表に出てきた時、その階段のところから、新婦が投げたブーケを受け取ることができた女性は、次はその人が結婚できる」
と言ったような、伝説があると聞いたことがあり、
「ドラマなどでは、そのブーケを受け取ろうと、一生懸命になっている」
という場面を見たりしたものだった。
だから、結婚式に招かれた女性の中には、
「招待されたのをいいことに、これを自分の婚活に使おう」
と狙っている人もいるだろう。
だが、それが悪いということはない。
むしろ、
「次の人に受け継ぐ儀式」
ということだと考えれば、
「結婚式や披露宴」
というのは、決して、参加する方にも悪いというわけではないのだ。
ただ、斎藤は、
「俺は、もう結婚しようとは思わないけどな」
と、年齢を重ねるごとに
「諦めの心境」
というよりも、
「結婚しない」
ということが当たり前のように感じるようになってきたことで、
「一人の方が気が楽だ」
と考えるようになったのは、無理もないということであろう。
それは、きっと、
「同い年の連中と、少なからず同じ心境であろう」
ということであった。
だが、
「この年になって、すっかり忘れていた胸のときめき」
のようなものが思い出された。
実際に、
「一人の方が気が楽だ」
ということを考えているわけだが、
「若い頃にときめきを感じたことがなかったわけではなかった」
と思った。
就職してからは、そんなことはなかったが、学生時代などでは、
「出会いがあるといいな」
と思っていて、時には、積極的になったものだった。
しかし、男女の気持ちというものが、よく分からなかった斎藤は、
「たぶん、相手が望むことはまったく分かっているわけではなく。自分が何をしたいのか?」
ということが分かっていなかったのだと思った。
相手に気を遣っているつもりで、自分の考え方をしっかり示そうとしなかったということで、相手が自分に対して
「この人は何を考えているんだろう?」
と思わせるに違いなかったのだ。
それに、大学時代は、まだ童貞だった。
だから、気持ちとしては、
「女の子とのセックス」
ということに対しての憧れのようなものが強く、
「恋愛というものは、セックスと同意語だ」
というくらいに思っていたのだ。
だから、女性から、
「あの人の視線が怖い」
と言われていた。
「彼女がほしい」
とは思ったが、
「視線が怖い」
と言われるのは不本意であり、「だったら、視線を感じさせないように、もし目が合ったとすれば、
「視線があった」
というわけではなく、
「目線があった」
と感じさせる方が、相手に気持ち悪いという思いをさせることはないだろう。
と考えるようになったのだ。
だから、なるべく目線はそらそうとした。
そんな斎藤に彼女などできるわけもなく、気が付けば、
「40歳代後半」
となったところで、
「もう、結婚なんかしない」
と思うようになっていたのだろう。
昔でいえば、
「結婚適齢期」
などと呼ばれる時代も、気づかずに通り越した。
子供の頃の、
「思春期」
というものは、自分でも意識があり、
「子供が大人になる過程」
というものを、身に染みて感じたものだった。
だから、
「中学時代というのは、特別な時期だった」
という意識があり、どちらかというと、あまりいい意識は残っていなかったので、
「もし人生をやり直すことができるとすれば、どこなのか?」
と聞かれたとして、
「絶対に答えがほしい」
ということであれば、
「思春期前」
と答えるかも知れない。
ただ、それは、
「どうしても」
と言われた場合であり、実際には、
「その時に戻りたいとは思わない」
ということで、
「やり直したい」
ということを考えるのであれば、
「却って、その時代には戻りたくない」
と答えるであろう。
そもそも、
「やり直したい」
という感覚は、とっくの昔になくなっていた。
他の人にいわせると、
「年を取ればとるほど、若い頃に戻って、人生をやり直したい」
と思うものではないか?
