第2話 もやもやとした感情

          ***


 ある日、エリカは店主の代理で、ギルド本部で開かれる市場会議に参加することになった。王都中の職人たちが一堂に会する大きな催しだ。ただいるだけでいいと店主に言われたものの、正直なところ緊張でいっぱいだった。


 会議場ではダリウスが商人たちを指揮しており、彼の鋭い指示が次々と場を動かしていく。


「この取引は締結だ。相手方に連絡を。次、輸送ルートの見直し案を――」

 その姿はまるでいつもの彼とは別人だった。


 店で見せるおちゃらけた態度は影を潜め、彼は堂々たるリーダーとして周囲を圧倒している。彼の深いルビーのような瞳を向けられた相手は恐縮して頷いていた。


 その様子にエリカの胸が高鳴り、心の奥底で何かが震える。


「すごい……本当にあの人、ギルドのトップなんだ」

 思わず声が漏れてしまった。エリカの目はずっと彼に奪われたまま――。


 その後、ギルド主催のパーティーが始まる。華やかなドレスに身を包んだ女性が大勢いる中、エリカはいつも仕事で着ているパステルピンクのワンピースに、スズランの刺繍が施された白いエプロンを重ねた装いだった。


(パーティーがあるなら、もう少しおしゃれをしてくるんだった……)

 帰ろうかとも思ったが、テーブルに並んだ料理はどれも見た目から素晴らしいものばかりで、新作の菓子のアイデアも生まれそうだったので、その場に留まることにする。


(なんだか、視線を感じる……?)

 エリカはキョロキョロと辺りを見回したが、目が合う人はいない。


「あ。クロードさん、こんばんは」

 見知ったギルドの青年に声をかけるが、彼は「あ、どうも。今、商談の途中なので」と短く答えてそそくさと遠くへ行ってしまった。


 その後もエリカは他の商人や貴族の男性たちに笑顔で挨拶をしようとした。だが、返ってくるのはぎこちない会釈や、すぐに話を切り上げて去ってしまう態度ばかりだった。


(私、何か失礼なことをしたかしら……)

 腕を組んで頭を捻ってもまったく心当たりがない。もしかしたら自分のような小娘を相手にしている暇はないのかもしれない。


 一方ダリウスは社交的な笑顔であちこちに声をかけ、場の中心に立っていた。彼の周りには美しい令嬢たちが集まり、楽しそうに笑い声を上げている。


 その時、隣に立っていた女性が彼に近づき、何やら耳元で囁いている。エリカはその女性が、王都で有名な商家の令嬢だとすぐに気づいた。


 彼女がにっこり笑うと、ダリウスが弾かれたように目を輝かせて、彼女の手を握る。


「あとでゆっくり」

 令嬢が艶やかな唇で弧を描いた。


「ああ。ずっと探していたんだ」

 彼女の輝く笑顔と、ダリウスの軽い返事。


 それを見た瞬間、エリカはうっかり手にしていたグラスを落としそうになった。


(……どうしてだろう、胸の辺りがざらざらする……)

 別にダリウスが誰と話そうと、何をしようと自由だ。それなのに彼があの女性に笑顔を向ける姿を見ていると、なぜか心が落ち着かない。


 その光景を遠くから見つめていたエリカの胸には、言葉にしづらいもやもやとした感情が広がっていた。


(ダリウスさんは、誰にでも優しいのよ。もしかして私が勧めるケーキを買ってくれるのもただの社交辞令で……)

 おいしいなんて、みんな言ってくれる。あのケーキだって、本当はあの令嬢と食べているのかもしれない。


(……って、私、何を考えているのかしら。緊張して疲れているんだわ)

 食事が喉を通らなくなり、自分の居場所が見つからないような気分で、エリカはそっと会場を後にした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る