消えない足跡

@Henrietta0009

消えない足跡

冷たい風が頬を刺す。冬の深い静けさが辺りを包む中、男は故郷の村へと続く山道を歩いていた。雪は絶え間なく降り続き、道の端に積もる白い層はその厚みを増していく。村を離れてから十数年。戻ることはないと思っていた場所への帰路は、どこか夢の中のような非現実感に満ちていた。


男が立ち止まったのは、山道に差し掛かるカーブの手前だった。ふと足元を見ると、雪の中に一筋の足跡が続いている。まっすぐで、途切れることなく先へと伸びている足跡だ。降り続く雪にもかかわらず、それはまるで作られたばかりのように鮮明だった。奇妙だ、と男は思った。


周囲には人気がなく、降雪の状況を考えれば、すぐに埋もれてしまうはずの足跡がこのように残っているのは不自然だった。なおさら不思議だったのは、足跡が自分を呼んでいるような感覚を覚えたことだ。男は足跡を辿ることを決めた。


足跡は、村の方角へと続いていた。男が歩くたびに、雪を踏む音だけが響き、他には何の音も聞こえない。静かに雪が降る中、男の心には幼少期の穏やかな記憶が次々と浮かび上がった。父と釣りをした池での会話、友人たちと秘密基地を作った日の笑い声――懐かしい情景がまるで昨日のことのように蘇る。


「こんな場所、まだ残っていたのか……」


男はそうつぶやきながらも、足跡に誘われるように歩き続けた。しかし、次第に風が強まり、雪が激しく舞い始める。吹雪が視界を遮る中、男の心にもまた別の記憶が呼び起こされていった。


父との衝突、友人との別れ、村を飛び出すように離れた日の苦々しい思い出――穏やかな記憶に隠れていた後悔や怒りが、吹雪のように心を渦巻いていく。


「なんで俺はここに戻ってきたんだろうな」


男は独りごちた。足跡はそれでも鮮明に視界の中にあり続けた。吹雪の中でも消えることのない足跡。その奇妙さは男の胸にさらに強い疑問と不安を呼び起こした。

足跡を追うたびに、雪を踏む感触さえも遠ざかり、自分がどこにいるのかさえ曖昧になる。風の音が耳を打ち、雪の冷たさが身体を凍らせる中でも、足跡だけは鮮やかに続いていた。


数時間が経っただろうか、男はある大きな木の前に立っていた。その木は、幼少期に何度も訪れた場所だった。


木の根元には、雪に覆われた何かが置かれている。男はそれを掘り起こし、手に取った。それは缶の中に入った古びたノートと手袋だった。ノートを開くと、中には幼い字で何かが書かれている。男はその文字を読み進めた。


「この足跡を見つけたら、君はきっと自分を許せる日が来る」


男は目を疑った。その文字は、間違いなく自分が子供の頃に書いたものだった。そしてその時、全てが繋がった。足跡は誰のものでもない――男自身の記憶が作り出した幻影だったと気付いた。


村を離れた後、男はずっと後悔していた。父や友人、村そのものを背負うように捨て去った過去を。


ふと周囲を見渡すと、降り積もった雪が止み、青空が広がっていた。足跡も、もう見当たらない。男は静かに目を閉じ、深呼吸をした。心の中に残っていた重い雪が、溶けていくのを感じながら。

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