ということを言っていたが、斎藤は、
「そんなことは思わない」
と考えるようになったのだ。
「人生をやり直したい」
と思うのは、
「やり直したい」
という確固たる場面が分かっていて、さらに、
「どうすればいいのか?」
という手段も分かっているということであれば、
「やり直す」
ということに意義はあるというものだが、
「その時点が分からない」
ということであれば、その方法も分かるわけではないので、
「戻る意味というのはない」
ということになるであろう。
それを思えば。
「やり直せる人生であれば、何が楽しい」
ということになるのであろう。
「人生は一度きり、だから楽しめばいい」
という人がいる。
「当たり前のことではないか?」
といって、苦笑いをしてしまいそうになるが、
そういう人に限って、
「やり直しがきくなら、やり直したい」
と思っているかも知れない。
逆にいえば、
「やり直しが利かない」
だからこそ、
「人生は一度きり」
ということで、
「楽しむしかない」
という結論になるのだろう。
もっといえば、
「知っていれば本当にいいのか?」
ということで、だったら、
「いつ死ぬかということが分かっていれば、その時までに、計画を立てて生きればいい」
ということで、人生計画は完璧だといえるだろうか。
言ってみれば、
「人それぞれ考え方も違うので、自分の考えだけで世の中を渡っていけるわけもない」
ということで、それが、
「人は一人では生きていけない」
ということで、逆にいえば、
「一人で生きていくためには、まわりを気にしないといけない」
ということになるのであろう。
彼女との目線が合った時、斎藤は、
「目線が合った」
というわけではなく、
「視線が合った」
と感じたのだ。
しかし、それは、何か違和感があった。
最初は分からなかったが、
「お互いに同じものを見ている」
ということから視線が合ったという意識ではない。
どちらかというと、
「同じものに目が留まった」
という感覚だった。
それを感じたのは、彼女の視線からであった。
それまでの彼女の視線は、明らかに、斎藤に対してのもので、斎藤が、ドキドキしてしまうようなものだったのに、目が合ってから、彼女は、何か、
「恐怖に近いもの」
を感じていると思えたのだ。
それが
「自分に対してではない」
ということを、斎藤が感じたから、
というよりも、
「自分も何か彼女を見ているようで、その前に、違うものを見たような気がして、不気味だったのだ」
だが、先に、彼女と視線を合わせたくて、彼女を見てしまったことで、その、
「恐怖の正体」
というものを見ることができなかった。
それを後悔したわけだが、その理由というのが、
「せっかく目が合ったにもかかわらず、彼女が、その視線に対して、不気味な視線を浴びせたからだ」
ということであった。
彼女がこちらに向けた、
「恐怖の目線」
というものを、最初は、
「不気味な視線だ」
と感じたのだった。
そして、その視線の先が、
「お互いに、最初から見ていたものではない」
ということは分かっていた。
「まったく違うところを見ているのだ」
という思いが次第に、目線が合ってくるということで、
「同じところを見ているのか?」
と感じるようになると、
「彼女も同じ感覚なんだろうな」
と思うようになった。
その視線に彼女の恐怖を感じると、それが、
「自分に対してのものか?」
と感じ、相手に、そんな恐怖を与えた自分が、恥ずかしいと思ったのだ。
だが、そう感じて、視線を逸らすと、
「彼女も視線を切るだろう」
と思ったが、そんなことはなかった。
視線を切るどころか、さらにこっちを凝視している。
それは、自分が目線をそらしたことで、余計に感じられたことであった。
彼女にとって、
「さっきまでの視線は何だったのか?」
と思わせる余裕がないくらいの視線を感じると、
「ここが結婚式の披露宴会場だ」
ということすら忘れるくらいで、
「まるで、夢の中にいるような気がする」
ということで、
「まわりは、すっかり真っ暗闇になっている」
と感じさせられた。
そして、今度は、、
「恐怖の表情」
というものが彼女に感じられた時がピークであり、そこから徐々に、その恐怖がしぼんでいく感覚になっているのが分かってきた。
そして、
「何事もなかったかのように、それまでの、
「斎藤に対しての、好機の目」
というものが感じられたのだ。
「一瞬の恐怖が背筋を通りぬけ。彼女に対しても、誤解のようなものがあったのではないか?」
と感じられたということを思えば、
「もう、これ以上、恐怖を思いだすことがないようにしないと」
と感じたのだ。
ただ、それは、
「恐怖心を感じない」
というだけのことで、
「なぜ、感じたのか?」
ということを忘れることはできなかった。
「恐怖というものがどういうものなのか?」
ということを考えれば、その理由を考えたいと思うのも、無理もないことに思えたのであった。
ただ、それよりも、それだけ自分が、
「彼女を気にしている」
ということであろう。
もし、彼女と近づくことができるとしても、今回の、
「恐怖心というものの謎」
というものをいかに理解できるか?
ということは、避けて通ることのできないことのように思えたのだった。
「彼女のことが気になって。気にすればするほど、幸せな気持ちになってしまう」
ということへの反動から、
「恐怖心」
というものを勝手に作りあげ、
「その正体を知る」
という感覚を、免罪符にして、彼女を探ろうというような、
「姑息な手段」
を持ったのではないか?
などと考えた。
「それは、あまりにも考えすぎだ」
と思えたのだが、果たしてそうだろうか?
確かに姑息な考えではあったが、今までに、
「女性はおろか、男性であっても、相手が何を考えているか?」
ということを考えたことはない。
ただ、これは仕事の上で考えないわけにはいかない。
ということになれば、
「考えない」
というのはあくまでも、自分というものを介してのことであり、
「必要不可欠だ」
と思えることは考えてきたが、逆に自分のことということでの、必要不可欠な部分は、
「考えない」
ということが、自分にとっての、危険回避策というものであり、
「この感覚が、
「結婚しない」
ということ、そして、
「一人の方が気が楽だ」
という考えをもたらした、
「根本的な考え」
と言ってもいいだろう。
それが、斎藤にとっての、
「その時に考えられる、最良の考えだ」
と思っていたのだ。
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