第二話:団欒


 さて、どうしたものでしょうか。あたしは今魔王から放出した魔力で空間ごと敵を圧殺する初見殺しの技を受けた時よりも心臓がバクバクしています。


 何故かと言えば。


「アーリア、ずいぶんと軽くなったね」

 

「そりゃまあ、七日も何も食べずにいたからね。危うくすっかすかの骸骨になっちゃうところだったよ」

 

「それはなんとも。間に合ってよかったよ」

 

「うん。助けてくれて本当にありがとう……でもね?」


 あたしの現状を確かめる。

 目の前には再開を切望していた彼――カリヌの困ったように笑う顔。

 あたしの両手両足はふらふら空中で揺れていて、背中と膝をカリヌの腕で支えられている状態。


「そろそろ降ろしてくれないかなあ!? 恥ずかしいんだぁ!?」

 

「誰も見てないよ?」

 

「そういう事じゃないってぇ!」


 つまりいわゆるお姫様抱っこ。勇者や王子様が女の子にするのが定番のそれを、なんとあたし勇者は今想い人にされているのだった。


 いくらここが人の寄り付かない山奥とはいえ、嬉し恥ずかしな羞恥心が無くなるはずもない。そこに勇者としてのプライドや初めての経験による緊張も加わってもはやあたしの頭はパニック状態に陥っている。


「でも今降ろして大丈夫? この坂はまだ長いよ」

 

「いいから、いいから!」

 

「じゃあ……はい」


 地面にそっと降ろされ、子鹿のように震える足で立ち上がる。


「よーしいけるいけ……あっ」


 もう少しで立ち上がれるという所でかくりと膝が折れ、綺麗な女の子座りを披露する羽目になってしまった。


 もう一度立とうと試みても結果は変わらず。


「……おんぶなら大丈夫?」

 

「へ、へんたい!」

 

「担ぐのは?」

 

「あたしを何だと思ってるのさ!」

 

「ふらっと家出したかと思えば魔王を倒して帰ってきた勇者兼幼馴染。そんなえらいさんが嫌というならさっきので行くしかないね」

 

「な、嵌められた……!?」


「はいはい大人しくしてくださいね、と」

 

「……ぬう、カリヌが意地悪だ。もしかして偽物……?」


「冗談にしても怒るよ。あんまりだ」


「そうだよねえ」


 結局あたしは抵抗する余地もなく、暴れる心臓をどうすることもできずに彼の住まう山小屋まで運ばれたのだった。


 ■


「おお……この山小屋は全然変わってないね」

 

「君が旅立ってから一年と半しか経ってないからね。それに僕がその間ずっとここにいたから」


 辿り着いた場所、カリヌの家は帰るべき場所として記憶の中にある山小屋とそっくりそのまま変わりなかった。


 道のりを思うだけで行くのが馬鹿馬鹿しくなるような山の奥深くに、魔物除けの結界を張ってひっそりと佇んでいる木造の小さな建物。人の往来なんてものは微塵もなく、近所の住人は野生の獣か群れを作らない魔物だけ。


 冬には積もる雪に閉ざされて、夏には生い茂る植物を切り開いて道を作らないといけないような場所だ。それをカリヌはあたしを抱いてひょいひょいと進んで見せた。


 ずっと頼りなくて弱っちい男の子だと思っていたけれど、ここでしばらく暮らしていたというのは伊達ではないらしい。

 

「街に降りたほうが住みやすかったんじゃない?」

 

「……君が帰ってくる時に困るだろうと思って」

 

「それは確かに」


 実際にはカリヌがどうするかに関わらず困っていたのだけれど、仮に彼が引っ越していたらもっと酷いことにあたしは死んでいただろう。

 

「だからあたしはありがとうって思うよ」

 

「うん、どういたしまして」

 

「後は大丈夫だから、降ろしてもらってもいい?」

 

「本当に大丈夫? さっきみたいにへたりこんだりしない?」

 

「大丈夫だから、ね?」

 

「そうまでいうなら、まあ」


 山小屋の扉を前に再びあたしは大地に立った。今度は足がどれだけ脱力していようとも問題ないように、鞘に収まった聖剣を杖としてだ。


 聖剣は物理的にならあたしを支えてくれる。優秀な鈍器であり鉄のような何かでできた棒きれだ。


「……すっごい足震えてるけど」

 

「大丈夫大丈夫。これは帰還の歓喜を表現してるだけだから」

 

「足が口より物言ってることになるよ?」

 

「ふっふっふ。人間は考えるあしであるらしいからね、足が本体であってもおかしくないよ」

 

「一歩も進んでない件については、葦に足が生えてないから?」

 

「カリヌ、一体何を言ってるの?」

 

「アーリアこそ一体何を言っていたのさ」


 思いついたままなのだから、特に意味なんてあるはずもない。


 それでもとても懐かしさを覚えるやりとりだった。何十年と覚えていなかった旧友と死に際に出会って、たっぷりおしゃべりをして、物心ついた時の記憶を思い出したような郷愁があった。


 カリヌとあたしは、昔からこんなやり取りをして笑い合っていたはずだ。


「帰ってこられて嬉しいってことだよ」

 

「……うん、とりあえず動けそうにはないみたいだからベッドまで運ぶね」

 

「べ、ベッド!? ななな何をあたしにするつもりで!?」

 

「休んで欲しいだけなんだけど」

 

「休むって、なんだか意味深!」

 

「言葉通りの意味なんだけど!?」


 カリヌが扉を開けてあたしを抱き上げようとする。だけど歩けば数歩で済む距離を抱っこされるのは恥ずかしいとかではなく、単純に情けない。


 どうにか杖を頼りに小屋の中まで進む。意地でもそうしたいと思った。


「いやー! 歩く! ベッドに連れ込まれるのはまだちょっと心の準備と体力が足りてないのー!」

 

