それは骨

文鳥亮

第1話・完結

「なに、骨?」

 フミオは思わず聞き返した。


 会話の相手は次男のシンジロウだが、どうも元気がない。

 彼は中三で、「骨」とは国語の宿題として出された作文のテーマだった。

「そう、骨。それでさぁ、なんかいいアイデアないかな? 明日の朝までに一万字書かないといけないんだよ」

 今日は日曜日である。

「なんだと? そりゃまた大変な難題だな。まさかそんな宿題がおととい(金曜日に)出されたのか?」

「いや、一か月前だけど‥‥‥」


 フミオは絶句した。開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 つまり目の前にいるおのれの息子は宿題を一か月放置していたわけだ。その締め切りが明日に迫ったところで、慌てて泣きついてきた。

 彼は時計を見た。午後五時。夜の十二時までやるとしても、あと七時間しかない。あらあらと思い、フミオは吹き出しそうになるのをこらえた。


「やれやれ、お前って奴は誰に似たんだか。なんでそんな切羽詰まるまで放っとくかねえ」

「‥‥‥‥‥‥」

 しかし、いまは笑うときでも説教するときでもない。

 人間やるときはしっかりやらねばならない。そんな大きな課題ならば成績に響くという現実問題もある。フミオは教育パパではないが、放任主義でもなかった。


「それで俺にどうしろってんだ?」

「うん、だからさあ、なんかアイデアないか聞いてんじゃん」

「ああ、そうか。しかし急に言われてもなあ、簡単には出てこんぞ。それで提出は原稿用紙に書くのか?」

 もしそうなら、それもどえらい手間である。


「うんん、それは違う。学校のHPで三年生用のサブサイトに『提出ボックス・国語課題』ってボックスがあってさ、そこにテキスト形式でアップロードするの。もちろんパスワードがないとアクセスできないけどね」

「なるほど電子媒体か。てことはパソコンで書くのか?」

「うん」


 学校のIT化を考慮し、シンジロウにはノートPCを買い与えてある。

 だが、フミオのなるほどは別の意味だった。

 スマホを持っている子供も多く、近ごろは中学のレポート程度でも代筆のAIが跳梁跋扈ちょうりょうばっこしている。それを見破るために、教師もアプリでAIチェックをしているという。おそらくそのために、電子データでの提出が求められているのだろう。

 つまり点数稼ぎもやたら進化してきたわけだ。ある意味大変な時代である。


 そんなやり取りをしながら、フミオはアイデアを出してやることにした。よその子のAI作文に、うちはアナログ人間の作文で対抗してやれと思ったのだ。


 さて、御託はそれぐらいにするとして、フミオには骨に関して忘れられない思い出があった。

「俺が子供の頃に、こんなことがあったんだ。作文の素材としてちょっと面白いかもな」

 前置きして彼は語り始めた。


——それはかれこれ四十年ほど前、彼が小学校低学年の頃の出来事である。


 家の近くに小さな広場、いやおそらくは駐車場があった。

 なぜ駐車場かというとコンクリが打ってあったからだ。しかし囲いはなく、車も全くいなかった。

 そのままでは子供の遊び場にもならないが、あるときそこに牛の頭蓋骨が出現したのである。

 今となっては細部があいまいだが、それには少し湾曲した短い角が生えていた。骨自体はかなり古っぽく、白い表面は泥にまみれ、下顎したあごはなかった。それが道行く人を睥睨へいげいするかのように地面に鎮座していた。

 おそらく誰かが面白半分に投棄したのだろうが、当時の子供にそんな事情は知る由もなかった。


 フミオは最初のうち靴の裏で触っていたが、あるとき勇気を振り絞って角を素手で掴んでみた。さらにそれを持ち上げてみるとそこそこ重い。

 次にはそれを投げたくなった。

 テレビで見たハンマー投げよろしく一回転して放った。が、それは遠くまで飛ばず、目の前の地面にガチャーンと落下した。骨の一部が欠け、破片が飛び散った。

 その様子を見たフミオはなんだか怖くなり、遊ぶのをやめて家に帰った。

 コンクリの地面も傷ついたと思われるが、管理している者もおらず、誰かにとがめられることはなかった。


 あるときは悪童たちで「頭蓋骨サッカー」をやった。もちろん、こんな物をボールのように蹴ることはできないが、靴で突き放して地面を滑らせるわけだ。これは結構面白くて白熱した。


 またあるとき、フミオは調子に乗って頭蓋骨を上に投げた。すると、コンクリに落下したとき突出部分(鼻部分)が破壊された。ぱっくりと割れた断面はどす黒く、気味が悪かった。

「フミオ、やばいよこれ。たたりがあるぞ!」「そうだよ、やばいよ」

 みんなは口々にフミオをおどかしたが、フミオは

「バーカ、ねえよそんなの」とムキになって否定した。

 しかし、みんなもフミオも恐怖を感じたことは間違いない。その後、頭蓋骨で遊ぶ子供はいなくなった。


 フミオに「祟り」があったのは、その一週間後ぐらいだった。

 彼の家の前には、車二台が通れる程度の一方通行道路が通っている。道の向かい側は、大きな施設のコンクリ塀が長く続き、そちら側にはいつも車が駐車していた。

 どういうわけか、フミオは外で遊んで帰ると、車に隠れて塀に用足ししてから家に入るのが常だった。


 そのときもいつも通り膀胱をすっきりさせたところで

「さぁて、帰ろっと」

 と車の陰から出ると、ギィーっと大きな音がし、辺りがでんぐり返るとともに視界が暗くなった。

 彼はかれたのである。幸いに自動車ではなく、自転車にだったが。

「ぼうず、頭打ったんか?」

 事故直後でフミオが憶えているのはこれだけだ。

 頭を抱えてへたりこんだフミオに、老人が声を掛けた。他に見ている者はいなかった。

 しかしそのうちに老人は走り去り、フミオはとぼとぼと玄関に向かった。


 その後どうしたかはあまり憶えていない。だが、いまこうして息子に語っていられることから、ともかく重大な怪我はしなかったようだ。

 ちなみに、このことは家族にも言わなかった。本当に祟りだと思ったのだ。


 その日の夜、フミオは悪夢でうなされた。なにかの髑髏どくろに追い立てられる夢だ。目覚めたのは明け方だったが、そのときから熱を出していた。結局学校を休んだ。

「ぼく死ぬかも」

 などと母親に言ったが、もし本当に死んでいたら、親は原因も分からずさぞや嘆いたであろう。


——とまあ、そんな話をフミオは息子に聞かせた。


「へえ、お父さんも結構危ない目に会ったんだね」

 シンジロウの関心は頭蓋骨よりも事故に向いた。

「ああ。子供の頃は後で思い出すとぞっとするようなことが結構あるもんだぞ」

「ふうん」

「さ、話はこれぐらいだ。じゃあ、がんばって作文するんだな。あ、ところでその課題はどういう目的なんだ?」

「うん、それがさ、よく分かんないんだよ。骨をテーマに何でもいいから書けって」

「作り話でもいいのか?」

「分かんないけど、いいんじゃないかなぁ」

「そうか、ならば楽だろ。あとは自分で考えるんだぞ。ただし、次からはもっと余裕を持ってやれよ」

「‥‥‥‥‥‥」


 翌朝、フミオは五時に目覚めた。


 食卓の準備をしに行こうと(これは早起きの彼がいつもやっている)寝室のドアを開けると、足元にシンジロウの原稿が置いてあった。プリンターで打ち出したものだ。

「ほう、読んでくれということか」

 どれどれ? と読み始めて、彼はまたしても呆気あっけにとられた。まるっきり違うのである。


——主人公はサナエという少女だった。白骨死体の発見から話が始まり、最後に秘密組織の悪事が暴かれる。そんなアクション小説が一万字にまとめられていた。素朴だがまあまあの出来だ。

(ふーん、やるじゃないか‥‥‥)

 見ると、末尾に鉛筆で走り書きがある。

「俺、小説家になれちゃうかも!?」


 が。息子に感心していたフミオはつぶやいた。

「ふふ、それはちょっとホネだと思うぜ!?」


  — 了 —

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