「ひ、人聞きの悪いことを……!」

 

「人なんていないもの! 悪くないよ!」

 

「ほう、人などいないと言うか。勇輩ゆうはいよ」

 

「そうだよ! この山小屋はあたしとカリヌの二人き……り……?」


 はて、カリヌの声はこんな鈴が鳴るような涼やかな声だっただろうか。カリヌはあたしを勇輩だなんて呼んでいただろうか。

 

 そんなはずはないとあたしはもう知っている。だから結論はもう一人この場に誰かが存在するということ。


「二人で陸み合うのは結構だが、吾輩を無視されるのは寂しいというものだ」


 その誰かは山小屋の中、カリヌの背後からぬっと現れた。


「シウ……」

 

「如何にも。結界魔法の状態を確認するために来ていたのだが……どうやら良い時期であったらしい」


 ぽんと頭に手を置いて撫でまわしたくなるような小さい背丈の女の子だった。深い紺色の髪は右目が隠れるほど伸びていること、それから反対側をおさげに結んで垂らしていることが目に付く。足首まですっぽり包まれているような長さのローブ、いかにもなつばの広いとんがり帽子、そして背丈よりも大きい杖が彼女の在り様を物語る。

 

 賢者シ―ウィー・アルカシュ。あたしと共に旅立った仲間の一人がそこにいた。


「シウ、来てくれたのなら言ってくれれば良かったのに」

 

「丁度入れ違いになったようだ。吾輩も魔力を伝手に迎えに行くべきか迷ったが……無粋な真似をせずに済んで何よりだ」

「あっ……」


 口の端をほんの少しだけ吊り上げて楽しそうに笑っている。多分カリヌと一番に再会できるよう気遣ってくれたのだろうけれど、死にかけた身としては気遣う方向が見当違いだと言いたい。


「不服か?」

 

「……もうちょっと心配してくれてもいいんじゃないかな!?」

 

「吾輩の知る限り人類史上最強の勇輩と、最高の投憶魔法プラージェの使い手が揃っていてこの辺りの魔物に遅れを取ることなどあるまいよ。例え何かしらの枷があるにせよ、な」


 まあ何はともあれ、とシウが杖を振ると同時にあたしの体は宙に浮いて、家の真ん中にあった四人掛けのテーブルへと運ばれていく。そして再び杖が振られ、ひとりでに動いた椅子が恭しくあたしを迎え入れた。


 物音も衝撃も何一つない繊細な魔法だ。そこに言葉には表さない優しさが見えて、なんだか嬉しくなる。


「長旅お疲れ様、というやつだ」

 

「ありがと。やっぱり優しいね」

 

「……気のせいだろう」


 ふいとそっぽを向いた頬には桃色が差していて、ばればれの照れ隠しだと余計に親近感を覚えてしまった。


 ■


 それからすぐにカリヌは夕食の準備を始めた。なんでもめでたいからと気合の入った料理をこしらえるつもりのようだ。あたしはそもそもお腹ペコペコで、シウはカリヌに任せると辞退したものだから二人で殺人的に食欲をくすぐる料理の匂いを堪能している。


「そうも腹の虫がうるさいとは、余程食うに困ったのか?」

 

「そうなんだよねー。お金もないし、聖剣はへそ曲げちゃったし、引録魔法で狩りをしようものなら過剰な火力になっちゃうし」

 

「……そうか」

 

「それでそこらの野草を食いつなぐことにして、こうして無事帰ってきたわけです」

 

「単身で魔王と戦って帰ってきたなど、流石に信じがたいことではあるがな。前線の報告を聞く限りでは信じるべきなのだろうが」

 

「そこはほら、あたしが天才だから」

 

「天才ならば火力調整もちゃんとすればいいだろうに」


「いーの、火力は正義なの! ちゃんと魔王を倒せたからいいの! それに細かいことはあたしより引録魔法の天才なシウに任せれば間違いないから!」

 

「……ほう、まるで吾輩が勇輩に火力で劣るとでも言いたげではないか。久方ぶりに火力勝負でもするか?」

 

「無理無理、今のあたし絶不調! 死んじゃうから!」

 

「まあそう言わずに「そうそう、そんなことを言わずに、ね? ほら、ソニッシのモモのソテーをどうぞ」……むう、相変わらず絶妙な火加減と見える」


 少しばかり恐ろしい流れになっていた所で料理の第一弾が到着してうやむやになる。


 テーブルに置かれたのは巨大な猪に似た魔物の太ももを薄くスライスして葉野菜と一緒に炒めたものだ。ただでさえ空いているお腹を香草に縁どられた濃い香り、そう、焼きあがった肉の生命力に満ちた香りが刺激する。

 

「いただきます……!」


 久しぶりのまともな料理だ。飢えかけた日々にちゃんと別れを告げるために、感謝を忘れてはいけない。

 

 震えるフォークで肉を捉えて口に運べば、噛んだ瞬間じゅわりとあふれ出した肉汁があたしの全てを満たしていった。

 

「おいひい! さいほーはよ!」


「よかった。今日はまだまだ作るね」


 美味しい。最高だ。このために魔王を倒したと言っても過言ではない。


「もういっかいまおうをもぐもぐ、たおしてこいっていわれてもがんばれるもぐもぐ」


「食べながら喋るな行儀が悪い」


「ごめんもぐもぐ。おいしすぎて、なみだが」


「言った傍から」


「喉に詰まらせないようにね」


 そんな風にたらふくカリヌの手料理をお腹に詰め込んだ。魔王を倒して以降、一番幸せな日だ。こんな幸せ――本当にない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る